わらべうた




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「兄上は、土佐の輩から非礼な仕打ちを受けたようだ」
見回りを終え、月真院に戻る途中で鈴木は斉藤に兄から聞いた話を明かした。
「博徒の輩と変わらぬと…なんという暴言だ。土佐には失望した!」
「…博徒か、それは確かに手厳しい」
「兄上もそのような奴らの相手をする必要はないのに」
鈴木は憤っていたが、斉藤は(やはりその程度だったか)と納得した。周到に立ち回る中岡らが元新撰組である伊東を易々と信用しないのは当然だ。伊東も本心ではわかっていたが、『そうではないはずだ』と期待していたが裏切られてしまったのだ。結局は便利に利用されていただけなのだという現実を突きつけられた。
「兄上はこの先の展望は、教えてくださらなかったが、新撰組に在籍していた過去を憎んでいた」
「当然だ」
「もしかしたら、兄はとても大胆なことを考えているのかも…」
「鈴木君」
月真院の正門までやってきたところで、内海が突然現れた。彼は待ち構えていたようでさらに彼の背後には屈強な篠原と腕の立つ服部もいて威圧しているように見える。突然現れた彼らに鈴木は困惑した。
「内海さん…?」
「鈴木君、伊東先生のお話を易々と他人に話すべきではない。ましてや、元食客である彼に」
「は…はい」
「…」
いつも冷静な内海が『他人』と口にしてあからさまに斉藤を牽制していた。内心ではずっと疑っているのだろうが、今の振る舞いは本心を隠してはいなかった。鈴木も内海の変化を感じ取り、困惑していた。
(何かある)
斉藤は身構える。すると内海に「話がある」と誘われた。鈴木は不審な顔をしながらも内海に促されその場を去り月真院に入っていく。
「…何の話だ」
「今からある人物を殺しに行く。相手は相当な手練れ…是非斉藤先生に先鋒を任せたい」
「闇討ちか。それは…伊東先生もご存知のことか?」
「勿論」
内海の物言いは淡々としている。けれど伊東自ら命じるのではなく内海を介するあたり、後ろめたい相手なのだろう。
何かの罠のような気がしたが、敢えて断る理由はない。
「伊東先生の命令なら是非もない。決行は?」
「今からです」
「…急だな」
「君の腕前ならしくじることはないでしょう。私と篠原、服部も助力します」
内海の言い方は腕が立つ、という褒める意味ではなく、お前なら秘密裏に殺すことに慣れているだろう、という嫌味のようだった。
(この場を去ることもできないか…)
内海だけならまだしも、腕の立つ服部と体格の良い篠原に囲まれてはさすがに手も足も出ない。逃げ場がなく、だれかに伝える暇もない。わざわざこんな状況で強引に連れ出されるということで、相手も察しが付く。
(相手は…新撰組か…)
鈴木が口走っていた通り、伊東が元新撰組であるということを克服したいと望むなら、近藤の首を中岡に献上するのが手っ取り早い。この頃、伊東が重い表情で思案していたのもこのことだったのだろう。新撰組を相手に戦を仕掛けるつもりだ。
「…わかった、行こう」
斉藤の返答に内海が頷き、彼らは月真院を離れた。
陽が暮れ始め、辺りは暗くなり始めている。斉藤はまるで連行されるように内海の隣を歩き、後ろに服部と篠原が続いた。
「なんと言って鈴木君を唆した?」
内海に尋ねられ、斉藤は「一体何の話だ?」と問い返した。
「俺は君を信用していない。土方副長の右腕であった君が御陵衛士に加わるなど最初からおかしいと思っていた。大蔵先生は面白がって取り込んだが…俺はいつ君が裏切るのかとずっと疑っていた」
「…無駄なことに時間を費やして残念だな。俺は伊東先生のお考えに心から賛同している。幕府がなくなりやはり先生を頼って良かったと心底安堵しているところだ。…まあ、過去を変えられないのは仕方ない。過去は殺せないし、殺したところで信用を得るとは限らない」
「…」
遠回しな嫌味を内海は涼しい顔をして受け流した。そこで斉藤は少し大きい声で
「新撰組に歯向かっても返り討ちに遭うだけだ。考え直した方が良い」
と飾らず告げると内海はピクリと眉を動かしただけだったが、勝気な篠原は「愚弄するのか!」と声を上げた。後ろの二人が今にも刀を抜きそうになったので、内海は「やめろ」と制する羽目になる。彼らの短絡的な行動のおかげで斉藤は(やはり)と確信を得た。
内海は尚も続けた。
「やはり斬るのが気が進まないのだろう」
「…斬るのは構わないが、その後のことが問題だ。新撰組が総動員して攻め込んできたら御陵衛士はどうなる。あっという間に壊滅する」
「君の心配することではない。もし君が濡れ衣だというのなら、今回のことで証明すれば良い。その後にこれからのことを腹を割って話せば良いのだ」
「…わかった」
それきり会話は途切れ、賑わう祇園の繁華街へ足を踏み入れた。色めきあう人々の間を、深刻な表情をした四人が歩く様子は物々しくさぞ浮いているだろう。斉藤はその人混みに紛れた時、懐から紙縒り(こより)を落とした。あまりにも自然な仕草で、後ろの二人もゴミを落とした程度にしか思わないだろうが、これは斉藤が雇うの回し者への合図―――近藤と土方へ緊急を告げる手段だ。おそらくこの祇園のどこかで斉藤を見ている。
(これで内海たちの目的は果たせない)
近藤の別宅を狙うつもりだろうが、紙縒りが届けば土方は近藤の身柄を確保し必ず屯所に留め置くはずだ。この人数で屯所に襲撃を仕掛けるはずもなく、彼らの目論見は外れる。
(ここらが潮時だろう)
ギリギリまで満杯になっていた湯呑みから、何かが溢れたような気がした。

 

「先生、俺たちは土間で十分です!」
銀之助は拒み、土間に布団を敷こうとするが泰助は遠慮なく
「きっと凍えるように寒いぜ」
と総司とともに部屋で寝ようと誘う。
結局、具合が芳しくない総司はもう一泊別宅で夜を過ごし、朝起きて万全の体調で屯所に帰営することにしたのだが、小姓たちもそれに付き合うらしい。銀之助は「仮隊士の分際で」と組長と布団を並べて眠ることを拒むが、昔なじみの泰助は平気だと大笑いする。この場に土方や井上がいれば話は別だろうが、総司は泰助の側に立ち、穏やかに笑った。
「田村君、土間なんか隙間風で寒いに違いありませんよ。私も君たちを預かっておいて風邪を引いて返すわけにはいかないんです」
「でも…僕は寝相が悪いし、先生にご迷惑をおかけするに違いありませんし…!」
「強情だなあ!銀、もう俺は寝ちまうぞ」
「お前はもうちょっと遠慮したらどうなんだよ!」
結局、二人はまた小競り合いを始めたので、総司はその隙に銀之助の布団を部屋に引き入れて枕を並べる。そして
「組長命令です、田村君」
と指差すと強情な彼はようやく落ちた。
「わ…わかりました。でも沖田先生、僕のことはどうか『銀之助』をお呼びください。兄が二人いて紛らわしいでしょうし」
「じゃあ銀之助君。ほら、早く寝ましょう」
銀之助は渋々従い、泰助は得意そうな笑みを浮かべて明かりを消した。
試衛館や壬生にいた頃は雑魚寝は当たり前だったが、ここまで年下の子供とともに寝るのは総司にとって初めてのことで新鮮だった。
(近藤先生はこんな気持ちだったのかな…)
九つで試衛館に口減らしにやってきた総司を、近藤は慣れない様子で出迎えて可愛がってくれた。末っ子だった近藤にとって、総司はまるで年の離れた弟のようなもので叱ることなど一度もなかった。
総司も彼らを見ていると穏やかな気持ちになる。
(この子達に…強くなってほしいな…)
かつて自分が近藤を慕い強くなりたいと思ったように、彼らもこの場所で生き甲斐を見つけてほしい。
総司はそんなことを思いながら目を閉じた。


同じ頃、新撰組の屯所に大石が駆け込んできた。
いつも裏口を使いながらも物音ひとつ立てない大石がバタバタと気配を隠すことなく、土方に顔を見せたのは初めてのことだった。
「どうした?」
「近藤局長は…!」
「部屋にいる」
会津黒谷から戻った近藤は、本来であれば別宅に行く予定だったらしいが時間が遅くなってしまい、子どもを起こしてはならないと屯所に戻ってきていた。
大石はそれを聞くと一旦は安堵したが、すぐに懐から紙縒りを土方に差し出した。
「これを斉藤先生の下僕であるという物乞いから預かりました…!すぐに副長へ知らせるようにと」
「…!お前は醒ヶ井へ行け。お孝たちを連れてこい」
「はっ!」
紙縒りの意味は、土方と斉藤の間で取り交わしていたためすぐに意図を察した。土方は大石に指示を出し隣の部屋を訪ねると、近藤は習慣である眠る前の読書をしていたようだ。
「歳?何があった?」
「斉藤から知らせだ。…御陵衛士が動いた。近藤先生を狙っている」
「何…?!」
「詳しいことはわからないが、おそらく近藤先生が黒谷へ向かったことを知り、別宅に戻すことを予想して奇襲するつもりだろう」
近藤は青ざめ、「お孝とお勇が!」と声を上げるが、土方は「大丈夫だ」と頷いた。
「近藤先生はここを動くな。醒ヶ井には念のため大石に行かせた。まさか女子供に手を出さないだろうが、人質にでもされたら厄介だ。醒ヶ井は近い…すぐに屯所に避難させる」
「そうか…。しかし、まさか本当に御陵衛士が攻めてくるのか?」
「伊東は屯所に奇襲をかけるような馬鹿ではないだろう。狙っていたのは近藤先生の首だけのはずだ。…だが、奴らの狙いは頓挫する」
「そう…そうだな、俺はここにいるのだからそうなるな…」
「俺は念のため全隊士を武装待機させる」
突然のことに困惑する近藤を置いて、土方は隊士たちのもとへ足を向ける。その道中に騒ぎに気が付いた山崎がやってきた。
「御陵衛士が動いたとか」
「ああ、斉藤からの知らせだ。紙縒りが届いたときは最上に危機的な状況の知らせだと取り決めている。斉藤自身もそうすることでしか知らせることができない切羽詰まった状況のはずだ」
「…監察からの情報を集めます」
深刻な表情をした山崎が闇に紛れて姿を消した。








解説
なし


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