わらべうた




580


『一番乗り』の名乗りとともに雪崩のように新撰組の隊士たちが駆け込んでくる。酔っぱらいながら制札を踏みつぶしていた藤崎たちはあっという間に彼らに囲まれてしまった。
河川敷を見下ろす場所にいたため彼らに気づかれることはなかったが、安藤に手を引かれ物陰に身を隠す。新撰組―――その存在を前にして銀平の足は竦んでいた。
「お前はここにいろ。…隙を見て逃げ出すがよ」
「そんなこと…!ようやく仇が現れたんや、俺も加勢します!」
「あんな大人数では太刀打ちできん、逃げ出すのがやっとだろう。それに…自分の手をよう見て見ろ…震えているぞ」
「…これは…」
「ただの無駄死にだ」
カタカタと指先が無意識に震えていた。新撰組の数は十数名、囲まれた藤崎たちは五名ほど。不利な状況のなか剣の覚えがない銀平が加勢したところで戦力にはならないだろう。
「あ…安藤さんは、どうするのですか…」
「…俺には恩がある。足軽の分際で勤皇や、討幕だと唱える俺を誰もが取り合わず嗤ったが、藤崎さんたちだけは耳を傾けてくれた。多少無鉄砲で愚かなところはあるが…見捨てることはできん。だがお前は違うろう」
「…」
「新撰組に恨みがあるのはわかっている。やけんどその恨みだけに囚われてこの先ずっと生きていくつもりか?その憎しみは命よりも大切なものか?一度考えてみるとええ。それでも恨みを果たしたいちょいうのならその時でも遅うないはずだ」
安藤は「もう時間だ」と抜刀した。状況はどんどん追い詰められ、奮戦する藤崎も怪我を負っている様子だ。
「さようならだ。達者で暮らせ」
「安藤さん…!」
安藤は笑みを浮かべるとそのまま背中を向けて河川敷を駆け下りて行った。振り返ることなく、迷うことなく、たとえ死ぬとわかっていても向かっていく姿を銀平はただただ見ていることしかできない。
(これが決定的な違いや…)
銀平はその場に座り込んだ。まるで自分の体中の力が抜けていくような感覚を覚える。
本当に新撰組を憎むなら、安藤のように命を投げ出してでも彼らを助けに行けば良い。たとえ何の力にもならなかったとしても駆け出して盾になれば良いのだ。
しかしそうしなかったのは、自分にはその覚悟がないから。
(そんな生き方は俺には不似合いなんや…)
改めてそう思った時。
「銀」
懐かしい声が聞こえた。空耳かと思ったがもう一度「銀」と呼ばれ、そちらに目を向けた。
目の前には顔が半分以上隠れた薦に穴だらけのボロボロの衣服に身を包んだ男が立っていた。不思議なことに「誰だろう」とは思わなかった。
「…福次郎…はん?」
彼は商家の次男坊でいつも小奇麗な着物に身を包み、粋な下駄を履いて飄々としていた。時折江戸へ行くと言っては土産に美味い菓子を持って帰った気さくな友人。
目の前の乞食のような男とは何もかも違うのに、銀平は彼は『金山福次郎』だと思った。
すると男は薦を脱ぎ捨てる。鬢付け油の匂いをさせ綺麗に整えられた髪ではないがしかし、乱れた髪でも福次郎だということはわかった。
「な…なんで、こないなところに…」
父を殺され新撰組の仇を打ち、都を離れようと思った時に唯一の心残りとなった福次郎の存在。銀平は一度金山家を訪れたが姿がなく噂で福次郎が長旅に出たらしいと耳にして、二度と会うことはできないのだろうと諦めた。
それなのにいま、目の前にいる。いつもとは真逆の姿で。
福次郎は膝を折り、銀平の肩に手を置いた。
「銀、逃げろ」
「え…?」
「もうすぐ新撰組の隊士の応援が来る。土佐者たちは逃れることはできない」
「…なんで、そないなこと福次郎はんが?だいたい、その恰好もどういうつもりで…」
「良いから、この場は言うことを聞いてくれ」
銀平の問いかけを無視し福次郎は何も語ろうとしない。今まで交わしていた京ことばも彼の口から発せられることなく、余裕のない様子で急かされた。
遠くで甲高い刀の音が響いている。獣のような怒号と悲鳴が交錯し戦いが激しさを増している。それが現実だとわかっているからこそ、偶然通りかかった福次郎が助けに来てくれた…それを奇跡だと信じられるはずはなかった。
「…新撰組…隊士…?」
「…」
「はは…まさか、そないな嘘や。なあ、嘘って言うてや、そないなわけあらへんやろうって笑うとくれや、福次郎はん!」
福次郎の両肩を掴み揺さぶった。しかし銀平の必死の問いかけの答えはなく、彼の表情が歪み唇は固く結ばれている。その表情で全てを確信したが、それでも彼の口から聞くまでは信じられない。
「頼むさかい教えて。そないしたら言う通りにする…!」
「…」
長い沈黙のあと、福次郎は意を決したように息を吐いた。そして銀平の両手を掴む。
「…商家の次男坊、放蕩息子の『金山福次郎』は監察方としての仮の姿だ。…俺は、新撰組隊士の浅野薫という」
「…」
「黙っていて悪かった…」
福次郎…浅野は力なく項垂れた。その姿にずっと浅野が抱えてきたものを見たような気がして、不思議と銀平の心に騙されたという怒りはなかった。
「…おしえてくれて、おおきに」
「怒らないのか…?」
「自分でもようわからへん。でも…あさのかおる…って、なんか優雅な名前やな。全然合うてへん…金山福次郎の方がお似合いやなぁ」
「…銀…」
「新撰組ってことは、俺が何やったか知ってるんや。妙な男の誘いに乗って、一人隊士を殺したって…知ってるんやろ?」
あの夜は男に唆されたせいか、それとも父を殺された怒りの熱量のせいか何の躊躇いもなく隊士を斬りつけたのだ。
浅野は「ああ」と頷いたが
「腕を無くすことにはなったが…死んではいない」
「え?」
「療養の後、そのまま江戸へ下ったはずだ。…お前にとって不本意かもしれないが」
「そうやったんや…」
庇った男の腕がまるで跳ねるように飛んで血が溢れたのは覚えている。銀平はその惨状を見てすぐに逃げ出したため殺してしまったと思い込んでいた。
銀平は自分が安堵していることに気が付いた。
(俺は殺していなかった…)
父親の仇を打てなかった。けれどギリギリで踏みとどまることができた…その事実を知り安心している自分にはやはり人の生死を手にすることは不向きだと思い知った。
そうしていると三条大橋の向こうからもバタバタと激しい足音が近づいてきた。新撰組の応援だ。
「…もう時間がない。逃げろ」
「でも…」
「ここにいればあの土佐者の仲間として一緒の扱いを受ける。…このまま西へ下り、備前へ行け。俺の故郷だ」
「福次郎はんは?こんなことして、大丈夫なん?」
浅野は「大丈夫だ」とほほ笑んだ。
「俺もあとで追いつく。…心配するな、もう一人にはさせない」
浅野は懐から財布を取り出すと全てを銀平に押し付けた。そして強引に立たせてそのまま背中を押す。
「それから、お前が最後に作ってくれた菓子、美味かった」
「…ほんまに?」
「ほんまだ。お前には…そういうのが似合っている」
餞別として大家に託した最後の菓子。それを彼は同じ柔らかな笑みで食べてくれたのだろうか。
「行け!」
「…うん…!」
銀平はその場に脇差を置き、駆け出した。
ちらりと河川敷を見ると安藤が倒れている姿が見えた。真正面から傷を負った勇敢な姿だったが壮絶で悲惨で…やはり自分がそちら側の人間ではないのだと気が付かされる。
(さようなら)
さようなら。
さようなら。
心で何度も繰り返した。


目の前に総司と山野が現れた時、弁解の必要はないと思った。
「…浅野さん、どうしてです」
「…」
「浅野さん。あなたは仲間の応援を呼ばずに敵を一人逃した。…あなたはそれが紛れもない裏切りだとわかっているでしょう」
淡々と問い詰める総司の言葉に、浅野は一切言い返すことはできなかった。かつての上司である総司と裏切りの疑いを掛けられても気にかけてくれた原田には申し訳なかったが、自分はすでに河上へ情報を漏らし彼らの信頼を裏切っていたのだ。そしてこの後には脱走するつもりだった…明らかに法度違反だ。
「浅野さん」
何とか言葉を引き出そうとする総司に、浅野は行動で答えた。
銀平が置いていった脇差を拾い上げ、ゆっくりと抜き…その刃先を総司へ向けたのだ。明かな敵意と反発…傍にいた山野の顔つきが鋭くなるが、総司は変わらなかった。
「それがあなたの答えですか」
そしてゆっくりと彼は刀を抜き浅野と相対する。山野には「下がっていなさい」と命令し、一対一で向き合った。
力で敵う相手ではないのはわかっている。それに監察方として脱走者を追いかけてきた浅野は易々と脱走できないことも知っていた。それ故にすでに自分の命に執着はなかった。
気がかりだったのは銀平のことだ。
(また嘘をついてしまったな…)
後で追いつくと言ったのに、そうはできそうもない。
(銀は故郷で俺を待ち続けるだろうか)
孤独な彼が哀れで仕方ない。でもいつか諦めてくれるはずだ―――俺は嘘つきだったのだと。所詮は新撰組の隊士だったのだと。
そうしてすぐに忘れてしまえばいい。
「ヤァァァアァァ!」
浅野は真っすぐに踏み込んだ。正面から振り上げるのが新撰組隊士浅野薫としてせめてもの償いだと信じた。けれど脇差は短く軽く、総司の胆力を前にあっさりと吹き飛ばされた。
そのあとのことはわからない。
意識とともに何もかもを無くしたのだ。






解説
浅野は三条政札事件の際に臆病な振る舞いを咎められて新選組を追放されたとも殺されたともいわれています。



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