わらべうた




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会津から戻った近藤は気色ばんだ様子で、組長以上の幹部を集めた。
「今日明日の陸援隊蜂起はないようだが、想像以上に幕府の上層部は動揺している。薩長の挙兵も近いと慌ただしくなっていた」
「本当に戦になると?」
「…会津公はその心積もりで備えよ、とのことだ」
永倉の問いかけに近藤は重々しく答える。その眼差しは深刻で危機感がありありとしていて、雰囲気は緊迫感がある。そのなかで原田は
「いいじゃねえか、長州との停戦でこっちは燻ってんだ、今度こそ決着をつけようぜ!」
と意気込んだのだが、誰も安易に「そうだ」と加勢する者はいなかった。昨年の長州征討の苦戦を思い出すと易々と勝てる戦でもない。
近藤は苦笑する。
「…薩長はすでに都を包囲し、戦の支度を整えている。戦力もさることながら彼らの扱う武器は我々のものとは次元が違うとの噂で、それ故に幕府は及び腰だ」
「じゃあまた降伏するってのか?!戦いもせず?!いい加減、幕府は潰されちまうぞ!」
「左之助」
控えろ、と永倉に諌められ「だってよ」とぶつぶつ言いながらも原田は口を閉じた。
山崎は「あの」と切り出した。
「おそらく、薩長は朝廷の許可なく京に進軍することはないかと思います。逆に言えば朝廷の許可…宣旨が降りれば動くでしょう」
「…だったら、薩長寄りの公家の動きに注意した方が良いな」
「はい。岩倉卿などは特に薩長を扇動してきた公家で、今の帝に近いかと」
山崎の意図を理解した近藤は深く頷いた。
「永倉君、左之助。岩倉卿の監視を…多少手荒でも良い。宣旨が降れば形勢が傾く」
「わかりました」
「まかせろ!」
永倉と原田はすぐに席を立ち、部屋を出て行った。
近藤は少し表情を崩し「山崎君」と呼ぶ。
「総司の具合はどうだ?」
幹部以上が揃う場に総司はいなかった。昨晩少し喀血して熱を出したのだ。
「いまは山野に任せてますが…もう少し、休まれた方が」
「そうか……うん、君に任せる。仕事ばかりさせて申し訳ないが」
「なんの」
山崎は微笑んだ。近藤が何かを言いかけて飲み込んだのはわかっていたが、それを敢えて尋ねずに「そうや」と話を変えた。
「先日入隊した仮隊士に有望な者がおります。剣も見事に扱い、心根も良い。見目もよく清々しい青年で…山野が不在がちですから宜しければ一番隊に推挙したいと思うておるのですが」
「ほう、確かに一番隊も人手不足だし君がそこまで言うのなら歳に伝えておこう」
人事は近藤ではなく土方の権限だ。局長に権力が集まりすぎるのは良くないということだが、土方の方が人を見る目があるので適材適所なのだが、彼の腹心である山﨑の推薦なら土方もきっと同意するだろう。
山崎は「ありがとうございます」と軽く頭を下げて
「名は相馬肇と言います」
と伝えたのだった。



土佐蜂起ーーーその噂は江戸にまで聞こえてきた。誤報だと訂正されるのには時間がかかったが、土方は冷静だった。
(土佐だろうが、長州だろうが薩摩だろうが…いつか兵を上げるに決まっている)
だからこそ兵員を増やすために江戸にいるのだ。わかっていても土方の気がせくが、「はぁ」と思い通りにいかぬことが続き、深いため息が漏れてしまう。
「どうした?」
稽古着の井上が木刀片手にやってきた。まるで試衛館から出稽古にきたような雰囲気で、すっかり昔に戻ったかのように懐かしい。彼は入隊希望者を相手に試合をしていたのだ。
そんな井上に土方は愚痴をこぼした。
「…確かに、剣の腕は問わずにそれなりの腕前でも入隊させるつもりだったが…ガキの守りをするつもりはない」
入隊希望者の中には幕臣に昇進したが故に、その縁故で入隊希望としてやってくる者が多く、断りずらい面がある。そして更に土方を困らせるのは、その弟だとかを引き連れて兄弟で入隊希望を申し出る者が多かった。世情に不安を感じ、幕府の一員として働きたいと言う情熱は結構だがそれにしても若く、少年というに相応しい者が多くいた。
井上は「あー」と頭をかいて申し訳なそうに肩をすくめた。
「俺には何も言えねぇな。泰助が相当ごねたんだって?」
「…さすが、松五郎さんの子だ。鬼副長を前にしても強情で譲らねえ」
井上松五郎は井上の兄で八王子千人同心の世話役の一人であり、将軍警護に上洛したこともあるゆかりのある人物だ。泰助はその次男で、井上の甥にあたる。泰助は親の反対を無視して入隊試験にやってきたのだが、まだ十一だ。
「あれは昔から気性が荒いと言うか、とにかく頑固なんだ。兄も売り言葉に買い言葉で『死んだと思うことにする』なんてぇ言って放り出すから俺も困ってなぁ…」
「…」
井上は親子の板挟みに遭って悩んでいたが、土方は泰助が放った言葉が印象に残っていた。
『自分は寄る辺もない次男坊!いつのだれ死んだとて誰も困りませぬ!』
泰助はまだあどけない少年の風貌で、覚悟を決めていた。それは誰から聞いた借り物の言葉かもしれないがその響きには真心があったし、自分も同じ齢の頃に
『豪農の末っ子など勝手にさせろ!』
と言って周囲を困惑させていたので気持ちはわかる。それ故に土方は少なくとも彼の決意を『ガキが』と突っぱねることはできなかったのだが、故郷の若者だからこそ簡単に引き受けられたなかった。
「…とにかく、松五郎さんの許可がないならダメだ。親を説得できないなら見込みはない」
「ああ、そう言っておくよ」
井上は「悪いな」と言いつつ、道場に戻って行った。
すると入れ替わるように義兄の彦五郎がやってきた。井上とのやりとりが耳に入っていたようだ。
「大変そうだな」
「…いえ。義兄さんが下調べしてくれたおかげで幾分か楽です」
「そうか」
彦五郎は土方の隣に座って、「休憩したらどうだ」と持ってきた茶を差し出した。温かい茶はやはり懐かしい味がした。
「人数は揃いそうか?」
「まあ…おかげさまで。少々若いですが有望なのも数人います」
荒くれ者の新撰組はもう幕臣の集まりになった。今後の隊士は同志というよりも近藤の家来という意味合いが強く、土方はその辺りも重視していた。
彦五郎は「ふうん」と湯呑みを手にしながら尋ねた。
「なあ、歳三。お前はこれから新撰組をどうするつもりだ?」
「…どうって…近藤さんが決めることです」
「そう固くなるなよ、あくまで仮の話じゃないか?」
彦五郎は「つまらんやつだな」と言わんばかりに苦笑する。それもそうだと土方はつられて笑った。
「…新撰組は最初は壬生の厄介な居候で、次は寺の身勝手な客人、そしていまはまるで大名屋敷に住む殿様のような幕臣です。試衛館にいた誰もが、こんなことになるなんて思わなかった」
「ああ、その通りだ。俺とおのぶはもっと早くに音を上げて帰ってくるだろうと言ってたんだ」
「近藤さんは…勝太はそういう奴です。あいつといると予測できない、思いがけない旅路ばかりを歩む羽目になる。だから、自分勝手に生きてきたこの人生も悪くないと思える」
故郷にいた誰が、ここまでの出世を予想しただろう。それは目の前の道を歩み続けて、積み重ねた結果に過ぎない。
「新撰組が長く続くならそれが良いと考えます。俺たちが何代にも渡って将軍家を守り続けられる幕臣となる、その礎になれたならそれが良い」
「…そうか。もうお前にとってここは家じゃないんだな」
「ええ…」
実家の暮らしが窮屈で、逃げるように心地良い佐藤家や試衛館に居座った。懐かしく思い入れがあっても、ここに戻りたいとは思わない。
戻るべきは都で待つ、仲間たちの元だ。
彦五郎は笑った。
「今も昔も…若者の情熱を否定すべきではないよな。入隊希望の若者たちはかつてのお前たちと同じだ。何ができるのか何をしたいのかわからずに、ここにたどり着いた…もうお前は彼らを先導してやる立場だ」
「…そうですね」
「泰助ほど若すぎるのは問題だが…できるだけたくさん受け入れてやってくれ」
(まったく、義兄さんにはいつも敵わない)
懐の広い義兄は視野が広く、心根が優しい。この辺りを束ねるにはふさわしい人物であり、尊敬できる義兄弟だ。
そうしていると去って行ったばかりの井上が急いで戻ってきた。
「歳、客だ」
「客?」













解説
なし


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