わらべうた




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結局、隊士の市橋鎌吉の死因について詳しいことはわからなかった。
先日の制札事件の報復だとか、土佐藩の浪人の仕業ではないかとか様々噂されたが、一番名前が挙がったのは河上彦斎だった。これまでいくつかの場面で新撰組とかかわりを持ち、先日処断された浅野にも関わりがあった人物…土方は監察方に一層強く彼の所在を捜索させ、巡察する隊士たちにも警戒するように指示をした。
「今日は雨か…」
朝からの曇天はいつか雨を降らすだろうと思っていたが、昼過ぎからしとしとと降り始め次第に雨音に包まれた。非番の総司には特に外出の用事はなかったが、天気が悪いというだけで全てが億劫になってしまうのだから天気というのは質が悪い。
「先生、将棋でもしませんか?」
島田にそう誘われて相対した。
試衛館にいた頃、よく土方の相手をしていた。彼は囲碁よりも将棋が得意で幼少の頃からコテンパンに負かされていたので、島田の猪突猛進な一手一手には可愛げを感じた。
「ううーん」
長考の多い島田の間を埋めるためか、それまで勝負の成り行きを見守っていた山野が総司との雑談役を引き受ける。自然と河上の話になった。
「『蝮蛇の彦斎』と呼ばれているそうですよ」
「蝮蛇?」
「ええ。噂話ですけど、酒の場で仲間がある幕吏の横暴さを酒の肴にしていたそうです。酔いに任せて仰々しく語ったそうですが、それを黙って聞いていた河上が席を立った。しばらくするとその幕吏の血だらけの首を抱えて戻ってきてまるで何事もなかったかのように飲み直した…と。河上に睨まれたら殺される、だから『蝮蛇の彦斎』と仲間から恐れられているそうです。…僕は少々脚色が過ぎると思うのですが」
「…ふうん…」
山野のように河上と対峙したことがない者は、怪談やまことしやかな話だと苦笑するだろう。けれど何度も彼と向かい合って言葉を交わした総司には現実味のある出来事のように思えた。
そうしていると島田がようやく一つ駒を進める。『歩』の駒が一つ前進しただけだったが、彼は「ふう」とまるで大仕事を終えたような口ぶりでため息をついた。
「自分は何故河上が新撰組に関わろうとするのか、そこが気がかりです。先生とも何度も接触している。まるで面白がるようで」
「…面白がる、か。それが一番近いのかもしれませんねぇ」
「そんな悠長な」
本気で心配してくれる島田に「すみません」と総司は笑いながら『角行』を進めた。先ほど長考した『歩』が意図もあっさりと総司の手中に入り、島田は「あちゃあ」と頭を掻く。そして再び長考に入り、山野が口を開いた。
「先生はどうやって河上と?」
「さあ…どうだったかな。先日『脱走した』三浦君とのことで顔を合わせたのが最初ですが、それ以来幾度となく。縁があるのかもしれませんね」
「縁…ですか。でもそれは良くない縁です、お祓いでもしてもらった方が良いのではありませんか?」
「はは、山野君、面白いことを言いますね」
「本気で言っているんですが」
山野が少し口を尖らせて拗ねたので「ごめん」と総司は再び笑った。
しかし山野が言うような『悪縁』だとは思えなかった。河上の所業について何度も憤ったし、理解できない部分は多い。けれど彼が隠そうともしない『悪』が自分の中の何かと共鳴するようで、その正体を知りたいとも思う。総司に関わろうとする河上ももしかしたら同じことを考えているのかもしれない。
(だから市橋君の死は…呼ばれているような気がしてしまう)
俺はここにいる。だから見つけて会いに来い―――彼にそう呼ばれているような気がしてならない。
「あ、斉藤先生。お疲れ様です」
山野が顔を上げた先に斉藤の姿があった。巡察から戻ってきたところなのか肩口が濡れていた。
「斉藤さん、将棋はいかがですか」
「ああ、斉藤先生はお強そうですね!ぜひ!」
「…悪いが、今から参謀の講義だ。またの機会に」
総司と山野の誘いをあっさりと断り、斉藤は去って行ってしまう。山野は首を傾げていた。
「このところ、斉藤先生は伊東参謀の講義に頻繁に足を運んでいらっしゃいますねぇ」
「ふふ…このご時世、『剣ばかりでは能がない』そうですよ」
「はぁ、そういうものですかねぇ」
「よし!」
島田は妙案が思いついたように嬉々として『歩』を進めた。しかしそれもまたあっさりと総司の『飛車』にやられてしまい、再び手駒を失うことになってしまった。


一方。
「悪いな、出かける前に呼び出して」
土方がそう口にすると山崎は「いえいえ」と軽い調子で答えた。
監察方から離れ、副長助勤兼医学方として相変わらず忙しない山崎は今日も師である会津藩医の南部のところへ修行へ行くのだという。
「腕前は上がったか?」
「はあ、それなりやと思います。ただ縫合の腕は誉めてもらいましたので、いつ隊士が斬られても縫い付けることはできそうです。まあ縫い付けるだけで助けられるかはわかりまへんが」
山崎の軽口に土方は少しだけ笑った。『鬼の副長』とこうして気軽に会話が交わせるのは試衛館食客以外では山崎くらいのものだろう。池田屋以前からの古参隊士であり、監察方として裏方から新撰組を支えてきた山崎は、土方に高く評価され信頼されていた。
雑談もそこそこに山崎は居住まいをただした。
「…それで、浅野のことですか?」
「いや…死んだ隊士のことをいつまでも引き摺っても仕方あるまい」
「では市橋のことで?」
「…お前はもう監察ではないだろう」
「長年の性分か、気になりまして」
山崎は頭を掻いた。監察方として長く働いていたせいか隊士の一挙手一投足が気になり、ついつい細かく観察してしまうのだ。ツテを得て顔を広げた山崎は監察方として復帰することはないが、癖のようなものはなかなか抜けない。
土方は腕を組んで表情を硬くした。
「…監察としてお前は優秀だったが、後継が育っていないのが問題だ。浅野の件でもそうだが、何を考えているのかわからない大石が監察を率いるのは難しいし、公平を喫するために入れざるを得なかった伊東の配下もいる」
「それは自分の力不足やと思います」
「お前を責めるつもりはない…ただ、正直に言えば誰が信用出来て誰が信用できないのか…見極めが難しい」
「確かに…」
山崎は素直に頷いた。
古参隊士である山崎は新撰組が大きくなる前から辛苦を共にしてきた自負があり、近藤や土方たちの苦労を目の前にしてきたからこそ監察方という仕事にやりがいと誇りを感じていた。けれど今、大きくなり過ぎた新撰組はある意味で役割分担があり、その中での『監察方』という仕事もまた一つの役職になっている。監察方は肩書が副長助勤であるから平隊士からは出世への近道だという声もあるが、その仕事に誇りと責任感がなければ務まらない難しい任務でもある。
そして何よりも土方との信頼が大切だ。副長直属の組織は隊外だけでなく隊内の引き締めも担っているのだから。
「…やはり監察に戻った方が良いというお話でしょうか」
「いや…さすがにそれはできない。お前の顔は知られ過ぎた。…だが、助けてやってほしいと思っている」
「助ける?」
「ああ…今、俺の指示で『ある男』が伊東に近づいている。一人ではなかなか難しい場面もあるだろうから、必要であれば手を貸してやってほしい」
「…その『男』を信用しているのですね」
「ああ…『信頼』している」
信じて用いるのではない、信じて頼るのだ―――孤高の土方にそう言わしめる者がこの世に何人いるだろうか。きっと片手で数えるほどしかいないはずだ。
(あわよくば俺がその中に入っていると嬉しいんやけど)
山崎は心の中でそう苦笑しながら、「わかりました」と頷いた。
「誰とは聞きまへん。自分で何とかします」
「…お前は優秀だな」
「誉め言葉と受け取ります」
「ああ。…もう行っていいぞ」
「はい」
山崎は席を立ち、部屋の外に出た。
雨はまだ降り続けていた。







解説
なし



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