わらべうた




579


霧が濃く視界の悪い夜であったが、突然月明りが家屋の隙間から差し込むようになった。淡く眩しい光に照らされる屋外を見て
(不気味だな…)
と総司は刀を抱えながら膝を折っていた。同じ先斗町町会所で息を潜める隊士たちは十名ほどだが、同じように固唾をのんで合図を待っていた。
それらしい男たちが制札場に近づいているという一報が届いたのはつい先ほどのことだ。鼻歌混じりの七、八人の男たちはやはり土佐訛りだということだったがより確かな確証を得るためにより制札場に近い斥候たちの報せを待ち、実際に制札へ危害を加えるのを確認したらここを飛び出し捕縛することになっている。
「…へへ…身震いがするぜ」
原田は今か今かと待ちわびる。捕縛が基本とはいえ、彼は好戦的な表情を隠そうとはしなかった。何日もこの時を辛抱強く待ち続けたのだ、多少暴れたところで土方の小言を食らうくらいのことだろう。
耳を研ぎ澄ませると少し怒鳴り声がして、またすぐに静かになった。監察からの報せはない…堪えきれなかったのか原田は立ち上がり「行くか」と声を上げた。
「監察の報せを待たないんですか?」
「大丈夫だ、俺の野生の勘が早くいけって言ってる」
「はぁ、とんだせっかちな勘ですね」
原田の根拠のない言葉に総司は苦笑しかできないが、「だったらここで待ってるか?」と言われると
「行きますよ」
と同意した。身を隠して気配を探る…それが思った以上につまらなく、また彼と同じように自分もまた堪え性がなく監察向きではないことを思い知っていたところだったのだ。
原田は得意の槍を手にし十番隊の隊士たちも抜刀、応援の一番隊数名はその後方に付き町会所を出た。するとちょうど折よく乞食姿をした斥候役の橋本皆助がやってきたところだった。
「あっ、原田組長!」
「おう!どうだ、橋本」
「奴らです!制札を引き抜きました!」
「よくやった!」
「はい、俺は三条小橋の新井さんの元へ向かいます」
橋本の報告に原田は満足そうにうなずくと、「行くぞ!」と大声を張り上げて駆け出した。
先斗町会所から鴨川へは目と鼻の先だ。原田は壊れた制札を囲む男たちを見るや
「あそこだ!」
とまるで子供のように喜んで一番乗りで到着し「新撰組原田左之助 一番乗り!」と名乗りを上げて突進した。囲まれた男たちは
「なに?!」
とすぐには状況を掴めていない様子だったが、反射的に次々に抜刀した。彼らの足元にはバラバラに壊された制札が散らばっており、それが動かぬ証拠であった。
「制札壊しなんて下らねえ真似しやがって!死にたくなかったら大人しくお縄に就くんだな」
原田が挑発すると男たちが口々に叫んだ。
「怯むな!新撰組や」
「返り討ちにしてくれる!」
「新撰組がなんぼのもんじゃ!」
バラバラに壊された制札が足場の悪い砂利の上、十番隊の隊士たちが彼らを囲む。どちらともなく襲い掛かり静かだった夜の闇に耳を裂くような音が響き渡った。
「でやっ!」
「やぁ!」
「ああぁ!」
総司は後方に回り構えながら、月明りの元できらめく白刃を見ていた。不意を突かれた男たちと数日ぶりに解き放たれた十番隊の隊士たちの気合…どちらが勝るかなど考えるまでもない。原田などは久々の見せ場にいつもよりも動きは良いし、隊士たちもうっ憤を晴らすかのような働きぶりだ。それにしばらくすれば橋本が呼びに行った新井忠雄の部隊も加わるのだ。
(これなら手を出さなくて済みそうだ)
応援に来た一番隊が手柄を上げても仕方ない。…そう思っていた時、ふと先斗町とは反対側にあたる三条大橋を渡った先に控えているはずの町屋に何の動きもないことに気が付いた。
(確か…)
町会所に控えているとき、原田が言っていた。
『三条大橋の西側、こっちには橋本が知らせてくれることになってる。反対側は浅野だ』
(何かあったのだろうか…)
そうしていると背後から新井が率いる十数名の隊士たちが駆け込んできた。中には島田たち一番隊の隊士たちも混じっているが彼らは当初の指示通り後方へ回った。
男たちは流石に怯んだ。最初に飛び込んできた人数は少し新撰組が上回るだけ、切り抜けられると思ったのだろう。しかし今は二十数名以上の隊士に囲まれているのだ。
「どうする?逃げるか?」
「馬鹿野郎!今更尻尾を巻いて逃げられるか」
「じゃあどうするんちや!」
男たちは数名怪我を負っていた。この囲まれた状況の中では逃げるのも難しい…リーダー格と思われる男が「わしは逃げん!」と叫んだ。
「兄上の仇を打つ!俺は逃げんぞ!」
並々ならぬ決意を口にし、男は踏み出した。そうすると
「ヤァァァァアァ!」
と総司の背後から威勢の良い声が聞こえてきた。咄嗟に振り向き、声のする方向へ刃先を向けると男が一人こちらへ勇猛果敢にも突進してきた。
総司はその刀を薙ぎ払う。男は足場の悪い砂利で少しバランスを崩したがそれでも踏みとどまり「クソ!」と闇雲に刀を振り回した。何度か剣先が交差する…総司よりも身長が高いがその実力差は明らかであり、おそらく男は剣術など身に着けてはいないだろう。
(だが、躊躇いがない)
生きること、死ぬことに迷いがない。ただ彼の中にあるのは仲間への思いなのだろうか…しかしその躊躇のなさはこの状況に置いて最も強い。
「安藤!どいて逃げざった?!」
仲間のリーダー格の男がが問いかける。総司の目の前にいる安藤と呼ばれた男は「当たり前や!」と叫んだ。
「あんたたちはただの飲んべえだが、藤崎さん、足軽から俺を拾うてくれた、その恩義だけは忘れることはできん!」
「…大馬鹿者が!」
安藤と藤崎と呼ばれた男たちの奮起で再び勢いを取り戻す。圧倒的に不利な状況の中、彼らは怪我を負おうと仲間が倒れようと反発し続けた。死に物狂いの敵ほど実力以上の力を発揮するが、しかし兵力差に敵うことはない。総司は安藤を少しずつ追い詰め、そして肩口から腰に掛けて一閃させた。
「ああ、あぁぁぁ…!」
安藤は膝を折りその場に倒れこんだ。浅手だが傷は広い。血の流れる量も多いのでこのまま生きるか死ぬかは本人次第であり、少なくとも今立ち上がることはできないはずだ。
「…っ、ここまで…かっ!」
安藤は全てを悟ったのか最後の力を振り絞るように脇差を抜くと、自らの腹に突き立て押し込んだ。そしてそのまま絶命した。
同じように十番隊との決着がついていく。何人かは負傷し倒れこみ、藤崎と呼ばれた男は大の字に倒れこんでいた。数名の男は隙をついて逃げ出したようだ。
「終わりましたね」
「ああ、一人、二人死んだか。…くそ、五人ほど逃しちまったか…」
原田は人数で圧倒していた割には成果は少ないことに苛立っているようだった。逃げ延びた男たちの捜索には後方支援の一番隊を向かわせているが、いつの間にか眩しかった月が隠れ昏くなってしまったので難しいだろう。
そうしているところへようやく三条大橋の向こうから大石たち十数名がやってきた。
「遅ぇ!」
原田の一喝に大石は無表情ながら「申し訳ありません」と謝った。しかし総司は無表情の中にも彼の困惑を感じ取った。
「なにかあったのではありませんか?」
「…はい。斥候からの報せがなく鴨川越しに状況を認識し、やってきた次第です」
「報せがなかっただと?こっちには橋本が来たぞ」
「浅野は…来ませんでした」
「なにぃ?!あいつ、逃げやがったのか?!」
原田が叫び、大石は唇を噛んだ。だが数々の修羅場を潜り抜けてきた浅野がこの程度の騒ぎで逃げ出すはずはなく、しかも斥候役であり刀を持たないのだ。
「あの…すみません」
おずおずと声をかけてきたのは山野だった。総司とともに後方から支援していた。
「どうかしました?」
「実は…あの安藤という男が参戦する前、浅野さんがあの男たちの仲間と思われる一人と何処かへ消えていくのを見ました。最初は信じられずに見間違いかと思ったのですが…」
「なに?!あいつ裏切ったってのか?!」
「わ、わかりませんが…背格好は似ていて…」
原田は山野に掴みかかるが、彼もまた信じられないのか曖昧に言葉を濁す。
浅野は一度、隊を裏切ったという疑惑がある。
総司は何かの間違いだと思っていたが、山野の話すことが本当なら浅野は今度こそ裏切り者として処断される。
「…私が行きましょう。山野君、どちらに向かったかわかりますか?」
「は、はい…」
総司は原田に「任せる」と言われた。彼がここを離れるわけにはいかないのだ。
月が厚い雲に覆われ、夜は深まる。
まだ朝は来ず、終わらないのだと知らせるように。






解説
藤崎吉五郎、宮川助五郎が惨殺され五人が逃げ延びましたが、そのうちのひとり安藤鎌次はその逃亡の殿を務め奮戦したため思った以上の成果が上がらなかったと言われています。安藤は土佐藩邸まで逃げ込みましたが、切腹したとされています。



目次へ 次へ