わらべうた




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「困ったなぁ」
山野への土産のために飴屋に寄り、その後斉藤とともに向かった刀屋の主人にボロボロになってしまった刀を見せると
「これはもう新しいのを拵えた方がよろしい」
と進言されてしまった。そしていくつかの業物を斉藤とともに拝見したがそのつもりがなかったせいかどれもしっくり来ず、「またの機会に」と店を後にした。
「これも良い機会だ、良い刀を買うか、会津の藩工に作らせたらどうだ」
斉藤はそう言うが、総司は気が進まない。藩主の一族や有力者が打たせる「藩工」や「注文打ち」などこだわりがない上に身の丈に合わない気がしたのだ。
「私は斬れ味が良いならどんなに有名な刀匠でも無名の刀工でも構わないんです。これも乞食清光ですからね。それに私なんて会津の方にお願いするほどの立場ではありませんよ」
「局長に頼めば問題ないだろう」
「それでも気が進みません。それに…ちょっと気になっている刀があるんです」
「ほう?」
凝りがない総司とは正反対に刀に拘りのある斉藤は興味深そうに腕を組む。
「安定…大和守安定です。伊庭君も遣っている反りが浅くて細身の刀身…優雅で良いなぁって思っていたんです」
「安定か…扱いづらいが、沖田さんらしいな」
刀に関して博識の斉藤は唸る。
『良業物』とされる『大和守安定』だが極めて細身の剣先は斬れ味が良いが折れやすく扱いは難しい。遣い手を選ぶ玄人向けの刀だ。
「…まあ、何事とも『縁』ですから。しばらくは隊の予備の刀を使って、気長に探しますよ」
のんびりと構える総司に斉藤は「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめた。新撰組一番隊組長が予備の刀で良いなどと腑抜けたことを言っていると呆れたのかもしれない。
そうは言っても上洛から数年苦楽をともにしてきた愛刀を「斬れないから」と簡単に手放すのは惜しい。
「お別れは寂しいですからね」
ぽんぽん、と腰に帯びた『清光』に愛着を込めて触れる。すると少し呆れていた斉藤の表情が変わった。
「寂しい…か」
「そりゃぁ…長くお世話になってますから。別れないで済むならこのまま使いたいですからね。でも斬れないなら仕方ありません」
「そうか…いや、そうだな…」
斉藤が口元に手を当てて何か思案するように考え込む。総司としては深い意味があるわけではないのだが、彼にとっては違ったのだろうか。
「用事を思いだした」
と唐突に口にして去っていってしまった。小さくなって、やがて角を曲がった背中を見送って総司は大きく深呼吸した。
「…良かった」
昔、幼い頃に浅瀬で溺れたことがある。すぐに姉に助け出されたので溺れたと言うほどのことではないのかもしれないが、自分の体がコントロールを失い息すら出来ずに沈んでいく…そんな身の竦む恐怖は覚えている。
今の自分はそれに似ている。
大人になって少しは自分の身体の使い方がわかる分、外からはわからないかもしれないが確実に息苦しくなっている。
大丈夫だとそう思えば思うほど自覚するのだ。
決してそうではないことを。
気のせいだと笑い飛ばすことは、もうできない。
総司は手のひらを左の胸に当てた。
(どうか…少しでも長く、このままで…)


斉藤が総司と別れ伊東の別宅へ向かうと、たまたま藤堂と鉢合わせた。
「伊東先生のお宅へ向かわれるのですか?ご一緒しましょう」
「…ああ」
人懐っこい笑みで誘われると斉藤は受け入れるしかない。
勘定方の河合が謹慎していた頃、彼の解放に尽力する藤堂に対して非協力的な斉藤の態度に彼は激しく憤っていたが、いまはそれがまるで嘘のように親しげで朗らかだ。彼が心酔する伊東が斉藤を目にかけていると言うだけでこれほどまでに心変わりするものだろうか…と怪訝に思うが、一方でそれが「魁先生」らしさだと言うことを知っていた。短い間とはいえ試衛館で過ごした斉藤には、彼の直向きなまでの実直さと子供のような素直さが天性のものだとわかる。
だからこそもどかしく思う。
(こちらの道は危うい道だ)
そう伝えたいのに、感情に従い盲目となった彼にはきっと伝わらないのだ。
「今日は勉強会の日ではありませんけど、なにかお話でも?」
「ああ…先生はご在宅だろうか?」
「おそらく。でも珍しくご機嫌は宜しくないと思いますよ」
「一橋公が将軍に就いたからか」
「さすがです」
藤堂は困惑しつつ微笑んだ。
一橋慶喜が将軍に就くことは以前からの既定路線であったが、水戸出身の伊東からすればそれでも受け入れ難いことだろう。
「伊東先生だけではなく、内海さんもいつも以上にピリピリしてます。俺にはよくわからないのですが…」
「水戸藩士と一橋公の因縁は深い。気軽に慰めを口にすべきではないだろう」
「俺もそう思います」
頷く藤堂はそのあとはすっかり話を変えて雑談を口にした。隊内の噂話や評判の魚の美味い店…どれもこれも屈託のないとりとめのない話。
(彼は理解しているのだろうか…)
一橋慶喜が将軍になった意味を。
敬愛する伊東にとってどんな心境の変化があるのか。
そして、新撰組はどうなってしまうのかーーーそんな不安はないのだろうか。
「着きましたね」
藤堂が伊東の別宅の門扉を開く。すると途端に怒鳴り声が聞こえてきた。
「一橋公の下に就くことは、死んだかつての同志を裏切ることになるのだ!」
「大蔵さん、お気持ちはわかりますが…」
「わかるものか!いや、死んだ小四郎らの気持ちなど誰もわからぬ。信じていた主君に裏切られ鰊倉などに監禁され、人としての扱いを受けずに死んだ…その無念を思うと、こうしてのうのうと新撰組に与していることすら、恥だ!」
「落ち着いてください!」
感情を露わにする伊東と必死に宥めようとする内海のやりとり。
初めて耳にした怒鳴り声に固まってしまった藤堂を置いて、斉藤は中へ入る。
そして土間で言い合う伊東と内海を見つけた。
「参謀、お声が外まで聞こえています」
「斉藤くん…」
ハッと我にかえった伊東は
「すまない…わかっていたこととはいえ、我慢ならなかったのだ」
と、視線を落とした。
額に汗を滲ませていた伊東は、内海から懐紙を受け取って拭き取る。内海は伊東が落ち着いたらことに安堵し、よく見ると部屋の隅の方で主人の血相を変えた様子に怯える花香の姿もあった。
斉藤は軽く頭を下げた。
「…お気持ち、お察しいたします。俺の想像以上に参謀のお立場では歯痒いお思いもあるでしょうが、極端なお考えを口にするべきではありません、どうか冷静に。誰が聞き耳を立てているかわかりませんので。ひとまず奥のお部屋へ…」
「…君が、そうなのかもしれないがね…」
牙の矛先を変えるかのように伊東が噛み付く。よほど腹に据えかねているのだろう。八つ当たりにも等しいが腹は立たなかった。伊東は同志や友人を主君であった一橋公の裏切りで殺されているのだ。
(この人にも人間らしい喜怒哀楽があるのだな)
「お慰みにもなりませんが…一つ、案があり参上いたしました」
「案?」
「先日の『良い考え』です」
投げかけられていた現状を打破する方法。
斉藤は
「お話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
と誘う。伊東はニヤリと口元を光らせて「聞かせてもらおう」と答えた。
今までで一番、彼が人間らしい感情を剥き出しにした。
癖のように口元を隠す扇の下で、彼はその牙を隠し続けてきたのだ。






解説
なし


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