わらべうた




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土方は浅羽を見送って客間に戻ると、微動だにせず考え込む近藤の姿があった。土方は近藤の前に座り、「冷静に考えろ」と言った。
「もともと、伊東が熱心な勤皇論者だとわかって入隊しただろう。かっちゃんは分かり合える部分があるとあいつを信用していたが…分かり合えない部分が多かったからこそ、奴は分離という姑息な手段を使って去っていったんだ」
「…俺だってわかっていたさ。分離などという甘い言葉に半分騙されたつもりだったが、薩摩に入り込み情報を得るという伊東先生の手段も本当に悪くないと思ったんだ」
「そんな奴らはいま、美濃から兵を連れて来ようとしている。…言っておくが、それを主導したのは藤堂だ」
「…平助が!?」
近藤の眼がカッと見開いた。まさか藤堂が関わっているとは考えが及ばなかったのだろう。しかし土方は総司から藤堂が美濃へ行くと話していたのを聞いていたし、監察から情報も得ていた。
近藤の顔が曇るのが分かっていて、土方は畳みかけた。
「今や御陵衛士は帝の墓守ではなく、薩摩や土佐と繋がりがあり、徳川を裏切ろうとする紛れもない敵だ。恩ある会津公を蔑ろにした奴らが、これからどんな態度を見せるか…想像するのは容易い」
「…」
「かっちゃん、奴らに温情をかけようとするのはやめろ。どう考えても御陵衛士は俺たちを裏切っている、それはわかるだろう?…これから討幕に手を貸すのなら、容赦はしない。挙兵を企んでいるのなら先に壊滅させる」
土方が言い切ると、近藤はしばらく沈黙した後、土方の腕を掴んで「一つだけ頼む」と口にした。
「なんだ」
「…俺は平助が裏切ったと思いたくはない」
「この期に及んで何を悠長なことを。平助こそ美濃で挙兵のための兵を集め、いまや伊東の代理として動いている」
「それでもだ!」
近藤は急に声を荒げた。
「それでも、俺は…また山南さんのようにあいつを殺したくはない!温情だと、贔屓だと言われようが構わない。俺は絶対にあの時の二の舞にはなりたくないんだ!」
「…」
「本当は歳も同じだろう?総司も、左之助も、永倉君も…源さんも同じはずだ。たとえ非難されても…平助だけは手を掛けたくはない。歳も約束してくれ、絶対にそれだけはしないと!だったら俺はこれからお前の言う通り非情になる。何の温情もなく御陵衛士を壊滅させる!だから…!」
近藤は必死だった。試衛館食客の中で最年少だった藤堂は皆に可愛がられた。猪突猛進で、御落胤だと語るユーモアもあり甘え上手な彼は誰も敵を作らなかった。山南が死ぬまではずっと固い絆で結ばれた仲間だった。
一度は袂を別っても…近藤にとっては可愛い門下生なのだ。
土方は近藤がそう考えることは理解していた。けれど、彼が縋る腕を払った。
「…約束はできない」
「歳…」
「わかってくれ。そんなこと…俺が約束できるわけがないだろう」
土方はそれ以上の会話を拒むように立ち上がり、背中を向けて去った。
するとしばらく歩いたところで総司に出会った。彼は機嫌良く
「あ、土方さん。さっき…」
と言いかけたが、すぐに土方の表情が険しいことに気がついて笑顔を引っ込めた。
「…なにか、ありました?」
けれどここで事情を話す気にはなれなかった。
「…別宅に行く」
「じゃあ私も行きます。邪魔でなければ」
「邪魔じゃない」
土方の返答に総司は安堵して微笑んた。


斉藤はある時を境に伊東の様子が変わったことに気がついていた。
伊東は常に硬い表情を崩さず、いつもは饒舌なお喋りも最低限に控えて部屋に閉じこもっている。衛士たちは「お忙しいのだろう」と気にしていなかったが、伊東には余裕がないように見えた。
(あの嵐の日から…)
藤堂が先に戻り、伊東は迎えに行った内海を伴って帰還した。伊東は中岡との再会を心待ちにしていたのに、帰ってきた時の表情は厳しく唇は引結ばれていた。
詳しい事情を知っているのは内海なのだろうが、伊東の片腕である彼が疑っている斉藤へ簡単に吐露するはずはない。だったら藤堂が知っているかと、斉藤は探りを入れてみたのだが
「何も知らない」
の一点張りだった。嘘が下手な彼がそう言い切るのには理由があるのだろうが、藤堂の頑なさはよく知っているので引き下がるしかなかった。それに、いつになく藤堂も表情が強張っていて、何か決意を固めているような気がしたのだ。
(何か…企てがあるのだろう)
斉藤は刀の手入れをしながら考え込んでいると、
「斉藤先生」
と声をかけられた。伊東の実弟である鈴木だ。
「見回りに行きませんか」
「…わかった」
鈴木は御陵衛士となってからも淡々と新撰組にいた時と同じように見回りを続けていたが、この所は特に物騒になり頻度が高くなった。
斉藤は鈴木と共に歩き始める。昼だというのにどんよりとした雲が立ち込めているので、また天気が悪くなるだろう。
鈴木は斉藤を新撰組の間者だと疑い、露骨な態度を続けていたが、武田観柳斎の一件で少し見る目が変わったようで他の衛士と同等に接するようになった。加えて鈴木と兄である伊東との関係が軟化したのもあり、衛士たちの間では人が変わったと評判だが相変わらず口数は多くはない。
しばらく互いに無言で歩いたあと、鈴木が
「兄のことを何かご存じではありませんか?」
と訊ねてきた。きっとそんな話がしたいのだろうと斉藤は察していた。
「いや…数日前から様子が変わったとは思っていたが」
「兄にはいつも余裕がありました。山南総長が切腹された時も、長州に行った時も、正月の居続けで咎められた時も…けれど今は、何か…思い詰めているような気がして」
「心配だと」
「…兄弟ですから」
「…」
斉藤の目には、鈴木の性格が変わったようには見えなかったが、兄への執着がなくなり、どこか憑き物が落ちたかのようなすっきりとした様子が見えた。衛士たちが人が変わった言っていたのはこういう部分なのだろう。
斉藤は少し考えこむふりをした。
「…おそらく、土佐の中岡と面会した際になにかあったのだろう」
「しかし兄は土佐とは良好な関係を築けていると言っていました」
「表向きはそうだろう。しかし中岡が本当にそう思っていたのか…協力関係を解消したいとでも言われたのかもしれない」
「…」
鈴木は(まさか)という顔をしたが、斉藤には、当初から中岡が本気で伊東や御陵衛士のことを信頼しているとは思えなかった。何かと西国の味方をし討幕へと誘ってきた土佐の重鎮が、新撰組から脱退したと主張するだけの御陵衛士を信用するはずはない。いくら伊東の弁が立ち、考え方が同じでも…根っこのところでは疑っていたはずだ。
(手のひらを返してもおかしくはない)
そうなれば、伊東は衝撃を受けたはずだ。中岡のことは道標のように信頼していたのだから。
「…兄上は落胆されているのだろうか…」
「わからないが、落胆されているご様子ではなかった。おそらく次の策をお考えのはずだ」
「次の策とは?」
「…さあ」
斉藤は敢えて曖昧に首を傾げた。ここまでヒントを出したのだから、いくら疎くてもしばらく考えれば鈴木も思い至るはずだ。
伊東が信頼されない原因は新撰組に在籍していたことだ。そしてその分派でしかないと見なされている事実…それを覆すためになすべき事。
つまり、足枷になっている新撰組を裏切るのではないか。
(確たる証拠が欲しいところだ)
斉藤は鈴木を嗾けた。
「伊東先生に訊ねてみては?」
「…いえ、兄上は俺になんて…」
「以前なら一蹴されたかもしれないが…今は何か答えてくれるのでは?」
「…」
鈴木の表情が一瞬変わる。しかしすぐに眉間に皺を寄せて考え込んだ。











解説
なし


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