わらべうた




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ガターンッ!
出入り口の襖と、庭の障子が同時に蹴り飛ばされた。
突然の出来事に熟睡していた泰助と銀之助は何事かと飛び起きるが、経験のない年少の彼らに状況が理解できるわけがない。
総司はすぐに刀掛けに手を伸ばし、邪魔になる鞘を投げて抜き、暗闇から降ってくる刃を片膝をついたまま受け止めた。そして立ち上がる勢いで跳ねつける。
「逃げなさい!」
怯える彼らを怒鳴りつけるが、出入り口と庭から囲まれてそう簡単に逃げられるわけがなく、腰の抜けた彼らを引っ張り上げて床の間に押し込むだけで精一杯だった。
すぐ次の刃が襲いかかる。再び総司は床の間を背中にその刀を受け止めた。庭から差し込む月明かりだけでは頭巾を被った相手の顔は見えないが、人数はわかった。
(四人…!でも…)
不思議なことに、襲いかかってくるのは一人だけで後の三人は刀は抜いているものの逃げ出さないように出入り口を塞ぎ、高みの見物に徹している。総司には好都合だったが理由は分からなかった。
剣先の角度を変えて改めて向かい合い、キィンキィンと静かだった夜を切り裂くような剣戟の声が響く。
不利な状況だが、実戦では使用していなかった大和守安定がとても手に馴染んで扱いやすい。まるで自分の体の一部のように狭い室内で思い通りに動いて総司の助けとなった。そして撃ち合ううちに相手の剣筋に覚えがあることに気がついた。
(まさか…)
総司はわざと間合いを詰めてその癖を確かめた。右、左、右…まるで示し合わせた稽古のように男がどこを狙うのかわかる。
本人は無外流を修めたと言っていたが、彼の人生の過酷さが詰まったような唯一無二の厳しい太刀筋。型よりも実践向きの急所を押さえた無駄のない動き…そして近くに感じると、その息遣いや呼吸は明らかに彼のものだった。
「なんで…!」
(斉藤さん…!)
理解した瞬間に目が合った。その鋭く冷たい眼差しで彼が本気で殺しに来ているのだと察した。
「な…っ!」
その瞬間、総司に心の揺らぎがあったのだろう、荒れた布団で足元が滑りバランスを崩して片膝をつく。しかし経験から、斉藤が薙ぎ払うだろうと身体が理解して避けなんとか受け流すことができた。
(斉藤さんが殺しに来た?じゃあ取り囲んでいるのは御陵衛士…)
御陵衛士に新撰組の間者として紛れ込んでいる事実は、本人が語っていたのだから間違いがない。けれどいま目の前で真剣でやり合っているのは、総司が知らない、獲物を狩る怪物の姿なのだ。どこまで本気なのか全く読むことができない。
室内の狭い空間で対峙する。
総司はまたバランスを崩さないように滑りやすい足元の布団を蹴り飛ばし、青眼で構えた。
(何故こんなことになっているのか…頭が働かない…)
彼が本気で殺しに来ているのか、他に目的があるのか…。
考える余裕すらない。
だから無心に動くしかない。
狭い室内で有効なのは突きだ。三段突きは稽古では誰も受け止められず、危険だからやめておけと近藤に釘を刺されてきた。
「ヤァっ!」
総司は三段が一度に見えると讃えられる突きで、踏み込んだ。斉藤も読んでいたのだろう、一度、二度と避けたが三度目は距離感を誤り部屋の壁に背中をぶつけて、避けきれなかった。
総司はその瞬間、躊躇した。このまま刃先が斉藤の利き腕を捉えるーーー。
(斬ってしまう…!)
しかし一方で斉藤は容赦なかった。総司の迷いを察して逆に間合いを詰めると、次の瞬間には反対側の床の間まで蹴り飛ばしたのだ。
「…っ!」
「先生!」
泰助と銀之助が咄嗟に手を伸ばすが、転倒し胸を強か打った総司は途端に呼吸が苦しくなった。それは斉藤との攻防だけでなく、労咳のせいだろう。
「っく、は…っはぁ…」
まるで時間切れのように突然、体が鉛のように重くなる。肺は悲鳴をあげていたが、目の前には新撰組を背負う若い彼らがいる。
(この子たちを…守らなければ)
その思いだけが奮い立たせた。
ぜえぜえと荒い息を堪えながら、総司は安定を杖にして立ちあがろうとする。けれど斉藤の刀は温情なく再び降りかかり、総司は眼前で止めるので精一杯だった。
鋒が頬に触れて赤い血が流れる。片手ではとても押さえきれない強さで、峰が支える左手のひらの皮膚に食い込んでいた。総司は身体全体で受け止めなければならず、堪えていた咳と血が口の端から溢れた。
(このまま…押し切られる…)
圧倒的に不利な状況に陥り、斉藤の刀の切先が目前に迫ったとき、
「やめろぉ!」
と床の間から泰助が飛び出して斉藤に突進した。斉藤は突然のことに驚いたようですぐに避けて間を取る。そして転けてしまった泰助の首根っこを捕まえるとそのまま庭に投げた。続いて銀之助も脇差を抜き、総司の前に守るように立った。
「…っ、にげ…」
「逃げません!士道不覚悟です!」
そう叫ぶ銀之助の手は震えている。未熟な彼には斉藤の刀を受け止めることすらできないだろう。
総司は深く息を吸い込んだ。
そして再び斉藤が刀を振り上げた時、今度は総司が銀之助の襟を掴んで泰助の元へ投げる。そして低い体勢から刀を弾いた。斉藤は応戦し再びキィンキィン!と応酬が始まる。
「先生!」
「俺たちも…っ!」
庭に放り投げられた泰助と銀之助の悲鳴を耳にしながら、刀を重ね続けた。二人のおかげで総司は立て直したものの、
(長くは持たない…!)
総司は唇を噛んだ。
気力に身体がついていかない。斉藤とはほぼ互角のはずだがしきりに押し込まれてしまい、彼の素早い剣捌きについていくのがやっとだ。互角だと思っていた相手に押し込まれるのは、自分の衰えを見せつけられるようだった。
それでも耳を劈くような音が瞬く間に繰り返される。互いにかすり傷を負いながらも譲らなかったが、長時間となると不利なのは当然総司の方だった。研ぎ澄まされていく集中を阻害する吐き気を感じる。
クラっと目眩を感じた。
「ゲホォ!」
距離をとったところで大きな咳とともに喀血した。体の昂りは一気に冷めて再び彼の前で片膝をつく。
(もう…駄目か…)
見上げなくともわかる。彼はゆっくりと総司に近づき最後の一撃を振り上げるだろう。これ以上、彼の強靭な刃を受け取めることは肉体的にも出来ない。
「先生ぇ!」
「逃げ、逃げてくださいー!」
二人の必死の叫びが聞こえてきて、総司はフッと笑った。
(士道不覚悟だって言ったくせになぁ…)
この土壇場で逃げようともせず、命乞いもせず、一人前みたいな顔をしていたくせに。
総司は座り込んで、蹴り飛ばした枕や布団が散乱する場所まで後ずさった。斉藤はじわじわと距離を詰めて刀を振り上げて
「終わりだ」
と呟いた。
その刹那…彼の眼が何か別のことを言っているような気がした。
けれどそれを訊ねることはできなかった。
ーーーパァン!
総司は短銃を取り出して、斉藤の脇腹を撃ち抜いたのだ。


(一体何が起こったのだ…?!)
庭からその様子を見ていた内海は、爆発音と共に斉藤がその場に倒れた光景に唖然としていた。
斉藤の殺意は本気で、最初は正々堂々と刀を合わせていたが、総司が喀血しても彼は容赦なく息の根を止めようと急所を狙い続けていた。それは側から見ていて気持ちの良い光景ではなく、ただただ病人を嬲りいたぶるようにしか見えなかった。彼の殺意は本物で、新撰組に未練も情もないのだと言わんばかりの剣筋を見せつけられていた。篠原も服部も手出しせず、ただその様子を見守るしかない。
内海は視線を逸らし『もう良い』と何度言いかけて飲み込んだだろうか。
(これが我々の選んだ道だ…)
手段を選ばないとは、こういうことだーーー。
しかし、斉藤がとどめを刺そうかと言う時に思わぬ出来事が起きた。新撰組随一の遣い手である総司が突然、短銃を枕元から取り出して撃ったのだ。
「なんてこった…!」
傍にいた篠原が驚いて呻き声を上げる。斉藤と共に玄関から侵入した服部も庭に駆けてきて
「逃げましょう!」
と言った。
その時、もう一度銃声が聞こえた。総司がトドメを刺すように倒れ込んだ斉藤にもう一発撃ち込んだのだ。
その無惨な光景を見て内海たちはゾッとした。次に銃口が向けられるのは我が身だと察したのだ。
「流石に短銃は相手が悪い!」
「斉藤は死んだ、いま我々がここを去ればまだ無関係だと言い切れる!」
「…わかった!」
内海は彼らの意見に同意し、庭からそのまま逃走した。年少の泰助が「待て!」追いかけようとしたが腰が抜けて叶わなかった。
銀之助は総司の元へ駆けた。
「先生!!無事ですか?!」
「ええ…銀之助、屯所に行って土方さんに報告を。それから急いで…山崎さんを呼んできなさい」
総司は体を引きずって仰向けで倒れた斉藤の元へ向かった。側にあった手拭いで血の流れる脇腹を抑える。
もちろん銀之助には理解できなかった。彼の目には斉藤は非道な襲撃者だ。
「先生、この者を助けるつもりですか?!僕たちを襲った刺客です!」
「…良いから、早く泰助と行きなさい」
「でも!」
総司に事情を話す余裕はない。
銀之助はようやく総司も万全ではないのだと気がついて、
「承知しました!!」
と叫びながら泰助と共に走って行った。
ようやく静かになった部屋はまるで嵐が去った後のようにあちこちに物が散乱し、家屋の至る所に刀傷が残り、畳は禿げて酷い惨状だ。
総司は彼の脇腹の傷口を押さえつつ、息苦しそうな頭巾を脱がせた。斉藤は天を仰ぎ痛そうに顔を顰めていたが、口元は微笑んでいた。
「…斉藤さん、本気で殺しに来たでしょ?」
「はっ…あんたこそ、まさか短銃を出すなんてな…」
「掠った程度で浅手だと思いますけど…手元が狂ったら危なかったです。斉藤さんがここで死んだことにした方が良いと思って畳に撃ち込んだんですが」
「ああ…良い判断だ…」
斉藤が頷いたので、総司は安堵しつつ尋ねた。
「そもそも、どうするつもりだったんですか?」
「あんたに殺されるつもりだった」
あっさり白状したので、総司は「やっぱり」と苦笑した。
最後に斉藤が刀を真上に振り上げた一瞬に隙があった。互いにしかわからないような僅かな時間だが、まるで総司の反撃を待つような目をしていた。
総司は軽く咳き込んだ。喀血したものの幸いにも動悸は治りつつあるのでこのまま落ち着くだろう。
「…大丈夫か?」
「ハハ…大丈夫とは言い切れませんが、なんとか。まさかこんなことになるなんて…」
詳しい事情はわからない。斉藤の本気の殺意と気迫は最後の最後まで偽りなく向けられていた。
けれど
「今度は、約束が…果たせた」
と斉藤は満足げに語る。
「約束?」
「守ると…言っただろう…?」
斉藤は傷口を押さえる総司の手に自身のそれを重ねた。
『俺はあんたに忠誠を誓う。どんなに遠くにいても、離れていても、守るから』
御陵衛士として脱退していく別れ際の言葉が蘇る。過剰だと思ったけれど、まさかこんな形で実現するとはあの時は互いに思わなかった。
総司も笑った。
「随分、乱暴な約束の守り方でしたけど」
「…結果が良ければ、それで良いだろう」
「じゃあ私も、約束は果たしましたよ。ちゃんと…斉藤さんが帰ってくるまで、生きてたでしょう?」
「そうだな…」
互いに無傷とはいかなかったが、柔らかく微笑んだ。すると遠くから誰かが駆け込んでくる足音が聞こえたーーー。





















解説
なし


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