わらべうた




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十一月十五日。
早朝、内海たちが月真院にもどると伊東は眠らずに待っていた。しかし斉藤の姿はなく内海たちの表情も暗いため、聡い伊東は話を聞く前に結果を悟ってしまった。
伊東は篠原と服部に休むように伝え、内海だけを部屋に招き入れ詳細を聞いた。
順調に事を運び、多少反発した斉藤も本気で総司を手に掛けようとした。その争いは筆舌に尽くしがたいほど壮絶だったけれど、結末には予定外のことが起こった。
「そうか…短銃か。隊随一の使い手である沖田が短銃を所持しているなんて誰も想定できないだろう」
「申し訳ない。我々の正体は気づかれていないだろうが、斉藤君を失う結果になってしまった…」
「むしろ彼が死んだのならその方が良かった。中途半端に生き延び、あちらに寝返られたら我々の破滅だった」
伊東は案外あっさりとしていた。
実は内海以上に彼のことを疑っていたのは、伊東だったのかもしれない。頼りになる人材だと言いながら、本音では恐れていた部分もあり新撰組と手を切ろうと画策している今となっては、彼がいなくなったことに安堵しているのだろう。
「幸い、お前たちは見物に徹していたのだろう。沖田の他にいたという若者も御陵衛士のことを知らぬ新入り…当然新撰組からは疑われるだろうが、証拠はない。何か問われても全て斉藤君の独断だと突っぱねれば良い」
「…上手くいくだろうか」
「これくらいの危険は承知の上だ。斉藤君もあちこち繋がりがあっただろうから、疑いは分散する。…やはり本命を避けて弱腰になったのが良くなかった」
伊東は薄く笑う。その眼差しには後ろめたさや焦りはない。そして内海たちを責めることもない。それがかえって内海には堪えていた。
「大蔵君…」
「では努めて、我々は素知らぬ顔で日常を過ごさねばならないな」
内海の言葉を遮った伊東は「仮眠する」と言い出した。
「悪いが藤堂君に辰の刻になったら起こすように伝えてくれ。彼と外出する予定があるんだ。…藤堂君にはしばらく斉藤君のことは伏せていてくれ」
「…わかった」
内海は言葉を飲み込んで頷き、そのまま部屋を出た。
朝日が美しい庭に差し込んでいる。空気が冷たいせいかその輪郭がはっきりして見えた。
(俺には…上手くいくように思えない)
正体を掴める証拠がなくとも、新撰組なら御陵衛士を潰すために動くだろう。伊東もそれをわかっているはずで、敢えて触れずに内海を責めなかった。
(俺が足を引っ張ってどうする…!)
一晩中、駆け回って疲労が溜まっていたが、内海には自分への苛立ちのあまり眠気はなかった。



正午。
ちらほらと雪が舞い始めていた。
孝たちを醒ヶ井に送り届けた近藤は、護衛として数名の隊士を引き連れて土方の別宅にやってきた。
「これは、凄まじいな…」
一歩踏み入れてみるとあちこちが傷だらけで、壮絶な斬り合いだったことは一目見ればわかった。少年二人が目撃したのはまさに修羅場だったのだろう。
玄関からは入らず庭先から足を踏み入れると、縁側で休む斉藤の姿があった。
「斉藤君、ご苦労だった。傷はどうだ?」
潜伏から帰還した斉藤は近藤を見るなり軽く頭を下げた。
「大事ありません」
「浅手だと聞いたが…まだ休んでいた方が良いのではないのか」
「いえ、問題ありません」
仮眠を取っただけの斉藤だったが、頭は冴えて眠気はなかった。近藤は「総司は?」と尋ねる。
「…部屋で眠っているようです」
「そうか。相馬君から話を聞いた時は肝が冷えた。君が機転を効かせてくれてうまく行ったのだろう?」
「…機転と言えるかどうか…」
斉藤は目を伏せた。近藤は斉藤の隣に座りながら「どうした?」と問うた。
「今回のことで…。御陵衛士に裏切りを気付かれないようにするため、病人相手に手加減ができませんでした。酷く消耗したはずです」
「…そうか。総司は喀血したそうだな」
「…」
そのせいか、今はどんなに騒がしくとも泥のように眠っている。本人は起きている間は気を張っていたが、真っ白で血の気がなかった。駆けつけた南部や加也も深刻な表情で診察をしており、次第に気が抜けたのか深く眠ってしまった…その様子を見て斉藤は己を責めた。
しかし近藤はあっさりと「大丈夫だ」と斉藤を慰めた。
「あれは案外丈夫だ、幼い頃も大病を乗り越えている。…それに総司にとって、君と本気でやりあえたことは嬉しかったはずだ。今では誰も彼も総司を病人扱いして気を使うからな…仕方ないこととはいえ寂しさを感じていただろう。…君の目から見て、総司はどうだった?」
近藤の質問に、斉藤は言葉を選んだ。
「…とても互角とは言えません。互いを熟知している分動きこそ頭では理解できているが、身体が伴わない。キレも腕力も、体力も…以前と比べるととても…」
「そうか…だったらそれを総司も感じているだろう。あいつが納得して、俺が引導を渡すのはそう遠くないなぁ…」 
近藤は曇天から舞う雪を見つめた。穏やかであり寂しくもあり、虚しくもあるーーー己の跡さえ継がせようとした愛弟子に引導を渡すのは気が滅入るだろう。
すると総司の看病をしていた土方が顔を出した。
「近藤先生、来ていたのか」
「歳、総司はよく寝ているようだな」
「ああ。…ちょうど良かった、今後のことを話しておきたかった」
土方は厳しい表情で膝を折って、続けた。
「御陵衛士は斉藤が撃たれて死んだと思っている。その方が都合が良いだろうから監察にも同じように噂を流させて、ほとぼりが冷めた頃復帰させる。怪我もあるししばらくは療養だ」
「勿論だ。しかし何処で身を隠す?」
「屯所が良いと思っている。近藤先生もしばらくは屯所を離れるな。お孝たちは安全な場所に身を隠せるように山崎が手配する」
「…寂しいが危険な目に遭わせるわけにはいかぬな」
「長くかからない」
土方が断言したので、近藤は腕を組みしばらく沈黙した。そして、
「やはり…御陵衛士を叩くつもりか?」
と尋ねると、土方は冷ややかに笑った。
「叩くなんて甘い真似はしない。二度と再起させないように壊滅させる」
「歳…」
「御陵衛士はもともと近藤局長を狙っていた。それが叶わないと判断しここを狙い、総司を殺した後は助勤たちの別宅を襲うつもりだったらしい」
「…本当か?」
黙って話を聞いていた斉藤は、ゆっくりと頷いた。自分と妾だけでなく、永倉や原田の別宅まで狙われていた…近藤はさらに難しい顔をしたがそれでも諦められずに
「だが…平助が加担していたわけじゃない」
と食い下がるが、土方の表情は変わらなかった。
「…例え加担していなくとも、あいつは御陵衛士だ。伊東の考えに賛同している」
「斉藤君、平助の様子はどうだ?彼は…本当に…」
本当にもう、背を向けてしまったのか。
本当にもう、取り返しがつかないのか。
斉藤は近藤から懇願するような眼差しで見つめられつつ、土方の頑なな態度の板挟みとなる。
斉藤は少し考えたあとに口を開いた。
「…藤堂は伊東を心酔し皆を盛り立て…今や内海の次に影響がある存在です。伊東も彼の働きを評価し、重用しているのは間違いありません。…一方で、彼が古巣を悪く言うことはありません。幕臣に昇進した時は喜び、沖田さんが病だと知ると心配をしていました」
「やはり!」
「しかし」
近藤は安堵の表情を浮かべたが、斉藤は釘を刺す。
「彼が望むのは…伊東のために働くことだけです」
山南を失い、その代わりを伊東に求めた。例え何があっても自分の決意を翻しはしないだろう。
近藤はしばらく呆然とし、「そうか」と呟いた。仲間との間に『情』はある。しかしそれはあくまで過ぎ去った感情であり、今の生き方を左右するものではない。
だが、近藤の強情さは筋金入りだ。
「仕方ない、と今は割り切れない。だが…御陵衛士の存在が新撰組にとって、会津にとって厄介なのはわかった。分離した御陵衛士は俺たちにとって身から出た錆…己で蹴りをつけるべきだ」
「…今はその答えで十分だ」
土方は頷いて、話を切り上げた。















解説
なし


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