わらべうた




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最近、非番の日は外を出歩くことにしている。
「山野くん、なにか欲しいものはありますか?」
先日、河上との邂逅の折に居合せ怪我を負った山野は南部の指示のもと年明けまでの休養を命じられた。傷口自体は浅手で骨は折れていないが動くと痛むとのことで多少のヒビが入っているのではないかという診断だった。治りさえすれば元どおり剣を持てるとのことだったので安堵していたが、働き者の彼は手持ち無沙汰のようだったので、総司はなにか入り用かと顔を出したのだ。
「そうですね…なにか甘いものが食べたいです。飴のように時間が潰せるものが有難いですね」
「飴ですね、お安い御用です」
「それ以外は遠慮しますからね。先生はこのところ出歩いては大福や団子など甘いお菓子をたんと買い込まれて差し入れくださいますが、僕はこの通り床に伏せるばかりですから太って困ります」
「山野くんはもう少し肉がついても構わないと思いますけど」
「僕は俊敏に動くことが唯一の取り柄なのですから、復帰して身体が重たくては困ります」
「そうかなぁ」
総司はハハハと笑うが、山野は真剣に「お願いしますよ」と念を押したので「わかりました」と答えた。
「じゃぁ行ってきます。日が暮れるまでには戻りますから」
「お気をつけて」
山野が見送り、総司は背を向けた。
彼が普段と変わりない会話を交わしてくれることで、総司は安堵できた。時にめざとく、時に口うるさいほどに総司のことを気にかける彼が何の変化にも気づかないと言うのなら、すべてはただの杞憂なのだ。
総司は草履の紐をきつく結んだ。
雲の合間から差し込む穏やかな陽光は冷たい北風と相俟って冬の片鱗を醸し出す。肌を刺すような冷たさが覆う…その瞬間、くらりと視界が揺れた。
「…っと…」
時折起こる目眩だ。立ち止まり軽く目を閉じると収まる程度のものだが今までになかったことだ。
(疲れている…そうだ、きっとそうに違いない…)
ずっと狭間で揺れている。いつもと変わらない日常と時折感じるいつもと違う違和感のある一瞬。気のせいだと誤魔化して、どうにかやり過ごす。
すると突然
「沖田さん」
呼び止められドキリと心臓が跳ね上がった。
「…斉藤さん」
「何を立ち止まっている?」
「…考え事をしていただけですよ」
「そうか。…どこへ行く?」
「いつもの刀屋へ…あとは馴染みの飴屋ですが」
「俺も刀屋に研ぎに出したものを取りに行く」
「…じゃあご一緒しましょう」
総司は努めて笑みを作る。悪いことなどしていないのに表情に力が入った。
屯所を出て他愛のない雑談を交わす。
目眩の件は気がつかれていないようで安堵した。
「このところ熱心に勉学に励まれているそうですね」
「ああ。参謀の別宅にまで招かれて勉強会に参加させてもらっている。すっかり肩が凝った」
「剣術以外で肩が凝るなんて私には勘弁してほしいな。それほど伊東参謀の講義は面白いですか?」
「…そうだな、興味深い。尊王の色が強いが心からお国を思う参謀の論は確かに魅力的だ」
そう褒めながらも斎藤の表情に言葉通りの感情は表れない。
「…斉藤さんとは『剣術馬鹿』仲間だと思っていたのに。なんだか別人と話しているようです」
心酔しているというわけで間も無く、尊敬しているわけでもない…真意が読み取りづらいのはいつものことだが、いまは尚のこと遠い。
総司がまじまじと顔を見ていたせいか、斉藤が話を変えた。
「…そういえば、沖田さんが刀屋へいくのは珍しい」
「ああ、先日、刃こぼれをしたので…」
「刃こぼれ?」
総司は腰に帯びていた愛刀を半分だけ鞘から抜いて見せる。
「先日、河上と打ち合った時に…こんなにボロボロになっていると昨日巡察へ行って初めて気がつきました」
「凄まじいな。一度に十人くらい斬ったようだ」
加賀清光が無惨にも切先から鍔のあたりまで刃こぼれしている。並の使い手なら二、三人斬ったところで刃こぼれすることもあるが総司や斉藤なら何人斬ったところでここまで消耗することはない。
それほど河上は手練れであり、人間離れした相手だったという証明だ。
斉藤は半ば感心していた。
「まるで魑魅魍魎でも相手に斬ったかのようだ」
「ハハ、魑魅魍魎か…何度も対峙しておきながら結局、最後まで怪我一つ負わせることができず、情けないことです」
「沖田さんにしては弱気だな。いつかまた巡り会うかもしれないだろう」
「…そうですね…その時が来ると良いな」
彼が都を離れたことを斉藤は知っているだろう。悲観的にならなくとも剣を交える機会は来ると、彼なりの励ましなのだろうが総司はうまく飲み込むことができなかっま。
(たとえもう一度出会えたとしても…)
この刀のように刃こぼれするどころか、錆びて斬れない廃刀に成り下がっているかもしれない。
「どうした?」
「…何でもない、と言ったところで斉藤さんは信じてくれないでしょうから正直に言うと…」
「ああ」
「負けを認めたくないんです。負けず嫌いなんで」
総司が笑うと斉藤も口角を上げた。
(大丈夫だ…)
妙に意識する方が何かあったのかと悟られてしまうかもしれない。斉藤に気づかれることは土方に伝わる。それは総司が最も恐れることだ。
「…ところで、刀屋の前に飴屋に寄るのですがそっちもお付き合いいただけるのですか?」
「…仕方ないな」
彼は心底嫌そうにしながらも頷いた。


「次期将軍は一橋公で決したぞ」
会津本陣から戻った近藤は疲労感を滲ませながら土方に報告した。
「そうか」
「…薄い反応だな」
「結論ありきの会議だっただろう。血筋的にも立場的にも豚一侯しかその座に収まるしかないのは周知の事実だ。さっさと覚悟を決めれば良いものを…」
「お前のその物言いはどうかと思うが…暗澹たる思いなのは俺も同じだ。あれやこれやと逃げ腰で…弱体化した幕府の舵取りを本気で取られるご覚悟がおありになるのか…」
やれやれと肩をすくめながら近藤は羽織を脱ぎ衣紋掛けに掛けながら深く溜息をついた。
「二度目の長州の戦は停戦中だ、いつ再開してもおかしくはないが一橋公にそのおつもりがあるのだろうかな」
「無いだろう。小倉城まで落とされて負け戦続き…停戦と呼ぶには甚だおかしい、幕府は負けたと誰もが思っているさ」
「薩摩や土佐の動きも怪しい…一橋公の元で結束できるのか…」
近藤は二度目のため息をつきながら、続けた。
「…まあ、不在だった将軍の座に誰が就かれたとしても我々の手の届く話ではないが…目下の悩みは参謀だな。一橋公を毛嫌いしている参謀にどう伝えたら良いものか」
「遠慮することはない。事実をそのまま伝えれば良い」
「はぁ、お前は他人事だと思ってなぁ…」
近藤はブツブツと文句を口にしたが、土方は聴き流す。
(既に耳に入っているだろう…)
何かしらの情報網を得ているはずだ。近藤が伝えたところで、涼しい顔をして受け取るだろう。そしてその先の展望も彼のなかにはすでにあるはずだ。
(ここからが勝負だ)
同じ道を行くか、違う道を模索するか。
それとも刃を向け刃向かうのかーー。
(ようやく伊東甲子太郎という男の本性がわかるはずだ)
「…なにやら楽しそうだな」
「ああ、悪くないな」
「全く…ほどほどにな」
と近藤は釘を刺す。土方は再び聞き流したのだった。





解説
なし


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