わらべうた




571


その日は昼から薄暗い雲に覆われていて、しとしとと雨が降り続いていた。
いつもと変わらない別宅での勉強会を終えた藤堂は講師役の伊東に「少し宜しいでしょうか」と声をかけた。伊東は終始藤堂の表情が固かったことを察していたので、
「奥の部屋で良いだろうか」
と誘った。先日、藤堂と話し込んだ場所であり山南の置き土産である書物が高く積まれた書斎だ。
二人は向き合って座った。藤堂は話を持ち掛けたものの、どう話を切り出して良いかわからず黙り込んだが、目敏い伊東が「手紙のことかい?」と口を開いた。その様子に一切の焦りはなくいつも通りだ。
「責任感の強い君のことだから既に手紙を渡してくれたのだろう?ありがとう、恩に着るよ。…木田は何と言っていたかな」
「…その前に、その木田という男ですが…『城多董』という男で間違いないでしょうか」
「…」
伊東の剣幕が少しだけ鋭くなった。しかしそれを隠すように微笑んで見せた。
「申し訳ない。君を関わらせたくなくて詳細を省いてしまった…木田善兵衛というのは彼の前の名前でね、志を同じくする水戸にいた頃の友人だ」
「…!」
(嘘をついて隠すこともできたのに…)
伊東は一切偽りを口にすることなくすぐに認めた。その行動には何の躊躇いもない。藤堂は続けて尋ねた。
「…城多は池田屋に関わりのある人物です。新撰組にとって敵です…」
「そうであったとしても私の友人であることに間違いはない」
伊東の口調は穏やかないつものそれであったが、城多を庇う姿勢は譲らなかった。
しかし藤堂も諦めることなくさらに詰め寄った。
「先生、手紙の内容は…どういうものなのでしょうか。城多は『恩に着る』と言っていました…先生はいったい何を伝えたのですか」
「…それは、君には言えないな」
「なぜですか!俺は信用できないと?だったら何故俺に手紙を届けさせたのですか?!」
カッと熱くなった藤堂に対して伊東は
「藤堂君、声を潜めたまえ。…今日は雨とはいえ、そのような大声では皆に聞こえてしまうよ」
と治めた。
藤堂は唇を噛みしめながらどうにか感情を抑えつつ、続けた。
「…俺は、先生にお願いしたはずです。『試衛館食客』として扱うのはやめてほしいと。一人の門下生…いや、先生の『味方』として見てほしいと。ですから俺は手紙を届けたのです」
「…」
「そうしてくださるのなら、質問にお答えいただきたいのです。城多に何を伝えたのですか?手紙の内容はいったい何なのですか?」
小さく燻る疑念がいつか大きな溝になることを知っている。真実を隠され、自分だけ蚊帳の外に置かれる寂しさは藤堂の骨の髄までしみ込んでいる。
(もうあんな思いはしたくはない…!)
その一心で藤堂は伊東に食い下がった。
二人の間に少しだけ沈黙が流れる。振り続ける雨は少し強くなったようで風に吹かれて縁側を濡らし始めていた。
視線を外すことなく一心不乱に見つめる藤堂に根負けしたのか、伊東は「困ったな」と苦笑しながら懐から扇を取り出した。思案するように考え込み二、三回扇の骨を掌に打ち付けた。
「…これを話せば君を巻き込むことになってしまう…それは本当に私の本意ではない。しかし、ここで君を信用できないと突き放すのは簡単だが、生憎私は君を信じているからこそ今回の件を託した」
「先生…!他言はしません…!」
「そうだね…『試衛館食客』ではなく『私の教え子』として…話すべきだろう」
勿体ぶった前置きをして、伊東は扇を開いて藤堂に声を潜め耳打ちをした。
「見廻組が城多を捕縛しようとしている。しばらく姿を隠し潜伏するように忠告した」
「…!先生、それは…」
新撰組と見廻組…二つの組織は別ではあるが、市中警護を務める幕府側であることに間違いはない。その伊東が城多の立場を案じ、逃がしたのだとすれば背任行為だろう。
しかし伊東の表情には鬼気迫るものはなく、
「裏切り者だと密告するかい?」
と訊ねた。
「そんな…!そんなことはしません。俺は…先生には何かお考えがあるのだと…そう思っています」
「…ありがとう。城多は尊王派で力を持つ男だ。今回の件は友人として力を貸すだけではなく、彼に恩を売っておく好機だったんだ。今後、彼は我々にとって重要な存在になるだろう」
「我々…ですか…」
「意味はわかるだろう?」
伊東の問いかけに、藤堂は息を飲んだ。彼は『我々』を『新撰組』として使ったのではなく、信頼できる同志たちを指しているのだ。
自分はそのなかにいる。
(先生は、先生のお考えがある…俺はそれに従うと、決めた…)
「…わかりました。今回のことはもう俺は忘れます、これ以上はお尋ねしません」
「ああ。…君に任せてよかったよ」
伊東は扇を閉じて藤堂に握手を求めた。彼流の信頼を示す行為…汗をかいた藤堂とは正反対にその指先は冷え切っていた。

藤堂が部屋を去ると入れ替わるように内海がやってきた。
「久しぶりにあなたの性根の悪さを垣間見ました」
早速、毒舌で指摘した内海に対して伊東は苦笑した。
「内海だって隣の部屋で聞き耳を立てていたのだろう?お互いさまじゃないか」
「大声でしたから他の隊士に聞かれては困ると思い人払いしたのです。言い争いでも始まるのかと冷や冷やしていました」
「彼とは言い争いになどならないよ」
余裕の笑みを浮かべた伊東を見て、内海はやれやれと呟きながら藤堂がいた場所に座った。彼の熱意が残るかのように仄かに温かい。
「…信用して任せたなどと口にしていましたが、わざわざ『巻き込んだ』というのが正しいでしょう。彼はあなたへの尊敬の念が強すぎて気が付いていないが、城多さんに手紙を渡してしまった張本人である藤堂先生はどう言い繕っても新撰組に対して『裏切り行為をした』ことに間違いはない。しかし義理堅い彼はあなたの頼まれごとだったとは誰にも言えず……もうこちら側に付くしかない」
「前に言っただろう。彼はもう一歩決意が足りなかった。心は新撰組から離れていたのに、数年間積み重なった情だけが彼を引き留めていたんだ…私はそれを断ち切らせてあげただけだよ」
「巻き込んだとも言えます」
「味方は一人でも多い方が良いからね。それが新撰組の組長なら使い用がある」
淡々と語る伊東には罪悪感はない。内海はため息を漏らした。
「…藤堂先生とあなたの話を聞いていると私もあなたに騙されているような気分になりました」
「心外だな。今まで内海には嘘をついたことはないよ」
「どうでしょう。黙っていることはありそうですが」
「君だってあるはずだ」
内海との心地よい会話に伊東は微笑む。自分を一心不乱に信じる藤堂とは別の内海の遠慮のなさは快く、こうして会話を楽しんでくれる相手は彼くらいなものだ。
伊東は「しかし」と扇を広げて口元に当てた。
「…藤堂君が何故『木田』を『城多』と見破ることができたのだろう。あの警戒心の強い城多が自分で名乗るとは思えないが…」
「篠原に調べさせましょう」
「ああ…頼む」
陽が落ちるのと同じくして雨の音が止んだ。地面に沁みこんだ雨粒はその姿を消してしまう。
(私は新撰組の一人としてこのまま埋もれるつもりはない)
伊東はそんなことを思った。


雨が止んだ夜道、藤堂は伊東の妾である花香から提灯を借り屯所に戻っていた。時折抜かるんだ水たまりに足を取られながら伊東とのやり取りを反芻した。
(俺は…もう後戻りできないのだろう)
最初は山南と伊東を重ね、心に空いた穴を埋めるように慕っていた。けれど今となっては新撰組に愛着など無く伊東が描く未来を知りたいと願い…共にありたいと考えている。
『…藤堂さん、あんたは馬鹿だ』
あの時、斉藤が心底呆れた表情で藤堂を見ていた。そして、
「藤堂さん」
人気のない物陰から藤堂の名を呼ぶ…目の前の斉藤もまたその時と同じ顔をしていた。







解説
伊東が城多董に見廻組の件を忠告した時期は本来はもう2か月ほど前のことで、実際は典薬寮医師山科能登助を通して伝えたとのことです。

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