わらべうた




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三条大橋西詰近くの三条会所に十番隊隊士ら十数名が待機し、町屋などに監察が配備につくこととなった。
最初は物珍しい任務に意気揚々と仕事にあたっていた隊士たちだが、数日が経つと喋りも動きもしない高札の警備にはさっさと飽きてしまい、ただ時間をつぶすだけの任務となっていた。
「つまんねぇなぁ」
その先陣を切っていたのが組長である原田なのだから、だれも止めるものはいない。
近藤は『幕府から依頼された重要な任務だ』と仰々しく言っていたが、幕府に恨みを持つ討幕派の仕業…とも言えず、ただの悪戯なのだ。しかしその悪戯さえも『幕府の権威を汚す』行為なのだと憤慨してしまうあたり、組織の弱体化が見え隠れする。
深夜、監察方として任務にあたる大石が会所に顔を出した。元十番隊の大石だが今ではすっかり監察方の一員として小汚い物乞いに身をやつしている。大石と入れ替わるように十番隊に加入した浅野にはその姿がどこか自分と重なって見えた。
大石は原田に短く耳打ちしたあと、さっさと会所を出た。原田は大きなため息をつくと首を横に振り、収穫がないことを隊士たちに知らせ皆が落胆する――幾度となく繰り返してきたやり取りだ。
「浅野」
原田から手招きされ、浅野は「はい」と近づいた。すると懐から財布を取り出すとジャラジャラと小銭を渡した。
「酒とツマミ、買ってきてくれねえか?」
「…まさかここで飲むおつもりですか?」
「大石から今夜は動きはなさそうだってことだし、バレなきゃ大丈夫だ。全員少しずつ飲めればいい」
「しかし…」
「隊士たちも辟易してる。士気に関わるだろう?」
「…」
浅野は周囲に目を向けた。壁にもたれ掛かり居眠りをする者や、つまらなそうに武具の手入れをする者、苛立ちを隠せず目つきが鋭くなっている者もいる。原田の言う通りいざという時にこの状態では失態を犯しかねない。
「…わかりました」
「悪いな」
原田の軍資金を預かって、浅野は会所を出た。
この辺りは監察方の頃によく出入りしていたので夜更けまで開いている酒屋を知っているので、戸惑うことなく店を目指して歩き始めた。
十番隊の一員として巡察に参加するようになってから半月ほど。最初は顔を晒して市中を堂々と歩く行為そのものに抵抗があった。誰かに正体を露見するのではないか――そんなのは杞憂でしかなく、浅野はただの『新撰組隊士』となっていた。
(これでいい…)
池田屋以前からの古参である浅野はこれまで数々の同志の死を見てきた。失態を犯した者、規律から逃れた者、指示に逆らった者――様々な理由で切腹が言いつけられ、むざむざとこの世を去った。その者たちに比べれば降格で済んでいる浅野は幸運な類だろう。
しかし。
(…これでいいのか…?)
自分へ問いかけずにはいられない。副長助勤でもなく、監察でもなく、『金山福次郎』でもなく、ただの浅野薫となってしまった自分にどんな価値があるというのか。
「…おっと、ここだ」
深く考え事をしていたせいで酒屋を見過ごすところだった。店にはまだ明かりが灯っていたので安心して暖簾をくぐろうとする。
すると
「あっと…」
店から出てくる客に肩がぶつかった。小柄で細身の男は大切そうに徳利を抱えていた。
「すみません」
「…」
夜も更けた暗さでは相手の顔は見えないが彼は浅野を無視して顔を逸らし、そのまま小走りに逃げるようにして去っていった。剃りたての月代だけが月明りに照らされている。
(銀平…?)
何故だか銀平の姿が重なって頭をよぎった。だが彼は下戸でましてや月代なんてあるわけがない。そんなわけはないとすぐにかき消して、暖簾をくぐったのだった。


翌日。
毎日の稽古を終えた総司は井戸にいた。
「空振りらしいぜ」
稽古の当番を終えた永倉が同じく当番であった総司に話しかけてきた。
「高札の警護ですか?」
「ああ。引き抜かれているっていっても今年になってまだ三度しかないんだから仕方ないよな。こればっかりは左之助に運があるかどうかだ」
夜通し見張りを続ける十番隊の隊士たちはこのところげっそりとした表情で屯所に戻ってきては仮眠を取り、夕刻頃にまた出かけていくという日々を繰り返していた。楽な任務だと高を括っていた隊士たちも五日も続けばうんざりするようになったらしい。
永倉は「二番隊に振られなくてよかった」と心底安堵して続けた。
「連日、動かない棒っ切れをただただ眺めているなんて俺には耐えられないな」
「原田さんだって耐えられないんじゃないですか」
「昨日は酒を飲んだと言っていたぞ」
「…それ、バレたら土方さんに大目玉を食らいますよ」
永倉が「黙っていてやれよ」と苦笑した。高札警護に一番辟易としているのは原田で、永倉によく愚痴っているらしい。
「そのうち女でも呼ぶと言い出すかもな。おまささんのところに帰れないって嘆いていたから」
「それはお気の毒ですけど、さすがに宴会は怒られますよ」
「俺もそう思う」
総司は永倉の話を聞きながら手拭いを水に浸して固く絞り、それを首元に当てていた。冷たい井戸水が心地よく身体を冷やしていくが、その様子を見て永倉は首を傾げた。
「…なんだ、暑いのか?今日は指導だけで楽な稽古だっただろう?」
「ええ、そうなんですけどどうも身体が火照って…汗はかいていないんですけど」
「寝不足か?大事になる前に養生した方が良いな」
「肝に銘じます」
池田屋で昏倒したのは周知の事実なので忠告はありがたく受け取る。永倉は「じゃあな」と手を振って去り、入れ替わるように斉藤がやってきた。
「悪いが水をくれ」
「どうぞ」
総司が桶を差し出すと斉藤は両手で顔を洗い始める。それを二、三回繰り返すと「ふぅ」と大きな息を吐いた。その目元には微かなクマが見えた。
「寝不足ですか?それに…なんだか久しぶりな気がしますね」
「ああ。このところは一番隊とは巡察が重ならなかったからな」
「それもありますけど…」
非番の日は常に斉藤の姿は屯所にはなく、総司と顔を合わせる機会はなかったので少し不思議に思っていたのだ。
総司は声を潜めて尋ねた。
「…何か密命でも?会津からとか…」
「そういうわけではない。ただ…やるべきことがあるだけだ」
「やるべきこと?」
総司が食い下がると、斉藤はもう一度顔を洗って「言えない」とはっきり答えた。
「沖田さんに関係がない、とは言わないが今は少なくとも関係はない。俺のことは気にしないでくれ」
「はぁ…」
斉藤は総司の疑問を今まで聞き流すことが多かったので、そこまで断言するのは珍しい。それほど詮索されたくないことなのだろうか。
「無理しないでくださいね」
「ああ」
斉藤はそのまま背を向けて去っていく。自室に戻るのではなくそのまま屯所を出るようだ。
「…ケホッ」
総司は永倉や斉藤の前で堪えていた咳を吐き出した。
「風邪かなあ…」
木枯らしの乾いた風は身体に悪いという。きっとその類だろうと思いながら、総司は自室へ戻ったのだった。







解説
特になし
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