わらべうた




732


明朝、御陵衛士の屯所にも『土佐蜂起の知らせ』が齎された。
少数精鋭を謳う御陵衛士では伊東は必要な情報は皆で共有するようにしている。そのため
「会津から土佐蜂起の予告について問い合わせがあった」
と伊東が神妙な顔で衛士たちに告げた。すると衛士たちは俄かに活気付く。
「いよいよですか!」
「土佐はどっちつかずかと思っていたが、やはり幕府を見限っている!」
「我々も共に立ち上がりましょう!」
と、斉藤以外がたちまち盛り上がるが伊東は冷静だった。
「皆待ってくれ。『会津からの問い合わせ』だと言っただろう。会津は我々が陸援隊に間者を送り込んだことを知っているんだ。あくまで会津にとって我々は新撰組の派生組織…つまり情報を持っているなら正確なことを知らせろということだ。…斉藤君、橋本君から何か報告は?」
伊東は斉藤へ視線を向けたので、頷いた。
「…ちょうど昨夜、橋本から報告が上がってきた所です。『土佐蜂起の知らせは偽の知らせである』とのことです」
斉藤の報告を聞き衛士たちは言葉にはせずとも明らかに落胆していたが、伊東は「やはり」と納得した顔だった。
「中岡先生は豪胆な御方だ、こういうやり方はしない。何かしらの意図を持ってあえて噂を流したのではないかと思っていた」
中岡と懇意にしている伊東からすれば、自分が把握する前に蜂起など起こるはずがないと自信を持っているようだった。
斉藤は逆に伊東へ尋ねた。
「…会津は何処からの情報だと?」
「新撰組だそうだ」
衛士たちは状況が掴めず少し困惑し顔を見合わせたが、その中にいた藤堂が
「それはつまり…陸援隊には我々だけでなく、新撰組からも間者が入り込んでということでは?」
と尋ねると伊東は少しだけ笑みを浮かべて「その通り」と褒めた。
「橋本君から新撰組の間者がいるという知らせがないということは、おそらく我々が抜けた後に入隊した面識のない者なのだろう。陸援隊は土佐と水戸が多いが出自を問わず誰でも受け入れる。きっと中岡先生はおそらく偽の情報を流し、誰から漏れたのか探ろうとなさっている…我々は冷静に動こう」
衛士たちが呼応するなか、斉藤はひとり別のことを考えていた。



同じ頃。
銃の調練を終えた村山は、この内容を事細かに記した報告書を作成していた。厠に閉じこもって記すには時間が足りずに、水野に教えてもらった『人気のない場所』でこっそり矢立を走らせる。
(あいつは帰って来んかったな…)
屯所を出た水野は、朝になっても戻らず午前の調練に顔を出さなかった。新撰組ほど厳しい隊則などはないため、「従兄弟に会いに行っている」と上官に説明したが、どこかへ姿を眩ませてしまったのではないか…と村山は心配していた。
そんなはずはないと言い聞かせ、村山は再び筆を走らせる。
(土佐の蜂起か…)
水野から聞いた話では近日中に実行されるとのことだが陸援隊にそんな知らせはなく、いつもと同じ日常を過ごしている。
(もしそうなったら…俺は新撰組に帰って戦に出ることになるんかな…)
そうなったら、水野と敵対することになるだろう。
手を止めてそんな想像を働かせていると、突然部屋の襖が開いて、水野が現れたので村山は大いに驚いた。
「わっ!」
「…村山君、ここにいたのか」
「きっ…君こそ、帰っていたのか?」
「いま、帰ってきた…」
村山は慌てて矢立と報告書を隠す。聡い水野に気づかれるのではないかと焦ったが、彼はいつもと様子が違っていて顔色が悪く目が虚でふらふらとしていた。
水野は村山の前までやってくると膝を折り抱きつく。
「わっ!」
突然体重をかけられて小柄な村山では支えきれずにそのまま畳へ二人とも倒れ込んだ。
「さ、酒臭い…二日酔いか?」
「しこたま飲んだ」
「例の従兄弟か?阿呆じゃなぁ…」
「村山君のせいだ」
脈絡のない言いがかりをつけられて村山は「なんじゃと?」と問い返す。しかしいつも飄々としている水野はそこにはいなくて、ただ表情は真剣だった。
「君のことが好きすぎて…自分を見失いそうになる」
「え?」
いつにない弱音に村山は驚いた。彼は村山の肩口に顔を埋めていたので表情はわからなかったが、絞り出すような声には苦痛が秘められているように感じた。
「君に嫌われたくない…」
「…誰も嫌いじゃなんて一言もゆうてない」
「いまはそうでも…この先はわからないだろう」
酔っているとはいえ、水野が一体何を起因としてそんなことを漏らしているのかわからなかったが、村山の心はその言葉に酷く抉られた。
(それは俺のほうだ…!)
新撰組の間者だと言うことを水野に知られたら、嫌われるどころではなく彼に殺されたっておかしくはない。未来を嘆くどころか、現在も彼を傷つけているのだから。
こんな馬鹿馬鹿しいこと、いますぐやめたほうが良い…そんなことわかっているのに、この手を振り解かずに誤魔化している。
(俺は大馬鹿者じゃ…)
自然と目から涙が溢れた。
「…村山君、なぜ君が泣くんだ?」
「わからん…」
「俺は…君を泣かせるようなことを言ったかな…」
水野は村山の涙に気がついて少し酔いが覚めたようだが、村山はさっきの言葉を酒のせいにしてなかったことにはできなかった。
身体を浮かせて離れようとした水野を引き止めるように彼の首へ腕を回し、引き寄せて自ら口付けた。いつも手慣れた水野に任せきりで、初めてのことだったので彼は驚いていた。
「…村山君?」
「俺…俺も、君が好きじゃ」
心臓が早鐘を打つようだった。
けれどどうしても、たとえこの先に何があったとしても彼にこの気持ちだけは嘘ではないのだと伝えておきたかったのだ。
水野は少し呆然としていたが、次第に笑った。
「…は…ハハ、なんだか一気に酔いが覚めた」
「な、なんじゃあ、もう…」
「君が可愛くて仕方ない」
水野は指先で村山の涙を拭いながら、「もうあかん」と何故か国の言葉で熱っぽく呟いた。
水野は鎖骨を強く吸い、村山は身を捩る。
「…酒臭いけど、良いか?」
「良くない…けど、しょうがない」
不承不承の言い草に水野はまた笑った。彼の癖っ毛に手を伸ばし、指を絡めて思う。
(いつか君に殺されるなら、それでええ)
村山は目を閉じて覚悟を決めた。


初秋の夜はもう冬のように寒くなった。
深く眠った村山に羽織を掛けて、水野はぼんやりとその寝顔を見つめていた。起きている時はその光を吸い込んだ大きな黒い瞳に目を奪われるが、眠ると子どものように無防備であどけない。
朝まで飲みすぎた酒はまだ残っているが、気持ちの面ではすっきりしていた。
間者であるはずなのに村山に執着し始めたことを恐れていたが、斉藤に冷たくあしらわれ、自分が相応しくないのだと諦めると少し楽になった。そして彼の気持ちを聞いて一層離れられないと悟った。
(いつか…時期が来たら、村山君に打ち明けよう)
彼を疑い、試そうとしたことを洗いざらい話そう。怒るかもしれないけれどさっきみたいに「しょうがない奴じゃ」と言ってくれるまで許しを乞うしかない。
そして彼が許してくれたなら陸援隊を離れて二人で生きていこう。尊攘だ討幕だと騒がしくない田舎にでも行って、なんのしがらみもない場所で暮らしたい。
「はは…年頃の乙女か、俺は…」
そんな夢みがちなことを考えていると、ふと彼の頭上に矢立と折り畳まれた紙があることに気がついた。
(これは…村山君の字だ)
そこには銃訓練の内容がまとめられていたのだ。熱心な村山が研鑽を積むために書いたのかと感心したが、その内容は伝聞するような『報告書』の形だったことが気になった。すると、
「あっ!」
目を覚ました村山が飛びつくようにその紙を水野の手から取り上げた。そして隠す場所などないのに身を捩る。
「村山君、それは…」
「な、なんでもない」
「…陸援隊での調練は他言無用だよ」
「だからなんでもないって…!」
夜の頼りない月明かりでも、村山の動揺が伝わってくる。水野は自分のなかで進む想像を止められず、ぞくっと悪寒を感じた。
(まさか…君が間者なのか?)
水野は目の前で小刻みに震える村山を、どう受け止めたら良いのかわからなかった。






解説
なし


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