わらべうた





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有望な人材が揃い、新撰組に若く活きの良い雰囲気が流れ始め、これから良い方向に向かうだろう…と、総司は思っていたのだけれど。
「先生、自分はあれはまさに水と油というやつだと思うんです」
総司は困った顔で進言にやってきた伍長の島田とともに稽古の練習を覗いていた。今日は永倉が担当する稽古で、江戸から上京した隊士にとっては初めての機会になる。さぞ緊張感の漂う初々しい雰囲気かと思いきや。
「お前!どこを狙っているんだ?!」
「急所に決まっているだろう。簡単に足を引っかけられて転がるなんて、下半身が弱すぎるぜ」
「これは稽古だぞ!稽古にも作法がある!」
「へぇ!じゃあその作法ってやつを教えてくれよ」
地稽古の最中であるはずだが、一番隊の相馬と野村が口論になっていた。真剣な表情で憤る相馬と、相手にせずに鼻で笑う野村は初日だというのにまるで兄弟のように喧嘩をしている。そんな彼らを隊士たちは遠巻きに呆然と眺め、永倉は苦笑していた。
頭を抱えているのは彼らの先輩で指導役でもある島田だ。
「あれが初めてというわけではないんです。些細なことで口論になってすぐに衝突して…相馬は真面目で誰かと揉めることなんてないのに、野村がちょっかいを出して面白がるせいで…野村にだけです、相馬があんなに声を上げるのは…」
野村は上司の総司に対しても遠慮がなく思ったことを口にする性格なので、礼儀正しく賢い相馬とは正反対に見えるだろう。傍目には島田の言う通り水と油なのかもしれない。
ヒートアップしていく口論は、野村が
「よっしゃ!じゃあ夕飯をかけて勝負だ!負けた方は飯抜きだ!」
と嗾けて、ムキになった相馬が「望むところだ」と応じたことで竹刀を突き合せた勝負へともつれこむ。二人とも周りが見えていないのか皆が稽古の手を止めて彼らの勝負を観戦し始めた。初日の稽古が完全に止まってしまい、島田ががっくりと肩を落としたところへ永倉がやってくる。
「永倉先生、申し訳ありません!ちゃんと自分から言い聞かせますので…!」
「島田、気にするな。今日は初日だからな、皆の顔合わせだと思ってるし、あいつらの剣筋を見ておきたい」
永倉はむしろ面白がっているようで、腕を組み悠然と眺めて笑っていた。
総司と三人並んで勝負の行方を見守る。野村はどこの剣派を修めたのかわからないような我流で無駄の多い動きだが、不思議と目を惹く剣筋だ。一方で相馬はかつて伊予松山藩の一兵として長州征討に参加したそうで経験の豊富さを感じる余裕のある動きで、野村の剣を薙ぎ払っている。凸凹がうまく嵌りあいなかなか勝負がつかない。
総司はその勝負を興味深く見ていた。
「…水と油かあ…私は二人は気が合うと思っているんですけどね」
「えぇ…そうですか…?」
「俺も悪くない組み合わせだと思う」
「永倉先生まで…」
剣豪の言い分がよくわからないと言わんばかりに島田は難しい顔をしていた。
そのうち、ようやく勝負がついた。野村がその場に尻もちをつき、相馬の剣先が喉元を捉えらえていたのだ。
「て、てめぇ!さっき足払いは卑怯だって言ったじゃねえか!」
「やられたことをやり返すのは当然だ。負けを認めるな?」
「く…!今日だけだからな!」
負け惜しみを言わずにさっさと負けを認めるのは野村らしい。相馬もそんな野村を認めているのか、うなずいて彼に手を貸し、ようやく彼らは周囲の状況に気が付いたようだ。驚いた彼らはこちらに駆け寄ってきた。
「永倉先生、申し訳ございません!稽古の妨げになりました…お前も謝れ」
「すいません、なんか熱が入っちまって、へへ」
相馬は謝り倒し、野村は頭を掻きながら笑っていた。永倉は笑いながら「今回だけだ」と釘を刺しつつ稽古に戻っていき、島田は「胃が痛い」と顔を顰めていた。
総司はそれを微笑んでみていた。
(なんだか、試衛館にいた頃みたいだ)
若者が集い、白熱して夢中になる。時に喧嘩になっても食事を囲めばまた元通り、馬鹿みたいに笑って次の朝がやってくる。
(僕は彼らを手助けしたいな…)
それは今まであまり芽生えたことのない気持ちだった。
剣の腕では誰よりも群を抜いていたという自覚はある。剣の前だけは自分は天賦の才を発揮し、だれよりも上回りたいという気持ちが強かった。そうすることで近藤や土方に必要とされることが嬉しかったからだ。
けれど今はそうではない。これから先を背負っていく彼らに、この病の体で何ができるのか…そればかりを考え始めていた。



和気藹々とした道場から離れた客間では、秘密裏に浅羽が近藤、土方を訪ねていた。
「殿の遣いで参りました」
いつもなら近藤を呼び寄せる会津公だが、急ぎの用件なのか小姓の浅羽を寄越したようだ。
浅羽は相変わらずの精悍な顔立ちだったが、その眉間には厳しい皺が寄っていた。彼は懐から折り畳まれた紙を取り出し、二人の前に広げた。
「これは…」
「御陵衛士の伊東が朝廷へ提出した建白書の写しです。大政奉還後、すぐに出されたものだと」
「…」
近藤は読み進めるうちに顔色を変えたが、土方は読むまでもなく内容を察知していた。伊東が長年胸に秘めていた願望がようやく形になったのだろう。
浅羽は淡々と尋ねた。
「伊東殿が熱心な勤皇論者であることは承知しております。しかし大政奉還後、新しい政を模索し、徳川を中心として西国諸藩、朝廷での合議制を目指すなかで、徳川を廃し帝を中心とした政権を目指すべきという建白を出されては殿の面目に関わります」
会津としては、御陵衛士はあくまで新撰組から分離した組織であるという認識である。それ故に伊東の行動は大変な裏切り行為だろう。
近藤は憤り、わなわなと唇を噛んだ。近藤また御陵衛士とは協力関係を結んだ仲だと信じていた。
「…これは、我々の承知せぬことです…」
「しかし御陵衛士は薩摩の大久保と内通し、美濃で農兵を数百名揃えていると聞きます。万が一、戦になった場合は新撰組を離れこちらに弓引くつもりでは?」
「それは…!」
近藤は明らかに狼狽していた。彼は彼なりに伊東たちを信じて分離を承知したのだ。いくら伊東の信条の本質が勤皇であると言っても、まさか着々と戦支度をしていたとは思いもよらない。
しかし、土方は違った。
「あり得ないとは言い切れません」
「歳…!」
「伊東はこの建白書がいずれ新撰組に伝わるとわかっているはずです。美濃で兵を集め、薩摩と内通しているのは、この時に備えるためでしょう」
「では、御陵衛士はもう新撰組の手を離れていると?」
「面目ない」
土方は非を認めた。内心、伊東が近々行動を移すだろうとはわかっていたのだが、こんなに早く会津に塁が及ぶとは思わなかったのだ。土方の考えよりも早く、事が動いているのだろう。
浅羽は小さくため息をついた。
「…わかりました。殿にお伝えしましょう」
「近々、私からもお訪ねいたします」
近藤が申し出ると、浅羽は首を横に振った。
「いえ…今は慎重に動かれたほうが良いでしょう。先日、伏見奉行書の与力が殺されました。都でもあちこちで騒がしい…私がここに来たのも、殿のご配慮なのです」
倒幕派に恨まれ顔が知られた新撰組の局長ともなれば、身軽に行き来するのは危険だ。御陵衛士の裏切りを見抜けなかった不覚と、会津公の気遣いに心打たれ、近藤は深々と頭を下げた。
「会津公のご配慮に感謝いたします。御陵衛士の所業、必ず責任を取らせます」
「お伝えしましょう。…私はまだ仕事がありますのでこれで失礼します」
「お送りします」
土方が申し出て、浅羽とともに客間を出る。少し緊張感を解いた浅羽は苦笑した。
「土方さん、御陵衛士の件はお気にならさらず。殿はあくまで確認のために私を寄越しただけで、責めるおつもりなどないはずです。この時勢で忠誠を誓っていた親藩や譜代でさえ徳川を離れていくのですから。…むしろ敵か味方か、はっきりする方が良いとお考えなのです」
「…俺はいつかこうなるだろうとは思っていました。都を離れていたせいで、時勢を読めていなかったようです」
土方は素直に反省していた。隊士募集のために江戸へ行った間にここまで、政が動くと思っていなかったのは読みが甘かったのだ。
浅羽はもうこれ以上責めるつもりはないようで「そういえば」と話を変えた。
「公方様の側用人であった原市之進殿の後任についてのお話はご存知ですか?一時、近藤殿のお名前が上がったのです」
「…初耳です」
土方は驚いた。
側用人は側近中の側近であり、大出世どころの話ではない。そんな話を近藤が知っていれば感涙して土方に話しているはずなので彼も知らないところでそんな話が出ていたのだろう。
「中川宮が我が藩の秋月にそのような話をされたそうです。残念ながら実現せずこのようなことになりましたが…近藤殿の徳川への忠誠心は誰もが知るところなのです。どうか今回の件で落胆されず、今後もお力をお貸しください」
「…はい」
浅羽はそう言うと、ふっと視線を横に向けた。その先には道場があり隊士たちの賑やかな稽古の様子が漏れ伝わってくる。
「頼もしいですね」
浅羽は微笑むと、「ここまでで」と軽く頭を下げて去っていった。










解説
なし


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