わらべうた




729


土方は日野の佐藤家に足を運んだ。
出ていって久しい実家は敷居が高く感じるため、姉の嫁ぎ先である佐藤家の方が居心地が良い。
「おう、ようやく来たな」
姉の夫である佐藤彦五郎はこの辺りを取り仕切り、自衛の為に天然理心流の道場を開いている。面倒見の良い佐藤は不肖の義弟のために新撰組として世間に知られるまでは金銭の援助をしてくれた恩もあり、今では頭の上がらない存在だ。
「義兄さん、ご無沙汰をしております」
「ハハ!しております、だなんて。おのぶに聞かせてやりたいな」
「勘弁してください。…源さんは?」
新撰組では「井上」と他人行儀に呼ぶが、ここでは肩肘張る必要はない。佐藤は道場の方を指差した。
「入隊希望者の腕を見てる。ほら、聞こえるだろう?」
井上の独特な居合いが聞こえてきた。
土方は佐藤と共に客間に移動し、状況を耳にした。
「新撰組が幕臣に取り立てられたっていうので評判だが、不安定な世情は江戸にいてもみんな感じ始めてる。老若関わらず入隊希望者は多いが、実際に剣の使える奴は少ないかもな」
「今回は剣の腕は問いません。銃を取り入れていますし、早めに減った兵を増やして置きたいので」
「兵…か。まさか本当に戦になるのか?」
「…」
土方は答えあぐねた。
平穏な日野の田舎を眺めていると、都の喧騒が嘘のように感じる。佐藤にとっては戦の足音などどこからも聞こえてこない幻のように感じるだろう。
「どう転ぶかはわかりませんが、戦は起こるはずです」
以前なら剣の腕を見極めて有用な者だけ厳選しただろうが、今は御陵衛士が抜けた分を穴埋めし一部隊として成り立つように編成したい。そのための帰郷であり、人員が確保できればすぐに戻り戦に備えたい。土方は表には出さないが、内心焦りがあったが郷里の人々を脅すつもりはなかった。
佐藤は難しい顔をして腕を組んだ。
「…そうか。お前が言うのなら確かなのだろう。天領の民としていつ呼ばれても良いように準備だけはしておこう」
「はい」
義兄のことだから的確に世の流れを汲み取るだろう。土方は佐藤を信頼していたので故郷のことは心配していなかった。
すると、そこへ足音が聞こえてきた。
「歳三、来ていたの」
姉ののぶだった。畑仕事をしていたのかほっかむりを外しながら佐藤の隣に座った姉は「お帰り」と微笑んだが、すぐにお喋りが始まった。
「まったくあなたって子は石田の実家には顔を出していないんでしょう?為次郎兄さんが収穫の時期に帰ってきたのだから手伝えと伝言しろと言っていたわ」
「姉さん、悪いがそんな暇は…」
「わかっているわよ、でも顔さえ出せば兄さんだって納得するのに。作助だってあなたに会いたがって…」
「おのぶ、それくらいに」
口うるさい姉はまだ文句が言い足りないようだったが、夫に諌められて仕方なく口を閉ざした。姉の相変わらずのお喋りは面倒ではあったが、懐かしくもあった。
土方は風呂敷のなかから手紙を佐藤に差し出した。
「これは…総司からの手紙です」
「沖田君か…」
佐藤は神妙な面持ちで受け取り、早速中を開いた。
総司の現状については二人とも承知していて、これは総司から以前託されたものだ。
するとのぶがまた口を開いた。
「…ねえ歳三、総司さんを江戸に帰すわけにはいかないの?労咳は治らない病ではないわ。この静かな田舎で私とおみつさんで看病すればきっと良くなるのに」
「安心してくれ、京では幕府の御典医が診てくれてるんだ」
「でもあちらでは今にも戦が起きるらしいじゃない!そうなればきっとあの子は気が急いて無理をするでしょ?」
「…姉さん、全部総司の希望なんだ。おみつさんも納得してる」
「いいえ、おみつさんは本当は帰ってきて欲しいと思っているに違いないのに」
「おのぶ、いい加減にしないか」
手紙に目を通していた佐藤が厳しく止めたが、のぶは「でも」と食い下がる。そんな妻へ佐藤は手紙を渡した。
「読んでみなさい。彼がどれだけ直向きに私たちを心配させまいとしているのかわかる」
のぶは手紙に目を通すと、しばらくして目頭を押さえた。
「…元気だ、元気だと言われると、信じてあげなきゃいけないのでしょうけれど…かえって心配になるものね…」
試衛館から出稽古に来ていた頃は、のぶは土方よりも総司のことを可愛がっていて、必ず菓子を与えて土方なら拒むお喋りに付き合わせていた。のぶはみつとも親交があるため、距離のある姉弟の間を取り持ちつつ近況を伝えていたのだろう。
「…姉さん、悪いがその手紙の文面通りに受け取ってやってくれ。姉さんが思いつくことは全部考えた上で、決めたことなんだ」
「まあ…私の思いつくことがあなたにわかるのかしら?」
「おのぶ」
話を逸らすんじゃない、と夫に嗜められ、のぶは「わかっていますよ」と少し拗ねた。
「歳三、忙しいでしょうけれど兄分として気遣ってちょうだい。何かあればすぐに私かおみつさんに知らせるのよ、それが約束できないならすぐに日野で養生させて頂戴」
「わかった」
もちろん土方はそのつもりだったので素直に頷くと、のぶはようやく納得してくれた。隣で佐藤が(すまない)という目配せをしてきたが姉の性分はよく分かっていた。
土方は道場にいる井上の元へ向かった。何人か入隊希望者と打ち合っているが、悉く打ち負かしてやったようで井上以外は皆息が切れて座り込んでいる。
「ようやくお出ましだな、歳三」
井上は砕けた口調だったが、古巣では自然とそうなってしまうのだろう。
しかし希望者たちは土方の名前を聞くとハッと表情を変えて居住まいを正して頭を下げた。
(若えな…)
どれも十五かそこそこの小柄でまだ体の出来上がっていない若者ばかりだった。井上は「休憩だ」と切り上げて土方と場所を移した。
「何人か見繕って、有望なのは明日顔を見せるように言ってある」
「道場にいるのは?」
「いやぁあれはまだ若い。追い返そうとしたがせめて稽古をつけて欲しいって頼まれたから相手してただけだ」
「ふうん…」
面倒見の良い井上らしい振る舞いだ。彼の目に適った入隊希望者の名簿を受け取って、土方はパラパラと目を通していると、井上が
「それから、これだ」
と手紙の束を差し出した。
「筆まめな近藤先生はとにかく、あの梨の礫から毎日のように文が届くぞ」
井上はニヤッと笑った。
もちろん総司からの文だ。毎日文を出すように頼んでいたのでこの量になったのだろうが、それまで滅多に手紙など書かなかったのに連日井上の元に届くものだから、驚いたのだろう。
土方は名簿を置いて手紙を開く。井上は「俺は戻る」と気を利かせたのか、惚気に当てられまいと逃げたのかわからなかったが、ひとまず土方は縁側で目を通すことにした。
内容は本当に他愛もなくて、旨い飴をもらったとか、近所の猫が子供を産んだとかそういう内容だったが総司が日常を過ごしていることを知って土方は心底安堵することができた。江戸に来てみつやのぶから総司の病状を案じる話ばかり聞いていたので、一層そう思えるのだろう。しかし今日届いた文には「近藤先生がお忙しそうだ」とあったので、土方は今度は近藤の文を読むことにする。
総司の穏やかな内容とは異なり、近藤の文は切迫していてついに土佐が面と向かって将軍に対して大政を奉還するようにとの建白書が出されたという話があった。その詳しい内容を入手するため後藤象二郎に再び面会を求めたが多忙のため叶わなかったとある。人の良い近藤はゆめゆめ自分が拒まれているなどと考えないだろうが、後藤からすれば人斬り集団の頭が何度も訪ねてきて気が休まらないはずだ。
とにかく幕臣として安易な政権の返上を望まない近藤は情報収集に努めているようだ。状況は刻一刻と変わっている。
手紙を読み終えて、土方は空を見上げた。大きく開けた青空は都よりも広く、視界を縁取る木々はすでに秋の装いを身に纏う。穏やかで静かで心が波打つこともないが、
(俺にはこちらが非日常だな…)
かつて慣れ親しんだ故郷は既に思い出の場所になりつつあったのだ。


一方。
水野は中岡と茶を飲んでいた。
「この頃、外出すると視線を感じる」
「…」
「新撰組か見廻組かわからんが、とにかく情報が漏れちゅーのやろう。土佐は幕府に建白書を出いたかそれを気に食わん思うものは当然いる。君は何か知っちゅーか?」
「いえ…」
水野は陸援隊の隊士としてではなく、御陵衛士として尋ねられているのだと感じた。それは純粋な質問というより、「君は違うだろうな?」という確認のようなニュアンスに聞こえたのだ。
中岡は腕を組んだ。
「…そうか。なら一度撒き餌を使おう」
「撒き餌?」
「ついに土佐が蜂起したと隊士の何人かに話すがよ。まずは土佐でも水戸でもない者がおるろう、彼らに話して状況を見守ろう」
「…」
水野は何も答えずに湯呑みに手を伸ばした。
「どいた?仲間を疑うがは気が進まんか?」
「そう…ですね」
水野は陸援隊の隊士たちを『仲間』と認識したことはなったが、中岡が語る『土佐でも水戸でもない者』のなかに村山が含まれることが気がかりだったのだ。
しかし中岡に変な疑いを向けられるのは面倒だった。
「仕方ないことです」
水野がそう答えると、中岡は「頼む」とその大きな手で肩を叩かれた。
(あれが間者なんて務まるまい)
直情型で向こう見ず、何かと目立って敵の多い村山には最も適さない。
そう思うのに何故か胸騒ぎかした。





解説
なし


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