わらべうた




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東の空が赤く色づき始め新しい一日の始まりを告げようとしていたが、新撰組の屯所では厳戒態勢が続いていた。騒がしく出入りする監察、敵襲に備えて居並ぶ隊士たち…緊張感に満たされた雰囲気の中、松明のパチパチとした音が流れ続けている。
そんななか突然、相馬と銀之助は息を切らしながら幹部たちが集う広間に駆け込んだ。
「一体何事だ?」
入隊して日が浅い二人が形式を踏まず突然顔を出したので土方は怪訝な顔をしたが、優等生の相馬は焦り、銀之助は血まみれで顔面蒼白だ。その様子を見ただけで非常事態だと皆が理解した。
銀之助は叫んだ。
「襲撃されました!場所は副長の別宅です!!」
「な…」
土方はその言葉で何もかもを察して絶句したが、皆は一瞬理解が追いつかない。
「待て…別宅ということは、総司が襲われたということか?」
近藤が訊ねると、銀之助は何度も頷く。幹部たちは顔を見合わせ原田は「マジかよ」と漏らし、永倉は「なんてことだ」と唸る。
しかし彼はパニックになっていてこれ以上うまく説明することができない様子だったので、道中で状況を把握した相馬が口を開いた。
「敵は四人、沖田先生がそのうちの一人と激しい斬りあいになり、喀血し昏倒しかけたところで短銃を発砲…事なきを得たそうです。三人は逃走し、一人はいま脇腹に怪我を負い先生が手当てしているとのこと。田村君と井上君は応援を呼んでくるように命令を受け、屯所に向かっていたところ私と野村に鉢合わせました。そして勝手ながら、敵がまだ潜伏している、もしくは援軍が来る可能性があると考え、井上君は野村と共に引き返させました」
「だ…だったら総司は無事なんだよな?」
原田が恐る恐る尋ねると相馬と田村が頷く。土方以外は安堵に包まれた。
相馬は近藤の傍に控えていた山崎へ視線を向けた。
「沖田先生はすぐに山崎先生を呼ぶようにとのことでした」
「…わかった。局長、宜しいですか?」
「勿論だ。撃たれた者には尋問せねばならん、命を取り留めねば」
「はい」
近藤が促して、山崎は早速退出する。次は腕を組み、難しい顔をしていた永倉が田村に訊ねた。
「それで、賊は?長州か、薩摩か土佐か?御陵衛士か??」
「…申し訳ありません。俺には、わかりません…」
田村は深々と頭を下げたが、井上は苦笑した。
「そりゃそうだ。数日前に都にやってきたばっかりだ。それなのに突然恐ろしい目に遭って大変だったな」
年下の扱いに慣れた井上が励ますと、田村は悔しそうに唇を噛んだ。
「僕は何も…。泰助と一緒に沖田先生に庇われるばかりで…為すすべなく身を隠していただけです…」
「この経験を踏まえてこれから鍛えりゃいい、伸びしろはいくらでもある。…近藤局長、少し休ませてやりましょう。屯所の警備ももう宜しいのでは?」
「そうだな。…夜番を除いて通常通りの体制に戻って良いだろう。一番隊は別宅に向かい状況を確認だ」
皆が了解して解散となったが、土方だけは張り詰めた空気のまま、近藤の隣で深く考え込んだままだった。
「…歳…」
「おそらく御陵衛士だ。奴らには総司の病のことが伝わっている…それを敢えて狙ったに違いない。武士の風上にも置けない…!」
静かに憤る土方に肩を、近藤は軽く叩いた。
「…お前らしくないな。少し頭を冷やせ、総司は無事だと言っていただろう。早く別宅に行って状況を確かめた方が良い」
近藤は土方が御陵衛士よりも自分自身に苛立っているのだと気が付いていた。斉藤からの緊急の知らせを近藤襲撃だと思い込み、まさか別宅で休む総司を狙ったものだとは全く気が付かなかった。
(いつも肝心なところで俺の勘は外れる…)
胸騒ぎの正体に気が付かず、追い詰められた伊東の考えを読み切れていなかった。
「歳、考えすぎるな。もう危機は去ったんだ」
「…わかっている。近藤先生は屯所を頼む、念のためお孝たちも朝になってから醒ヶ井に戻ってもらえ」
「ああ」



先に出立した山崎が別宅に着いた時はすでに朝靄に包まれつつあった。
「ははぁ、まさかこんなところであっさり再会やなんて」
仰向けに倒れている斉藤の姿を見て、山崎は茶化しつつ苦笑するしかない。彼が御陵衛士に潜入していたことは知っていたし、総司が襲撃者をわざわざ介抱していると耳にしていたので、「もしや」と思っていたのだ。
相馬の的確な指示で引き返して駆けつけた泰助と野村の手助けおかげで斉藤の出血は収まり、本人も意識があって容態も落ち着いていた。
「見たところかすり傷や。傷口の縫合は得意やから任せとき。…ほら野村、手伝え。泰助は湯沸かして桶に入れて来るんや」
「はい!」
威勢よく返事をした泰助は土間に駆けていき、野村は見たことのない医療道具を目の前にして「わからん!」と声を上げていた。
総司は
「山崎さん、私は何を?」
と尋ねたが、彼は眉間に深い皺を寄せた。
「はぁ?病人は寝てもらわな。日が昇ったらハナさん呼びますから、それまでじぃっとしといてください!」
と、叱られてしまったので医者の指示に従い、斉藤の傍らで肩から上着をかけて状況を見守ることにした。
山崎は早速傷口を縫い始めた。斉藤はずっと無表情だったが時折顔を顰めて耐えるように唇を噛んだ。仕方なかったとはいえ、ケガを負わせたのは自分のせいなので、総司はその隣で暢気に眠ることはできなかった。
「一緒にここに来たのは誰ですか?」
「…内海と、篠原…服部だ」
「ああ…なるほど。でも彼らは手出ししなかったですよね」
「そう約束させた…」
「当たり前や。病人相手に四人なんて、卑怯もええとこ。土方副長もさすがに伊東がそんな手を使うとは思わずに、この別宅は眼中になかったくらいや」
憤りながら山崎は手早く四、五針ほど縫い、身体を起こしてサラシを巻いたところ、斉藤の顔色も良くなった。
その頃には陽が上り辺りを明るく照らし始めていた。
「しばらく休んどき。ホンモノの医者を呼んでくる」
山崎は別宅を出ていくと、入れ替わるように一番隊の隊士たちが息を切らしてやってきた。
「先生!」
「沖田先生!」
特に島田は総司の顔を見ると安堵して、山野は涙ぐんだ。しかしその隣で斉藤がぐったりとしていたことにはさらに驚いていた。
「あの、じ…自分は、斉藤先生は御陵衛士であり、ここを襲撃した敵ということだと認識しているのですが…」
混乱する島田たちに総司は苦笑するしかない。
「また後で説明しますから。とにかく内密に、騒ぎ立てないように」
「はぁ」
「先生がご無事で何よりです!」
山野が涙目で総司の手を取る。
するとそこへようやく土方がやってきた。彼も急いでやってきたようで庭先から土足で上がり込む。すっかり荒れてしまい面影のない自分の別宅であるのに見向きもせず、
「ひじ…」
総司を見つけると何も口にせず膝を折って強く抱きしめた。島田と山野はまるで見てはいけないものをみてしまったという顔をしていたので、総司は気まずい。
「…皆んなが見てますよ」
「悪かった」
「なんで土方さんが謝るんですか?それより褒めてもらわなきゃ、大変だったんですから…」
総司は胸板を押し離れたが、土方は総司の体をあちこち触って大きな怪我がないことを確かめる。彼の視界には総司しかないような深刻な眼差しだ。
「擦り傷だけか。…吐いたのか?」
「まあ…。それより土方さんのおかげで命拾いしました。いつも短銃を枕元に隠すように言ってましたもんね」
賊に恐れたときの最終手段だと説得されて渋々そうしていたが、こんなに早く役立つとは思わなかった。
そしてようやく土方は斉藤に目を向けた。
「…ご苦労だった。傷は?」
「深くはありません。…緊急事態だったためこのような判断になりました。申し訳ありません」
「お前の判断は間違っていない。紙縒りも届いている」
土方がそう答えると斉藤は頷いた。
そして土方は島田たちには別宅の片付けや見回りをさせて人払いし、斉藤と話し込んだ。ここに至るまでの経緯、伊東の思惑、近藤を避け総司を狙った目的…。
「…わかった。総司が二発撃ち込んだのは正解だ、内海たちはお前が死んだと思っているだろう。さらにこちらからお前は死んだという噂を流し、奴らを油断させればきっとまた仕掛けてくる。…それまで身を隠せ」
「はい。…副長、御陵衛士の本来の狙いは近藤局長です。警備を怠るべきではありません」
「ああ…御陵衛士は必ず壊滅させる」
総司は黙って二人の会話を聞いていたが、土方の表情は深刻そのもので『壊滅させる』という言葉には迷いは一切なかった。以前は藤堂を助けたいという近藤の思いを汲みたいと話していたのに、もう情を掛ける様子はない。
(でも僕も…同じだ)
斉藤が機転を利かせ盾になってくれたおかげで命拾いしたが、もう彼らは手段を選ばない。そして御陵衛士が近藤を狙っているというのなら答えは決まっている。
そうして長い夜が終わり、ようやく朝を迎えたのだ。








解説
なし


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