わらべうた





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ほろ酔いの近藤が別宅ではなく屯所へ帰還したのは深夜のことだった。
「てっきり別宅へ直行だと思っていた」
山のような仕事を抱える土方が出迎えると、
「酔って帰るとお孝に叱られるんだ。悪阻で疲れているところに酒の匂いなど持ち込むな、とな」
「すっかり尻に敷かれている」
「ああ。まぁ、悪くない。それに話し相手が欲しかったんだ」
近藤が満足げに笑い「付き合え」と酒を見せびらかす。土方は仕方なく頷いた。
それから土方の部屋で、火鉢を囲んで肴をあてに程よく飲んで気持ち良くなった近藤は、皆が寝静まった深夜にも関わらず土方を相手に持論を捲し立てる。それは試衛館にいた頃と変わらないが、話す内容は理想ばかり並べた若人のそれとは違う。新撰組の近藤勇はそれなりの立場になったのだ。
「一橋公が将軍に就かれたのはよかったが、しかし考えれば考えるほど二度目の長州征討は失敗だった」
酒を介して幕府を擁護する近藤が決して口にしない本音が出た。
「先の大樹公が崩御された故に停戦となったが、重要な拠点である小倉を奪われ、鉄砲では威力の差を見せつけられ…各地で負け、負け、負け!幕兵十五万がたった一国に敗れたなど、この三百年ありえぬことだったのだ!」
「そうだな」
「幕府側の薩摩などは高みの見物、挙句長州と手を組んだ。一橋公の元で団結できぬ幕府などもはや…いや、天領の民たる俺はこれ以上は口にせぬぞ!決してな!」
「ああ」
短い相打ちを繰り返す土方を熱を上げる近藤は恨めしそうにみる。しかし素面の土方からすれば近藤の本音など、家茂が崩御した時から感じていたことであり、今更ボヤいても遠い昔のことなのだ。
「まったく、幕府が倒れるかも知れぬという危機に瀕しておるというのに、お前は…」
近藤は手酌で猪口に並々と酒を注ぎ、煽る。そして続けた。
「最後の砦は帝だ。帝は昔から強硬な攘夷思想をお持ちで異国を嫌っている。それに、禁門の戦で砲筒を御所へ向けた長州のことを酷く毛嫌いしておられる」
「お気持ちが変わらなければ良いがな」
「それは心配ない。宮もそうおっしゃっていた」
今日のお忍びで酒を共にしたのは親王、中川宮だ。帝の側で国事御用掛を務めながら幕府と会津に近しい皇族として知られている。数年前の池田屋ではその標的にされ、それ以来新撰組のことも気に入っているようで、時折容保を通して近藤が呼び出されていた。
「宮様には良くしていただいている。お前にも一度会いたいとおっしゃっていたぞ。美男で評判の副長だと」
「勘弁してくれ。そういう場は苦手だ、鍍金が剥げる」
土方が拒むと近藤はその大きな口で笑った。新撰組局長として顔が広い近藤と違い、華々しい場は性に合わず、苦手だ。
「帝はとても一途な方だそうだ。民を大切に思うからこそ、開国を拒み、夷狄を嫌う。一貫してその想いに変わりはないそうだ。一橋公との相性はわからぬが、家茂公や容保様とは親しくされていた。心変わりなど簡単にはなさらぬだろうと、宮様はおっしゃっていた」
近藤は「そうだ」と思い出し、懐から懐紙に包まれたものを土方に差し出した。
「これは?」
「宮様からいただいた。銀二十枚だ、隊費に加えてくれ」
「…」
中川宮はおそらく近藤へ私的な意味でこれを渡したのだろうが、たとえ酒に酔っていなかったとしても近藤は実直にこの金を土方に差し出しただろう。政治的な駆け引きを厭う近藤らしい行動だ。
「…わかった」
「ふふ。宮様は俺なんかを自分の侍臣に迎えたいなどとお戯れをおっしゃる。俺は農民の出、身分はいまだに浪人だと言うのに…変わったお方だ」
近藤はふと手にしていた猪口を置き、障子を開けた。涼しいとは言えない夜風が部屋を一気に冷やす。
「寒いだろう」
「夜風が気持ち良い。それに今日は月がまん丸だ。月見だ、月見」
「秋の月見なんてとっくに終わっている。冷えるから閉めろよ」
「少しだけだ」
近藤は月を見上げながら猪口を手にした。
「宮様はお戯れをおっしゃるが、それを本気にしたい自分もいた。数年前まで江戸のゴロ付きにすぎなかった俺が、皇族の侍臣だぞ。…夢のまた夢と分かっていながらも、心の高鳴りは否定できない。だからせめてお前と共有したかったのさ」
「…」
自分一人の記憶ではない。たとえ冗談だとしても、夢だとしても、嘘ではない。
月を見上げながら嬉しそうに微笑む幼馴染が誇らしくて仕方ない。
土方は近藤に手を差し出した。
「ん?」
「酒、飲ませろ」
「おう」
飲みかけの猪口の酒を一気に飲み干した。もともと得意ではないが、今夜の酒は美味い。
「…まずは、武士にならなきゃ話にならねぇな。会津お抱えの兵士も悪くねえが、やっぱり幕臣に取り立てられねぇと。いつまでも伊庭の野郎に大きな顔させねぇためにもな」
「幕臣か。昔は夢のまた夢だと思っていたが、あながち遠くない気もするぞ」
「ああ」
満月がこちらをみている。何故か江戸にいた時よりも近くに感じた。


師走の年の暮れに迫り、屯所では正月に向けた掃除や準備で忙しなくなってきた。
そんななか鈴木は疎外感を覚えていた。兄である伊東が何かと自分を遠ざけていたのだ。
(何か気に障る事をしたのだろうか)
と、最初は自分を顧みていたものの次第にそうではないと感じた。
(兄上の周りがやたらと騒がしくなった)
まず試衛館食客であり、伊東一門を新撰組に引き入れた藤堂。もともと親交のあった彼は山南の死からいっそう距離を縮めた。最初は懐疑的だった内海などもいまや仲間の一人として扱っているようだ。実弟である鈴木から見ても、兄を心酔する藤堂の姿には嘘が無い。同志と言って良いだろう。
もう一人は斉藤だ。詳細は知らないが急に勉強会に参加し始め、兄に招かれて話し込むことも増えた。有用な情報をもたらすこともあるそうだが、土方の腹心であるという印象が強すぎて、当然のことながら鈴木だけでなく伊東の周りの誰もが受け入れることはできない。
(何かを企んでいるに違いないのに…)
誰が見ても異質な存在であるのに、伊東は親しい客人のように丁重に扱っている。
(兄には何か考えがあるのだろう…が…)
それを問うことができないほど、兄と言葉を交わしていない。もしかしたら兄は自分など忘れてしまったのかと思うほど、遠いのだ。
「鈴木君、稽古はどうだ?」
声をかけてきたのは篠原泰之進。稽古といっても彼が口にするのは剣術ではなく得意の柔術だ。ガタイが良く威圧感のある篠原の誘いを断るのはかえって面倒だ、言われるがままに道場へ向かった。
篠原はもともとは豪農の出だが、藩士に仕える中間となった。桜田門外の変の影響を受け、尊王攘夷の志を抱いて江戸や水戸、大坂など各地を転々としながら尊攘志士と交わり、一時は横浜の外国人居留地警備に当たったそうだ。その時、イギリス人が税関に乱入したため、縛り上げて海岸に放置したなど数々の武勇伝を語っている。伊東一派のなかでは一番怒らせてはいけない人物だと影で噂されるほどだ。
そんな篠原に鈴木は易々と投げられる。
「だめだだめだ!もっと体の軸を使え!」
「はぁ」
「もう一回!」
道場の端から端まで投げられて、息も絶え絶えだが篠原は指導の手を止めない。彼の荒稽古は隊では有名で『道場で目が合えば投げられる』と噂されるので誰も近づこうとはしない。
それが返って好都合だった。
「伊東先生からなにか話はあったか?」
篠原は声のトーンを変えて尋ねてきた。誰も近づかない道場は密談には適した環境だ。
「…ありません」
「最近は斉藤組長と何やら内密の話をしているようだが…あの男は危険だ」
「何かあったのですか?」
「いや、勘だ。しかしわかるだろう?あの得体の知れない雰囲気が。藤堂組長とは明らかに違う」
「…」
篠原の言いたいことはわかる。先ほどまで鈴木が考え込んでいたことと一致しているのだ。
「弟として先生の真意を確かめてくれ」
「…兄上は根拠のない進言を嫌います」
「根拠が乏しいからお前に頼んでいる。血を分けた兄弟なら通ずるものがあるだろう?」
「…」
皆は伊東と自分が兄弟だと信じて疑わないが、実は母親が違う。それ故に成長してきた環境も扱いも違う…兄からすれば自分は他人に等しい。
「とにかく頼んだからな」
「…」
篠原は自分勝手に稽古と話を切り上げて道場を去っていく。
「はぁ」
鈴木は体を大の字に投げ出して道場に寝転んだ。ひんやりと冷たい床が稽古で火照った身体に心地よかった。



解説
なし


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