わらべうた




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「いったいどういうつもりなんでしょうか…」
内海がつぶやいた疑問に対して、伊東は「何が?」と惚けた。
伊東の別宅で定期的に行われている『勉強会』は、もともと伊東の門下にあった者たちに加え、新撰組の体制に疑問を持ち講義を受けて伊東に偏ってきた隊士たちが集まり、連日盛況だった。そこに最近は七番隊組長の藤堂が加わっているのだ。
内海は渋い表情だった。
「惚けないでください。藤堂君…藤堂先生のことです。彼はもともと大蔵さんの門下とはいえ、試衛館食客の一人です。他言無用を条件に勉強会への参加を許可しましたが…」
「彼は本当に他言無用を貫いているのだろう?そして熱心に私の話に耳を傾けている」
「…確かに、その通りですが」
藤堂が参加するようになってから監察の目が厳しくなったということはない。表向きは講義の延長とした課外授業だが、幕府に寄りがちな新撰組とは反対に尊王に傾くような内容となっている。藤堂が土方あたりに密告したならば、咎められそうな集会だが今のところはその様子はない。
内海は藤堂を疑うが、伊東は「杞憂だ」と笑った。
「『魁先生』…その言葉通り、彼は真っすぐで猪突猛進でありそこは美徳とすべきところだが、決して器用ではない。彼に間者のような真似はできまい」
「でしたら、いざという時は裏切ってこちら側に付くと?」
「直接的な言い方だな。…『いざという時』がいつかなんてわからないし、まだ彼らと対立しているわけではない」
「『まだ』でしょう?」
言葉尻を捕らえる内海に、伊東は苦笑で返した。
「…彼を懐柔するのは簡単だよ。彼が求めている言葉や態度は手を取るようにわかる。…藤堂君は、亡き山南総長の代わりを私に見ているのさ。法度という暴力ではなく互いに論じることで道を模索すべきだと、そういう理想を私に求めている」
「…彼は山南総長を追って試衛館に入門したという話がありますから、それはその通りなのでしょう」
「うん…私が総長を嵌めた張本人だとも知らずに、ね」
「…」
いつは数年前に思いを馳せる。
あの頃、山南は土方との考え方に違いに悩んでいた。そして与えられた職務を全うできない自分のままならない姿に追い詰められ、支えてくれていた芸妓を失うかもしれないと思ったことで箍が外れた。伊東としてはそのまま尊王の考えに傾倒してくれれば良いと思ったのだが、脱走を選ぶとは思いもよらなかった。山南には例え苦境に陥ろうとも揺れない信念があったのだ。
しかし藤堂はどうだろう。自分の知らないところで恩師が亡くなり、その理由もわからないまま納得しろと詰め寄られ、表向きは頷いたとしても心の中では疑念が燻り続けたはずだ。その気持ちが募って、伊東の懐に逃げ込んでもおかしくはない。しかし、
「あと一歩…足りない」
藤堂の中で自分が『試衛館食客の一人である』という気持ちはいつまでも在り続ける。それを翻意させるには何かきっかけが必要なはずだ。
「…その顔、嫌なことを考えていますね」
内海は目ざとく指摘する。名前が『伊東』に変わる前からの古い付き合いである内海には察せられてしまうのだろう。だが、伊東は微笑みで聞き流して「そういえば」と話を変えた。
「会津から馬鹿げた依頼が来ているらしい。三条大橋の高札警護依頼、だとか」
「…高札の警護?三条大橋とは言えば、最近法度書きの高札が鴨川に捨てられているという話ですが…まさかその高札ですか?高々高札の?」
「そう。なんとも幼稚なことだ」
伊東が吐き捨てると内海も同調しため息をつく。
伊東は手にしていた書物を置き、立ち上がるとそのまま縁側に向かった。穏やかな秋の陽気は決して心を慰めることはない。
「…これだから、幕府も一橋慶喜も嫌いだ。長州征討も帝の勅命を無視して中止し、家茂公の喪に服すという理由で休戦の勅を出させた…さらには天子様を侮辱するだけではなく、己の体面のために将軍職を固辞し…そのような幕府の配下である新撰組にいる自分が、このほど心底情けなくて仕方ない」
「…同意します」
「一橋慶喜が将軍職に就いた時こそ…『いざという時』なのかもしれないな…」
縁側に冷たい風が吹く。
静かな秋の日和をかき乱すように。



一方。
「高札の警護ぉぉ?」
近藤と土方が会津藩から寄せられた『三条大橋の高札警護』の依頼について話すと、原田は心底面倒な顔を見せた。
「左之助、気持ちはわかるが話を聞いてくれ」
「いんや、聞かなくてもわかるぜ?長州許すまじの高札が何度も引き抜かれ鴨川に捨てられちゃ、幕府の面子が立たない。だからとっ捕まえろってことだろう?」
「…有体に言えばその通りなんだが」
原田らしい解釈に近藤は苦笑するしかない。しかし彼は続けた。
「幕府の要人警護ってなら喜んでやるけどさ、相手は突き刺さってる棒っ切れだぜ?動かねえ、喋らねえやつを何が楽しくて警護なんかしなきゃならねえんだよ、三十人もかけて!」
原田が呆れていたのは警護対象に対する隊士の規模だ。せいぜい数人かと思いきや、監察方などを巻き込んで三十名ほどになるという。いつもなら悪乗りして「やってやる」と引き受ける原田も文句を言わずにはいられなかったのだ。
すると土方が「いいから話を聞け」と続けた。
「長州処罰の高札を引き抜くって言うのは、幕府の決定に不満を持つ政治犯の仕業だ。将軍不在のいま、悪戯であったとしても幕府の威信が丸つぶれになるような行為は例え人数をかけても取り締まるべきだろう」
「だからって三十人も必要か?十番隊だけで十分だろう」
「念には念を入れるだけだ。…高札警護が終わるまで十番隊は毎日の巡察を免除する。監察が奴らを見つけるまで、十番隊は近くの宿を借りて待機するだけだ」
「なんだ、それを早く言ってくれよ」
原田はニヤッと笑って「わかった」と頷いた。現金な彼は日頃の巡察に比べれば楽な任務だと受け入れたのだ。
土方が詳細は追って相談すると告げると原田は軽い足取りで部屋を出て行った。それでも「面倒だ」と駄々を捏ねるかと思っていたので土方は安堵したが、近藤は深いため息をついた。
「…幕府の高札警護は重要な任務だと思うが…左之助の言う通り、傍から見ればたかが高札を三十名で警護とは、情けない話かもしれないな」
近藤が会津からこの任務を受けた時、『幕府から直々の依頼』だということで舞い上がっていたが、よくよく考えればそうしなければならないほど幕府の威信というものは揺らいでいるということだ。
「長州征討は家茂公の喪に服すために休戦。民衆には『敗戦』だと言われ一刻も早く立て直しが必要だというのに、一橋公はいまだ将軍職に就かれず…十一月に諸侯が集まって会議を催すようだが、それもどうなるか…。刻一刻と異国が迫っているというのに、内戦ばかりに目を向けていてはこの国の行く先は真っ暗だ」
「…天子様は揺るぎない尊王攘夷のお考えをお持ちだ。そう心配することはないだろう」
「そうかなあ…」
「それよりも、局長がそういう不安を表に出すな。高札警護だって馬鹿らしい任務かもしれないが、失敗すれば猶の事笑われる。万全を期すために三十人を配するんだから、堂々としていろ」
「…お前は相変わらず、迷いがなくて良いな」
近藤はそう言って頷いた。土方からすればそのような政治的な事情に感情移入するほど暇ではないだけなのだが、新撰組局長として表立った活動をする近藤には思うところが色々とあるのだろうと思う。
そうしていると「失礼します」と総司が顔を出した。
「巡察の報告に来たのですが…」
「ああ、入っていいぞ」
近藤に手招きされ、総司は中に入った。
「巡察の方は特に問題ありません。先日怪我をした隊士も復帰しましたが、任務に支障はないかと思います」
「そうか」
「後遺症がないようで何よりだな」
土方の淡々とした返答と近藤の穏やかな笑み。総司は相変わらず対照的な二人の様子に安堵しながら続けた。
「それから…市中で河上らしき人物の目撃情報がありました。監察方の協力者からです」
「河上彦斎か…」
「彼も顔を知られてきましたから、そろそろ都から引き揚げそうなものですが…未だとどまっているあたり何か目的があるのかもしれません」
総司の報告に土方が「そうかもな」と剣幕を鋭くする。先日、三浦啓之助脱走の件との関わりから監察に言い含めて警戒させているが、未だに尻尾を掴めないでいた。近藤は訊ねた。
「俺はその、河上という男に遭遇したことがないが、いったいどういう男なんだ?」
「剣術については私と互角くらいかと思います。…身の丈は低く小柄で色白で…一見すると女と見分けがつきません」
「そうなのか、想像と違うなぁ」
京を騒がす人斬りと聞けば、誰もが体格の良い男を想像するだろう。しかし河上は一見すると貧弱な容姿で突出したものはないが、人の心の隙間に入り込んできそうな妖しい笑みを浮かべている。口を開けば残虐な人間性が垣間見れるが、決して無知というわけではない。
「歳、もしかしたら河上は高札の件にもかかわっているのかもしれないな?」
「…そういうことに加担するような男とも思えないが…」
「高札?何のことです?」
総司が尋ねると、近藤は高札警護について簡単に説明したのだった。







解説
特になし
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