わらべうた




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明け方にも関わらず原田たちの帰りを待っていた近藤と土方、伊東がずらりと並び報告に耳を傾けた。原田は疲れているにもかかわらず、未だに興奮状態にあるためいつも以上にハキハキと状況を語った。
「子の刻、斥候役の橋本から制札が引き抜かれたと一報があり、まず先斗町会所に詰めていた俺たちが出動、その後、橋本から報告を受けた新井たちも加勢し状況は有利に進んだ。斬ったのは二人、土佐藩士藤崎吉五郎、同じく安藤謙治。捕縛は一人、宮川助五郎。他の五名ほどの仲間は逃げ延びたようだ」
「…状況が有利という割には五人も逃がしたのか?」
土方が憮然とした様子で腕を組み直しながら指摘した。敵の数は八名、新撰組は新井達の加勢で二十名以上いたのだから数的有利は当然なのだ。
原田もそう言われるのはわかっていたようで頷いた。
「奴らの頭領格であろう藤崎という男に手こずった。捕縛した宮川によると新撰組に長年恨みがあったようで、討ち死にの覚悟だったらしい。それから…鴨川の西側にいた大石達の加勢が遅れたのが手痛い。そっち方面に逃げられちまった」
「なぜ遅れた?」
「それは…」
原田がちらりと総司に目を向けた。総司が代わって口を開く。
「…鴨川の西側への報告はもう一人の斥候役である浅野の役目でしたが…彼は任務を放棄し、敵方へ加勢したようです」
「なに?!」
声を上げて驚いたのは近藤だった。土方は顔を顰め、伊東はいつものように扇でその表情を隠したが不快感は滲ませた。
「結果的に大石さんたちの部隊は独自の判断で動いたため加勢が遅れたようです。彼らは責められるべきではありません、浅野は…敵方に内通し逃した。私が山野君とともに彼を問い詰めましたが彼は何も語ることなく刀を抜き襲い掛かってきたため…そのまま斬りました」
総司は淡々と報告し、その場は静寂に包まれた。
近藤は困惑していた。監察方として一度は失敗を犯したものの彼を庇い再起を信じていたのだから裏切られた気持ちだろう。伊東は思いがけない展開だが感想はなく周囲の様子を窺っていた。そして土方はその不機嫌な表情を隠すことなく虚空を見つめ、何かを恨むように睨みつけていた。
「……まあ、そんなわけでよ。宮川に問い詰めたところ数回に渡って制札に危害を与えていたことを認めた。憂さ晴らしだったとか悪戯のつもりだったとか…そういうことを口にしていたが、取り調べはこれからだ。結果的には新撰組の面子は保ったが、どうにも後味の悪いことになっちまったってことだな」
「うむ…五人逃がしたとはいえ土佐藩士が関わっていたことがわかったのだから良しとしよう。土方副長、伊東参謀それで良いか?」
「勿論です」
即答した伊東に対して土方は「ああ」とぶっきらぼうに答えた。続けて伊東が「ご苦労様でした」と原田と総司に労いの言葉をかけて場は解散となる。既に淡い朝陽が部屋を照らそうとしていた。
「総司」
総司を呼び止めた土方は固い表情を崩していなかった。
「土方さん…すみません、浅野を斬ったこと、勝手な判断でしたか?」
「いや…お前がそう判断したのなら、俺も同じ判断をしていただろう。…浅野は裏切っていたのだろう?」
「…」
総司は何も答えずに土方とともに部屋を出る。月明りよりも数段明るい朝陽はあっという間に朝を招いた。
「…彼は誰かを逃がしました。一瞬その姿を見たのですが…見覚えのある青年でした。おそらく、芦屋君の腕を切り落としたあの青年でしょう」
「なんだと?だが、菓子屋の倅というだけで土佐藩士ではなかったはずだが」
「死んだ藤崎という男は新撰組に恨みを持つ男でしたから、同調し何らかの形で加わったのではないでしょうか。そのあたりの経緯は宮川という男に聞けばわかるかもしれませんが…」
「じゃあ浅野は土佐藩士と通じていたのか?」
「…どうでしょう。私はただ…あの青年を浅野は助けたかっただけなのではないかと思います。監察方として彼は長年働いてきました、裏切るなら今でなくても良かったはずです。けれど彼は死を覚悟して何も語らず弁明もせずあの青年を助けたかった…楽観的な見方かもしれませんが、ただそれだけだと思うのです」
二人並んで朝陽を見ていた。
もしかしたら土方の疑念通り、浅野は前々から裏切り敵と内通していたのかもしれない。総司には見抜けない二面性があって騙され続けていたの可能性もある。
けれど彼が死んで迎えるこの朝は、なんとも穏やかで明るく清らかだ。彼の行為を正当化するつもりはないが、疑念を深めるほど疑うことはできなかった。
「…そうか」
「納得してくれるんですか?」
「人ってのは死に際に生き様が現れるものだと思っている。死に際に立ち会ったお前がそう言うのなら、俺が頭で考えるよりも正しいはずだ」
土方は「ご苦労だったな」と総司の肩を軽く叩いて部屋に戻っていった。昨晩から続いた騒動がようやく終わりを迎えようとしている。
倦怠感とともに疲労感があった。
例え正しい行いだとしても、長年の同志を斬り伏せたという『重さ』はずっしりと肩に圧し掛かる。それがわかっていたから土方はさっさと姿を消し、総司を一人にしてくれたのだろう。
―――これ以後、幕府の制札を壊すものはいなくなった。


のちに『三条制札事件』と呼ばれた騒動の数日後。
総司は久しぶりに斉藤とともに剣術指南役として隊士たちに稽古をつけていた。
相変わらず自分の力量に合わせて指導をしてしまう総司とは違い、無口で淡々としていながらも的確な指導をする斉藤の稽古は評判が良い。しかし今日は時折欠伸をまじえながらやや気怠そうにしていた。
「珍しいですね、寝不足ですか?」
「ああ…すまない。気にしなくて良い」
「謝ることはありませんけど…この頃は熱心に書物を読んでいるなんて聞きましたよ」
斉藤は「まあな」とあいまいに返答した。総司と同じく剣術一辺倒だと思っていた彼はこのところ暇さえあれば三番隊の大部屋で書物を読み漁り、ついには伊東の講義にまで足を運び始めたというのでちょっとした噂になっていたのだ。
「今までそんな素振りなかったじゃないですか。どういうつもりなんです?」
「どういうつもりもない。停戦状態、さらに将軍不在のこの世の中で、安穏と同じ毎日を過ごすことの方が難しいだろう。いつまでも剣ばかりでは能がないと思っただけだ」
「私は何も変わらないと思いますけど…鈍感ってことですかね」
「そうかもな」
様子はおかしいが、斉藤の辛辣な物言いは相変わらずで総司は何故か安堵してしまう。彼には彼の『思惑』があるのだろう、総司はそれ以上は訊ねずに苦笑した時、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「あれは…永倉さんかな」
その日の昼番であった二番隊の隊士たちが駆け込んできたのだ。何かがあった…そう察することは誰にでもできた。
稽古を止め、総司と斉藤は永倉に事情を尋ねた。
「うちの市橋がやられた」
永倉は短く説明する。いつも通りの巡察の途中、突然物陰に潜んでいた何者かに市橋という隊士が斬られたのだという。戸板で運ばれてきた市橋はすでに意識がなく事切れていた。その斬り口は鮮やかなもので肩口から背中にかけて一文字に貫かれている。
「なかなかの腕前…ですね…」
「俺はその姿を見てはいないが…目撃した者の話では河上ではないかと」
「河上彦斎ですか?!」
「背格好や太刀筋がよく似ていたようだ。…とにかく俺は土方さんに報告してくる」
永倉は急いた様子で去っていく。
総司は再び斬られた市橋の傷口に目をやった。迷いもなく切り裂かれたその皮膚から河上の姿が目に浮かぶようだった。






解説
市橋鎌吉の死因は不明です。



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