わらべうた




572


彼はいったいいつからそこにいたのだろうか。既に雨は止んでいるのに斉藤の肩口が濡れていたが、全く気にする素振りを見せずに藤堂に近づいてきた。
「…待ち伏せですか?よほど俺のこと、疑っているんですね」
先日、城多との待ち合わせを斉藤に見られて以来、何かしらの視線は感じていた。けれどもそれは監察方によるものではなく、それよりも執拗な斉藤の重たいものだ。もっともそう感じるのは自分に罪悪感が在るせいかもしれない。
「疑っているならとっくの昔に土方副長に告げ口をしている。そうなれば伊東参謀とともにあんたは今頃処分を受けているはずだ」
「…」
尤もな指摘に藤堂は何も答えなかった。斉藤の言う通り、土方にこのことが伝われば隊を二分する騒ぎになる…けれど今それが起こっていないのは斉藤のところで留め置かれているからだ。
(同情して庇われている…というわけではないはずだ)
斉藤はきっと藤堂の様子を窺っているのだろう。ボロを出すまいと黙り込むと、彼はやれやれと言わんばかりに話を変えた。
「ところで…今日は『勉強会』か?非番の日に集まってわざわざ熱心なことだ」
「…伊東先生の講義は人気なんです。学びたいと集うことが悪いことじゃない」
「参謀を信奉するものがコソコソと別宅に集まる…傍目には何かを企んでいるようにも見えるだろう」
「何が言いたいんですか!」
伊東とは違う、じわじわと責め立てるような遠回しな表現に藤堂は反発した。こうやってすぐにカッとなるところがいけないとわかっていながらも、斉藤の無表情で淡々とした尋問は苦痛だった。
しかし斉藤はそのまま続けた。
「参謀が何を考えているのか、知りたいだけだ。もともと勤皇の考えの強い参謀がこのまま幕府に付き従う新撰組について何を思っているのか…興味がある」
「興味?土方さんに調べろとでも言われているんじゃないですか?斉藤さんは入隊した時から俺なんかよりよっぽど近藤先生や土方さんに信頼されているじゃないですか」
「信頼されているかもしれないが、こちらが信頼しているかどうかは別の話だ」
「…どういうことですか」
藤堂の目には、かつて少しの期間だけだが試衛館に在籍した斉藤は、その独特の物腰と誰ともつるまない孤高な姿から土方に重宝されているように見えた。しかし
「俺には俺の立場がある」
と答えた斉藤の表情は昏く読み取れない。
「どういう…意味ですか。立場って、副長助勤、三番隊組長としての立場ですか?」
「俺はある幕臣から使命を受けて新撰組に入隊している」
「…!」
藤堂は驚いた。「冗談を」と思わず零したが、斉藤の表情に嘘はない。
「幕府だけではない、会津とも縁がある」
「…まさか、信じられません…」
「俺に内偵させている幕臣の名前を教えても良い」
「…」
藤堂は斉藤とは付き合いがそれほどないが、このような冗談を言う性格ではないことは知っていた。ひとまずは飲み込んで受け入れ、耳を傾けるしかなかった。
「もともと浪人の集まりに過ぎない壬生浪士組が会津藩お預かりになったのは俺のような存在を潜入させていたからだ。それ故に俺は隊を仕切る土方副長の駒として従ってきたが…このところはその立場に違和感を覚えている。果たして盲目的に幕府に…一橋慶喜に従うことが新撰組の行くべき道なのか」
「…斉藤さんも一橋慶喜が嫌いなのですか」
「負け戦と決め込むと逃亡する将に従う部下などいない」
斉藤はきっぱりと言い切った。朝廷の意を受けようやく踏み切った第二次長州征討にて家茂公の逝去を理由にして休戦に持ち込んだ一橋慶喜について異を唱える者は少なくはない。斉藤も無表情ながら何か思うところがあったのだろうか。
「幕府の権威が失墜しつつある今だからこそ、自分の行く末は自分で決めたい。…城多は尊王派の急先鋒だ、伊東参謀にどのようなお考えと展望があるのかお伺いしたい」
「…何故俺にそんなことを言うんですか。斉藤さんが直接伊東先生にそう言えばいいでしょう」
「俺は土方副長に近すぎる。俺の考えを伝えたところで警戒されて参謀の本音を聞き出すことなどできないだろう。だから藤堂さんに橋渡しをお願いしたい」
「…それが…俺が斉藤さんと参謀を引き合わせることが、城多のことを黙っておく条件ですか?」
風が吹いた。雨上がりの夜空に燦燦と輝く月が顔を出す。
「その通りだ」
月明りに照らされた斉藤の表情は、影がありながらも強く藤堂を見つめていた。藤堂は自分の身体が自然と竦んでいることに気が付いた。



総司は稽古を終えた足で馬屋へ向かった。普段は馬術師範である安富才助が世話を務めているが、彼は勘定方も兼務しているため激務なのだ。もちろん雇っている下男も数人いるのだが、古株であり暴れ馬の『池月』は相変わらず安富にしか懐かず下男たちを手こずらせているというので、久しぶりに様子を見に足を運んだのだ。
小さな馬屋に池月が繋がれていた。総司を見つけるとその場で足踏みをして興奮した。
「久しぶり、池月。…少し肥えたんじゃないか?」
総司が話しかけると池月は不満そうに鼻を鳴らした。それでも総司が鼻先に触れると大人しくされるがままになっているので、好かれているようだ。
会津から下賜された『池月』を乗りこなせるのは馬術師範である安富と、不思議なことに気が合う総司くらいのものだ。隊士たちその暴れっぷりを倦厭して近づくことすらないが、総司とは脱走した山南を探すため大津へ向かうなどその背中を何度か借りてきた。言葉を交わすことはできないのに不思議な絆を感じている。
「…なんて、独りよがりかな…」
総司が通じるはずがないとわかっていながら声をかけると、ブルッと池月が顔を背けた。そして再びじっと総司を見つめると、刃物のように凶暴な眼差しが少しだけ柔らかくなる。瞳が潤み何かを訴えかけているような―――。
「ケホ…ッ」
「風邪か?」
突然声を掛けられると同時に池月が暴れ始めた。総司が「どうどう」と押えつつ振り返ると斉藤の姿があった。
「…風邪かもしれません。斉藤さんこそ、こんなところへどうしたんです。畜生の匂いは嫌いだと言っていたじゃないですか」
「その獰猛な馬を隊士たちは倦厭している。だから、ここには誰もいないと思ったんだ」
「先客がいて残念でしたね」
「ああ」
普段から西本願寺の隅にある馬屋には世話役の安富と下男たちを除いて隊士の姿はない。確かに一人になれる良い場所だが、潔癖な斉藤がざわざわ足を運んでいるとは知らなかった。斉藤の姿を見るなり暴れだした池月の様子を見る限り、懐かれているわけではなさそうだが。
斉藤は馬屋の柱を背にしてゆっくりと息を吐いた。彼の無表情ながらも疲弊した様子が総司にさえありありとわかる。
「なにかあったんですか?…って聞いても、斉藤さんは答えてくれないんでしょうけど」
「ああ…。慣れないことをするのはひどく疲れる」
「斉藤さんにも苦手なことがあったんですね」
「当たり前だ」
人をなんだと思っている、と言わんばかりに斉藤が不満そうな顔をした。
彼を取り巻く環境は総司のように単純ではない。幕府や会津、新撰組…複雑に入り組んだ特殊な立場だからこそ抱えるものも多いだろう。それ故に
「沖田さん…藤堂さんのことを、今でも『試衛館食客』だと思っているか?」
その唐突な質問に対して、『何故そんなことを聞くのか』『その意図は何か』などと探ることは野暮だろう。総司にとって意味のない質問であったとしても、彼にとってはそうではない。彼がどの立場でそれを口にしているのかなんて友人として考えるべきではない。
「もちろん、今でも思っています。藤堂君だけじゃありません、永倉さんや原田さん…亡くなった山南さんのことも近しい仲間だと思っています」
「…そうか」
その答えに対して斉藤は表情を変えなかった。
ただ、池月が不満そうに鼻を鳴らしていた。


解説
なし

目次へ 次へ