わらべうた




569


突然腕を引かれ、浅野が驚いて振り向くと、手拭いを頭に巻き小汚い衣服を着崩した男がいた。常人なら振り払ってしまうだろうがもともと監察にいた浅野にはすぐに分かった。
(大石…!)
彼は大石鍬次郎。もともと十番隊に隊士で浅野と入れ替わるように監察方に配属された男だ。監察方としてのキャリアは短いがすっかり『らしく』なっている。
「うちの店の方が開いてまっせ」
客引きのつもりなのか誘われたので、浅野も「じゃあ」と応じた。大石に引きずられるように銀平に似た若者がいる居酒屋から離れ人目のつかない物陰に入る。
大石はすぐに口調を変えた。
「悪いがあの居酒屋には立ち入らないでくれ」
大石は今回の高札警護に参加する監察の一人でもある。十番隊は非番を与えられたが、彼らの任務は遂行中であるのでその一環なのだろう。元監察である浅野には大石の言い分はすぐに理解できたが、しかし尋ねずにはいられなかった。
「…中にいるのは、どういう連中なんだ?」
「土佐だ」
「土佐…今回の高札の件に関わりがあるのか?」
「まだわからない。先日の薩長の同盟以来、土佐は佐幕か討幕か微妙な立場にある。それ故に慎重に物事を進めている」
「…」
大石は淡々と語る。
もともと口数の少ない男だが、彼は実弟を同志に殺されて以来さらに感情が見えなくなった。新撰組を憎んでいるかもしれない男を監察に置く…土方の采配は時に難解だ。
「…じゃあ、そういうことだ」
大石は用件は終わったとばかりに戻ろうとしたが、浅野が「待ってくれ」と引き留めた。
「一つ尋ねたいことがある。…中にいた若者…小柄で剃りたての月代の男だが、何者か知らないか?」
「…」
大石は少し沈黙したが表情は変えなかった。
「…最近加わった小間使いだろう。正体は知らぬ」
「そ、そうか…」
「話はそれだけだな」
そう念を押すと、今度こそ浅野を置いて大石は去っていった。屈強な体格が人ごみに紛れてその姿が溶けてわからなくなっていく。
大石の答えに浅野は落胆と安堵を同時に感じた。大石の言うように土佐は微妙な立場にあり、いつ態度を翻してもおかしくはない。
(…危険な連中に関わってほしいわけではない…)
浅野はちらりと銀平に似た若者がいた居酒屋へ目を向けた。暖簾の向こうにはもう何も見えなかった。



翌日、伊東の手紙を携えて藤堂は町に出た。
手紙のあて先は『木田善兵衛』殿となっていて、伊東の段取りでは人気のないある寺で待ち合わせているということ…藤堂はそれ以外のことを何も聞かなかった。
(根掘り葉掘り聞くのは伊東先生を疑っているのと同じこと…)
藤堂は余計なことは考えなかった。
いつから自分のあだ名は『魁先生』となったのだろう。池田屋で真正面から傷を受け、額に勲章を刻んだ頃だろうか。あの時は訳も分からず無我夢中で敵の正体なんて考える余地もなく戦い、ただ終わってみれば『新撰組』の名が轟いていた。そして意気揚々と江戸隊士募集に向かい、戻ってみると状況は一変していた。
山南がそこにいなくなっていた。
(いつまでも引き摺っていると、皆は嗤うだろうか…)
月命日になると山南の墓は華やかに彩られる。隊士たちが山南を慕っていた証拠であり、それくらい必要な人だったということだ。
(だから…今の新撰組には伊東先生が必要なんだ…)
確信と決意を込めて、藤堂は歩みを進める。そのうち伊東から指定されていた寺に辿り着いた。鬱蒼とした雑草が多い茂った管理されていない様子だが、歩道だけは人一人は歩けるようになっている。外から中の様子をうかがい知ることはできず、秘したい待ち合わせにはうってつけの場所だ。
藤堂は枝葉を避けながら歩道を歩く。すると本堂近くの大木の傍でちらりと人影が動いた。
「…木田殿ですか。俺は伊東の使いの者です」
藤堂が名乗ると、その影の持ち主は警戒しながらもゆっくりとその姿を現した。地味な衣服にその身を包み目深に笠をかぶって表情は窺うことはできなかったが、色黒の肌と無精ひげが印象的だった。
木田は警戒心が強いのか藤堂を前にしても口を開こうとはしなかった。
「…これを、伊東から預かってまいりました」
「…」
藤堂が差し出した手紙を木田は受け取るとすぐに中を開いて読み始めた。そしてすぐに顔を顰めると野太い声で
「恩に着る、と伝えてくれ」
と言ってすぐに去っていってしまった。
愛想がないのは警戒されているから仕方ないと思ったが、藤堂は今更ながら言いようもない気味の悪さを覚えた。
(あの男はいったい…何者なのだろう…)
意図を深く考えないことが、伊東を信頼することに否定すると思っていた。けれど木田という男から感じた雰囲気は決して味方に与する者のそれではなく、どことなく敵のある距離感ではなかったか。
(俺はもしかして、とんでもないことをしてしまったのか?)
たかが手紙を渡すだけ…それだけで伊東の信頼を得るのなら喜ばしいことだと安請け合いしたが、それは『間違っていなかったのか』…急にそんなことが気になり始める。
その時だった。
「誰だ?」
雑草がガサガサと揺れる音が聞こえてきた。それは明らかに風の仕業ではなく足音共に確実にこちらに近づいてくる。
相手からの答えはなく、藤堂は鞘に手を伸ばし柄を握った。木田が仲間を連れて戻ってきたのかもしれない――しかし姿を現したのは意外な人物だった。
「…斉藤さん…?」
「…」
刀に手を掛けている藤堂を見て、斉藤は眉間に皺を寄せた。
「俺を斬るつもりか?」
「え?いや…まさか、斉藤さんだとは思わなくって…ハハ」
藤堂は取り繕いながら警戒心を解き、「どうしてここへ?」と尋ねた。人の立ち入らないような物騒な寺に用事があったとも思えない。しかしそれは藤堂も同じだ。
「それはこちらの台詞だ。…藤堂さん、何でこんなところにいる。先ほどの男はあんたに用事があったというのか?」
「先ほどの男って…斉藤さん、知っているんですか?」
「…」
斉藤は急に剣幕を鋭くした。まじまじと藤堂を見て「あの男を知らないのか?」とさらに訊ねてきた。
(伊東先生のことを話すわけにはいかない…)
「その…少し、立ち話をしただけで…知り合いというほど知り合いではありません」
「こんな人気のない寺で立ち話を?」
「…」
咄嗟の言い訳のような嘘を斉藤は信じてはくれない。しかし藤堂はそれ以上は何も言えず口をつぐむしかなかなく、二人の間には重たい沈黙が流れた。
すると深いため息をつきながら斉藤が口を開いた。
「あの男は『城多董(きだただし)』…水口藩の尊王派の大物だ」
「城多…って、池田屋の時に名前が挙がっていた、あの…?」
「ああ。宮部や吉田とともに計画を立てていたが、運よく池田屋にいなかったとされる人物だ。最近は将軍襲撃にも関与したことが分かり見廻組からも追われている。俺は今日は非番だが、よく似た男がここから出て来たから気になってここに来たんだ」
「…そんな…」
藤堂は絶句した。
まさか伊東がそのような人物と友人だとは思いもしなかったし、あて先が『城多』だったなら察することはできたかもしれない。けれどもし相手が尊王派の大物だと知っていたとして、藤堂は伊東の依頼を拒んだだろうか。
(いや…むしろ率先して受けていたかもしれない…)
『恩に着る』
男は…城多はそう言った。伊東は何かを伝えた。
(伊東先生には何かお考えがあるはずだ…)
もともと伊東は入隊前から尊王派の考えが強いのだから、たとえ城多が追われる身であったとしても友人であることに間違いはないのだろう。
「藤堂さん、あんたはあの男とここで待ち合わせをしていたのか?」
「…たまたま話をしただけです。城多とは思わず、捕らえられなかったのは申し訳なく思いますが他意はありません」
「…」
斉藤が藤堂を疑いを持って見ている。しかし藤堂はその目を真っすぐ見返した。
(もう後戻りはできない)
伊東の依頼で、城多に手紙を渡した。――例え何も知らなかったとしてもその事実は揺らぐことはなく、斉藤に言い訳など通じないだろう。
(だったら貫くだけだ)
城多のような大物に手紙を渡すという重要な任務を任せてくれた。自分はそれに答えたいと思った。
だから、伊東を信じるということを貫く…それこそが自分が為すべきことだ。
斉藤と藤堂はしばらく視線を交わし合う。それは傍目にはお互いに敵意を向けているように見えただろう。じりじりとした緊迫感が二人の沈黙に加わった。
やがて斉藤の敵意が諦めへと変わっていく。
「…藤堂さん、あんたは馬鹿だ」
斉藤は心底呆れたような顔をして、背中を向け去っていったのだった。







解説
特になし
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