わらべうた




752


土方は詳しい事情を伝達せず、敵が攻めてくる可能性があるとして皆を武装待機させた。真っ暗な闇に包まれる夜更けに、あちこちに松明が灯され皆が武具を身につけ、銃が並ぶ…さながら戦でも始まるような物物しい雰囲気のなか、まだ入隊したばかりの相馬は困惑していた。
「一概に敵と言っても、長州か薩摩か、あるいは別の勢力か、はっきりしないのですか?」
伍長の島田は、
「それは自分にもわからん。ただ、監察方は随分慌ただしい様子だった…なにかあるのは間違いない。準備を万全にして損はない」
「今更長州や薩摩が、新撰組を相手にする必要はないっすよね。だとすれば分離したっていう御陵衛士じゃないっすか?」
ぴりぴりと張り詰めた空気の中、野村は大あくびをしながら呑気な様子だ。忙しい島田は相手にせずに聞き流したが、相馬は眉間に皺を寄せて詰め寄った。
「適当な憶測を口にするな、士気に関わる。だいたい新入隊士のくせにその態度は…」
「そういや、あのちびっ子らはどこに行ったんだろうな?」
相馬の小言も意に介さない野村は辺りを見渡した。忙しなく小荷駄方が走り回り戦支度を整えるなか、幹部の小姓を務める泰助と銀之助の姿がない。
相馬は「そんなことか」とため息をついた。
「二人は土方先生の別宅だ。沖田先生の具合が悪く付き添いをしているそうだ」
「ふうん…」
野村はそれまで気怠そうにしていたが、急に立ち上がり刀を差した。そして部屋を出て行こうとするので、相馬は引き止めた。
「待て。何処へ行く?」
「…なんか、気になってさ。副長の別宅は西本願寺の近くだよな?様子を見てくる」
「全員待機だと命令が出ただろう。だいたい詳しい別宅の場所を知らないくせに…」
「ちょっと外の様子を見てくるだけだ」
野村は相馬を振り切って島田に「ちょっと行ってきまーす」と軽く手を振って去ってしまう。島田はやれやれと呆れていたが気分屋の野村に構っていられなかったようで相馬に視線を送ったので、相馬は仕方なく野村の後を追うことにした。
すると彼らと入れ替わるように、醒ヶ井から大石とともに孝とお勇、そして居合わせたみねが屯所に避難してきた。到着の知らせは瞬く間に近藤に届き、駆け込んでくる。
「お孝…!良かった、みんな大事ないか?」
「へえ、お勇もこの通り」
お勇はこの騒がしいなかでもよく眠っている。近藤はその寝顔で顔をくしゃくしゃにして「大物だな」と安堵していたが、肝が据わっている孝は「しっかりなさいませ」と励ました。
近藤は彼女たちを客間に案内し、土方は大石を呼んだ。
「状況はどうだった?」
「静かです。醒ヶ井も屯所の周りも人通りはなく、普段と変わりません」
「…そうか」
「他の監察も同じでした。ただ…月真院を張る小者によると内海、服部、篠原…斉藤先生が外出したと」
「…」
土方は腕を組み考え込む。紙縒りが届いたのは間違いなく急を要する事態のはずだが、状況は変化がない。
(一体どこに…。醒ヶ井に近藤先生がいないことを察知したのか…?)
あっさり撤退したのだろうか。
しかし土方の胸騒ぎは止まらなかった。



月が翳り今宵は一層闇が濃く、夜が深く感じる。人通りの少ない道をぞろぞろと無口で歩くととても時間が長く感じられた。
斉藤は立ち止まり、
「醒ヶ井はあちらでは?」
と尋ねた。屯所を急襲するには人数が足りないため、近藤の別宅に向かうのだろうと思っていたのだが内海は醒ヶ井を通り過ぎ北上している。
しかし内海は
「こちらであっている」
と否定し、篠原や服部もそれに同意したため斉藤は違和感を覚えつつ彼らの歩調に合わせるしかなかった。
(…狙いは局長ではない…)
先導する内海は不動堂村を避けるように道を選び、迷いなく歩き続ける。次第に斉藤は自分の嫌な予感が当たっているような気がしてきた。
西本願寺の近くーーー覚えのある通りの一角で内海が足を止めたのだ。
「狙いは土方副長か?」
「…斉藤君、正体が露見してはややこしいことになる。この頭巾を被ってくれ」
内海は答えず、斉藤に黒の頭巾を渡す。敢えて答えを濁しているのだと感じ語調を強めた。
「答えろ。この先の別宅へ踏み込むのか?」
再度尋ねたところ、内海はようやく答えた。
「その通り」
「…土方が死んでも、新撰組の結束は揺らがない」
「承知している」
「だったら何故」
斉藤は紙縒りが届けば、近藤も土方も屯所にいるだろうと確信していたため、この先の結末を見据えていた。踏み込んだところで無人であり彼らの企ては失敗に終わる…だったら内海からより多くの情報を得るべきだと切り替えたのだ。
しかし内海は表情を変えなかった。
「おそらく新撰組は土方がいなくなっても近藤の元で再起するだろう。むしろ結束は強固になり一丸となって我々を潰すかもしれない…斉藤君にそんな無駄な手間をかけさせるわけにはいかない」
「…では…」
「小者に調べさせたところ別宅には土方は不在で、沖田が療養している」
その言葉を聞いた途端、斉藤は内海が何故標的を伏せ続けたのか理解し、すぐに頭巾を投げ捨てて彼の胸ぐらに掴み掛かった。同時に服部が鞘に触れ、篠原が踏み出したが
「やめろ」
と内海が制したため彼らは動かなかった。内海は標的を明かせばこうなることを予測していたのだろう。
「病人を狙うなど武士の風上にもおけぬ!」
「武家の棟梁である幕府は倒れた、故に我々は武士ではない。…病人の彼に手を出すのは不本意だが、仕方ないことだ」
「仕方がないだと?それが伊東の考えか?」
「その通り。大蔵先生はもう手段を選ばぬ。この世の中で生き抜く為には新撰組を打倒しなければならない。最初は近藤を狙うべきだと思案したが、より確実に仕留めるべきだと判断した。この後は助勤を狙う」
内海が強く断言し、斉藤はますます強く掴んだ。
「心底見損なった。死病を患う者を手に掛けるなど、御陵衛士の一生の汚点となる所業…!」
「この程度の汚点など、この国を変えることを考えれば些細なこと。…それとも、友人を手に掛けるのを躊躇うのか。伊東先生の命令が聞けないと?」
内海が視線を斉藤の背後へ向けた途端、篠原と服部が刀を抜く音がした。刃先はもちろん斉藤に向けられているだろう。
斉藤は(冷静になれ)と自分に言い聞かせる。
ここで感情に任せて応戦することはできるが、手練れ三人を相手に背中を取られている…切り抜けられる確率は低い。それはとにかくとしても、もしそうなれば彼らはこのまま別宅を襲撃するだろう。病で伏せり身体が思うままに動かず、人数でも劣れば流石に総司でも対応できない。
そして内海の眼差しはとても冷たい。
(こいつは俺を試している)
最も親しい友人を斬れるのか。本当に新撰組を見限ったのかーーー。
斉藤はどうにか感情の昂りを抑えつけて、襟を離した。そして内海を強く睨みつけた。
「…わかった。ただし、誰一人手を出すな。病人を不意打ちし、数人で囲むなど俺は耐えられない。…この先に進むならそれが条件だ」
「良いだろう。ただし君が仕損じたら我々がやる」
内海が頷いて背後の二人は刀を鞘に収める。斉藤は投げ捨てた頭巾を拾い上げた。
斉藤は短い時間を使ってあらゆる可能性を考える。一番良いのは、彼が斉藤諸共斬り伏せることだが、病の体でそう簡単には行くまい。もしくは斉藤がタイミングを見計らって裏切り三人を斬り伏せる手もあるが、そうなれば新撰組と御陵衛士の全面戦争だ。その火蓋を勝手に切るわけにはいかない。
なかなか正解が得られないまま、斉藤は内海らに促され別宅へと足を向ける。追い詰められた状況のなか、一つだけはっきりしていることがある。
(いまこそ、誓いを果たすべき時だ…)
何があっても守るーーーその機会がまさかこんな唐突に訪れるとは思わなかった。けれど、そうすべきだと誰かが言っている気がした。



総司は不意に目を覚ました。
まだ静かな真夜中で泰助と銀之助の寝息が聞こえるだけだった。
眠る前に枕元に置いた白湯を飲み、一息つく。そして子猫のように丸まって眠る泰助と宣言通り寝相の悪い銀之助が熟睡しているのを見て、思わず微笑んでしまった。
(やっぱり、まだ寝顔は子どもだな…)
あどけなさの残る彼らを眺めていると、不意にギィ…という小さな物音が聞こえた。いつもなら風の音か建物が軋んだのか、くらいにしか思わなかったが今夜は何故か違った。
(歳三さん…ではないな…)
集中して耳を澄ますと、室内を歩く足音と共に土を踏む音も聞こえてきた。数人がこの家に侵入し、しかも盗人のように物色する動きはなく少しずつ…足音が近づいている。
確実にーーーこの部屋を狙っていた。









解説
なし


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