わらべうた




750


皆が寝静まり、夜が更けていく。日が落ちると一気に寒くなる季節だ。
内海はいまだに明かりの灯る伊東の部屋を訪ねた。
「失礼します」
と言っても返事がなかったのでそっと中に入ると、伊東は数冊の書物を枕にするようにして文机に突っ伏して眠っていた。
(まったく…この寒い夜に)
内海は仕方なく自分が着ていた羽織を伊東の肩に掛け、消えかけていた火鉢に炭をくべる。黒い炭がほんのり赤らんだのを確認して再び伊東へ視線を戻すと、彼が枕にしているのは山南から譲り受けた書物だった。
『新撰組を打倒する』
伊東の強い決意を感じ、内海はその意志に従うことにした。返り討ちにあって潰されるのではないかという危惧は感じたが、伊東がいつかそう決意するだろうとは予感していたので、それが早まっただけだと納得した。
(俺は君についていく…)
それは新撰組に入隊する前から決めていたことだ。迷いなどあるはずはない。一歩間違えば、山南のように死ぬことになるだろう。
だが…それでも。
「君と共に在れば良いんだ」
内海が呟くと、
「…相変わらず、怠慢な奴だ」
と伊東が目を開けた。
「起きていたのか?」
「少し前に」
伊東はそう言いながら背伸びをしたが、内海は独り言を聞かれて居心地が悪い。
「…それで、今後のことは決まったのか?」
「大体決まった。…やはり新撰組を相手にするにあたり、人員が足らない。美濃の助太刀は得られるかもしれないが…その場合は徳川や会津を巻き込んだ戦争になるだろう。私はそんなに愚かではないしこの時勢に内戦を望まない…本末転倒になる」
「だったら…」
「秘密裏に近藤を殺すしかないだろう」
伊東の冷たい物言いに、内海はひやりとした。
土方とは対立する場面も多く、分離の際は完全に敵対していた。けれど近藤とはそれなりの友誼を残したままであり、別れの際は近藤は心から残念がっていた。伊東も近藤には一目置いており一個人としての度量の大きさを認めていたはずだ。それなのに今は、その情が欠片もない。
内海は
「君には躊躇いがないな」
と率直にいうと、彼は苦笑した。
「躊躇いがないわけじゃない。だが、土方を殺しても隊士たちは喜ぶだろうし、近藤が新撰組の精神的支柱であることは間違いないのだから仕方ない。私は彼とは進む道が違うが、その情熱と気概は認めているんだ。これは苦渋の決断だよ」
「しかし…このところ近藤局長は屯所に詰めている日が多く、警護のために何人か付けている。そう簡単にいかないだろう」
「…なんだ、内海も同じことを考えていたのか」
伊東の言う通り、内海はこの数日新撰組の屯所の様子を探っていた。伊東が『近藤を手にかける』と言い出すのはわかっていたからだ。
「大坂奉行所の与力が殺されたと聞くが、新撰組はそれ以上に方々の恨みを買っている。この混乱に乗じて俺たちのように命を狙う者がいてもおかしくはない。…それゆえに警備が厳しくなっているようだ」
「そのようだ。早急に動きたいが…現実的には近藤を狙うのは難しいかもしれない。彼は剣豪だ、そして運が良い…池田屋の土壇場で生き残ったのだからな。それに今回、失敗すれば新撰組が口実を得て総力を上げて我々を潰すだろう。我々の命はない…確実に遂行したい」
「…どうする?」
「…」
黙り込んだ伊東は身体の向きを変えて、火箸を持ち炭を突いた。
漆黒の炭は仄かな焔に喰われて灰となる。じりじりと、けれど確実に。
「…この炭のようにこのまま焼かれて、灰になって消えていくのは不本意だ。ここで何も成すことができないなら…この先も我々に未来はないだろう」
「大蔵君…」
「死にたくなければ、非情になるべきだ。お前も…私も。だが…」
伊東はその長い睫を伏せて燃えていく炭をじっと見ている。そしてしばらく黙り込んだ。
内海はその顔をじっと見ていた。長年の付き合いになるが、伊東は全く老けた様子がなくむしろ都に来てからどんどん若返っていくようだった。水戸で燻ぶり続けていた情熱を発散させるように、ただただ邁進しているその後ろを歩くだけで、内海は十分だった。
(汚れ仕事は俺が請け負う)
「…君の考えていることは、大体わかる。新撰組の精神的支柱は近藤局長だけではない。たとえば…沖田がいなくなれば、局長、副長と助勤や隊士たちを繋ぐ役割を果たす者はいない。まず彼を殺し、別宅を構えている永倉、原田と一斉に手に掛ければよい。それで崩壊する」
「…しかし病の者を襲うのは、気が進まない。武士として…」
「我々は将軍に忠義を誓う武士ではない。帝に使える衛士だ」
今度は内海が伊東を説得する番だった。火鉢を挟んで二人は視線を交錯し、内海は伊東の肩に手を伸ばし掴んだ。
「君は先ほど非情になるべきだと言っただろう。沖田は別宅で療養し、巡察の際には屯所に戻っている。狙うのは簡単だ、手段を択ばずに前進すべきだ」
「…」
「君ができないというのなら俺がやる」
「痛い」
伊東は内海の手に自分のそれを重ねた。いつの間にか力が入り、強く掴んでいたようだ。
「すまない…」
「良いんだ。ただ…内海にそんなことをさせたいわけじゃない。弱者を狙うのは私の流儀に反しているし、気が引ける」
「彼は弱者ではない。病に侵されていてもいまだに新撰組一番隊を率いる助勤だ。刀の穢れになるわけがない」
「…」
「大蔵君」
内海は決断を促し、前のめりになって伊東の言葉を待っていた。彼が口にすることならば何でも請け負うつもりだった。それがたとえ非情な行いでも道義に反していても、自分たちが活路を見出すためなら構わなかった。
あの雨の日、項垂れる伊東を見て彼のためならなんでもすると覚悟を決めたのだ。
けれど伊東は首を横に振った。
「…内海、君にそんな仕事は似合わない。真面目な君はいつか後悔するに決まっている」
「しかし…」
「こういう時に任せるべき者がいるだろう」
内海は伊東の意図を理解し、ゆっくりと体勢を戻した。
「…斉藤先生か」
「良い機会じゃないか。彼らは親しい友人だが、斉藤君がこの仕事を完遂できたなら今度こそ内海は彼を信用できるだろう?今後も重要な仕事を任せられる。しかし完遂できないなら…やはり我々の仲間として相応しくない。彼の本性に炙り出すには良い時機だ」
土方は分離の際、伊東に『寝首をかかれない様に』と忠告した。斉藤とは半信半疑のままここまで過ごしてきたが、ついに本性を確かめる時が来たのだ。
「斉藤君とともに数名、同行させよう。もし彼が裏切れば、その場で沖田諸共斬れば良い」
「…だったら俺に行かせて欲しい。彼のことは俺が確かめる。あとは腕利きの服部君と腕っぷしの良い篠原が居れば何とかなるだろう」
「わかった。彼らには私から話す」
話がまとまり、伊東は不敵に微笑んだ。
「…内海、私と共に在るということはこういうことだ。それでも良いのか?」
内海は二度、その言葉を伊東に告げた。
それは判断を任せるという意味であり、命運を共にするということだ。
もちろん、内海は重々理解していた。
「ああ、もちろんだ」
「そうか」



目が覚めた時、雨は上がり陽が昇っていた。
「あ、おはようございます!!」
庭から聞こえてきた元気の良い声は寝起きの総司の鼓膜を激しく揺らした。おかげで一気に頭が冴えた。
「…あれ、泰助?」
「はい!副長から留守番をするように命令されました!ついでに庭掃除も!」
「泰助、声が大きい」
「すまん!」
別の方向からやってきたは銀之助だった。彼らは小姓を命じられていて、年相応に表情豊かでやんちゃな泰助と年不相応に涼しい顔をして落ち着いた銀之助という凸凹の組み合わせだが、不思議と気が合うようだ。
二人は朝方、土方に命令されてやってきて泰助は庭掃除、銀之助は総司の看病を担当していたらしい。
「いまは…もう昼を過ぎましたか?」
「はい。そろそろ主治医の先生がいらっしゃるそうです。副長からのご伝言で、しっかり治るまでお休みになるようにと」
「俺たちに何でも言いつけてください!」
泰助は箒を持ち、銀之助は水の入った桶を準備している。そんな二人に囲まれて総司は何だか気が抜けてしまった。
(子どものままごとに付き合っているみたいだ)
「…ありがとう」
「腹が減ってますよね?昼餉を準備します!」
「泰助、先にお薬の白湯だよ。目を覚まされたらまず一番に、と副長がおっしゃっていたのをもう忘れたの?」
「そうだった!」
彼らはバタバタと土間の方へ向かった。漫才のような彼らのやり取りを耳にしていると、自然の口元が緩んだ。
(ハハ…土方さんはわざとこの二人を遣わせたんだな)
深刻な話をした後の喀血…目が覚めて一人だったら鬱々としたに違いない。けれど少年たちの他愛のない会話や懸命な働きぶりは気を紛らわせたし、考え事をする暇がない。
すると、ガラガラと玄関が開くことがした。英がやってきたらしく二人の案内で部屋にやってくる。彼は困惑した表情をして
「新撰組は余程の人手不足なのか?それとも寺子屋でも始めた?」
と、真剣に尋ねたので総司はまた腹を抱えて笑うことになってしまった。








解説
なし


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