わらべうた




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夜、陸援隊に潜入している水野八郎こと橋本皆助が月真院へ駆け込んだ。伊東と内海が驚いて迎え入れると、彼は前置きなく
「中岡隊長が襲撃されました…!」
「なんだって…?!」
伊東は声を上げ青ざめた。傍らにいた内海は「詳細を」と急かし橋本は頷く。
「今夜の戌ノ刻頃、土佐藩邸近くの近江屋にて襲撃を受けたようです。才谷梅太郎は即死、中岡隊長は瀕死の重傷を負ったとのこと。土佐藩邸から陸援隊へ知らせが届き、騒然としています」
「あれほど忠告したというのに!」
伊東は悔しそうに声を上げて畳に拳を打ちつけた。
伊東は午前中に藤堂と共に近江屋を訪ねていた。切々と御陵衛士の立場を訴えながら、身の危険が迫っているため身を隠すように伝えた。幕府が倒れ新しい政が始まろうとしているいまだからこそ慎重に動くべきであり、命を落とすべきではないと説いたが、相変わらず彼らは聞く耳を持たずに聞き流されてしまった。
伊東は別れ際まで切々と訴えた。
『私の言葉にお疑いを持つのは仕方ないこと。しかし私は私の信条に従い、危険を避けていただきたいと申し上げているのです』
それに対して中岡は
『生死は天に任せる』
と言っただけで伊東たちを追い返したが、それが最後になろうとは思いもよらないことだった。
絶句する伊東の代わりに内海が話を進めた。
「それで襲撃犯は…?」
「わかりません。十津川郷士を名乗りやってきたと証言がありますが、言葉の訛りはそのような雰囲気はなく『こなくそ』と叫ぶ声が聞こえたとかで、本当のことではないだろうと。…才谷先生は土佐にとって重要な人物であり、大政奉還を成し得た英雄のような立場です。中岡隊長も言葉も口にできぬほどの重傷…それ故にいまは夜更けにも関わらず陸援隊の隊士たちが躍起になって犯人探しをしています」
「…わかった。君も戻ってそれに加わり、何かわかれば報告を」
「はい」
「待て」
黙り込んでいた伊東が、去ろうとした橋本を引き止めた。
「私も行く」
「大蔵君?」
「橋本君、表門で待っていなさい」
橋本は戸惑ったが拒む理由はなく「わかりました」と部屋を出て行った。困惑しているのは内海も同じだった。
「大蔵君、どういうつもりだ?」
「内海…彼らを襲撃したのは誰だと思う?」
「…そんなことはわからない。疑われるのは大政奉還を推し進めたことを恨む幕府側か…しかし徳川を打倒したいと目論む輩にとって、徳川の取り潰しを拒み合議制を目指す才谷先生は邪魔であったはずだ。…しかし、どれも確信がない」
「私にもない。だが…そのなかに新撰組の名が必ず上がるはずだ」
内海はハッとして伊東の目を見た。彼の長いまつ毛の下に昏い眼差しが見え隠れしていた。
「大蔵君…」
「土佐は以前の制札事件でも新撰組と揉めているし、新撰組を恨んでいる志士は多い。それに『こなくそ』は伊予の言葉だ…確か原田組長は伊予の出だったはずだな」
「新撰組になすりつけると?」
「…本当に彼らの仕業かもしれないじゃないか」
伊東は薄く笑った。そして立ち上がるとそそくさと衣紋掛けに手を伸ばし、上着に袖を通し始めた。
「とにかく状況を確認する。私と藤堂君が彼らを訪ねたことは店の者が知っているし、奉行所の調べがついているだろうから、無関係を装うのは立場を悪くする。犯人探しの協力に名乗りをあげた方が今後のためにも得策だ」
「大蔵君…それは、君らしくない」
「…橋本君を待たせるわけにはいかない」
伊東は敢えて無視をして刀を帯びたが、内海に強く腕を掴まれて引き止められた。
「…俺が言えることではないと思っていたが敢えて言う。昨晩、沖田襲撃に失敗したことで新撰組は御陵衛士へ疑いの目を向けている。君は誤魔化せると言ったが、土方はそんなに愚かではない…我々が動いていると察するだろうし、少しの疑いでもあればこちらを潰すだろう。今までだってそれで何人死んだと思っている?…いまは身を引いて大人しくすべきだ。これ以上新撰組を刺激するべきではない」
「…内海にしてはよく喋るな」
「はぐらかさないでくれ。…君だって本当はわかっているはずだ。あまりに…あまりに危険すぎる。冷静な君らしくない」
「…離してくれ」
「だめだ、慎重に考えてくれ」
内海はより一層強く力を込めて引き止める。
「君を行かせたくない。もうこれ以上…不本意なことをしなくても良い」
内海は懇願したが、伊東の表情は険しくなった。
「…不本意?不本意であるはずがない、私は新撰組を打倒すると誓っただろう。非情なことでも臆さず手を染める…だからこれは好機だ!陸援隊が新撰組と衝突すれば、我々が直接手を下さずに目的を果たせるかもしれないのだから」
「…」
内海には伊東の言いたいことはわかっていた。けれど彼が危うい橋を渡ろうとしている気がして、手を離すことができなかったのだ。
伊東は内海を見据えた。その瞳には怒りと冷たさがあった。
「…なんだ、私と共に在ると言ったのに、存外大したことがないな」
「大蔵君…」
「もう良いか?」
怒りを滲ませた伊東は手を振り払って出て行ってしまった。内海は彼を引き止める言葉が見つからなくて、ただ自分の掌を見つめるしかなかった。




翌十六日、早朝。
血相を変えた浅羽が屯所にやってきた。土方が
「何事ですか」
と客間で出迎えると、浅羽は彼らしくなく挨拶を省き焦った様子で訊ねた。
「単刀直入にお聞きします。昨夜土佐藩邸近くの近江屋にて、坂本竜馬が暗殺され中岡慎太郎が瀕死の重傷を負いました。…手を下したのは新撰組ですか?」
「まさか!」
土方は声を上げた。
「土佐の坂本は新政権に徳川を加えるべきと表明しており、徳川にとっても要の人物であると心得ています。一時行方を探らせたことはありますが、暗殺など以ての外」
「…さようですか。あなたがそうおっしゃるのならそうなのでしょうが…」
浅羽は一応は安堵したようだったので、逆に土方が問うた。
「新撰組が疑われていると?何を証拠に」
「…証拠はありません。ただ小者が現場を目撃し、襲撃者が『こなくそ』と叫んだらしいのです。…こちらの原田組長は伊予出身であり、襲撃犯として名前が挙がっています」
「はっ…あいつが『こなくそ』と叫んでいるのを聞いたことがない」
「それに一昨日の夜から朝にかけて屯所にて武装待機していたでしょう。その件と結び付けて新撰組が蜂起するのではないかと噂になっています」
「それは関係がない、別件だ」
浅羽を責めても仕方ないとわかっていたが、土方は苛立つ気持ちを堪えられなかった。どれもこれも的外れな疑いで、新撰組にとって不利益なことばかりだ。
どうにか腕を組んで気持ちを落ち着かせようとしたが、苛立ちなかで土方はあることに気がついた。
「…浅羽さん、暗殺は昨晩のことでしょう。原田が伊予の者だとか我々が武装していただとか…話が早すぎる。誰かが新撰組を襲撃犯として槍玉にあげているのでは?」
「実は…奉行所によると御陵衛士の伊東殿がそのように話しているのだと」
「伊東が…!?」
「ええ。それに現場に鞘が残されていたそうなのですが、それも新撰組のものだとか…」
「…」
あまりの濡れ衣に土方は鎮火しかけていた怒りが再び込み上がるのを感じた。
(新撰組に罪を着せるつもりか…!)
伊東は近藤暗殺を企んだどころか、総司を襲撃し、さらに無関係な暗殺犯に仕立てようとしている。
彼らは完全に敵対するつもりだ。
よほど顔に出ていたのか、浅羽が「落ち着いてください」と宥める。
「まだ情報が錯綜しているところです。私も殿の命令で確認に参っただけのこと…本当に新撰組が関わったと疑われているわけではありません。ただこの件で土佐陸援隊は犯人探しに動いています。くれぐれも慎重に動いてください」
「……わかりました」
話相手が浅羽であったためどうにか感情を飲み込んだが、苛立ちをぶつける様に握りしめた拳は震え、手のひらには爪が食い込んでいた。
浅羽は用件を終えると去っていき、土方はその足で近藤の元へ向かった。朝から不快な話を聞き、それが会津を経由してのことであったので流石に近藤も顔を顰めた。
「…決定的だな、これは…」
「ああ。こうなればこちらも黙ってはいられない」
「…ひとまず、左之助に話をしておこう」
近藤は小姓の銀之助に原田を呼びに行かせた。夜番だった原田は少し眠そうにしていたが、近藤から経緯を聞くとまずは腹を抱えて笑った。
「あんまりにも心当たりがなさすぎて、笑えてくるな。確かに『こなくそ』は国の言葉だが、脱藩してから口癖にしたことはないし、疑われるのは心外だぜ」
「我々は疑っちゃいない。ただそういう噂になっているから気をつけた方が良い。おまささんにも身を隠すように伝えるべきだ」
「わかったよ、実家に帰らせる」
原田は「はあ」と大きなため息をつきながら、
「それで?俺が犯人だって言い出したのはどこのどいつなんだ?」
「それは…」
「御陵衛士の伊東だ」
土方はあっさりと答えた。黙っておくつもりだった近藤は気まずい顔をしたが、原田は信じられない様子で「本当かよ」と目を見張る。
「数日中にカタをつける」
「カタって…御陵衛士を潰すってことか?」
「喧嘩を売ってきたのは奴らだ」
喧嘩っ早い原田なら理解するかと思いきや、原田は複雑そうに顔を歪めて戸惑っていた。
「…平助は…?」
「あいつも御陵衛士だろう」
「そういうことじゃねえって!平助にも…手を出すのかって…」
流石に原田すら言葉を濁したが、土方は「当たり前だ」と言い放った。
「考えてみろ、そもそも伊東は新撰組の頭である近藤先生を狙っていた。それが敵わぬからと病の総司を狙い、その後はお前や永倉の別宅を襲撃するつもりだった。失敗に終わったとはいえ、無かったことにはできない裏切りだ。それに先に裏切ったのは奴等で、今度は根も葉もない罪を着せようとしている。このまま見過ごすことはできない」
「でも平助のやったことじゃ…!」
「あいつは美濃でゴロつきの兵を集めて挙兵させようと画策している…その矛先は徳川であり俺たちだ。…それでも助けるべきだって言いたいのか?」
「…っ、くそ!」
原田は悔しそうに何度か自身の太腿を強く叩いた。土方の理屈はわかっていても、感情では飲み込めないのだ。
「それでも…それでも俺にはできねぇからな!」
捨て台詞のように叫ぶと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
しかし土方もら表情一つ変えずに
「俺は考えを変えるつもりはない」
と告げて部屋に戻って行ってしまい、近藤は深く考え込むことになった。











解説
なし


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