わらべうた




722


土方な頭を抱えていた。
(よりによって念者だと…?)
真面目で素直な村山は現状について包み隠さず報告してきた。距離を置くべきだと忠告したにも関わらず、仮とはいえ念者の関係になってしまうなんて。
(人選を間違えたか…?)
村山は新撰組在籍時から長州出身であるために周囲から浮いていたが、任務には熱心で真面目だった。その熱心さが仇になってしまったような結果は、土方にも予想がつかなかった。
「もう今更だな…」
幸いにも村山は期待通りに仕事をきっちりとこなし、陸援隊が取り入れている洋式の訓練の報告は土方にも興味深い内容だった。このまま水野が村山を間者だと気づかないことを祈るばかりだ。


村山にも予想外の出来事だった。
長州出身であるが故に、田川以外にも事あるごとに揶揄われてきたのだが、いまではそのたびに水野が「俺の念者だから虐めないでやって」と間に入って口添えするようになり、すっかりその扱いとなってしまった。田川には恨みがましく睨まれ、他の者からは色眼鏡で見られ…『長州者』と指をさされていた時よりもすっかり目立つようになってしまった。
(これは悪手だったような気がする…)
と気がついた時には囲碁と同じですでに時遅し、一度は水野のおかげで溶け込んだものの、また彼のおかげで村山は孤立してしまった。
挙句。
「…またか…」
念者だと広まってから露骨な嫌がらせを受けるようになった。行李のなかを荒らされるのは日常茶飯事、羽織は泥だらけで投げられ、書物は落書きをされたたうえにビリビリに破られる。村山はそれを誰がやったのかということは気にしなかった。この狭い陸援隊の中で衆道関係を持つことを厭う者も少なからずいるだろうし、これが村山に目をつけていた田川のような土佐者の仕業だとしたら探すのも億劫だ。
こんな仕打ちを毎日繰り返されては、常人なら心が折れて脱隊を願い出るところだろうが、村山にはその考えすらなかった。新撰組の間者としての使命を全うする責務を感じていたし、こんな風に虐げられることには慣れていた。
(故郷では村八分は当たり前じゃったし…)
村山の父もまた幕府に恭順すべしと口にした。たった一藩で異国に対峙するよりも幕府や他藩と手を取り国を守るべきだと主張し、疎まれたのだ。父のそれは前線に立つ兵の命を慮っての発言だったが、結局は『異端者』の扱いを受け家族は日々嫌がらせされることになってしまった。しかし父の気風が受け継がれたのか村山自身も父の考えに同意したので父を恨むことはなかった。
そんな風に生きてきたのでこれくらいの嫌がらせなど可愛いものだ。
村山は行李を片付けて、泥まみれになった羽織を洗う。ご丁寧にも隅々まで汚れ、ほつれている部分もあった。
「これは酷いなぁ」
洗濯板で洗っていると、元凶である水野がやってきた。
「派手にすっ転んだか?」
「…そうじゃ、ものの見事にな」
村山は自分の受けている嫌がらせについて水野には話すつもりはなかった。彼は好意で念者ということにしてくれているのだし、実際あれから田川や他の者から接触されることも、身の危険を感じることもない。
水野は「どれ?」と村山の後ろにまわり覗き込むようにした。けれどそうした途端、村山の身体がぞくっと震えた。…先日の出来事を身体は覚えていたのだ。
目敏い水野はすぐに気がついて、後ろではなく隣に腰を下ろした。
「悪い」
「いや…平気じゃ」
水野は村山の返答を聞くと、洗濯板に手を伸ばし手伝いをはじめた。
彼はあれからいっそう優しく接するようになった。二人でいる時は碁盤を囲み、食事を共にし、銭湯も厠もついてくる。流石に厠はやめてくれと拒んだが念者というよりも、まるで幼子を見守る母のようだ。
「ここ、破けてるなぁ」
「そんなん繕えばええ」
「新しいのを買うたらどうや?近くの質屋にええのが流れたで」
「じゃけど買うたところで…」
どうせまた汚され、破られる。そう言いかけたが口をつぐんだ。
嫌がらせを受けていることに水野が気がついているかどうかはわからないが、知ったら彼が気にするだろう。
(また自分のせいじゃって言われるのは…なんとなく、見とうない)
水野は銭湯で目覚めた村山を抱きしめて謝った。他人のことなのに自分を責めて親身になってくれたからこそ、またあんな風に謝られるのは嫌だったのだ。
「なんや?買えへんのか?金貸したろうか?」
「…繕えばまだ着れるし」
「そうかぁ?まあ、村山君は繕い物が得意やもんな」
「俺は物を大切にするんじゃ」
ハハハ、と笑った水野に、水戸の隊士がやってきた。
「おい水野、今日は掃除当番だぞ」
「ああ、そうやった。じゃあ村山君、あとでな」
「はいはい」
呼びにきた水戸の隊士はチラリと村山を意味深に見た後に水野と共に去っていった。その視線の意味は明らかで、村山は深くため息をつく。
(水野は気にならんのじゃろうか…)
念者だと言いふらして、これまで以上に土佐に敵を作ったが彼は相変わらず飄々としている。
(変なやつじゃなぁ…)


そうしていると夕方、突然雨が降った。まさに夕立と言える強い雨で、村山は慌てて昼間懸命に洗った羽織を取り込みに走る。
しかし先客がいた。その男は村山の羽織を物干し竿から引き抜くと、そのまま早々にできた水溜りに叩きつけたのだ。綺麗に汚れが落ちたのに、当然雨に濡れて泥まみれになってしまう。
流石に目の前で嫌がらせを目撃し、村山は黙ってはいられない。
「なにしよる!!」
「!」
怒鳴り、その男の後ろ姿から肩を掴んで詰め寄った。しかし相手は土佐ではなく話したこともない水戸の若い隊士だったのだ。童顔で細身で気弱そうな…てっきり田川に便乗する者の仕業だと思っていたので拍子抜けしたのだが、彼は村山を見た途端カッと目を見開いて負けじと威嚇した。
「お前は…」
「おめが水野さんの念者だなんて僕は認めない!」
「は、はぁ?」
一体どんな罵倒を浴びるのかと思いきや、彼は涙目になって頰を紅潮させてまだ続けた。
「自分だけが特別だど思ってるなら大間違いだ!僕以外にも自分が水野さんの念者だと思ってるものはたくさんいるし、おめだってその一人にすぎないんだ!」
「…えっと…」
「とにかく!長州者が調子に乗るな!」
彼は最後に吐き捨てて村山を押して逃げるように走っていった。聞き慣れた捨て台詞は耳に入らず村山は呆然と立ち尽くす。
(田川たちの嫌がらせじゃないのか…)
てっきり田川の逆恨みだと思っていたが、そうではなく彼の嫉妬だった。そう考えるとそれまで無害だった隊士たちから、どこか憎々しいような憤りを込めた視線を向けられていて、村山はそれを『男色嫌い』から来るものだと勝手に思っていたがその逆の『嫉妬心』だったのだ。
村山は身体の力が抜けてフラフラと雨の降る庭に降りて、グジャグジャに汚れた羽織を拾った。せっかく綺麗にしたのが一瞬で台無しだ。
「…また、洗わなきゃ…」
平気だと思っていたいのに、なぜか心が挫けていた。
(水野は親切心でああゆうてくれただけ…)
男に襲われた自分に同情して、罪悪感があって、ふりをしているだけだ。
「村山君」
「!」
「また派手に汚れてしもうたなぁ」
彼はいつからそこにいたのだろう。でもその悠然とした佇まいを見ると、やりとりを聞いていたのだろう。
村山は庭から縁側に上がり、雨を払った。
「水野君は…他に好きな男がおるんじゃないのか?もしくはさっきみたいに君を好きな男も…」
「…」
「じゃったら悪いけぇ、もう念者のふりなんてせんでええよ」
心の動揺とは裏腹に、言葉は淡々と響いた。他のどんな感情よりも水野に心を見透かされるのは絶対に嫌だと思っていたのだ。
すると水野はしばらく黙った後に
「まったく、お喋りやなぁ…」
と雨でうねる髪を払いつつ、続けた。
「村山君、俺かてここじゃ除け者や。最初は居心地が悪いことこの上なかった…それ故に、色んな手を尽くしたが…結局は、抱いたら良かったんや」
「だ…」
「君にはできへんやろうけどな、俺にはできる。あれ以外にも何人か抱いてやったら、少し便利になったんや」
「…」
村山は言葉を失った。けれど雨の湿気がまとい気怠げで少し面倒そうにしている姿が、どんなふうに抱くのか…そんなことを想像してしまった。そのせいで顔が真っ赤になってしまった。
「…村山君?」
「な、なんでもない!」
村山は汚れた羽織を水野に押し付けて駆け出した。彼の前で何を言ったら良いのかわからなかったが、一つだけ確かなことがあった。
(俺はあいつらとは違う…!違うはずじゃ!)
水野どころではない、自分すら一体何を考えているのか…村山にはわからなかった。






解説
なし


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