わらべうた




726


土方が江戸へ出立して数日後、山南の月命日を迎えた。毎月、総司は土方と共に光縁寺へ向かうのだが来られない分多めに花を買い求め、一人で向かった。
壬生に屯所があった頃よりも静かになった。それは新撰組が離れたせいかもしれないし元々は静かな場所だったのかもしれない。
壬生寺を通り過ぎ東へと曲がり、しばらく歩くと光縁寺が見えてきた。住職に挨拶して奥の墓地へと向かう…今日は何人かの隊士が顔を出すだろうとは思っていたのだが、そこに意外な人がいた。
「あ…」
少し気まずそうにしながらも「どうも」と軽く会釈したのは藤堂だった。彼は山南の墓石の周りの草抜きをしていたようだが、パンパンと手をはたいて誤魔化した。
「来ていたんですね」
総司が近づくと藤堂は頷いた。
「御陵衛士になっても山南さんが師であることに変わりはありません。…まあ、他の衛士たちの手前、隠れてこっそりですけどね」
「きっと山南さんも喜んでますよ」
「…そうだと良いんですけど」
総司は持ってきた菊を花立てに差し、線香を立てて手を合わせた。清められたように美しいと墓石は総司が手入れをする必要もないのだが、いつも手拭いで一周埃を払うのが習慣だ。その間藤堂は何も話さずにその様子を眺めていていて、立ち去ってもよかったのに総司を待っているようだった。そしてひと段落した頃にようやく言いづらそうに切り出した。
「…あの、近藤先生から聞きました。病のこと…」
「ああ…」
藤堂は言葉に迷って慎重になっているようだった。魁先生も流石にどう言葉をかけて良いかわからなかったのだろう。総司は笑った。
「安心してください、この通り元気ですし隊務も続けてますから」
「そ、そうですか。それなら良いんですけど…」
「藤堂君は少しふっくらしましたね」
藤堂は「そうなんです」と恥ずかしそうに頭をかいた。
「新撰組にいた頃みたいに巡察もないし、稽古も時折したい人が集まるだけで…。あ、でも今度伊東先生の代わりに美濃に行くことになっているんです」
「へえ、美濃に」
「美濃には行ったことがないので楽しみなんです。力になってくれそうな有力な人物がいるとかで…でも俺なんかが伊東先生の代わりになるかどうか…」
藤堂はいきいきと目を輝かせて語る。御陵衛士として脱退する時の憂いや土方へ憤り反論していた時の苛立ちなどそこにはなく、彼自身の素の姿だ。
言葉の途中で「あ」と藤堂は苦笑した。
「俺ばっかりすみません。つい山南さんの墓や沖田さんを前にすると懐かしい気持ちになっちゃって気が緩みます」
「懐かしい?」
「はい。…この頃、気持ちに余裕ができたせいか、時間を持て余しているせいか、昔のことを思い出すんです。今に不満があるわけじゃなくて、本当に深い意味はないんですけど…」
藤堂はちらりと総司の背後にある山南の墓石へと目を向けて、目を細めた。
「新撰組にいた時も、御陵衛士にいる今も、何かずっと難しいことを考えているような気がするんです。考え事をするのは得意じゃないのに…だから昔のことを考えてしまうのかも。試衛館にいた頃は何も考えていなかったし、毎日気の向くままでした」
「…」
「ここに来ると試衛館にいた時のような心地良い気持ちになります。もう山南さんはいないのに、ここで会えるような」
藤堂は本当に穏やかな顔をしていた。彼は試衛館の頃を懐かしむことで自分がその頃に戻ったような感覚になっているのだろうが、総司からすれば少し違った。
「…それは藤堂君が大人になったからじゃないですか?」
「え?」
「懐かしい、って思えるのは時間が経って、距離を置いて冷静に回想できるからです。故人を思い出して楽しかったと思えるのは良いことだと思いますよ」
「沖田さんは違うんですか?」
藤堂のなんの気ない質問に、総司は少し言葉に詰まった。
「私は…まだ懐かしいと思えない。ここに来て、いつも…藤堂君と同じように『会えた』とも思えるけれど、『もういない』とも感じる。…上手く言えないですけど、ここに『許してほしい』という気持ちで足を運んでいるような気がします」
「許して欲しい…」
二人が決定的に違うのは、山南の死の現場に立ち会ったかどうか。
藤堂は隊士募集のため不在であり、総司は自ら手を下した。山南の切腹は見事であったが介錯した総司はあの時の感触をいまだに忘れられないのだ。あの時は土方に散々心配されたのでもう口にはしないが、山南を救えなかった罪悪感を少しでも晴らすために自分本位な考えでここに通っているのだ。
藤堂は総司の言葉に少し表情を曇らせた。
「…それは、俺が責めたからですよね?」
山南の死を知った藤堂は土方を責め、総司が『自分が殺したのだ』と庇ったことがあった。けれど総司は首を横に振った。
「いえ、藤堂君に責められたからじゃありません。藤堂君が言った言葉は当時皆が思っていたことでしたから…謂れのない誹りだなんて全く思わなかったし、自分のなすべきことを為せなかったという思いは今でもあります。だから毎月私はここに来て、自省するんです」
あの時のことに想いを馳せて、少しだけ傷ついて、やりきれない気持ちになって、でもやっぱりこの道しかなかったのだと思い直し、また現実に戻っていく。
総司はそれを悪い習慣だとは思わなかったが、理解されることでもないと思っていた。案の定、藤堂は難しい顔をして腕を組んで「俺にはよくわからないけど」と前置きして続けた。
「俺に知っている山南さんなら、『そんなこと思わなくて良い』と言っていると思いますけど。俺は山南さんが何を思って切腹する道を選んだのか、今でもわからないし納得できないけれど…介錯した人を恨むはずはないし、信頼しているから最期を頼んだはずだと思いますし…だからその」
突然藤堂は総司へ向き直り、深々と頭を下げた。
「あの時はすみませんでした。沖田さんを責めるのは間違いだと、今ならわかります。だから、ずっと…謝りたかったんです」
「え…」
総司は突然のことに驚いて呆然としてしまう。
「藤堂君…」
「謝って済むことじゃないのはわかってますけど」
「いえ、そうじゃなくて。…藤堂君はこういう人だった、と思い出して…」
「…ハハ、どういう意味ですか?」
魁先生と呼ばれるほど感情に素直で、勇気があって、朗らかで…彼は常に人の輪の中にいた。誰かを憎んだり蔑むのは魁先生らしくないのだ。
「沖田先生ー!」
遠くからこちらを呼ぶ声が聞こえて、藤堂はハッと顔を隠した。今日は山南の月命日なので隊士たちもやってくるのだ。
「じゃあ俺、墓地の裏手から出ますから。お大事にしてください」
いそいそと去る藤堂に総司は自然に「また」と言った。すると彼も満面の笑みで「また!」と手を振って去って行く。その後ろ姿を見送りながら
(藤堂君にとって御陵衛士として離れたことは良いことだったのかもしれない…)
と思ったのだった。


土方は馬と駕籠を乗り継いで江戸に着き、まずは試衛館に顔を出した。
相変わらずあちこちに修繕が必要そうな道場は、道場主も門弟も姿がないせいかひっそりとしてより一層古くなったように見えた。しかし清潔さは行き届いていてそれはきっとつねのおかげだろう。
「お帰りなさいませ」
近藤の妻であるつねは深々と頭を下げて出迎えた。その傍には大きくなった娘のたまの姿もあって辿々しくもつねと同じように愛らしく頭を下げていた。
「ご無沙汰をしてます」
互いに挨拶を済ませ、近藤からの文や手土産を渡す。道場主であり夫である近藤が不在でも留守を守るつねは凛としていて、気丈だ。しかし
「大先生の具合はどうですか?」
と土方が尋ねると、表情を落とした。
「いまは義母上が付きっきりで看病しております。先日井上様がお見舞いに来られた時も朦朧として…ただ、旦那様の帰りを待ち侘びているようです」
「…申し訳ない。近藤はいま都を離れるわけにはいかないのです」
「勿論です。義父上も分かってくれているとは思います」
そうは言いつつもつねは落胆しているようだった。早速土方は「大先生に会わせて欲しい」とつねに案内を頼んだ。
試衛館でもっとも日当たりも風通しも良い静かな部屋に、周斎は横になっていた。すっかり痩せて昔稽古をつけていた頃の面影はなく老いてしまって土方は寂しさを感じる。傍にはつねの言う通り妻のふでがいた。威勢の良かったふでも少し窶れていて土方は改めて時間の流れを思い知った。
ふでは土方の顔を見るや喜んで、眠る周斎の耳元へ
「旦那様、歳さんが来ましたよ」
と耳打ちする。すると何重にも皺が寄った周斎の目がゆっくりと細く開き、しばらく土方の姿を探して彷徨った。土方は側に膝を折り「大先生」と呼ぶとようやく視線が土方へと向いた。
「…歳三か…」
「はい。都から帰ってきました」
「ご苦労…バラガキが、偉くなったんだな」
「…勝太のおかげです」
敢えて昔の名前で呼ぶと、周斎の目が輝いたように見えた。
「そう…勝太、勝太だ。全部、勝太のおかげだなぁ。試衛館は、天然理心流は…勝太のおかげで、立派になった…」
「お前様、息子は立派な幕臣ですよ」
ふでがそう励ますと、周斎はにっこりと微笑んだ。より一層皺が増える。
「…大層な、息子をもらった。出来過ぎだ、なぁ…おふで」
「はい」
ふでは深く頷いた。養子として近藤を迎えた時は冷たく厳しく接したこともあったが、今は自分の息子として深い感謝の情があるのだろう。近藤がここにいたら号泣して喜んだに違いない。
「なぁ…歳三、頼みがあるんだ」
「何でしょう」
周斎は骨のように細い手を宙に伸ばしたので、土方はそれを両手で掴んだ。その指先に力が籠る。
「勝太を頼むぞ…あれは、正直者すぎる…故に、損をする。それだけが心配だ…」
「…任せてください。俺は損得勘定は得意です」
「そうだ…お前は、腕の良い薬屋だもんな…」
フフ、と笑った周斎は安堵したように再び目を閉じて浅い眠りについた。土方は手を戻し、ふでに任せてつねとともに客間に戻った。つねは「ふふ」と口元を押さえつつ笑っていた。
「…大旦那様、今日は意識がはっきりしておられました。とても嬉しかったのでしょう」
そうしているとちょうど、「ごめんください」と玄関から声が聞こえた。







解説
なし


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