わらべうた




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悪い方へ、悪い方へと考えが浮かぶ。
それを打ち消したいのに村山の態度が変わった。まるで獣に目をつけられた小動物のように、目が合うと逸らし、核心をつかれるのを恐れるように長い会話を切り上げようとする。
水野は遠くの縁側で佇み、無心で洗濯板と格闘する村山を眺めた。
(でも、誘えば応じる…)
躊躇いはあるが伸ばした手を振り払うことはなく、水野の求めることにはなんでも応える。でもそれがかえって不自然でぎこちない。
(やはりあれは後ろめたいものだったのだろう…)
あの走り書きだけで間者だと断定するには飛躍している…水野はそう信じていたかったのに、村山の他人行儀で距離を置いた態度は全てを肯定しているようにしか見えなかった。
その日のうちに中岡に呼び出された。
「やはり情報が漏れちょった」
「…」
「会津から幕府へ陸援隊の蜂起の話が伝わったようや。おそらく新撰組、見回り組あたりやろう?…上は単なる噂話だと誤魔化したようだが、まあそれも今の幕府にとっては脅しに等しい」
水野は中岡が土佐藩においてどれほどの立場なのか詳しく理解はしていないが、実際に陸援隊が動くとなれば土佐の立場が大きく変わることは察していた。
「…それで、君は誰に話した?その顔を見ると、心当たりがあるがやろう?」
「それは…」
中岡は「うん?」と水野を促す。口調は柔らかいが、裏切り者を炙り出すために手段を選ばないという威圧も感じた。
しかし水野はどうしても村山の名前を出すことができずに、深々と頭を下げた。
「なんの真似や?」
「…その者が間者であるなら事は重大です。それ故にもう少し確かめさせてください」
猶予が欲しいと頼むが、中岡は不快感を滲ませた。
「われが気にするようなことじゃない。こちらでその者を尋問し、確かめる。とりあえず名前を言え」
「…」
「言わんのなら、裏切り者を庇うたと見なす。御陵衛士との信頼関係にも関わってくるがかまんのか?」
「そういうつもりでは…」
水野は迷ったが、どうしても村山の名前を口にして裏切り者だと言うことはできなかった。それはどうしようもない私情でしかない。
中岡は少しため息をついた。
「…隊内の噂話は知っちゅー。それほどまでに庇うとなったら相手は阿呆でもわかる」
「あいつはそんな器用なことはできません!」
水野は反射的に否定したが、中岡は淡々としていた。
「そりゃ尋問したらわかることや。…それに芝居かもしれんやろう。なせ自分が騙されちゃあせん言い切れる?知り合うて間もないのに、どんな根拠があって間者じゃないとわかるがよ?」
「…」
「わしゃそうやって騙されて、死んだ者をたくさんみてきた」
中岡の実感のある言葉に水野は何も言えなくなってしまった。それは自分でも痛いほどわかっていたからだ。


同じ頃、大石が再び町人風の姿で屯所に現れた。
隣室の山崎の元へやってきたのだが、彼は医学方として不在であり、近藤も別宅へ足を運んでいたのだ。
「どうかしました?」
「…」
総司は今日は体調が優れずに休んでいたので居合わせたのだが、大石もその様子を察して病人に報告すべきか迷っているようだった。
けれど
「近藤先生と山崎さんにお伝えしますから」
と総司が促すと、彼はようやく膝をついて総司へ軽く頭を下げた。
彼との因縁のような経緯は複雑だが、いまはいち組長と監察方でしかない。しかし他人にはない緊張感があった。
大石は口を開いた。
「…実は、土佐蜂起は偽りだと知らせが入ってきました。陸援隊の中岡が広めた噂話だとか」
「噂話…」
「そのうち陸援隊に密偵を送っている御陵衛士からも、会津へ同じ報告が上がるはずです」
「そうですか」
総司は少し安堵した。昨日の近藤の切迫した様子から今日明日にも戦が起きるのではないかと危惧していたのだが、それは避けられたようだ。しかし大石の表情は硬い。
「…どうかしました?」
「村山が疑われています」
「村山君が?」
村山のことは土方から新撰組から送った間者だと耳にしていた。
「中岡は間者を捕まえる為にあえて隊内の一部に蜂起の噂を流し、情報の出所を探っていたようです。実際に蜂起の知らせは新撰組から会津へ渡っています」
「…でも情報の出所は伏せられているでしょう。それなのになぜ村山君が疑われることに?」
「御陵衛士の間者に嵌められた可能性があります。…橋本皆助は覚えていますか?」
「…ええ、まあ…」
総司は言葉を濁した。ぼんやりと記憶にあるものの印象の薄い存在だったのだ。
大石は構わず続けた。
「橋本皆助は水野八郎という変名で陸援隊に潜り込んで、中岡慎太郎と伊東の橋渡し役を担っています。その水野は何故か村山に近づき親しくなっているようです」
「…御陵衛士と新撰組の間者が?偶然気があったのかな」
「どういう経緯かはわかりませんが…もしかしたら水野が新撰組の間者だと知って近づいている、もしくは村山が失策して気づかれた可能性があります。…中岡は新撰組の間者だと分かれば容赦しません」
総司は大石が少し焦っているのを感じた。水野が村山を名指しして新撰組の間者だと知っていたのなら、村山が情報を漏らしたと判断して中岡に密告するだろう。急がなければ村山の身が危ういのだ。
総司はひとまず近くの隊士に近藤を呼びに行かせ、どうするべきか考えた。いくつか腑に落ちないところはあったが、どういう理由であれ一度疑われた者はもう間者として使い物にならないだろう。
(土方さんなら…見捨てるかもしれないけれど)
任務に失敗した監察方を許しはしない。無関係な人間だとあっさり切り捨ててしまうかもしれないが、近藤は承諾しないだろう。
「…まだ土佐は幕府に対して協力的な姿勢を見せているんですよね?あまり表立って揉めるわけにはいかないか…。…何か手立てはありますか?」
「…俺が口出しすることではありません」
大石は返答を拒んだ。監察方として、また過去の因縁を鑑みて何かを発言すべきではないと思っているのだろう。総司は意見を求めただけで他意はなかったのだが。
(気にしなくて良い…なんて、いま揉めている場合じゃないか)
総司は土方がそうするように顎に手を当てて少し考え込んで
「では…一度、村山君を捕縛してはどうでしょうか」
と微笑んだ。


村山は死んだ心地だった。いや死ぬほうがマシだとも思えたくらいだ。
頭と、身体と、心がまるで別々になったみたいにぎこちない…あの銃調練の走り書きを見られた時から何をしていても動悸が止まらないのだ。
(もっとうまく誤魔化せれたのに…)
微睡んだ無防備な状態から核心をつかれ、動揺が隠せなかった。それは任務を蔑ろにして彼との行為を優先させた自分の甘さと落ち度のせいだと分かっていたが、
『君に嫌われたくない』
と溢す水野を抱きしめずにはいられなかった。結果として理性よりも感情を優先したのは、全く間者として不適格だがそれ自体を後悔しているわけではない。あの時はそうするしかなかった…その後にうまく誤魔化せれなかった自分が悪いのだ。
水野は村山に疑いの目を向けていた。自分が御陵衛士の間者であるが故に近くの者もそうではないかと疑う…それは仕方のない思考だろう。
けれど彼は切なそうに村山を見るだけで、遠ざけたりはせずに言葉は少ないが前よりも情熱的に村山を抱いた。そして
『好きだ』
と耳元で何度も囁いた。それがまるで『信じている』とも聞こえて村山の胸を締め付けた。だからと言って彼を拒めば認めたような気がして…村山は混乱していた。
(誰か…彼を傷つける前に、俺を殺してくれんかな…)
いまならあの憎い田川に殺されても文句は言わないのに。
村山はそんな自棄になったような気持ちを抱えながら、屯所を出てぶらぶらと歩いた。すると無意識に足は北へと向かい、水野と共に訪れたあの竹林の前に辿り着いていた。ここだけ清涼な空気が流れているようだった。
『二人ともおんなじか』
互いにこの竹のようだと微笑み合ったことを昨日のことのように覚えている。
(竹は…全部、地下茎で全部繋がってる…)
地面の下にある地下茎から竹は伸びる…つまりは全てが同じ親から生まれる子供のようなものだ。
そう考えると水野の言う通り『同じ』だったのだ。
村山がぼんやり見上げていると、突然背後に気配を感じ振り向くと、十人以上の男に囲まれていた。驚いたのは見覚えのある顔ぶれだったからだ。
「なっ…?」
そして
「怪しいやつめ!」
やや芝居がかった原田が槍先を村山に向けたのだった。





解説
なし


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