わらべうた




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北風が随分と涼しくなった。
盆地である都は夏になると鬱陶しいほどの熱気に包まれるが、季節が代わるとまるで別の場所のように気候が変わる。凍り付くような冬がすぐに他遣ってくるだろう。上京した当初はなかなか慣れなかったが、幾分か身体は馴染んだ。
「ケホ…」
総司は永倉とともに軽い咳をしながら方々へ散った隊士たちの帰りを待った。今日は二番隊とともに巡察だ。
「市橋の遺体は光縁寺に埋葬されることになった」
二番隊の市橋が惨殺されて数日が経つ。永倉は自分の組下が殺されたことに対して未だに憤りを隠せないようだ。
「そうですか…光縁寺に…」
「ああ。しかし…河上の仕業に違いないというのに、監察方ですら行方が掴めないそうでまるでその姿が見えない。奴は霧か幻のようだ」
「まあ…一見すると細身で女子のように見えますから、捕らえるのは難しいかもしれません」
河上はいつも前触れもなく総司の目の前に現れては、何も残さず去っていく。
その見た目とは裏腹に人間の性の奥の奥へと隠された『悪』を、隠しもせずむき出しのまま刃を振るう。刀を構えたその姿はきっと別人のように映るだろう。
(そういう部分は自分にもある…)
総司はそう思っているからこそ、彼に拘り続けているのかもしれない。そしてそれはお互いに同じなのだ。
…永倉の愚痴は続いた。
「この頃は幕府も慌ただしい。一橋公はいまだに将軍職には就かないと言い張っているようだが、京都町奉行や老中を罷免したり…戦に負けてただでさえ討幕派の奴らに舐められているっていうのに、不安定な政事ばかりだ」
「はぁ…」
「それなのに近藤局長は相変わらずの忠臣ぶりだ。毎夜毎夜会津や幕臣たちの会合に出かけて…諸藩や幕臣たちが己の身の振り方を考えているだろうに、屋台骨が壊れかかっている幕府にいつまでも縋るのはどうだろうか…いくら出自が天領の民だって一橋公の態度には普通疑問を持つだろう?たまには意見しても良いのではないか?」
「…まあ、近藤先生らしいと言えばらしいかもしれません」
誰が将軍になったとしても、近藤は憂う気持ちを隠してきっとその忠誠心を貫く…その礎が永倉の言ったように『天領の民』であることなのか、近藤自身の性格なのかはわからないが、真っすぐで己の気持ちを貫くのは相変わらずだ。
すると永倉は深く息を吐いて
「…悪い、苛々して言い過ぎたようだ」
と謝った。
「別に私に謝ることはありませんよ。それに近藤先生は建白書の件以来、永倉さんには遠慮なく悪いところを指摘してほしいとおっしゃっていたじゃないですか」
「それはそうなんだが、ただでさえ不安定なこの時期に隊の結束を乱すようなことをすべきではないだろう。平隊士たちも誰も口にはしないがこの先に不安を持っているし、伊東参謀やその同門たちも何か不穏な動きをしている…一つの亀裂がのちに大洪水を引き起こすかもしれない」
「…そういうものですかね」
総司の呑気な返答に永倉は「そういうものだ」と苦笑した。貫禄があるが年下の永倉は、いつも自分の考えをしっかり持っていて、日ごろから安穏としている自分と真反対だ。
永倉は腕を組み直し、続けた。
「それに平助のことも…すっかり参謀たちと行動を共にするようになってしまった。あいつは深く考え込む性格だから参謀の『論』に引きずられるのだろう…試衛館食客で在るよりも、伊東門下で在ることの方が居心地が良いのだろうなぁ…」
「…」
藤堂から避けられている総司だけではなく、仲の良かった永倉さえもそう寂しさを滲ませた――その時だった。
ピーッというけたたましい笛の音が聞こえた。各隊士が常備し非常時に鳴らされるもので、二人は反射的に身体が動いた。総司は永倉とともに音のする方向へと駆け出す。近くにいた隊士たちも加わり、バタバタと音のなる方へと近づいた。
「河上かもしれない、方々へ回れ!」
「ハッ!」
永倉が指示を出し、隊士たちが包囲網を張るべくあちこちの細道へと別れる。つい先日、仲間がやられたばかりだ、緊張感が違っていた。
右の角を曲がると、四人の隊士たちがいる。一番目立つのは一番隊伍長の島田であり、彼が笛を吹いていた。
「島田さん!」
「お、沖田先生…!」
「何があった!?」
「それが…」
狼狽える島田のほかに蹲る隊士がいた。二人の隊士に介抱されている山野だ。
「山野君…!怪我を?」
「申し訳ありません、僕が死番で…しくじりました」
総司が怪我の具合を見ると出血の割には浅手で、骨まで折れているわけではない。本人も意識がはっきりしており「大丈夫です」と繰り返していた。
永倉が必死の形相で尋ねる。
「誰にやられた?」
「わかりませんが…かなりの遣い手です。流派はわかりませんが、見たことのないほど低い位置からの逆袈裟斬りで…咄嗟に避けたのですが避けきれずに…」
「…河上の剣は自己流で、片手抜刀の逆袈裟斬りです」
総司は断言し、永倉は目の色を変えた。
一撃で仕留める暗殺者の剣――総司はそれを何度も目の当たりにしてきた。だからこそわかる。
(河上だ…)
永倉は動揺を隠せない島田の背を叩く。
「島田、後のことは頼む。…しっかりしろ」
「はっ…はい!」
「手の空いている隊士たちは続け!河上を捕縛する!」
「はっ!」
「おぉぉ!」
一番隊の精鋭と、二番隊の血気盛んな隊士たちが唸り声を上げながら駆け出した。そんななか、
―――呼ばれている。
総司はそう思った。


丁度同じ頃、土方は北野天満宮付近へとやってきた。この先にあるのが上七軒だ。
(気乗りがしない…)
上七軒とは因縁がある。君菊だけではなく明里もここの置屋にいた…それ故に、君菊が亡くなったあと近づくことすら避けてきたのだ。
けれど土方には確かめたいことがあった。
(君鶴…と言ったな)
土方が懇意にしている女がいる…そんな噂の出所がこの上七軒だったのだ。
監察方や協力者に調べさせたところ、懇意にしているだけではなく身請けの予定まであるなどと具体的な噂になっているらしい。当の君鶴という女も肯定も否定しないそうで、噂はどんどん広まって、近藤の耳にまで届いてしまった。
それなりに名を馳せている新撰組の『鬼副長』の女…一度ご尊顔を拝みたいなどと商売に使われているなら不愉快であるし、迷惑甚だしい。
(一言、釘を差せばよいだろう)
そう思い足を運んだのだが、当然気乗りしない。土方は上七軒に向かう前に気分を落ちつけようと北野天満宮の境内へと向かった。
初春には梅の花を咲かせ、秋には紅葉と目を楽しませる境内の木々だが、残念ながら冬が近づきそのほとんどが落ち葉となっていた。地面の枯葉を踏みしめながらゆっくりと歩く。見頃を越えた天満宮には人の姿はない。厳かな雰囲気を独り占めしているような気持ちは悪くない。
「…っと、」
そんな優雅な気持ちでいたところ、少し先の木に一人の女が佇んでいた。長い髪を耳元で結い寛いだ雰囲気で木を見上げている。
不思議なことに、この広い境内の中でその木だけが未だに鮮やかな紅葉に彩られていた。












解説
なし



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