わらべうた




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藤堂、鈴木の突き刺さるような視線に見送られ向かった先で、伊東は穏やかな笑みを浮かべ「よく来てくれた」と言葉上は歓待した。しかしその傍でまるで用心棒のように控える内海は、藤堂の『敵意』と鈴木の『警戒心』を織り交ぜた複雑な表情で斉藤を見ていた。
伊東に促され、彼らの前に膝を折る。
「やあ、すっかり秋めいてきたようだ。屯所は味気ないが、わが別宅は庭の木々が色づき始めてそれは見事な光景だよ。今度一緒に酒でもどうかな」
「…考えておきます」
斉藤の淡々とした反応を見て、伊東は「前置きはいらないか」と苦笑した。そして懐から扇を取り出すと、パチンと掌に打ち当てて音を鳴らし、己の表情を切り替えた。
「先日の話の続きだ。…君は幕府の『間諜』として会津藩を通じて新撰組に入隊し、これまで様々な『裏の仕事』を請け負ってきた。それはひとえに先の将軍、徳川家茂公への忠心からであり、お亡くなりになった今、新撰組の三番隊組長として生きるべきか、己の身の振り方を案じている…そういうことで間違いないだろうか」
「おおむね間違いありません」
「…申し訳ないが、簡単に信用することはできない」
伊東はあっさりと口にして続けた。
「君がこの頃熱心に私の講義に足を運んでくれているのは光栄だが、君の事情は君の口から聞いたことだけ。目に見える真実は何もなく、ホラを吹いている可能性も捨てきれない。芝居が上手いか下手か…それを理解できるほど君と私の仲は深くはない」
「そうですね」
斉藤はまるで他人事のように頷いた。伊東はその真意を探ろうとするが、それ以上に斉藤の構える盾は厚い。
(間諜『らしい』と言えば『らしい』のだが…)
伊東は手にしていた扇を少しだけ開いた。
「…話は変わるが、我々が入隊する以前、君が局長を糾弾する建白書に名を連ねた、というのは本当かな?」
「本当です。池田屋の報奨金の分配を巡って色々ありました。中心となったのは永倉組長でしたが…原田組長、島田伍長、そして脱走の罪で処断された葛山とともに建白書を会津へ提出しました」
「君は会津とも通じているのだろう?」
「…」
斉藤は少し沈黙した。それは突然虚を衝かれたというよりも、思案しながら言葉を選んでいる様子で動揺はなかった。
「…確かに、あの頃は池田屋直後で政局が揺れ、新撰組も重要な時期でした。組長階級での隊内の揉め事が大きくなると面倒であったので、会津を巻き込んで治めたい…その目的で加わったという事情もあります。永倉組長もさすがに会津公の前では大人しくなるだろうという思惑もあった。…しかし俺個人も永倉組長の考えに賛同したいという私情も持ち合わせていました。俺は…報奨金の少ない別動隊でしたから」
「…金、ですか。君らしくない」
「そうでしょうか。新撰組は高い給金のために入隊した隊士ばかりです」
「…」
伊東は斉藤を注視する。ぴくりとも動かない眉、揺らがない瞳、媚びない唇…彼が口にしたことが嘘なのか誠なのか、彼の牙城を崩すのは難しい。
人は嘘をつく。けれどその嘘の中に本心が少しもないことはない。嘘をつくには理由があり、その中には感情もある…それを隠すことができるかどうかが、『間諜』としての格の差につながる。
(わからない…ということが何よりも証明している)
伊東でさえも惑わせる――彼の語る『間諜』という立場は本当なのだろう。
(だったら次の問題だ)
扇を閉じ、伊東は身を乗り出した。そして声を潜めた。
「君が本当に間諜であるならば…君が私の味方である、もしくは味方になりえるということを証明してほしい」
「…証明、ですか…」
「当たり前の話だが、誰の間諜なのかが一番重要です。幕府なのか、会津なのか、土方副長なのか…はたまた別の誰かなのか。子供にもわかる、簡単な話ですよ…君が、誰の味方なのか」
「…確かに簡単な話です」
斉藤の表情がほんの少し好戦的に緩んだ。そして続けた。
「証明する方法は…参謀のお役に立つことでしょうか」
「…何かあるのかな?」
「元見廻組で幕臣の大沢源次郎という男とは縁を切った方が良いでしょう」
「…」
突然挙がった名前に対して、伊東はほんの少しだけ眉を顰める反応を見せた。しかしそれ以上に表情を変えたのは黙って後ろに控えていた内海だった。渋面のままより一層強く斉藤を睨みつけていた。
斉藤は構わず続けた。
「尊攘派の十津川郷士、藤井という男から賄賂を受け取り私腹を肥やしているという話があります。それに薩摩藩士ともつながりがあるという噂も…近々、捕縛の命が下るでしょう。…参謀も気を付けられた方が宜しいかと」
「…私がその大沢という男とつながりがあると?」
「大沢の先にいる薩摩藩士には心当たりがあるのでは?」
「…」
質問に質問で返す真似をしても、伊東は肯定も否定もせず、扇を閉じるだけだった。今すぐに証明することにはならないが、これ以上何も言うことはあるまい、と斉藤は立ち上がる。
「待ってくれ、斉藤君」
「…何でしょうか」
「君は、有能な男だな」
いつもと変わりない伊東の賞賛は、けれども今ばかりは本音のように聞こえた。斉藤は「ありがとうございます」と受け取り、そのまま部屋を出た。



巡察を終えた総司がいつもの報告へ向かうと、土方はいつにもまして不機嫌そうに手紙に目を通していた。
「…いつかその眉間の皺、取れなくなりますよ」
「うるさい」
よほど不機嫌なのか総司の軽口にも乗らずに土方は手紙を仕舞う。ちらりと見えた手紙の筆跡は美しくひらがなが多かった。
(女…かな)
花街にも協力者はいる。そのうちの一人だろうか…と考えるが、尋ねたところで答えてはくれないだろう。
総司は普段通りの報告を口にした。
「特に問題はありません。この後は非番に入ります」
「そうか」
「あの…先日の永倉さんの組下の市橋君の件ですが…」
「誰にやられたのかはわからない」
土方が先回りして遮ったが、
「河上の仕業ですか?」
と総司はあえて尋ねた。彼がそれ以上、機嫌を損ねようとも総司には構わなかった。
「…そういう目撃証言があるってだけだ。細身のまるで女のような男が、あっという間に斬り伏せた。市橋も抜く暇がなかったようだ」
「河上に間違いないじゃないですか」
「…」
土方は深いため息をついた。
「…そういう可能性は高いが、お前と河上が関わると話が面倒になる。河上はお前に執着しているようだし、お前もお前で顔を突き合わせて対峙したいなんて思っているんだろう」
「そりゃ、数年前から決着がついてませんからね」
「そういう軽い話じゃねえんだよ」
「軽くなんてありませんよ。もう何人も彼に関わって死んでいるんですから」
「…」
「彼が何故私に拘るのかわかりませんが、真っ向から対峙できるのは私だけです。だったらこれ以上、誰も死ななくて済むように私自身が率先して動きべきだ…新撰組の副長ならそう判断すべきです」
田舎の剣術道場なら巷の殺人鬼など放っておけば良いと言うだろう。けれど都の治安を預かる新撰組として、仲間の犠牲が出ている以上、彼の悪行から目を逸らすべきではない。そんな当たり前のことは土方もわかっているはずだ。
総司から糾弾されるとは思っていなかったのか、土方は少し驚いた表情を見せた。
「全くどいつもこいつも……わかった、何かあればお前に伝える…ただ無茶はするなよ」
「わかってます」
総司は頷いたが、土方の「どいつもこいつも」の意味はよくわからなかった。








解説
なし



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