わらべうた




581


明け方にも関わらず原田たちの帰りを待っていた近藤と土方、伊東がずらりと並び報告に耳を傾けた。原田は疲れているにもかかわらず、未だに興奮状態にあるためいつも以上にハキハキと状況を語った。
「子の刻、斥候役の橋本から制札が引き抜かれたと一報があり、まず先斗町会所に詰めていた俺たちが出動、その後、橋本から報告を受けた新井たちも加勢し状況は有利に進んだ。斬ったのは二人、土佐藩士藤崎吉五郎、同じく安藤謙治。捕縛は一人、宮川助五郎。他の五名ほどの仲間は逃げ延びたようだ」
「…状況が有利という割には五人も逃がしたのか?」
土方が憮然とした様子で腕を組み直しながら指摘した。敵の数は八名、新撰組は新井達の加勢で二十名以上いたのだから数的有利は当然なのだ。
原田もそう言われるのはわかっていたようで頷いた。
「奴らの頭領格であろう藤崎という男に手こずった。捕縛した宮川によると新撰組に長年恨みがあったようで、討ち死にの覚悟だったらしい。それから…鴨川の西側にいた大石達の加勢が遅れたのが手痛い。そっち方面に逃げられちまった」
「なぜ遅れた?」
「それは…」
原田がちらりと総司に目を向けた。総司が代わって口を開く。
「…鴨川の西側への報告はもう一人の斥候役である浅野の役目でしたが…彼は任務を放棄し、敵方へ加勢したようです」
「なに?!」
声を上げて驚いたのは近藤だった。土方は顔を顰め、伊東はいつものように扇でその表情を隠したが不快感は滲ませた。
「結果的に大石さんたちの部隊は独自の判断で動いたため加勢が遅れたようです。彼らは責められるべきではありません、浅野は…敵方に内通し逃した。私が山野君とともに彼を問い詰めましたが彼は何も語ることなく刀を抜き襲い掛かってきたため…そのまま斬りました」
総司は淡々と報告し、その場は静寂に包まれた。
近藤は困惑していた。監察方として一度は失敗を犯したものの彼を庇い再起を信じていたのだから裏切られた気持ちだろう。伊東は思いがけない展開だが感想はなく周囲の様子を窺っていた。そして土方はその不機嫌な表情を隠すことなく虚空を見つめ、何かを恨むように睨みつけていた。
「……まあ、そんなわけでよ。宮川に問い詰めたところ数回に渡って制札に危害を与えていたことを認めた。憂さ晴らしだったとか悪戯のつもりだったとか…そういうことを口にしていたが、取り調べはこれからだ。結果的には新撰組の面子は保ったが、どうにも後味の悪いことになっちまったってことだな」
「うむ…五人逃がしたとはいえ土佐藩士が関わっていたことがわかったのだから良しとしよう。土方副長、伊東参謀それで良いか?」
「勿論です」
即答した伊東に対して土方は「ああ」とぶっきらぼうに答えた。続けて伊東が「ご苦労様でした」と原田と総司に労いの言葉をかけて場は解散となる。既に淡い朝陽が部屋を照らそうとしていた。
「総司」
総司を呼び止めた土方は固い表情を崩していなかった。
「土方さん…すみません、浅野を斬ったこと、勝手な判断でしたか?」
「いや…お前がそう判断したのなら、俺も同じ判断をしていただろう。…浅野は裏切っていたのだろう?」
「…」
総司は何も答えずに土方とともに部屋を出る。月明りよりも数段明るい朝陽はあっという間に朝を招いた。
「…彼は誰かを逃がしました。一瞬その姿を見たのですが…見覚えのある青年でした。おそらく、芦屋君の腕を切り落としたあの青年でしょう」
「なんだと?だが、菓子屋の倅というだけで土佐藩士ではなかったはずだが」
「死んだ藤崎という男は新撰組に恨みを持つ男でしたから、同調し何らかの形で加わったのではないでしょうか。そのあたりの経緯は宮川という男に聞けばわかるかもしれませんが…」
「じゃあ浅野は土佐藩士と通じていたのか?」
「…どうでしょう。私はただ…あの青年を浅野は助けたかっただけなのではないかと思います。監察方として彼は長年働いてきました、裏切るなら今でなくても良かったはずです。けれど彼は死を覚悟して何も語らず弁明もせずあの青年を助けたかった…楽観的な見方かもしれませんが、ただそれだけだと思うのです」
二人並んで朝陽を見ていた。
もしかしたら土方の疑念通り、浅野は前々から裏切り敵と内通していたのかもしれない。総司には見抜けない二面性があって騙され続けていたの可能性もある。
けれど彼が死んで迎えるこの朝は、なんとも穏やかで明るく清らかだ。彼の行為を正当化するつもりはないが、疑念を深めるほど疑うことはできなかった。
「…そうか」
「納得してくれるんですか?」
「人ってのは死に際に生き様が現れるものだと思っている。死に際に立ち会ったお前がそう言うのなら、俺が頭で考えるよりも正しいはずだ」
土方は「ご苦労だったな」と総司の肩を軽く叩いて部屋に戻っていった。昨晩から続いた騒動がようやく終わりを迎えようとしている。
倦怠感とともに疲労感があった。
例え正しい行いだとしても、長年の同志を斬り伏せたという『重さ』はずっしりと肩に圧し掛かる。それがわかっていたから土方はさっさと姿を消し、総司を一人にしてくれたのだろう。
―――これ以後、幕府の制札を壊すものはいなくなった。


のちに『三条制札事件』と呼ばれた騒動の数日後。
総司は久しぶりに斉藤とともに剣術指南役として隊士たちに稽古をつけていた。
相変わらず自分の力量に合わせて指導をしてしまう総司とは違い、無口で淡々としていながらも的確な指導をする斉藤の稽古は評判が良い。しかし今日は時折欠伸をまじえながらやや気怠そうにしていた。
「珍しいですね、寝不足ですか?」
「ああ…すまない。気にしなくて良い」
「謝ることはありませんけど…この頃は熱心に書物を読んでいるなんて聞きましたよ」
斉藤は「まあな」とあいまいに返答した。総司と同じく剣術一辺倒だと思っていた彼はこのところ暇さえあれば三番隊の大部屋で書物を読み漁り、ついには伊東の講義にまで足を運び始めたというのでちょっとした噂になっていたのだ。
「今までそんな素振りなかったじゃないですか。どういうつもりなんです?」
「どういうつもりもない。停戦状態、さらに将軍不在のこの世の中で、安穏と同じ毎日を過ごすことの方が難しいだろう。いつまでも剣ばかりでは能がないと思っただけだ」
「私は何も変わらないと思いますけど…鈍感ってことですかね」
「そうかもな」
様子はおかしいが、斉藤の辛辣な物言いは相変わらずで総司は何故か安堵してしまう。彼には彼の『思惑』があるのだろう、総司はそれ以上は訊ねずに苦笑した時、バタバタと騒がしい足音が聞こえてきた。
「あれは…永倉さんかな」
その日の昼番であった二番隊の隊士たちが駆け込んできたのだ。何かがあった…そう察することは誰にでもできた。
稽古を止め、総司と斉藤は永倉に事情を尋ねた。
「うちの市橋がやられた」
永倉は短く説明する。いつも通りの巡察の途中、突然物陰に潜んでいた何者かに市橋という隊士が斬られたのだという。戸板で運ばれてきた市橋はすでに意識がなく事切れていた。その斬り口は鮮やかなもので肩口から背中にかけて一文字に貫かれている。
「なかなかの腕前…ですね…」
「俺はその姿を見てはいないが…目撃した者の話では河上ではないかと」
「河上彦斎ですか?!」
「背格好や太刀筋がよく似ていたようだ。…とにかく俺は土方さんに報告してくる」
永倉は急いた様子で去っていく。
総司は再び斬られた市橋の傷口に目をやった。迷いもなく切り裂かれたその皮膚から河上の姿が目に浮かぶようだった。





582


結局、隊士の市橋鎌吉の死因について詳しいことはわからなかった。
先日の制札事件の報復だとか、土佐藩の浪人の仕業ではないかとか様々噂されたが、一番名前が挙がったのは河上彦斎だった。これまでいくつかの場面で新撰組とかかわりを持ち、先日処断された浅野にも関わりがあった人物…土方は監察方に一層強く彼の所在を捜索させ、巡察する隊士たちにも警戒するように指示をした。
「今日は雨か…」
朝からの曇天はいつか雨を降らすだろうと思っていたが、昼過ぎからしとしとと降り始め次第に雨音に包まれた。非番の総司には特に外出の用事はなかったが、天気が悪いというだけで全てが億劫になってしまうのだから天気というのは質が悪い。
「先生、将棋でもしませんか?」
島田にそう誘われて相対した。
試衛館にいた頃、よく土方の相手をしていた。彼は囲碁よりも将棋が得意で幼少の頃からコテンパンに負かされていたので、島田の猪突猛進な一手一手には可愛げを感じた。
「ううーん」
長考の多い島田の間を埋めるためか、それまで勝負の成り行きを見守っていた山野が総司との雑談役を引き受ける。自然と河上の話になった。
「『蝮蛇の彦斎』と呼ばれているそうですよ」
「蝮蛇?」
「ええ。噂話ですけど、酒の場で仲間がある幕吏の横暴さを酒の肴にしていたそうです。酔いに任せて仰々しく語ったそうですが、それを黙って聞いていた河上が席を立った。しばらくするとその幕吏の血だらけの首を抱えて戻ってきてまるで何事もなかったかのように飲み直した…と。河上に睨まれたら殺される、だから『蝮蛇の彦斎』と仲間から恐れられているそうです。…僕は少々脚色が過ぎると思うのですが」
「…ふうん…」
山野のように河上と対峙したことがない者は、怪談やまことしやかな話だと苦笑するだろう。けれど何度も彼と向かい合って言葉を交わした総司には現実味のある出来事のように思えた。
そうしていると島田がようやく一つ駒を進める。『歩』の駒が一つ前進しただけだったが、彼は「ふう」とまるで大仕事を終えたような口ぶりでため息をついた。
「自分は何故河上が新撰組に関わろうとするのか、そこが気がかりです。先生とも何度も接触している。まるで面白がるようで」
「…面白がる、か。それが一番近いのかもしれませんねぇ」
「そんな悠長な」
本気で心配してくれる島田に「すみません」と総司は笑いながら『角行』を進めた。先ほど長考した『歩』が意図もあっさりと総司の手中に入り、島田は「あちゃあ」と頭を掻く。そして再び長考に入り、山野が口を開いた。
「先生はどうやって河上と?」
「さあ…どうだったかな。先日『脱走した』三浦君とのことで顔を合わせたのが最初ですが、それ以来幾度となく。縁があるのかもしれませんね」
「縁…ですか。でもそれは良くない縁です、お祓いでもしてもらった方が良いのではありませんか?」
「はは、山野君、面白いことを言いますね」
「本気で言っているんですが」
山野が少し口を尖らせて拗ねたので「ごめん」と総司は再び笑った。
しかし山野が言うような『悪縁』だとは思えなかった。河上の所業について何度も憤ったし、理解できない部分は多い。けれど彼が隠そうともしない『悪』が自分の中の何かと共鳴するようで、その正体を知りたいとも思う。総司に関わろうとする河上ももしかしたら同じことを考えているのかもしれない。
(だから市橋君の死は…呼ばれているような気がしてしまう)
俺はここにいる。だから見つけて会いに来い―――彼にそう呼ばれているような気がしてならない。
「あ、斉藤先生。お疲れ様です」
山野が顔を上げた先に斉藤の姿があった。巡察から戻ってきたところなのか肩口が濡れていた。
「斉藤さん、将棋はいかがですか」
「ああ、斉藤先生はお強そうですね!ぜひ!」
「…悪いが、今から参謀の講義だ。またの機会に」
総司と山野の誘いをあっさりと断り、斉藤は去って行ってしまう。山野は首を傾げていた。
「このところ、斉藤先生は伊東参謀の講義に頻繁に足を運んでいらっしゃいますねぇ」
「ふふ…このご時世、『剣ばかりでは能がない』そうですよ」
「はぁ、そういうものですかねぇ」
「よし!」
島田は妙案が思いついたように嬉々として『歩』を進めた。しかしそれもまたあっさりと総司の『飛車』にやられてしまい、再び手駒を失うことになってしまった。


一方。
「悪いな、出かける前に呼び出して」
土方がそう口にすると山崎は「いえいえ」と軽い調子で答えた。
監察方から離れ、副長助勤兼医学方として相変わらず忙しない山崎は今日も師である会津藩医の南部のところへ修行へ行くのだという。
「腕前は上がったか?」
「はあ、それなりやと思います。ただ縫合の腕は誉めてもらいましたので、いつ隊士が斬られても縫い付けることはできそうです。まあ縫い付けるだけで助けられるかはわかりまへんが」
山崎の軽口に土方は少しだけ笑った。『鬼の副長』とこうして気軽に会話が交わせるのは試衛館食客以外では山崎くらいのものだろう。池田屋以前からの古参隊士であり、監察方として裏方から新撰組を支えてきた山崎は、土方に高く評価され信頼されていた。
雑談もそこそこに山崎は居住まいをただした。
「…それで、浅野のことですか?」
「いや…死んだ隊士のことをいつまでも引き摺っても仕方あるまい」
「では市橋のことで?」
「…お前はもう監察ではないだろう」
「長年の性分か、気になりまして」
山崎は頭を掻いた。監察方として長く働いていたせいか隊士の一挙手一投足が気になり、ついつい細かく観察してしまうのだ。ツテを得て顔を広げた山崎は監察方として復帰することはないが、癖のようなものはなかなか抜けない。
土方は腕を組んで表情を硬くした。
「…監察としてお前は優秀だったが、後継が育っていないのが問題だ。浅野の件でもそうだが、何を考えているのかわからない大石が監察を率いるのは難しいし、公平を喫するために入れざるを得なかった伊東の配下もいる」
「それは自分の力不足やと思います」
「お前を責めるつもりはない…ただ、正直に言えば誰が信用出来て誰が信用できないのか…見極めが難しい」
「確かに…」
山崎は素直に頷いた。
古参隊士である山崎は新撰組が大きくなる前から辛苦を共にしてきた自負があり、近藤や土方たちの苦労を目の前にしてきたからこそ監察方という仕事にやりがいと誇りを感じていた。けれど今、大きくなり過ぎた新撰組はある意味で役割分担があり、その中での『監察方』という仕事もまた一つの役職になっている。監察方は肩書が副長助勤であるから平隊士からは出世への近道だという声もあるが、その仕事に誇りと責任感がなければ務まらない難しい任務でもある。
そして何よりも土方との信頼が大切だ。副長直属の組織は隊外だけでなく隊内の引き締めも担っているのだから。
「…やはり監察に戻った方が良いというお話でしょうか」
「いや…さすがにそれはできない。お前の顔は知られ過ぎた。…だが、助けてやってほしいと思っている」
「助ける?」
「ああ…今、俺の指示で『ある男』が伊東に近づいている。一人ではなかなか難しい場面もあるだろうから、必要であれば手を貸してやってほしい」
「…その『男』を信用しているのですね」
「ああ…『信頼』している」
信じて用いるのではない、信じて頼るのだ―――孤高の土方にそう言わしめる者がこの世に何人いるだろうか。きっと片手で数えるほどしかいないはずだ。
(あわよくば俺がその中に入っていると嬉しいんやけど)
山崎は心の中でそう苦笑しながら、「わかりました」と頷いた。
「誰とは聞きまへん。自分で何とかします」
「…お前は優秀だな」
「誉め言葉と受け取ります」
「ああ。…もう行っていいぞ」
「はい」
山崎は席を立ち、部屋の外に出た。
雨はまだ降り続けていた。






583


祇園から見上げる秋の月は屯所で見るそれよりもより一層美しくその光を放っていた。
さる料亭の前で土佐藩邸へと戻る駕籠を見送り、近藤はため息をつきながら
「これで手打ち…か」
と呟いた。
先日新撰組が二名を惨殺、一名を捕縛とした『三条制札事件』。その件で土佐の上役に呼び出された近藤、土方、伊東は祇園での会食を行い、逃げ出した数名の浪人については土佐藩にその一切を一任することで今回の事件はこれで終いにしてほしいと頼まれたのだ。
妥協した結末を迎えたことについて近藤は少なからず脱力したが、
「彼らが約束通り本当に身内である逃亡者を捕縛するかどうかわかりませんが、土佐藩は幕府に近い立場ですからお断りするわけにはまいりませんね」
伊東は「仕方ありません」と慰める。同盟を結んだ薩摩と長州…その仲介を果たしたのは土佐の浪人だという。その経緯から幕府は土佐藩を警戒しているが、その思惑は見えないままだ。
「そうだな…会津からも将軍が不在の今、無用な騒動を起こすべきではないと指示が出ている」
「…会津は一橋公の就任を容認するお考えですか」
「容認も何も、それ以外に相応しいお方がいないとおっしゃっていた」
「しかし尾張の徳川義勝公などは…」
「会津公によるとご本人にその気がないというお話でした。…参謀は一橋公が将軍職に就かれることについて何か?」
「…不満を持つ者は多少なりともいるのではないでしょうか」
伊東は他人事のように話をすり替えて扇を開いてその口元を隠した。核心に触れようとするとその表情を隠すのは彼の癖のようなものだ。すると伊東は傍らで二人の会話を黙って聞いていた土方へ「土方副長はいかがですか」と尋ねてきた。
「…個人的には気に食わないが、仕方ないことだと思っている」
淡々と答えると、伊東は「局長と同じですね」と口にした。その声のトーンにはいくらかの無念さと近藤に同調するだけの土方への倦む感情が見えた。しかしいつもの伊東ならそれも隠して見せただろう。
(よほど、一橋公が将軍になるのが嫌らしい)
そうしていると呼んでいた駕籠がやってきた。
「近藤局長、どうぞ」
「いや、私はこのままここから近い別宅に歩いて帰ろうと思う」
「そうですか。でしたら土方副長」
「…俺も歩いて帰る。参謀が使ってください」
伊東は少し迷ったが、「ではお言葉に甘えて」と駕籠に乗り込みそのまま屯所方面へと戻っていった。彼が去ると近藤は「ふう」とそれまでの緊張を解いた。
「参謀があのように食い下がるのは珍しい。一橋公について思うところがあるのだろうな」
「…流石にかっちゃんでも気が付いたか」
「当然だ。まあ…水戸藩と一橋公にはいささかの因縁があるから仕方ない。それに俺だって…家茂公がお亡くなりになったとはいえ、長州との戦を途中で投げ出した一橋公に思うところがないわけではない。お陰で長州や薩摩が大きな顔をするようになってしまった。挙句の果てに土佐だぞ?」
「…俺たちの手に負えるようなことじゃねえよ」
熱くなる近藤を土方は止めた。いくら憤ったところで手の届かない所での話だ。近藤は「そうだな」と別宅へ向けて歩き出した。
「歳、屯所まで歩いて帰るつもりか?」
「かっちゃんを別宅まで送ったら駕籠でも捕まえる」
「俺は一人でも平気だ」
「…同じ方向なんだからいいだろう」
土方は近藤と並んで歩き出す。月明りが眩しい夜、二人が手にする提灯がゆらゆらと足元を照らしていた。単純で単調な仄かな明かりに心を落ち着かせたのか二、三言雑談を交わした後、近藤が「そういえば」と口を開いた。
「歳、最近上七軒には行っているか?」
「上七軒?」
北野の上七軒はかつて君菊や山南の馴染みであった明里の置屋大津屋がある。今晩の祇園や島原のように仕事があれば足を運ぶが、個人的な花街への外出はこのところはない。
「特に行っていないが…」
思い当たることがない土方の返答に、近藤が急に「拙い」という顔をしてしどろもどろになった。
「そ、そうか。あー…その、このところその大津屋で君鶴という天神が人気らしい。知っているか?」
「いや…」
「はは、そうか。別宅に出入りしている魚屋がしょっちゅう芸子の噂を持ってくるんだ。君鶴はまだ若いが大人びたいい女だとか何とか…そういう話をしているとお孝が不機嫌になって困るんだが、しかし…」
「かっちゃん、何が言いたいんだ」
土方には幼馴染が何か言いたげにしていることはすぐに分かった。核心をつくと、素直な近藤は伊東のように隠したりせずに話し始めた。
「いや、実は…その君鶴という芸妓がお前の馴染みだってことになっているらしくてな」
「は…?」
「祇園や島原ならともかく上七軒にはお前だって思うところがある。まさかそんなはずはないと思っていたんだ」
「君鶴だって?会ったことも見たこともない女だ」
「そうだよな、じゃあただの噂話だ」
近藤はそう言って話を切り上げたが、土方には不快さが残った。自分の知らないところで立つ噂、上七軒という場所、そして君菊を彷彿とさせる『君鶴』という天神…勝手に噂しておけばよいと思うが、近藤の別宅に出入りする魚屋の耳に入っているということは巷で大きな噂になっているのだろう。
(面倒な)
土方は深いため息をついた。今夜は疲労感だけが募った。



「斉藤さん」
文学師範である伊東の講義が終わると、斉藤は藤堂に声を掛けられた。それはただ呼び止められたというのではなく、明らかなる『敵意』とともに引き留められたという方が近い。
受講生たちが去っていくなか片隅に呼び寄せられ、
「いったいどういうつもりですか」
と問い詰められる。
見た目の上品さとは裏腹に彼が熱しやすい性格だと重々理解している斉藤はできるだけ淡々と答えた。
「…どういうつもり、と聞かれても。伊東参謀の講義に『副長助勤が参加してはならない』という規約はないはずだが」
「だからって今まで全く興味のなかった斉藤さんが足しげく通うなんて、皆、変に思っていますよ」
「変に思われようとどう思われようとかまわない。参謀の講義は剣術一辺倒だった俺には興味深く知らないことが多い。出来ればもっと学びたいものだ」
「…」
言葉に詰まった藤堂がまじまじと斉藤を見る。けれど彼のつぶらな黒目は何も捉えることができずに困惑したままだ。
彼は疑心暗鬼になっているのだろう。
先日の城多の一件を斉藤に目撃され、それを口外しない代わりに伊東に近づいている…そんな斉藤のことを藤堂が受け入れらるはずはない。彼を説得するには説明よりも時間が必要だろう。
二人が睨み合っていると
「斉藤先生」
と呼んだのは伊東の実弟である鈴木だった。
「…何か?」
「兄…伊東参謀がお呼びです」
「わかりました」
寡黙な鈴木からも同じように冷たい視線を浴びる。それは藤堂のむき出しの『敵意』ではなく、静かなる『警戒心』。
(やれやれ…)
斉藤は二人を振り切って歩き出した。






584


藤堂、鈴木の突き刺さるような視線に見送られ向かった先で、伊東は穏やかな笑みを浮かべ「よく来てくれた」と言葉上は歓待した。しかしその傍でまるで用心棒のように控える内海は、藤堂の『敵意』と鈴木の『警戒心』を織り交ぜた複雑な表情で斉藤を見ていた。
伊東に促され、彼らの前に膝を折る。
「やあ、すっかり秋めいてきたようだ。屯所は味気ないが、わが別宅は庭の木々が色づき始めてそれは見事な光景だよ。今度一緒に酒でもどうかな」
「…考えておきます」
斉藤の淡々とした反応を見て、伊東は「前置きはいらないか」と苦笑した。そして懐から扇を取り出すと、パチンと掌に打ち当てて音を鳴らし、己の表情を切り替えた。
「先日の話の続きだ。…君は幕府の『間諜』として会津藩を通じて新撰組に入隊し、これまで様々な『裏の仕事』を請け負ってきた。それはひとえに先の将軍、徳川家茂公への忠心からであり、お亡くなりになった今、新撰組の三番隊組長として生きるべきか、己の身の振り方を案じている…そういうことで間違いないだろうか」
「おおむね間違いありません」
「…申し訳ないが、簡単に信用することはできない」
伊東はあっさりと口にして続けた。
「君がこの頃熱心に私の講義に足を運んでくれているのは光栄だが、君の事情は君の口から聞いたことだけ。目に見える真実は何もなく、ホラを吹いている可能性も捨てきれない。芝居が上手いか下手か…それを理解できるほど君と私の仲は深くはない」
「そうですね」
斉藤はまるで他人事のように頷いた。伊東はその真意を探ろうとするが、それ以上に斉藤の構える盾は厚い。
(間諜『らしい』と言えば『らしい』のだが…)
伊東は手にしていた扇を少しだけ開いた。
「…話は変わるが、我々が入隊する以前、君が局長を糾弾する建白書に名を連ねた、というのは本当かな?」
「本当です。池田屋の報奨金の分配を巡って色々ありました。中心となったのは永倉組長でしたが…原田組長、島田伍長、そして脱走の罪で処断された葛山とともに建白書を会津へ提出しました」
「君は会津とも通じているのだろう?」
「…」
斉藤は少し沈黙した。それは突然虚を衝かれたというよりも、思案しながら言葉を選んでいる様子で動揺はなかった。
「…確かに、あの頃は池田屋直後で政局が揺れ、新撰組も重要な時期でした。組長階級での隊内の揉め事が大きくなると面倒であったので、会津を巻き込んで治めたい…その目的で加わったという事情もあります。永倉組長もさすがに会津公の前では大人しくなるだろうという思惑もあった。…しかし俺個人も永倉組長の考えに賛同したいという私情も持ち合わせていました。俺は…報奨金の少ない別動隊でしたから」
「…金、ですか。君らしくない」
「そうでしょうか。新撰組は高い給金のために入隊した隊士ばかりです」
「…」
伊東は斉藤を注視する。ぴくりとも動かない眉、揺らがない瞳、媚びない唇…彼が口にしたことが嘘なのか誠なのか、彼の牙城を崩すのは難しい。
人は嘘をつく。けれどその嘘の中に本心が少しもないことはない。嘘をつくには理由があり、その中には感情もある…それを隠すことができるかどうかが、『間諜』としての格の差につながる。
(わからない…ということが何よりも証明している)
伊東でさえも惑わせる――彼の語る『間諜』という立場は本当なのだろう。
(だったら次の問題だ)
扇を閉じ、伊東は身を乗り出した。そして声を潜めた。
「君が本当に間諜であるならば…君が私の味方である、もしくは味方になりえるということを証明してほしい」
「…証明、ですか…」
「当たり前の話だが、誰の間諜なのかが一番重要です。幕府なのか、会津なのか、土方副長なのか…はたまた別の誰かなのか。子供にもわかる、簡単な話ですよ…君が、誰の味方なのか」
「…確かに簡単な話です」
斉藤の表情がほんの少し好戦的に緩んだ。そして続けた。
「証明する方法は…参謀のお役に立つことでしょうか」
「…何かあるのかな?」
「元見廻組で幕臣の大沢源次郎という男とは縁を切った方が良いでしょう」
「…」
突然挙がった名前に対して、伊東はほんの少しだけ眉を顰める反応を見せた。しかしそれ以上に表情を変えたのは黙って後ろに控えていた内海だった。渋面のままより一層強く斉藤を睨みつけていた。
斉藤は構わず続けた。
「尊攘派の十津川郷士、藤井という男から賄賂を受け取り私腹を肥やしているという話があります。それに薩摩藩士ともつながりがあるという噂も…近々、捕縛の命が下るでしょう。…参謀も気を付けられた方が宜しいかと」
「…私がその大沢という男とつながりがあると?」
「大沢の先にいる薩摩藩士には心当たりがあるのでは?」
「…」
質問に質問で返す真似をしても、伊東は肯定も否定もせず、扇を閉じるだけだった。今すぐに証明することにはならないが、これ以上何も言うことはあるまい、と斉藤は立ち上がる。
「待ってくれ、斉藤君」
「…何でしょうか」
「君は、有能な男だな」
いつもと変わりない伊東の賞賛は、けれども今ばかりは本音のように聞こえた。斉藤は「ありがとうございます」と受け取り、そのまま部屋を出た。



巡察を終えた総司がいつもの報告へ向かうと、土方はいつにもまして不機嫌そうに手紙に目を通していた。
「…いつかその眉間の皺、取れなくなりますよ」
「うるさい」
よほど不機嫌なのか総司の軽口にも乗らずに土方は手紙を仕舞う。ちらりと見えた手紙の筆跡は美しくひらがなが多かった。
(女…かな)
花街にも協力者はいる。そのうちの一人だろうか…と考えるが、尋ねたところで答えてはくれないだろう。
総司は普段通りの報告を口にした。
「特に問題はありません。この後は非番に入ります」
「そうか」
「あの…先日の永倉さんの組下の市橋君の件ですが…」
「誰にやられたのかはわからない」
土方が先回りして遮ったが、
「河上の仕業ですか?」
と総司はあえて尋ねた。彼がそれ以上、機嫌を損ねようとも総司には構わなかった。
「…そういう目撃証言があるってだけだ。細身のまるで女のような男が、あっという間に斬り伏せた。市橋も抜く暇がなかったようだ」
「河上に間違いないじゃないですか」
「…」
土方は深いため息をついた。
「…そういう可能性は高いが、お前と河上が関わると話が面倒になる。河上はお前に執着しているようだし、お前もお前で顔を突き合わせて対峙したいなんて思っているんだろう」
「そりゃ、数年前から決着がついてませんからね」
「そういう軽い話じゃねえんだよ」
「軽くなんてありませんよ。もう何人も彼に関わって死んでいるんですから」
「…」
「彼が何故私に拘るのかわかりませんが、真っ向から対峙できるのは私だけです。だったらこれ以上、誰も死ななくて済むように私自身が率先して動きべきだ…新撰組の副長ならそう判断すべきです」
田舎の剣術道場なら巷の殺人鬼など放っておけば良いと言うだろう。けれど都の治安を預かる新撰組として、仲間の犠牲が出ている以上、彼の悪行から目を逸らすべきではない。そんな当たり前のことは土方もわかっているはずだ。
総司から糾弾されるとは思っていなかったのか、土方は少し驚いた表情を見せた。
「全くどいつもこいつも……わかった、何かあればお前に伝える…ただ無茶はするなよ」
「わかってます」
総司は頷いたが、土方の「どいつもこいつも」の意味はよくわからなかった。







585


北風が随分と涼しくなった。
盆地である都は夏になると鬱陶しいほどの熱気に包まれるが、季節が代わるとまるで別の場所のように気候が変わる。凍り付くような冬がすぐに他遣ってくるだろう。上京した当初はなかなか慣れなかったが、幾分か身体は馴染んだ。
「ケホ…」
総司は永倉とともに軽い咳をしながら方々へ散った隊士たちの帰りを待った。今日は二番隊とともに巡察だ。
「市橋の遺体は光縁寺に埋葬されることになった」
二番隊の市橋が惨殺されて数日が経つ。永倉は自分の組下が殺されたことに対して未だに憤りを隠せないようだ。
「そうですか…光縁寺に…」
「ああ。しかし…河上の仕業に違いないというのに、監察方ですら行方が掴めないそうでまるでその姿が見えない。奴は霧か幻のようだ」
「まあ…一見すると細身で女子のように見えますから、捕らえるのは難しいかもしれません」
河上はいつも前触れもなく総司の目の前に現れては、何も残さず去っていく。
その見た目とは裏腹に人間の性の奥の奥へと隠された『悪』を、隠しもせずむき出しのまま刃を振るう。刀を構えたその姿はきっと別人のように映るだろう。
(そういう部分は自分にもある…)
総司はそう思っているからこそ、彼に拘り続けているのかもしれない。そしてそれはお互いに同じなのだ。
…永倉の愚痴は続いた。
「この頃は幕府も慌ただしい。一橋公はいまだに将軍職には就かないと言い張っているようだが、京都町奉行や老中を罷免したり…戦に負けてただでさえ討幕派の奴らに舐められているっていうのに、不安定な政事ばかりだ」
「はぁ…」
「それなのに近藤局長は相変わらずの忠臣ぶりだ。毎夜毎夜会津や幕臣たちの会合に出かけて…諸藩や幕臣たちが己の身の振り方を考えているだろうに、屋台骨が壊れかかっている幕府にいつまでも縋るのはどうだろうか…いくら出自が天領の民だって一橋公の態度には普通疑問を持つだろう?たまには意見しても良いのではないか?」
「…まあ、近藤先生らしいと言えばらしいかもしれません」
誰が将軍になったとしても、近藤は憂う気持ちを隠してきっとその忠誠心を貫く…その礎が永倉の言ったように『天領の民』であることなのか、近藤自身の性格なのかはわからないが、真っすぐで己の気持ちを貫くのは相変わらずだ。
すると永倉は深く息を吐いて
「…悪い、苛々して言い過ぎたようだ」
と謝った。
「別に私に謝ることはありませんよ。それに近藤先生は建白書の件以来、永倉さんには遠慮なく悪いところを指摘してほしいとおっしゃっていたじゃないですか」
「それはそうなんだが、ただでさえ不安定なこの時期に隊の結束を乱すようなことをすべきではないだろう。平隊士たちも誰も口にはしないがこの先に不安を持っているし、伊東参謀やその同門たちも何か不穏な動きをしている…一つの亀裂がのちに大洪水を引き起こすかもしれない」
「…そういうものですかね」
総司の呑気な返答に永倉は「そういうものだ」と苦笑した。貫禄があるが年下の永倉は、いつも自分の考えをしっかり持っていて、日ごろから安穏としている自分と真反対だ。
永倉は腕を組み直し、続けた。
「それに平助のことも…すっかり参謀たちと行動を共にするようになってしまった。あいつは深く考え込む性格だから参謀の『論』に引きずられるのだろう…試衛館食客で在るよりも、伊東門下で在ることの方が居心地が良いのだろうなぁ…」
「…」
藤堂から避けられている総司だけではなく、仲の良かった永倉さえもそう寂しさを滲ませた――その時だった。
ピーッというけたたましい笛の音が聞こえた。各隊士が常備し非常時に鳴らされるもので、二人は反射的に身体が動いた。総司は永倉とともに音のする方向へと駆け出す。近くにいた隊士たちも加わり、バタバタと音のなる方へと近づいた。
「河上かもしれない、方々へ回れ!」
「ハッ!」
永倉が指示を出し、隊士たちが包囲網を張るべくあちこちの細道へと別れる。つい先日、仲間がやられたばかりだ、緊張感が違っていた。
右の角を曲がると、四人の隊士たちがいる。一番目立つのは一番隊伍長の島田であり、彼が笛を吹いていた。
「島田さん!」
「お、沖田先生…!」
「何があった!?」
「それが…」
狼狽える島田のほかに蹲る隊士がいた。二人の隊士に介抱されている山野だ。
「山野君…!怪我を?」
「申し訳ありません、僕が死番で…しくじりました」
総司が怪我の具合を見ると出血の割には浅手で、骨まで折れているわけではない。本人も意識がはっきりしており「大丈夫です」と繰り返していた。
永倉が必死の形相で尋ねる。
「誰にやられた?」
「わかりませんが…かなりの遣い手です。流派はわかりませんが、見たことのないほど低い位置からの逆袈裟斬りで…咄嗟に避けたのですが避けきれずに…」
「…河上の剣は自己流で、片手抜刀の逆袈裟斬りです」
総司は断言し、永倉は目の色を変えた。
一撃で仕留める暗殺者の剣――総司はそれを何度も目の当たりにしてきた。だからこそわかる。
(河上だ…)
永倉は動揺を隠せない島田の背を叩く。
「島田、後のことは頼む。…しっかりしろ」
「はっ…はい!」
「手の空いている隊士たちは続け!河上を捕縛する!」
「はっ!」
「おぉぉ!」
一番隊の精鋭と、二番隊の血気盛んな隊士たちが唸り声を上げながら駆け出した。そんななか、
―――呼ばれている。
総司はそう思った。


丁度同じ頃、土方は北野天満宮付近へとやってきた。この先にあるのが上七軒だ。
(気乗りがしない…)
上七軒とは因縁がある。君菊だけではなく明里もここの置屋にいた…それ故に、君菊が亡くなったあと近づくことすら避けてきたのだ。
けれど土方には確かめたいことがあった。
(君鶴…と言ったな)
土方が懇意にしている女がいる…そんな噂の出所がこの上七軒だったのだ。
監察方や協力者に調べさせたところ、懇意にしているだけではなく身請けの予定まであるなどと具体的な噂になっているらしい。当の君鶴という女も肯定も否定しないそうで、噂はどんどん広まって、近藤の耳にまで届いてしまった。
それなりに名を馳せている新撰組の『鬼副長』の女…一度ご尊顔を拝みたいなどと商売に使われているなら不愉快であるし、迷惑甚だしい。
(一言、釘を差せばよいだろう)
そう思い足を運んだのだが、当然気乗りしない。土方は上七軒に向かう前に気分を落ちつけようと北野天満宮の境内へと向かった。
初春には梅の花を咲かせ、秋には紅葉と目を楽しませる境内の木々だが、残念ながら冬が近づきそのほとんどが落ち葉となっていた。地面の枯葉を踏みしめながらゆっくりと歩く。見頃を越えた天満宮には人の姿はない。厳かな雰囲気を独り占めしているような気持ちは悪くない。
「…っと、」
そんな優雅な気持ちでいたところ、少し先の木に一人の女が佇んでいた。長い髪を耳元で結い寛いだ雰囲気で木を見上げている。
不思議なことに、この広い境内の中でその木だけが未だに鮮やかな紅葉に彩られていた。







586


「…」
土方は吸い寄せられるようにその女の元へ足を向けていた。女の長い髪が凩に揺れてその輪郭、スッと通った鼻筋、控えめな唇をあらわにする。一歩、また一歩と近づくと遠目からはわからなかったことに気が付く。女が案外背が低く小柄であること、そして紅葉を眺めるその眼差しがまだどこかあどけないこと―――。
(ガキか…)
鮮やかな紅葉を背景にしていたせいか大人びて見えたが、年の頃は二十歳にも満たないだろう。芸妓ではなく舞妓か。
(俺も随分、審美眼が狂ったものだ)
昔、江戸にいた頃は後ろ姿だけで美人を見分けていると伊庭に揶揄されたものだ。キリリと気の強い美人ばかりえり好みして、当然幼い舞妓になど目を奪われることさえなかったはずだが、けれど女には土方を惹きつける何かがあった。
すると女が紅葉の木から土方に目を向けた。大きな黒い瞳がジッと土方を見つめて、土方もまた吸い込まれるように女を見ていた。彼女と土方…まるでこの世界には二人だけしかいないかのように静寂な時間が流れていく。
(なんだ…この女は…)
大抵の女は土方を見るとその色男ぶりに頬を紅潮させて顔を逸らすか、好かれようと笑みを零す。それなのに彼女は顔色一つ変えず、むしろ土方の様子を窺うように視線を逸らすことなく見つめていた。
「…お前は…」
土方が口を開いた時、バタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「ここにいはった!」
背の低い奉公人と見える男が焦った様子で女の元へ駆け込んできた。眉を顰め「探しましたで!」と息を切らす。
「こんなところで油打ってる暇はありまへん、もうお三味線の稽古の時間や!」
「へえ、そうですか。紅葉があんまり綺麗やから稽古のことなんですっかり忘れてました」
「はあ、まったく困ったもんや…また先生に叱られます」
「そうかもしれませんなぁ」
奉公人の忙しなさとは裏腹に女は動じることなく聞き流し、尚も土方の方へ視線を向けていた。女のマイペースな様子に奉公人は「はぁー」と大きなため息をつき
「参りましょう、君鶴はん」
と無理矢理背中を押して元来た道を戻っていく。女は名残惜しそうに紅葉を見上げたが、抗うことはなかった。そして二人の姿が見えなくなるころ、ようやく土方は我に返り、
(君鶴だと…?)
と奉公人が口にした彼女の名前に驚いた。
てっきり生意気な芸妓が土方の名前を勝手に使って商売をしているのかと思いきや、目の前に現れた君鶴はどこかあどけなさの残る少女であり、とても人を踏み台にするような勝気なところは見受けられなかった。
(何かの間違いか…)
しかし優秀な監察方に調べさせたのだから間違いない。
土方は困惑しながら彼女が佇んでいた場所まで歩いた。まるで狂ったかのように境内で一本だけ真っ赤に染まった紅葉が頭上でその色を変えながら命を散らしている。
彼女のことはわからない。
けれどこの刹那的に美しい紅葉に目を奪られたことだけは、共感できた。


十数人の新撰組隊士たちが大通りを駆け回りあたりは騒然となるなか、その先頭を行く永倉が的確な指示を出した。
「二番隊半分は東へ、もう半分は西へ、一番隊は北へ向かえ!いいな、油断するなよ!」
「ハッ!!」
市橋を殺された二番隊と襲撃を受けた一番隊の隊士たちは我先にと命令通りに駆け出していく。河上を捕らえようとする隊士たちの誰もが必死の形相であたりを見渡し、人々は遠巻きに様子を窺うしかない。
「総司、河上は…あれ?」
永倉が振り返るが、そこに総司の姿はなかった。
――同じ頃、総司はひとり永倉達から離れ大通りから人目のつかない脇道へ入っていた。河上らしき人物の姿を見たという町人からこの視界に入りずらい道に入ったという話を聞いたのだ。もちろん本来であれば永倉と情報共有すべきことだが、今の総司はその考えに至ることはなかった。
河上とまともに対峙できるのは自分しかいない―――それが驕りである自覚はあったが、河上もそれを望んでいる気がしたのだ。
(彼の望みを叶えるためじゃないけれど…これは自分が向き合うべきだ)
脇道はやがて人一人通るのが精いっぱいの細道になる。野良猫が通るような狭い町屋の間を潜り抜け、暫く行くと突然視界が開けた。古く朽ちた空き家を倒したあとと思われる雑然とした空間に乱雑に木材が放置されているなか、一人の男が立っていた。その手には抜刀された刀身が握られている。
彼はゆっくりと振り返り、その男とも女ともとれる曖昧な顔立ちで微笑んだ。
「ようやく来たな」
「…待たせてしまいましたか」
「ああ、待ちわびた。ずっと…いつから待っていたのかわからないくらいだ」
河上は懐紙を取り出し、刃先へ向けて滑らせた。陽の光を浴びた刀身は鈍く、妖しく光り。そして彼はゆっくりと口を開いた。
「故郷へ戻ることになった」
「…」
「長州一国に幕府が負けた。屋台骨が弱体化する今こそ討幕へ動くべきだという声が大きくなってる。この流れに伸るか反るか…運命が大きく変わるだろう。故郷へ戻り、同志たちを正しい道へ導くつもりだ」
「…故郷、なんて温かなものをあなたが持っているとは思いませんでした」
「少なくとも母はいる。木の股から生まれたわけではない」
笑いながら茶化して答える河上だが、その雰囲気は一切緩むことなくピリピリとした殺気に包まれている。
そしてその刃先を総司へ向けた。
「心残りはお前だけだ。出会った時から殺したいと願い…ずっと叶うことはなかった。こんな相手は今までいなかった」
「…理不尽な言いがかりですね。私が何をしたと?その為にどれだけの人が傷ついたことか」
「何をしたということはないが、ただそこにいるというだけで気に食わない…不思議なことだ」
河上はまるで他愛もないことを口にするかのように微笑したままだった。総司からすればただ難癖をつけられているのだが、不思議と憤慨することなく受け取ることができたのはやはり彼と同じ感覚持っていたからだろうか。
ずっと彼のことが気になっていた。
自分こそが向き合わなければと思うのは、まるで鏡のなかの自分を見ているようだからか―――。
「…理由はどうでも良いです。それが真実だろうが、こじつけだろうが…あなたが私の部下に手を出したことに変わりないのですから」
「いつまでも待たせるからだ」
総司は刀を抜いた。すると河上は「ようやくか」と待ちわびたように片方の口角を上げて対峙する。彼の伸ばした右手に握られた刃先が、真っすぐと迷いなく総司の方へ向いていた。彼の感情の一部であるかのように悦んでいるように見えた。
「ああ、やっとだ。やっとお前を殺したときにこの沸き上がる好奇心の答えが出るだろう」
「死ぬのはそちらかもしれないのに?」
「そうかもしれないが、そうであったとしても悪くない…何故だろう、そんな気分だ」
(僕もだ)
そう言いかけて飲み込んだ。
それを口にすれば彼が笑うだろと思ったからだ。









587


人目につかない町家の一角、古びた廃屋は静けさに包まれていた。いや、実際は大通りと変わらない喧騒と人々の営みがそこにあるはずだが、二人の耳に入らなかったという方が正しい。張り詰めた空気がひたすら重い。
こうして改めて彼と対峙した今、総司には不思議と様々なことが駆け足に思い出された。
初めて出会った時ーーー三浦と芦屋が入隊した頃ーーー背後にはっきりとした殺意を感じ、気がつけば互いの刀が合わさっていた。
『沖田総司だな』
小柄で色白、声の低さに反して性の曖昧な顔立ち…見知らぬはずなのに、見知った顔に出会ったような既視感にひどく驚いた。己の名を彼が呼んだことすら、まるで数年ぶりの再会のような。
その初対面ではその正体が分からずその実力を図りかね、総司の手にしていた刀はあっさりと空を飛んだ。昔から天才と持て囃されてきた総司にとって手から刀が離れるなんて初めてのことで、彼の実力を認めざるを得なかった。
そしてその日から幾度となく顔を合わせることになった。三浦の敵討ち、いまは英となった宗三郎の間者騒ぎ、浅野の件、そして再び三浦の脱走に関わった。振り返ると倒幕派の浪士が新撰組を忌み嫌うなか、彼は積極的に関わろうとしているようにも思える。
見つけてみろ。
捕まえてみろ。
殺してみろーーー。
常に手をこまねいて挑発しているような。
それは奢りでも傲慢でもなく、きっと総司がいたからだろう。
(似た者同士だ)
似ているからこそ、理解して苛立つ。
「終わらせよう」
河上がそう呟いた瞬間、自分も(そうしよう)と思い、二人ともほぼ同時に踏み込んだ。彼得意の逆袈裟斬りに対して総司は薙ぎ払い対応する。それまで静かだった水面に大きな雫があちこち落ちて波紋を広げるように、耳をつんざくような金属音がとめどなく続いた。
右、左、右ーーまるで数十年の稽古を重ねたように息が合い、相手の繰り出す技が手を取るようにわかる。鏡の中の自分と相対している…そうしているうちに納得した。
『本当の顔を隠して穏やかに笑っているあなたが…昔から嫌いでした』
『切れ味の鋭い刀のように』
『冷酷で寒々しいほどの眼差しが』
『それこそが本当のあなただ』
かつて大石から投げかけられた言葉。そして土方さえも認めた事実…殺すべき相手を目の前にして自分は冷たい鬼のような形相をしているーーそれこそ、お前だと。否定しようの無い共存すべき一部であると。
そう、目の前のこの男と同じだ。
(彼は僕の『悪』だ)
理不尽な理由を人を殺し悪意ばかりを持ち合わせた河上は、総司のある一部をそのまま体現したような存在だ。倒幕という思想を持ち邪魔者を排除する彼と、『法度』という掟に縛られ同志を手にかける自分との違いは、客観的に一体どこにあるというのか。
そして河上もまた思っているはずだ。自分の中の一部と同じだと。『善』と『悪』その比重がかろうじて違っていて表面化していないだけだ。
だからこれは、ただの同族嫌悪だ。
「…やれやれ、これではいつまで経っても決着がつかないな」
河上は顎に流れる汗を手の甲で拭った。互いに息切れをし、額に汗をかき、散々突き合わせた刀は刃こぼれしている。全くの互角であり、このままでは日が暮れてしまう。時間がかかればかかるほど、血眼になって河上を探す永倉や隊士たちがここを見つける確率は上がっていくだろう。
(それは惜しい)
故郷に帰るという彼と勝負をつける千載一遇の機会だ。総司は深く深呼吸して気持ちを立て直した。
河上もまたニヤリと笑った。
「わかる…考えていることがわかるぞ。お前はここでどうにか決着をつけたいと思っている。おそらくもう二度と会うことはない…たとえ腕の一本を失ったとしても終わらせたいと、そう思っているのだろう?」
「…こうして刀を合わせているとだんだんと理解できました。あなたと私は似ている。だからとても…あなたの蛮行が受け入れがたい」
「蛮行か…」
河上は刀を下ろした。そして朗々と語る。
「そう、蛮行だ。気にくわない者を殺す。俺の生き様はまるで野生の畜生と同じ蛮行の繰り返しだろう。それを否定はしない」
「…」
「ただ、お前と何が違う?殺した人間の数以外、ほんの少しの違いしかない。そんなお前がまるで素知らぬふりで悪を隠し、幸福に満たされて暮らしている方が俺にはよっぽど不自然に思える」
「私には信念がある」
「信念があれば良いと?」
「私は敬愛する人のためにこの刀を振るう。あなたのように悪意に囚われ、暴走はしない。罪深いというのなら、喜んであの世で償います」
彼のいうようにそれが取り繕った姿だとしても、殺意の沼に引き入れられ飲み込まれてはならない。
信頼し、この身を捧げたいと思える人がいる。
(それがこの男との一番の違いだ)
『戻ってこい』
どんな時でも手を差し出し、待ってくれる人がいる。
(だから僕は死なない)
いつまでも彼のそばで、彼のために生き続ける。たとえ道が違っていたとしても出来る限り彼の近くとともに歩き続ける。その決意に一片の曇りもない。
総司は刀を強く握った。河上と対峙することで濁りかけていた気持ちが、彼の顔を思い出すことで澄んでいく。
(全く、僕はどうしてしまったのだろう)
いつの間にこんなにも彼のことを思うようになってしまったのだろうかーーー。
「…堂々巡りの議論をしていても日が暮れるだけだな」
河上は小さくため息をついて、刃先を真っ直ぐに総司に向けた。
「互いに似ているゆえに、分かり合えると思っていたが」
「…え?」
「勘違いだったようだ」
突然河上が強く土を蹴った。疾風のように素早い動きは、今までになく総司へ真っ直ぐに向かってくる。これが最後になるだろう…そんな直感を覚え総司もまた踏み出した時。
今までにない感覚に襲われた。
「…っ?!」
全身の血流が止まり、一気に体が冷たくなる。息が止まって身体の自由がきかず、総司はそのまま崩れ落ちた。
身体が重たい。ひたすらに重い。
(斬られたか…?!)
そう思ったが、河上の刃先はまだ届いておらず痛みはない。だったら勝手に自分が前のめりになってバランスを失って転けたのか…いや、違う。
気がつくと地べたに両手両膝をつき四つん這いになってゼエゼエと肩で息をしていた。そして体の奥底から不快なものがこみ上げてきて、そのまま口から吐き出した。
(血…?)
真っ赤に染まった吐瀉物がすぐに自分のものだとは思えなかった。天変地異が起こり赤い雨でも降ったのかと思ったが、しかし当然そんなことはない。
これは自分の体の仕業だ。その証拠に次には激しい咳が襲ってきた。
「ゲホッゴホっ、ゴホッゴホッ…カハッ!」
そして再び吐き出した。あちこちの雑草が赤く染まっていく。
(僕が…吐いた…)
吐血というよりも喀血。その違いを幼少の頃に学んでいた。
『あの家に近づいてはなりませぬ』
遠いあの日。悲しげに顔を歪ませた姉が感情をこらえながら幼い総司に言い聞かせていた。近所に住む親しい隣人が労咳になった時のことだ。
人に移る死病…治ることのない不治の病。
(まさか…そんな…)
混乱する総司の目の前に河上が立っていた。見上げると彼はひどく落胆した表情で総司を見下ろしていた。
「…お前も、所詮ただの『人』だったというわけだ」
「…っ…」
そう呟くと彼は刀を鞘に収める。すっかりその戦意が削がれ『興ざめだ』と言わんばかりだった。息苦しくて返答のできない総司を哀れな者を見るようにして
「引き分けが運命だったのだ」
と言い捨てた。そしてそのまま去っていく。
待て、と引き止めることすらできなかった。彼は『引き分けだ』と言ったがそんなはずはない。間違いなくその刃で首を落とすことができたのだ…温情で生かされた総司にとって『負け』に等しい。
(僕はもう…彼の前に立つことすらできない)
総司は投げ出された刀に目を向けた。『加賀清光』は自分の血に染まっていた。






588


「そうか、取り逃したのか…残念だな」
「申し訳ありません」
総司は巡察を終え、永倉とともに報告に向かった。土方は不在であり、近藤へことの経緯を報告すると眉をひそめて「残念だ」と繰り返した。
「山野くんが怪我をしたのだろう、彼は無事か?」
「浅手ですから数日静養すれば問題ありません。念のため、南部先生の元へ治療へ向かわせました」
「そうか。大事ないと良いが…しかし精鋭の一番隊、二番隊から易々と逃れ、総司をもってしても捕らえられないとは…暗殺ばかりを担うその歪んだ志はともかく、剣士としてはこの国で指折りの存在なのだろうな」
近藤は腕を組みながら、何度も逃げ果せた河上に対して半ば感心した様子を見せたが、永倉は未だに憤慨していた。
「そんな悠長なことを言っている場合ではありません。今回だけではなく河上には何人も死傷しています…同志の仇を取らず逃げられてしまうなど新撰組の恥になる」
「無論、その通りだ」
「…だいたい、総司が何人か引き連れていれば簡単に逃げられることはなかったはずだ。一番隊の組長が単独行動など、言語道断だろう」
「…申し訳ありません」
「一人でなんとかできるならもっと昔に捕らえることができている。それができない相手だからこそ確実に捕らえられるような数で対峙する…制札の件でもそうだったはずだ」
「おっしゃる通りです」
永倉の厳しい指摘は尤もだ。個人的な感情を優先して単独行動をし、その結果取り逃がすなど失態でしかない。組下を殺された永倉の悔しさに対し、総司はただ謝ることしかできなかった。
永倉はやり場のない怒りを抱えながらも、総司の殊勝な態度にひとまず納得したのか
「…もういい。次こそは捕らえてやる」
と息巻いて「失礼します」と去っていった。いつもは冷静な永倉の憤った姿に、近藤は苦笑した。
「はは…随分、怒っていたな。だが永倉くんの言う通りだ。お前が河上に特別な感情を抱いていたとはいえ任務の最中なら隊士たちを引き連れて向かうべきだった。…犠牲を出したくなかったと言うお前の配慮なのかもしれないが、蔑ろにされたと感じる隊士もいるだろう」
「はい。先生と永倉さんのおっしゃる通りです。申し訳ありませんでした」
「次こそは頼む」
「はい。ですが…次、はもうないかもしれません。永倉さんには言えませんが河上は故郷へ帰るのだと口にしていました。もしかしたら都へは二度と足を踏み入れないかもしれません」
『終わらせよう』
『もう二度と会うことはない』
彼が口走った言葉にはでまかせではなく別れの意図があった。そして
『引き分けが運命だ』
ともーーー。
「…そうか。お前がそう言うのならそうなのだろう。決着がつかずに残念というか、平穏で良いと言っていいのかわからないな」
「…そうですね」
「疲れた顔をしている。部屋に戻って休んだ方が良い」
「はい」
総司は深く頭を下げた。近藤の温情に感謝し、またいつも通りの報告を終えたことに安堵した。

総司は部屋を出てすぐに深呼吸した。
秋から冬にかけて、乾燥した冷たい空気が肺に入り少し温かくなって吐き出される。それを何度か繰り返すが一連の動作に乱れはなくいつも通りだった。
(…悪い夢だったのかもしれない)
河上と対峙し、ついに決着かと言うときに喀血した。真っ赤に染まった視界にグラグラと頭が揺れ、息苦しくて溺れているようなーーー河上が去ったあとどうにか這いつくばるような気怠さを堪え、永倉と合流し鈍った頭で河上を取り逃がした言い訳を考えて、帰路に着いた。身体中を冷たい汗が流れていたがどういうわけか次第に落ち着き、屯所にたどり着く頃にはそんな息切れが収まり、今ではすっかり消え失せていた。
(少し調子が悪かっただけだろう…)
ここのところ咳が出ていた。何かの拍子に喉が切れてしまったのかもしれない…そう言い聞かせるが、一方で背中を伝うような寒気のようなものがあった。否定すればするほど身体の芯が冷えるようだ。
確かなのは自分の身体ではないような浮遊感のなか、河上が四つん這いになった自分を見下ろしていたことだ。傷つけられたわけでもなく倒れた憐れな剣士を見て、温情を与えた…それが何よりも屈辱で、頭が沸騰しそうだった。
「総司、戻ったのか」
急に土方がやってきて総司は驚いた。自分が気づかなかったことに驚いたのだ。
「土方さん…え、ええ、巡察の報告を近藤先生に…」
「どうした?汚れている」
着物の血の汚れを土方が目ざとく見つけた。同時に総司が怪我をしていないことも確認する。
総司は咄嗟に嘘をついた。
「…これは河上の血です」
「河上?河上彦斎か?」
「残念ながら逃しました。詳しいことは近藤先生に報告していますから聞いてください。私は…疲れたので、休みます」
「おい…」
土方は何か問いかけようとしていたが総司は聞こえないふりをして立ち去った。
河上は怪我などしていない。互いの刃先は傷を負わせることはなかったのだから、これは総司の喀血だーーーそんなことまで土方が気がつくわけがないのに、聡い彼に全て見透かされてしまいそうで恐ろしかった。
喀血などしたと知れたらどうなる?土方ならすぐに労咳を疑うはずだ。
(絶対に気づかれちゃだめだ…)
だから身体の悲鳴に耳を塞ぐ。見たものを見なかったことにする。
どうか、どうか。
悪い夢から早く覚めれば良い…そう思うことでしかいまは正気を保てなかった。


近藤から報告を聞いた土方は納得した。
「ああ…それであいつは様子がおかしかったのか」
河上との邂逅、単独行動、取り逃した失態…総司の表情が冴えない理由がようやくわかった。
「志が違うとは言え、実力の並ぶ河上の存在は総司にとって好敵手だっただろう。敵味方がどうのこうのというよりも剣のことになると見境がなくなるところがあるからな」
「近藤先生に似たんだ」
「はは、そうかもな。…総司曰く、河上は都を離れるらしい。それが本当ならしばらく平穏になるだろう」
「河上の言葉を簡単に信じることはできないが…総司の勘は当たる。その通りなのかもしれないな…」
長く続いた河上との決着はつかなかったかもしれないが、正体の掴めない暗殺者が一人減ることは都にとって悪いことではない。
土方は足を組み替えながら息を吐く。総司を慰めなければと思いながら。
すると近藤は「ところで」と話を変えた。
「上七軒に行ってきたのだろう?」
「…なんでわかる」
「お前は自分の与り知らぬところで噂が立つのを嫌う。確かめなければならぬタチだ。…君鶴という女には会えたのか?」
近藤は普段鈍感なくせにこういう時だけは勘が良い。隠すのは無意味だ。
「…遠目から眺めただけだ」
「お前を手玉にとるくらいだ、相当の切れ者だろう?」
「ガキだった」
「なにぃ?」
「舞妓だ」
近藤にとっても予想外だったのか、「嘘だろう」と前のめりになる。しかし嘘偽りない現実なのだから仕方ない。
「とても新撰組の鬼副長の懇意だとは思うまい。そのうち噂も立ち消えになるさ」
「うーむ、そうか…」
「なんで残念そうなんだよ。面白がるつもりだったのか?」
「その通りだ」
近藤は冗談めかして笑い、土方は「勘弁しろよ」と応じた。
(誰があんなガキ…)
傍目にもただの噂なのだと誰もが笑うだろう。けれどもどこかでこれで終わりではないという予感もあった。







589

空気がすっかり冷たくなり、乾燥していた。
壬生の屯所から移築した道場には隙間風が入り込み、朝の調練を妨げる。しかし
「素振りはじめ!」
の号令がかかるとあっという間に体から蒸気が出るように暑くなり、始めは白かった息も見えなくなっていく。狭い道場はひしめき合う隊士たちの熱気によってあっという間に蒸し風呂状態だ。
「あっちぃなぁ」
早速、原田が着崩すと隊士たちも次々に続いた。彼らが首筋から鎖骨へと流れる汗を拭うなか、総司は端に身を寄せ息を整えていた。
(しんどいな…)
幼い頃から鍛えられたしなやかな体躯は滅多に疲労などしないはずだが、たかだか素振りで息が上がってしまう。
いつもとは違う…幸いなことに目敏い斉藤は非番、心配性の山野は怪我のため稽古に不参加のためその事実に気がつく者はいなかった。
「よし、乱取りでもするか」
「…良いですね」
総司は原田の得意な稽古に同意する。指導役に徹するだけの稽古は今はありがたかった。
原田の指導で始まった乱取り稽古を眺めながら、総司はこの数日の思考を整理する。
夢でも幻でもなく、あの日、吐血した。正しくは喀血なのかもしれないが河上にまともに対峙できないほどの出来事だった。
疑ったのは労咳だ。肺を蝕む不治の病ーーーその時は絶望感に打ち拉がれたけれど、その後、吐血することはなく誰にも疑われることのない日常生活を送ることができている。気怠さはあるが回復している…理由はわからない。
(だから、労咳と断ずるのは早計だろう…)
近藤のような胃潰瘍かもしれない。ともかく医学の知識がないのでどのような病かはわからないが、自力で立て直すことができたのだから大袈裟な病ではないのだ。
今日のような稽古にはまだ後遺症があるだけでいづれ全快するだろう。期待を含んだ甘い考えかもしれないが、そう自分に言い聞かせた。
なんでもないはずだ。
何より、そんな事実を認めるわけにはいかない。
(もし労咳なんかになっていたら…)
錆びて斬れなくなった刀のように役立たずになる。それどころか死病を抱えた自分は忌避され、居場所はどこにもない。
(近藤先生や…土方さんのそばには、いられない…)
それは総司にとってなににも変えがたい苦痛だ。
「どうした?」
「…えっ?」
いつの間にか原田が総司の顔を覗き込んでいた。彼の野生の勘が働いたのだろうか…総司は一瞬冷や汗を掻くが、
「怖い顔してるぜ、土方さんみたいだ」
と笑われてしまったので、
「なんでもないですよ」
と同じように笑って返した。
何気ないやりとりに、心から安堵しながら。


文学師範としての講義から別宅での『勉強会』に呼ばれるようになってしばらくが経った。
「斉藤さん」
連日の勉強会を終えたとき、藤堂に呼ばれた。
「なにか?」
「先日の件ですが、伊東先生がお喜びでした。有用な情報であったと」
「藤堂さん」
勉強会を終えたとはいえ、門下生をはじめとした隊士たちが部屋にはまだ数人残っている。場を弁えるように視線を送ったが、藤堂は「問題ありませんよ」と微笑した。
「ここにいるのは『本当の同志』だけです、口は固く他言はしません」
「…そうか」
藤堂の言い分に斉藤は納得するフリをした。
つい先日までの敵意丸出しの態度だったのにいまはすっかり消え失せている。その変わり身の速さは藤堂の素直な性格故なのだろうが、ほんの少し情報を提供しただけで、あっさり信用されてしまうのは居心地が悪い。
しかし、一方で彼はそれほど伊東に心酔しているのだろう。心の拠り所として役に立ちたいと願い、新しい仲間を求めている。彼は信じることに飢えている。
(…もしも山南総長が御存命ならば…など考えても仕方ないが…)
「おっと。…伊東先生がお呼びです。奥の部屋にどうぞ」
「…ああ」
藤堂に促され、斉藤は教鞭を取る広間から奥の客間へと移る。
そこへ招かれるのは入隊以前の同志など本当に伊東に近しい者だけだ。今日も腹心の部下である内海と篠原が控えていた。
「やあ、今日も居残りをさせてすまない」
伊東の歓迎を受け取り、腰を下ろす。斉藤はチラリと二人の男に目を向けた。
内海は藤堂のように簡単ではなく未だに厳しい視線を向けている。篠原は仲間意識が強く結束を大事にする人格でなかなか斉藤を受け入れようとはしない頑なさが滲み出ている。
そして目の前で微笑む伊東ーーその本意は未だ計りかねる。たかが一度情報提供したくらいで全面的に信頼できる味方などと思ったわけがあるまい。せいぜい幕府と会津側の間諜であることを認めたくらいだろう。
「先日は助かったよ。君の言う通りだった」
あれから斉藤の進言した通り、幕府より大沢源次郎という元見廻組の男を捕縛する命が下ったのだ。藤堂の言った通り伊藤は上機嫌だった。
「いえ…俺の立場をご理解頂ければ十分です」
「それは信じよう。次は心だ」
「…心…ですか」
「同志とは同じ志と書く。当然同じ思想と理念の元に行動をともにしなければならない」
「…おっしゃる通りです」
伊東に言われるまでもない、と斉藤は頷いた。彼はまだ自分を試したいのだろう。
すると優雅に微笑んでいた伊東は扇を広げその口元を隠した。その癖は不便なことに表情が読み取りにくくなる。
「…さて、斉藤くんはすでに承知のことと思うが、私は今の幕府には大変失望している。局長とともに長州へ向かった際、武士とは名ばかりの自堕落な兵士たちには閉口した…そしてものの見事に長州一藩に敗北を喫した幕府には未来がないと考えている」
「同感です」
「そしてその頭領に一橋が就くのなら、一層愛想が尽きる」
扇を介してもわかる、伊東の剥き出しの嫌悪感に
「…水戸のご出身の参謀なら、当然かと」
と同意した。
尊王攘夷を強く唱える水戸藩士と一橋公は衝突した過去がある。伊東の一橋嫌いは当然だ。
「そう、私は伊東甲子太郎として受け入れがたいのだが…佐幕派の新撰組参謀として意を唱えることはできない。幕府に心酔する局長を説得することは難しく、それに従う土方副長も局長の意に反して動くことはないだろう。しかし…」
「脱走は切腹です」
「その通り。山南総長すら許されなかったのだ、例外はないだろう。…この板挟みの状況に私は苦心している。そこで、君に良い考えはないだろうか」
「…」
問いかけながら、伊東がじっと斉藤を見ていた。ほんの少しの動揺も迷いも見透かすような鋭い針のような眼で。
彼は勉強会という名ばかりの集会を利用して自分に陶酔する隊士たちを見極め、焚きつけようとしている。幕府への失望を植え付け、朝廷の正統性を論じ、直接表現しないにせよ倒幕もやむなしと隊士たちを信じ込ませる。そしていつのまにか伊東のためならば玉砕もやむなしという覚悟を身につけ、『味方』を増やし続けている。
(いつしかその波が隊を覆うかもしれない)
川の水が堰を切って溢れ出るように、飲み込まれてしまう。
「少し…考えさせて頂けませんか」
「ほう?」
「伊東参謀すらお答えを導き出せないことを、俺のような凡人がそう簡単には応えられません」
「…良いだろう。答えがまとまったら聞かせてくれないか」
「かしこまりました」
斉藤は深々と頭を下げて「失礼します」と腰を上げた。すると
「待ってくれ」
と伊東が呼び止めた。
「なんでしょうか」
「一つ、否定しておくよ。君は決して凡人ではない…私はそう思っている」
彼の微笑みはまるでトゲのある花のようだ。誰にも触れられない高嶺の花であるからこそ、皆が見上げて憧れる。
「…ありがとうございます」
果たしてその花が本当に美しいのか…見定めるのは自分しかできないだろう。







590


最近、非番の日は外を出歩くことにしている。
「山野くん、なにか欲しいものはありますか?」
先日、河上との邂逅の折に居合せ怪我を負った山野は南部の指示のもと年明けまでの休養を命じられた。傷口自体は浅手で骨は折れていないが動くと痛むとのことで多少のヒビが入っているのではないかという診断だった。治りさえすれば元どおり剣を持てるとのことだったので安堵していたが、働き者の彼は手持ち無沙汰のようだったので、総司はなにか入り用かと顔を出したのだ。
「そうですね…なにか甘いものが食べたいです。飴のように時間が潰せるものが有難いですね」
「飴ですね、お安い御用です」
「それ以外は遠慮しますからね。先生はこのところ出歩いては大福や団子など甘いお菓子をたんと買い込まれて差し入れくださいますが、僕はこの通り床に伏せるばかりですから太って困ります」
「山野くんはもう少し肉がついても構わないと思いますけど」
「僕は俊敏に動くことが唯一の取り柄なのですから、復帰して身体が重たくては困ります」
「そうかなぁ」
総司はハハハと笑うが、山野は真剣に「お願いしますよ」と念を押したので「わかりました」と答えた。
「じゃぁ行ってきます。日が暮れるまでには戻りますから」
「お気をつけて」
山野が見送り、総司は背を向けた。
彼が普段と変わりない会話を交わしてくれることで、総司は安堵できた。時にめざとく、時に口うるさいほどに総司のことを気にかける彼が何の変化にも気づかないと言うのなら、すべてはただの杞憂なのだ。
総司は草履の紐をきつく結んだ。
雲の合間から差し込む穏やかな陽光は冷たい北風と相俟って冬の片鱗を醸し出す。肌を刺すような冷たさが覆う…その瞬間、くらりと視界が揺れた。
「…っと…」
時折起こる目眩だ。立ち止まり軽く目を閉じると収まる程度のものだが今までになかったことだ。
(疲れている…そうだ、きっとそうに違いない…)
ずっと狭間で揺れている。いつもと変わらない日常と時折感じるいつもと違う違和感のある一瞬。気のせいだと誤魔化して、どうにかやり過ごす。
すると突然
「沖田さん」
呼び止められドキリと心臓が跳ね上がった。
「…斉藤さん」
「何を立ち止まっている?」
「…考え事をしていただけですよ」
「そうか。…どこへ行く?」
「いつもの刀屋へ…あとは馴染みの飴屋ですが」
「俺も刀屋に研ぎに出したものを取りに行く」
「…じゃあご一緒しましょう」
総司は努めて笑みを作る。悪いことなどしていないのに表情に力が入った。
屯所を出て他愛のない雑談を交わす。
目眩の件は気がつかれていないようで安堵した。
「このところ熱心に勉学に励まれているそうですね」
「ああ。参謀の別宅にまで招かれて勉強会に参加させてもらっている。すっかり肩が凝った」
「剣術以外で肩が凝るなんて私には勘弁してほしいな。それほど伊東参謀の講義は面白いですか?」
「…そうだな、興味深い。尊王の色が強いが心からお国を思う参謀の論は確かに魅力的だ」
そう褒めながらも斎藤の表情に言葉通りの感情は表れない。
「…斉藤さんとは『剣術馬鹿』仲間だと思っていたのに。なんだか別人と話しているようです」
心酔しているというわけで間も無く、尊敬しているわけでもない…真意が読み取りづらいのはいつものことだが、いまは尚のこと遠い。
総司がまじまじと顔を見ていたせいか、斉藤が話を変えた。
「…そういえば、沖田さんが刀屋へいくのは珍しい」
「ああ、先日、刃こぼれをしたので…」
「刃こぼれ?」
総司は腰に帯びていた愛刀を半分だけ鞘から抜いて見せる。
「先日、河上と打ち合った時に…こんなにボロボロになっていると昨日巡察へ行って初めて気がつきました」
「凄まじいな。一度に十人くらい斬ったようだ」
加賀清光が無惨にも切先から鍔のあたりまで刃こぼれしている。並の使い手なら二、三人斬ったところで刃こぼれすることもあるが総司や斉藤なら何人斬ったところでここまで消耗することはない。
それほど河上は手練れであり、人間離れした相手だったという証明だ。
斉藤は半ば感心していた。
「まるで魑魅魍魎でも相手に斬ったかのようだ」
「ハハ、魑魅魍魎か…何度も対峙しておきながら結局、最後まで怪我一つ負わせることができず、情けないことです」
「沖田さんにしては弱気だな。いつかまた巡り会うかもしれないだろう」
「…そうですね…その時が来ると良いな」
彼が都を離れたことを斉藤は知っているだろう。悲観的にならなくとも剣を交える機会は来ると、彼なりの励ましなのだろうが総司はうまく飲み込むことができなかっま。
(たとえもう一度出会えたとしても…)
この刀のように刃こぼれするどころか、錆びて斬れない廃刀に成り下がっているかもしれない。
「どうした?」
「…何でもない、と言ったところで斉藤さんは信じてくれないでしょうから正直に言うと…」
「ああ」
「負けを認めたくないんです。負けず嫌いなんで」
総司が笑うと斉藤も口角を上げた。
(大丈夫だ…)
妙に意識する方が何かあったのかと悟られてしまうかもしれない。斉藤に気づかれることは土方に伝わる。それは総司が最も恐れることだ。
「…ところで、刀屋の前に飴屋に寄るのですがそっちもお付き合いいただけるのですか?」
「…仕方ないな」
彼は心底嫌そうにしながらも頷いた。


「次期将軍は一橋公で決したぞ」
会津本陣から戻った近藤は疲労感を滲ませながら土方に報告した。
「そうか」
「…薄い反応だな」
「結論ありきの会議だっただろう。血筋的にも立場的にも豚一侯しかその座に収まるしかないのは周知の事実だ。さっさと覚悟を決めれば良いものを…」
「お前のその物言いはどうかと思うが…暗澹たる思いなのは俺も同じだ。あれやこれやと逃げ腰で…弱体化した幕府の舵取りを本気で取られるご覚悟がおありになるのか…」
やれやれと肩をすくめながら近藤は羽織を脱ぎ衣紋掛けに掛けながら深く溜息をついた。
「二度目の長州の戦は停戦中だ、いつ再開してもおかしくはないが一橋公にそのおつもりがあるのだろうかな」
「無いだろう。小倉城まで落とされて負け戦続き…停戦と呼ぶには甚だおかしい、幕府は負けたと誰もが思っているさ」
「薩摩や土佐の動きも怪しい…一橋公の元で結束できるのか…」
近藤は二度目のため息をつきながら、続けた。
「…まあ、不在だった将軍の座に誰が就かれたとしても我々の手の届く話ではないが…目下の悩みは参謀だな。一橋公を毛嫌いしている参謀にどう伝えたら良いものか」
「遠慮することはない。事実をそのまま伝えれば良い」
「はぁ、お前は他人事だと思ってなぁ…」
近藤はブツブツと文句を口にしたが、土方は聴き流す。
(既に耳に入っているだろう…)
何かしらの情報網を得ているはずだ。近藤が伝えたところで、涼しい顔をして受け取るだろう。そしてその先の展望も彼のなかにはすでにあるはずだ。
(ここからが勝負だ)
同じ道を行くか、違う道を模索するか。
それとも刃を向け刃向かうのかーー。
(ようやく伊東甲子太郎という男の本性がわかるはずだ)
「…なにやら楽しそうだな」
「ああ、悪くないな」
「全く…ほどほどにな」
と近藤は釘を刺す。土方は再び聞き流したのだった。










解説
581 市橋鎌吉の死因は不明です。
589 余談ですが、大沢源次郎捕縛について渋沢栄一が書き残しています。幕臣であった渋沢に土方が同行し、捕縛したとされています。渋沢栄一からみた近藤、土方の様子が書き残されていますので興味のある方はお調べください。




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