わらべうた




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十一月十六日、陽が昇っても雪ははらはらと舞い続けるなか、巡察の当番であった永倉の隊が奇襲を受けたと戻ってきた。
「何者かはわからないが徒党を組んで、新撰組が才谷先生の仇だと罵られました。乱闘騒ぎになり何人か軽傷を負うだけで済んでますが、町中がその噂で持ちきりです」
「そうか…」
難しい顔をした近藤が腕を組み唸る。巷では普段から素行の悪い新撰組の仕業だと広まり、巡察に出る隊士は針の筵のようらしい。
「状況は悪くなるばかりだな」
土方がため息をつくと、永倉は眉間に皺を寄せた。
「…左之助から聞きました。新撰組を暗殺犯に仕立てたのは伊東だと」
「…」
「報復のために御陵衛士を潰すのですか?」
永倉は近藤と土方を見据えて、少し棘のある言い方をした。原田と同じように御陵衛士…藤堂に危害が及ぶことを望んでいないのだろう。
土方は(お前もか)と内心ため息をついたが、永倉は
「道理に適っていると思います」
と意外なことを口にした。
「敵襲に遭い、罪を着せられ…このままでは土佐と衝突するというのに、黙っているわけにはいきません。相手が刃を向けるのなら応戦するのは当たり前のことです」
「しかし、永倉君…」
整然とした様子に近藤は驚くが、永倉は揺らがない。
「ただ、仕掛けるのなら俺も加えてください」
永倉はまるで藤堂のことなど忘れたかのような淡々とした言い方をしていた。土方は戸惑いながらも
「…わかった」
頷いた時、
「このやろ、裏切り者ー!!」
と襖を蹴り飛ばして原田が部屋に飛び入りした。こっそり隣室から聞き耳を立てていたことに土方は気がついていたが、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「平助は仲間だろ!あのバカ、伊東に唆されてるに決まってるんだ!!むしろ昔馴染みとして早く助けに行かねぇと!」
「…左之助は俺が説得します」
「しんぱっつぁん!!」
ジタバタと暴れる原田を組み伏せ、文字通り首根っこを捕まえて永倉は引きずるようにして部屋を出て行った。原田の罵声はいつまでも響いてくる。
しかし原田以上に頑ななのは近藤の方だ。
「…永倉君の言う通り、伊東さんが我々を裏切る行為を行っているのなら断じて許せぬ。永井様の誤解は解けたが、新撰組として見過ごせない。…それはもちろんわかっている」
「ああ」
「…だが、左之助の言う通り平助を手にかけるような真似はできない」
土方は近藤の『情』を断ち切るのは難しいとわかっていた。だから敢えて
「お孝やお勇の命が狙われてもか?」
と問うと近藤の顔色がサッと変わった。冷や水を浴びせられたかのように瞳孔が開き、土方を見る。
しかし土方は突き放した。
「総司は何とか切り抜けたが、俺にとっては同じ意味だ。何よりも大切なものを奪われそうになったのに、手加減などできるものか。それに奴らはいまだにかっちゃんの命を狙っている…そのことに藤堂が加担していないとなぜ言い切れる?」
「…」
「過去は変わらない。確かに藤堂が試衛館の食客であり、門下生だったことは揺らがない事実で、みんな情を感じているだろう。だが…人は変わる。藤堂は伊東を師と仰ぎ命運を共にしたいと思ったから出て行ったんだ。あいつの意思を、選択を尊重すべきだとは思わないのか?」
近藤は沈黙し、唇を噛んだ。
飲み込みきれない思いが身体中を駆け巡るものの、現実という楔に繋がれて身動きができない。
眉間に皺を寄せ苦悩しながらも近藤はゆっくりと頷いた。
「…わかった。御陵衛士を壊滅させるための最善の策を立ててくれ」
「ああ」
「…でもな、歳。お前の言う通り人は変わる。平助だけじゃない、俺やお前、総司や皆も昔と何も変わらぬとは言い切れない。けど、だからこそ…これから先も変わると言うことだろう?例えば平助がこれから先に考えを変えて、俺たちの元に帰ってくる…なんてこともあり得るかもしれない」
「そんな馬鹿な」
土方は否定したが近藤は「可能性の話だ」と続けた。
「俺は平助がそんなふうに思っているかもしれないという僅かな可能性を信じていたいと…思ってしまう。歳だって本当は平助を名指しして殺したくはないのだろう?」
「…」
「甘いよな、わかっているよ。本当に俺はどうしようもない。…でもどうか、そういう道を残した策を立ててくれ」
近藤は「この通りだ」と頭を下げた。そんなことをしなくとも土方は近藤の了解なく動きはしないとわかっているはずなのに、藤堂への情の深さ故なのだろう。
土方は何も言わなかった。

ジタバタと暴れる原田をどうにか宥め、永倉は今は誰もいない道場に連れてきた。
「あん?なんだよ、木刀で叩きのめそうってのか?俺ァ真剣でも構わねえけどさ!やるか?!」
「落ち着けよ」
「俺は平助だけは手を出せねぇからな!あいつは可愛い弟分なんだ、俺だけは絶対に裏切らねぇ!」
鼻息洗い原田は裏切り者だと永倉を牽制する。獰猛な闘牛のような悪態に、永倉は大きくため息をついた。
「…まったく、短気な性格だ。お前はいつかその性格で損をするんだろうな」
「なにおう?!」
「もしお前のように俺が平助を庇ったらどうなる?この状況で御陵衛士を強襲するのは仕方ないが、土方さんに楯突けば作戦から外されて蚊帳の外…俺たちの預かり知らぬところで平助の身に危険が及ぶ」
「…まさか、しんぱっつぁん…」
「芝居に決まってる」
永倉がふん、と鼻を鳴らすと、原田は「さすがだ!」と一気に喜びを爆発させて永倉に駆け寄り抱きついた。
「よっ!この千両役者!すっかり騙されちまったじゃねえか!」
「まだこれからだ。お前も俺に説得されたことにして大人しく指示に従うんだぞ。…これからどうなるのかわからないが、平助の命だけは助けたい」
二人の脳裏には山南との別れが過ぎった。大津から連れ戻された際、永倉と原田は退路を作り『どうか逃げてほしい』と懇願したが、山南の決意は堅かった。その時の虚しさと情けなさはまるで昨日のことのように覚えている。
原田は「わかった!」と永倉の両肩を掴む。
「全部お前のいうとおりにするぜ!」
「まったく調子の良い奴だな…」
「それで?どうする??」
「まずは…本人に手紙を出そう」


同じ頃。
「えっ?!石川先生が…?!」
藤堂は声を上げた。
伊東から衛士へ近江屋の一件が伝えられた。ほとんどの衛士にとっては面識のない相手ではあったため反応は鈍かったが、伊東が
「新撰組の仕業だと確信している」
と口にしたため一気に士気が上がった。途端に誰かが「そうに違いない」と同意し、「なんて奴らだ」と罵倒する。
伊東は続けた。
「私は土佐陸援隊や海援隊と協力し、刺客を捕らえたいと考えているが、当然新撰組にとっては面白くはないだろう。野蛮な連中ゆえに君たちに危害を加えられる可能性がある…むやみな外出は避けてくれ」
伊東は話を終えると藤堂を呼んで場を離れた。
「君の元へ新撰組から接触があるかもしれないが、決して応じてはならない。彼らは会津を通じて私が糾弾していると知っているはずだからね」
「わかりました。あの…新撰組が暗殺したというのは本当ですか?」
「…君が古巣の潔白を信じたい気持ちはわかるが…」
「そういうわけではありません!ただ…とても短絡的に思えて」
藤堂は必死に首を横に振ったが、伊東は「わかっているよ」と慰める。
「君の言うとおり土佐を刺激することが新撰組にとっては決して良いことではないが…才谷先生は大政奉還に尽力した御方、恨みがあったのだろう」
「…そうかもしれません。…あの、もう一つ。この二、三日斉藤さんの姿が見えないのですが…」
藤堂は斉藤が急に姿を消したことに困惑していた。衛士たちに尋ねても誰も行方は知らず、
「女のところに入り浸っているのだろう」
なんて揶揄する衛士もいたので気に掛かっていたのだ。
伊東は「そのことか」と微笑んだ。
「彼には大切な仕事を任せている。難しいことでね…無事に帰ってくると良いのだが」
「そ、そうでしたか…良かった、何かあったんじゃないかって気が気じゃなくて!俺にもできることがあったら何でも言ってください!」
藤堂は伊東の嘘をあっさりと信じて安堵する。伊東は小さな痛みのような罪悪感を覚えたが、視界に内海がいるのに気がついてすぐに飲み込んだ。
「…とにかく注意してくれ」
伊東はそう言うと、その場を逃れるように自室へ向かった。
衛士が集まる場には内海もいた。伊東の企みを表情一つ変えずに聞いていた…彼は何を思っているのだろうか。狡猾な振る舞いを見て見損なったと嘆いているのだろうか。
(訊ねてみたいが…恐ろしいな)
こんな感情は初めてで戸惑ってしまう。
今朝は疲労もあって苛立ちつい怒鳴ってしまったが、あれはあれで本心だった。無口で冷静なのは内海の美徳であるが、肝心なことさえ口にしない。もどかしくて、たまにイライラして。
(いや…それは私も同じか…)
いつのまにか、友人以上のものを求めてきたのはお互い様だろう。けれど機会を逸し、誤解が生まれ、すれ違い…言葉を飲み込むようになった。
(私が今まで失いたくないと思ったのは…お前だけなんだよ)
躊躇いなく故郷を捨て、家族を捨て、弟を捨て、妻を捨て…そんな人生の中で感情を押し殺してでも手放したくないと思ったのは内海だけだ。
『君と共に在れば良い』
(その言葉に甘えていたのは…私の方だったのかもしれないな…)








解説
なし


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