わらべうた




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伊東の目の前に現れた二人は対極的な表情をしていた。
不安げに眉を歪め何かを訴えるように伊東を見つめる藤堂と、涼しい顔で一切その感情を読み取らせようとしない斉藤―――直前に内海からもたらされた情報があったため、伊東は状況を掴めることができたがそうでなければ困惑していただろう。
伊東は微笑んだ。
「…いらっしゃい、斉藤君。まさか君がこんなところに来るなんて思いもよらなかったよ」
「お約束もなく突然申し訳ありません」
言葉ほどに「申し訳ない」という表情をしていない斉藤だが、丁寧に頭を下げてきた。
内海が何か言いたげに伊東を見ていた。普段は斉藤と同じく淡々としている彼でも、さすがにこの展開は予想していなかったようで敵意を隠そうとはしなかった。
「…こんなところではなんだから部屋に入ろう。花香、茶を頼む」
「はぁい」
場の緊迫感が伝わっていないのか、花香は相変わらずの調子で返事をした。彼女の鈍感さが今は羨ましい。
ひとまず普段は勉強会を開いている奥の部屋に入り、藤堂と斉藤と向かい合って座った。藤堂は茶を一気に飲み干したが、斉藤は花香が持ってきた茶には手を付けようとはしなかった。
「…それで、今日はどのような用件かな」
伊東が尋ねると、斉藤は
「城多董の件です」
とストレートに切り出した。伊東の傍に控えていた内海がごくりと息を飲み、場の緊張感がさらに高まった。しかし斉藤は意に介する様子はなく続けた。
「先日、藤堂さんが城多と話し込んでいるのを見ました。城多は尊攘派の大物であり、今は見廻組が捕縛対象としている人物です。藤堂さんは偶然出くわしただけだと言いますが…伊東参謀と何かご関係があるのかと思い、お伺いしました」
「…確かに、城多は新撰組入隊以前からの私の友人だ。しかしもう何年も会っていない。藤堂君が偶然出会っただけだというのなら、そうなのだろう」
伊東としては本人を目の前に罪を擦り付けるようで不本意ではあったが、藤堂もその方が都合が良いだろう。
「偶然、ですか…」
「都は案外狭い。…それにしても、斉藤君の方こそよく城多の顔を知っていたものだ。彼は元来慎重な男でいつも身を潜め表立った行動はしないはずだ。何故だろうか」
新撰組の監察方でも城多董の顔を知っているものは少ない。それなのに一組長に過ぎない斉藤が彼のことを知っていたのか―――逆に問い詰める。何かボロを出すのではないかと睨んだからだ。
しかし斉藤は表情を変えることはなかった。
「俺はある筋からの命令を受け、一時期城多を追っていました」
「ある筋…?土方君からの命令か?」
「いいえ。名前は明かせませんが…ある幕臣からの命令です。その頃、城多は同志の川瀬という男とともに将軍襲撃に関わったとされていましたのでその捕縛のために。川瀬は捕縛しましたが、城多は伊勢に逃れたようですが」
「待ってくれ。君は…何を言っている?」
あくまで淡々と言葉を並べていく斉藤だが、その中身は決していち新撰組隊士としてのものではない。伊東は頭を抱えた。
「君は…いったい、何者だ」
「俺はもともとその幕臣からの命令を受け、新撰組に入隊した…言葉を選ばずに言えば『間諜』です」
「…」
伊東ですら動揺を隠しきれず、ちらりと内海を見ると彼もまた言葉を失っていた。斉藤が口にした内容はとても真実とは思えなかったが、この場は冗談を言うような空気ではなく彼もまた嘘をついているようには見えない。内海もそう感じていたはずだ。
伊東は懐から扇を取り出し広げて頭を整理する。
「…つまり君の言うことを信じるならば、君は幕府からの間諜であり城多の捕縛任務を請け負っていたからこそ彼のことを知っていた、と」
「はい」
「なぜそれを私に明かしたのだろうか。土方君も知っていることかい?」
「直接は何も。まあ…あの人は察しが良いので何かしら気が付いているかもしれません。伊東参謀に明かしたのは…今後の身の振り方についてご相談したかったからです」
「なに…?」
伊東はパチン、と扇を閉じる。斉藤は続けた。
「今の新撰組の進む道について危惧しています。近藤局長はもともと幕府への忠誠心が強いため、新撰組は佐幕派としてこのまま進んでいくでしょう。しかしこの秋におそらく将軍職に就く慶喜公は…正直に申し上げれば、命を賭して仕えるほどの人物ではありません」
「…それには同意しよう。局長は幕府に対して盲目的な部分がある」
「俺が仕えていたのは将軍家茂公をご尊敬申し上げていたからです。薨去された今、幕府に忠義を尽くす必要はなく、新撰組で使い勝手の良い駒となるのもご免です。そこで…伊東参謀のお考えをぜひ聞かせていただきたい」
「何故私なのだろうか」
「参謀もいつまでも新撰組に留まるおつもりなど無いとお見受けしたからです」
淀みなく答えた斉藤はまるで遠慮なく人の庭に土足で踏み込んでくるような無遠慮さと大胆さを兼ね備えている。けれど不快にはならないのが不思議だ。
(彼が本当に『間諜』として優秀な働きをしてきたのだろうということはわかる)
伊東はもう一度扇を広げた。
「…大した役者だ」
彼は嘘をついてはいない。けれど彼の言葉を鵜呑みにして受け入れることはできない。
「君はそうやって自分の正体を明かして同情を誘おうとしているのかもしれないが…一方で城多の件を土方君には報告していない。城多を条件に藤堂君を脅しここに来たのだろう?」
「…」
「…先生、俺は…」
それまで黙り込んでいた藤堂が何か言おうとしたが、伊東は首を横に振って制した。
「私の真意を知りたいというのなら…君の本音も聞かせてもらおう。君は何の目的でここにやってきた?」
(これは駆け引きだ)
斉藤は態度こそ下手に出ているが、決して遠慮などしていない。彼には彼の目的があってこの戦場に足を踏み入れたはずだ。
斉藤はしばらく黙っていた。言葉を選んでいるのではなく、伊東をじっと見つめどう駒を動かすべき考えているのだ。そうして動かした駒は
「俺を仲間に加えていただきたいのです」
伊東にとっては『飛車』のように思えた。突拍子無く懐に飛び込んでくるような。
「仲間…?」
「俺は生来ずる賢い人間です。命は惜しい…このまま幕府や新撰組とともに沈没する船に乗るのは癪です。何かあった時には参謀の助け舟に乗りたい」
「どちらに身を置いても助かりたいと?武士としてあるまじき行動だ」
「人間としては正直な行動かと」
溺れる者は助かりたいと思えば藁をも掴む。高潔さを重んじる伊東としては斉藤が口にする言葉全てが信じがたいものだったが、それが心のうちの本音なのだと赤裸々に語る姿には隙がない。
(真実か…?いや、それとも何かの罠なのか…)
斉藤はまるで動かない石像のようだ。言葉は通じているのにその奥にある真意には届かない…それ故に近づけば近づくだけこちらの気持ちが揺れていく。
「…仲間、とは一朝一夕すぐになれるものではない。今後の君の行動によるだろう」
「わかっています」
「少し…考えさせてくれ」
伊東はそう言うしかなかった。


「罠です、大蔵さん」
「そうです、先生」
斉藤が去ったあと、部屋に残った内海と藤堂はすぐに口を開いた。特に内海は珍しく感情をあらわにしていた。
「斉藤組長は隊の中でも特に土方副長に近い存在です。その彼がこちら側に付きたいなど…とても信じられない。何か土方副長の思惑があるに違いないでしょう」
「俺もそう思います。それに自分のことを『間諜』だなんて、本当にそうならそんなことを軽々しく口にするでしょうか」
二人は疑心暗鬼に取り憑かれたように憤慨していた。しかし伊東の方は斉藤を目の前にしたときよりも随分冷静になっていた。
「…しかしその『思惑』があるとして、わざわざ斉藤君を使うだろうか?山崎君を監察から外した今、彼は土方君にとって有用な人物だ…傍に置いておきたいと思うのは普通だろう」
「それはそうかもしれませんが」
「それに…彼が城多の顔を知っていたことのは何らかの『間諜』であることを示している。つまり自分の正体について嘘を述べたわけではない。」
「大蔵さん、一つが真実だからと言って全て鵜呑みにするのですか」
内海は責める。彼は筋の通った人間だ、それ故に斉藤のどちらにも噛んでおきたいという主張が気に食わなかったのだろう。しかし一方で『間諜』として長年仕えてきたからこその絶望があるのかもしれないと想像はできる。人から隠れ裏切り続けることは案外精神を歪ませていく。だからこそ武士としてあるまじき発言が口から零れたのかもしれない。
伊東の知らない斉藤の一面があるのか。
「藤堂君、今まで斉藤君が何か局長や副長と揉めたことはあったかい?」
「…そういえば…俺が隊士募集のために江戸へ下っていた時に、会津へ建白書を提出するときに斉藤さんが連名したと聞きました」
「建白書?」
「池田屋の報酬の取り分について揉めて…永倉さんが中心になって原田さんが賛同したそうですが…数名の平隊士とともに斉藤さんも加わったと。結局は会津の取りなしで丸く収まったそうですが、話を聞いた時、斉藤さんはそういうことに無関心だと思っていたので珍しいな、と…」
「…そうか…」
伊東は花香が準備した茶に手を伸ばした。その茶はすっかり冷え切っていた。






解説
なし

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