わらべうた




730


秋の風が少し冷たくなった。
村山はぼんやりと碁盤を挟んで目の前にいる水野を見つめていた。
彼と偽りから本当の念者になって数日。村山はふわふわと覚束ない気持ちで過ごしていた。誰かと、ましてや男とそんな関係になるのは初めてで、加えて相手は新撰組と分離した御陵衛士の間者。村山はそのことを一方的に知ってして、それでも本当の関係を結んでしまった。
(…なんて、報告書に書けるわけがない…)
あの竹林の前で口付けた時、きっと後悔するだろうとわかっていた。けれど止められなかったのは拒んで彼と離れてしまいたくないと思ってしまったからだ。互いに想い合っていることを知った以上もう止められなくて、先へ進んでしまった。
水野の無造作に纏められた髪の毛が、ふわふわと揺れる。秋の日差しを浴びて栗毛色に光る。
「村山君」
「え?」
「そんなに見つめられても、手加減はできないよ」
水野は村山の前だけ言葉遣いを変えた。村山は彼に会った時からその仮面を被るかのような故郷の言葉が気になっていたのだが、彼は言い当てられたことに驚いていた。
「…手加減なんてせんでええし」
「見つめてたことは否定しないんだな」
「う、うるさいな、さっさと打て!」
村山が照れ隠しで怒ると、水野は「はいはい」と笑って碁石を置いた。彼は相変わらず黒の碁石を積極的に持ち、村山とは互角か打ち負かし、決して負けることはなかった。
「また俺が勝ったな」
「…その腕で黒の碁石を選ぶなんて、やっぱり嫌味じゃ」
「黒が好きなんだよ。…村山君、指先に墨がついてる」
「…あ、ああ本当じゃ」
身を隠して報告書を書いているときについてしまったのだろう…後ろめたくてサッと隠したが、「見せて」と何故か水野が言ったので拒むのもおかしいかと思いおずおずと差し出した。すると彼は自分のそれとぴったり重ねる。
「…君は小柄だけれど、手は大きいな」
「それはよく言われる」
「でも指は綺麗だよ」
「…嬉しくない」
重なった手のひらから、彼が指を折り意図を持ってなぞりはじめる。村山は水野が何を考えているのかわかってしまい、手を引っ込めようとしたが逆に絡まって引き寄せられてしまった。
「ば、馬鹿、誰が見とるかわからんのに!」
「村山君、俺たちが囲碁を始めると誰もいなくなってしまうのに気づいてる?」
「え、えぇ?」
気がついていなかった。妙に静かなのは念者同士だと公言している二人が共にいると見ていられずに遠ざけているらしい。
「だから遠慮はいらない」
「…そういう問題じゃないじゃろう」
「じゃあ他にどんな問題が?」
「…」
(俺たちは本当はこんなことをしている場合じゃないのに)
彼を拒む言葉を知っているはずなのに、こうして抱きしめられるとそれがわからなくなってしまうのだろう。
(氷が、溶ける…みたいな)
戸惑いも後ろめたさも張り付くような痛みも…消えて無くなってしまうような。
「…せめて、障子を閉めてくれ」


夕方頃にようやく目が覚めた。
身体を起こし、瞼を擦るとようやく意識がはっきりしてくる。所構わず身体を重ねた事実だけでなく、脱ぎ散らかした衣服に散らばった碁石が羞恥心を煽る。
「…村山君、起きたのか…」
隣で横になっていた水野が乱れた髪をかきあげながら気だるげに起き上がる。村山は慌てて肩から羽織を被ったが、水野に恥ずかしさはないようで平然としていた。
「お、おう…。もうすぐ夕餉の時間じゃ」
「もうそんな時間か。悪いが俺はこれさら用事があるんだ、寝る前には戻る」
「…用事?」
「従兄弟に会いに行く」
「従兄弟」
「そう、全然似てない従兄弟」
「ふうん…」
水野はそう言いながらようやく服に袖を通したので、村山を衣服を整えつつ「あっ」と思い出した。
「…そうじゃ、朝、中岡隊長に呼び出されていたじゃろう?なんの話があったんじゃ?」
「なんでそんなことが気になるんだ?」
「なんでって…そりゃ、陸援隊の一員として戦況が気になるのは当然じゃろう?」
「…まあ、そうだな…」
村山の言い訳を信じ、水野は少し考え込むようにして「内密の話だが」と声を潜めた。
「近々、土佐藩が蜂起するらしい」
「な、なんじゃって?!ついに戦になるんか?」
村山は声を跳ね上げ飛びつくように水野に詰め寄った。彼がそんな反応をするのが意外で水野は内心驚いた。
「ああ…土佐は大政を奉還させるように促す建白書を出した。おそらくそれを実現するために武力をチラつかせるのだろうな」
「…陸援隊も?」
「さあな…」
「…」
村山は目を伏せて少し考え込むように黙り込む。水野の嘘と中岡の『撒き餌』を信じて真面目に考え込む姿が見ていられず、
「そうだ、村山君。髪を結ってくれるか?」
とさっさと話を変えた。
「俺が?」
「苦手なんだ、君は手先が器用だろう」
「まあ…」
水野に頼まれて村山は櫛を持ち、彼の背中に回った。そして恐る恐る癖のある髪に櫛を通すとあちこちに跳ねてなかなかまとまらない。
「…本当に、癖っ毛じゃな」
「そう、昔からなんだ。きっと母に似たんだろうな…村山君はまさに烏の濡れ羽色だね」
緩やかに波打つ水野とは違い、村山は漆黒の黒で太い直毛だ。何にも相容れない真っ黒な髪は自分の性格を表しているようであまり好きではなかったが、
「俺は村山君の髪が好きだな」
と水野は笑った。
「君の瞳みたいに吸い込まれそうだし…何より乱れると色っぽい……いて!!」
「恥ずかしいことを言うな!」
村山は力を込めて髪を結い上げて結び、「終わった!」と肩を叩く。水野は身を捩って笑った。
つくづく真逆の性格だ。それ故に惹かれてしまったのだろうか。


似ていない従兄弟ーーーこと、斉藤は待ち合わせの宿で水野の到着を待っていた。
伊東は尾張から帰還した。目に見えた成果は得られなかったらしいが、親藩という佐幕派の牙城を崩そうというのだからそう簡単にはいかない。伊東は相変わらず精力的だったが、同行した鈴木は無愛想なのが嘘のように朗らかな様子で帰ってきたので衛士の間では「和解したのだろう」と話のネタになっている。
それはともかくとして、斉藤は引き続き水野八郎の監視を続けるように指示を受けた。伊東は監視というほどの大袈裟な表現はしなかったが、疑り深い内海の方はまだ情報を寄越さない水野に懐疑的な様子だった。
しかし内海の言い分も理解できる。
(土佐は大きく動いている。陸援隊にもそれなりに情報が流れているはずだ…)
中岡慎太郎から水野を介して伊東へ逐一知らせがあるはずだ。それがないのは水野の怠慢か、それとも…。
(中岡は伊東を信頼していないのかもしれない)
斉藤は指先で軽く盃を弾いた。中身はギリギリこぼれなかった。
元々は新撰組の参謀だ。いくら語りが巧みとはいえ易々と受け入れられないだろう。だとすれば水野にもたらされる情報は少なくて当たり前であり、彼自身もそれを感じ取って適当な言い訳をして情報の提供を引き延ばしているのかもしれない。
(…まあ、そこまで周到に立ち回っていたら、あまりにも出来すぎているな…)
斉藤は自身の考えすぎだろうと結論付けたところで、水野がようやくやってきた。相変わらず新撰組や御陵衛士にいた頃の物静かでおとなしい印象がガラリと変わって別人のように見えた。
「遅れてすみません」
「…伊東先生が尾張から戻った」
「そうですか…だったら一つだけ伝えてもらえますか?土佐が武装蜂起するそうです」









解説
なし


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