わらべうた





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しばらくして落ち着いたあと、英に懇願した。
「南部先生にはお伝えしないでください。それから松本先生にも…すぐに近藤先生や土方さんに伝わってしまいます」
その頼みに、英はすこし大袈裟に呆れた顔をした。
「…あのさ、そんなことができるとでも?もし労咳だとすれば、重病だ。普通の人は日常生活を送ることすらままならない。いまは平気でもこれからどんどん身体が重くなって動かなくなっていくだろうし、今日みたいに人前で血を吐くこともあるだろう。いつまでも隠しきれるものじゃない」
「それでも時間が欲しいんです。いつか…知られてしまうとしても、ギリギリまで普通にしたいんです」
「その無茶が結果的に命を縮めても?」
「そうです」
迷いなく頷いた総司に、英はさらに嫌そうに顔を歪める。
「はぁ…武士はこれだから。医者の前でそんな馬鹿げたことをいう患者はいない」
「すみません」
「でも借りがあるから仕方ないな…松本のおっさんと南部先生には黙っておく…けど、一つだけ条件がある」
「何でしょうか」
何でも聞くつもりで居住まいを正したが、その条件は意外なものだった。
「さっきも言ったけど、俺は修行中の身で労咳に対して深い知識があるわけではないから診断には自信がない。だから…もう一人協力してもらう、長崎帰りの女医さんにさ」
「あ…」
加也が長崎から戻ってきていることは近藤から聞いていた。彼女は英の『先輩』 にあたるのだろう。
「あの人なら見立ては確かだろうし、最新の西洋医学も身につけているからいい手立てを知っているかもしれない。それに見合いをした間柄なら互いの事情も知っているだろう?気が楽になる」
「…そうですね、ありがとうございます」
英は口は悪いが端々に気遣いと希望を見出すように励ましてくれていた。自分はまだ『修行中の身』だと謙遜するが、いまの総司にとって頼りになる立派な医者だ。
ひとまず英が曰く「気休め程度」の薬を出して、近いうちに加也の診察を受けることを約束した。
「やれやれ…じゃあ戻るか」
英は暮れてきた窓の外を眺めながら、「お鶴さん」と君鶴を呼んだ。彼の明瞭な声が置屋に響くと、小さな足音が近づいてきた。
「もうよろしいの?」
襖の向こうからヒョイっと顔を出す君鶴は子供のように幼く明るい。その無垢な笑みを見た途端、総司もなんだか心が穏やかになった。
「はい。君鶴さんにはとてもお世話になりました」
「…あ、ほんまや、英せんせのお陰で顔色がようなってはる。さすがやなぁ、せんせの花の顔を拝見したらみぃんな良くなる。美しさは罪やなぁ」
「はいはい」
揶揄をかわしながら英は帰り支度を始める。君鶴は綺麗に折りたたんだ総司の衣服を渡してくれた。
「これ、汚れは落ちてると思うんやけど」
「ありがとう、恩に着ます」
「それからな、さっきのお話やけど…」
「話?」
今日はいろいろなことがありすぎてどれのことだか思いつかない。
君鶴は総司に耳打ちした。
「天神さんでお話ししたこと。お武家様、『願い事は叶わない』とか『資格がない』とか言わはったやろ?…どないな理由があるのか分からへんけど、せやったらうちがお武家様の代わりにお願いしときます。きっと天神様は信心深いうちの言うことは聞いてくださいますから、安心してな」
冗談なのか本気なのか、君鶴は微笑んでいた。
不思議な娘だ。
花街で働いているとは思えないほどの無垢な子供らしさをみせながらも、その芯には容易くは折れない強さを感じる。
(少し似ているな…)
かつて上七軒にいた君菊もどんな嵐の中にあっても、決して曲げぬ信念を持ち、凛とした花であり続けた。
「ありがとう…」
出会って半日で、何度礼を述べただろう。自分より余程大人びた君鶴は「いいえ」と満面の笑みを覗かせた。

英とともに置屋を出ると空一面が茜色に染まっていた。二人で上七軒を出るまで歩く。
「君鶴さんとは長い付き合いなのですか?」
「別に…多忙な南部先生の代わりに往診に来るようになってからのことだ。初めて会った時は禿だったがあの器量と頭の良さ…すぐに芸妓になる」
世界が違うとはいえ、かつて有名な陰間だった英がそういうのだから、君鶴は見込みがあるのだろう。
上七軒は狭い。
話し込むには短く、加也を伴って近日中の診察を約束し別れようとした時。
「ひとつ、聞きたいんだけど」
と英が引き止めた。
「なにか?」
「…あんたはまだ俺と仲良くしたいとか思っている?」
総司は何の話か、最初はピンとこなかったが、そのセリフには既視感があった。
「あぁ…」
あの河上と対峙した火事の一件の直前、土方を巡った会話のなか総司は『それでもあなたと仲良くしたい』と告げていたのだ。嫌われているとわかっていながら食い下がった。
「よく覚えていますね」
「あの時のことはよく覚えているんだ。自分の人生が変わった日だから」
「…私は今でもそう思ってます。いつかまた再会したいとずっと思っていたんです」
松本や南部のところへ弟子入りした山崎から話は聞いていたが、自分からは会いに行くわけにはいかず、もどかしく思っていた。
「…上手く言えないのですが、あなたには縁を感じます」
「縁か…」
英は「縁か」ともう一度繰り返した。初めて出会った時から偶然が重なっていた…彼は少し納得したように頷いたのだった。


総司が屯所に戻る頃には陽が落ちていた。
「あ、沖田先生。副長がお呼びです」
と、部屋に入るなり島田から伝言を聞きそのまま土方の部屋に向かった。
彼に会うのは幾分か緊張したが、英の診察を受けたことで少し気持ちは落ち着いていた。
「遅かったな」
「ええ…ちょっと、遠出をしていたんです。どうかしましたか?」
「先日の制札の件だ。幕府から恩賞金を賜ったが…配分について相談がある」
幕府から下された恩賞金について主に十番隊や監察に配分し、当日のみの応援だった一番隊には少しの手当て程度になるということだった。
「構いません。後援の任務でしたし、あの件は…隊士たちにとっても後味の悪い結末でしたから文句は上がらないと思います」
「そうだな」
結果として元一番隊隊士が処断されたのだ、同僚として恩賞金を積極的に受け取る気持ちにはなれないだろう。
総司のリアクションは予想済みだったのか土方は「決まりだ」と満足げに頷いたが、総司はいつも通りの彼の話の内容と態度に安堵していた。
(でもきっといつか気づく)
誰よりも賢く、勘が良い土方はいつか総司の不調に気がつくだろう。薬売りの経験からそれが労咳だと理解するのも早いはずだ。
(僕にはやらなくちゃいけないことがある)
彼に気づかれる前に。
「…香の匂いがする」
「え?」
土方が眉間に皺を寄せながら総司を見る。彼に言われた通り鼻をすんすんと鳴らして嗅ぐと、確かに袖口から良い香りがした。
(あの子が焚きしめてくれたのか…)
血の汚れを落とすついでに気遣ってくれたのだろう。
「まさか女か?」
目敏い土方が尋ねる。総司は「まさか」と苦笑した。
「壬生の子どもたちと、良い匂いがすると香を焚いて遊んでいたんです。それが移ったのかな」
「ふうん…マセた遊びだな」
土方は疑う様子なく、そのまま筆をとって書き物を始めた。
上手くごまかせたことに安堵すべきなのに、総司には罪悪感が募る。
(これから、もっと嘘をつくことになるだろう…)
グッと握りしめた両手に力が入った。




解説
なし


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