わらべうた




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夕刻。
「先生、今宜しいでしょうか?」
自室で休む総司の元へ相馬が顔を出した。総司は相馬の顔を見るや「あっ!」と声を上げたので、彼は驚いていた。
「そうだ、一昨日のことを相馬君にお礼を言わなければと思っていたんです。君の的確な判断のおかげで泰助と銀之助は無事に任務を果たせました、ありがとうございました」
「そんな…俺は偶然、少年たちに出会しただけです」
相馬は謙遜ではなく本気で首を横に振った。
「あの時は、野村が何故か勝手に外出してしまって…俺は見かねた島田先輩の指示で付き添っただけなんです。野村は虫の知らせだと言っていましたが、結局は良い方向へ」
「ハハ、虫の知らせか」
野村なりに何か不穏な気配を感じ取ったのだろうけれど、相馬は不本意そうな顔をしていた。
「…普段は傍若無人で無礼なのに、勘が良いみたいで…なんだか腹立たしい奴です」
相馬は冷静沈着な優等生であるが故に、自由気ままな野村を認めたくないようだ。しかし結果的には野村の野生の勘と相馬の賢さが事態の収束の一添えとなったのは間違いない。
それに相馬にとっても彼の存在は良き刺激になるはずだ。
「せっかく同じ隊になったのですから、縁だと思って付き合ってみたら良いですよ」
「はい…」
「話が逸れましたね、何の用事ですか?」
相馬はハッと表情を変えて凛々しく口を開いた。
「井上先生からご伝言です。入隊希望者の腕を確かめてほしいと」
「私がですか?永倉さんや原田さんは?」
「お忙しいそうです。土方副長が沖田先生を指名されて」
「へえ」
大政奉還を経て薩摩や長州を厭う者がちらほらと入隊することがあった。窓口として井上が担当し、見込みがあれば剣術師範たちがその腕前を確かめることになっている。いまは兵の数を備えたいという意向である程度の腕前なら合格となるが、
『お前は厳しすぎる』
と土方に言われてしまい、なんとなく遠のいていたのだが。
「わかりました。すぐに行きますから道場で待たせておいてください」
「はい。…あの、俺も見学させていただいても宜しいでしょうか」
「構いませんよ」
相馬は顔が綻び、「ありがとうございます」と頭を下げて去っていった。
総司は着替えながら気持ちが高揚するのを感じた。こうして自室にこもっているよりも道場で若い才能を見出す方が気持ちが晴れるに決まっている。
(土方さんがわざとそう仕向けたのだろうけれど)
総司は袴の紐をきつく結んで、道場へと向かった。


土方は客まで横になる斉藤の顔を見るなり
「良い策は?」
と尋ねた。
今朝は刀の手入れをして土方の呼び出しにも応じたのだが、流石に縫合したばかりの傷は痛んでしまい仕方なく伏せっていた。身体を起こそうとすると
「寝ておけ」
と言ったものの土方はそばで膝を折って居座った。斉藤は少し呆れた。
「…今朝、策を立てろと言われて、夕刻には催促ですか…」
「時が経つと面倒なことになる。…お前のことだからもう思いついているのだろう?」
「…」
土方は『面倒だ』と言ったけれど、本当は拙速であっても決心が鈍らないうちに早く決着をつけたいのだろう。
斉藤はちらりと隣室に目をやった。
「…沖田さんは?」
「道場に行かせた」
斉藤は少し安心しながら天井を見上げた。
「…御陵衛士にとって伊東大蔵は柱です。彼の行動が衛士たちの全てであり、言葉は神の宣旨…ある意味盲目的な信者とも言える」
「伊東さえ殺せば崩壊すると?」
「伊東を殺せば命を賭してこの屯所に襲撃を仕掛けるでしょう。だったら正面からぶつかるのと変わりありません。その前に…確実に仕留めるべきです」
「…」
「俺の策は、何らかの理由をつけて伊東を呼び出し、殺し…その亡骸を路地に投げ捨てる」
斉藤の提案に土方は顔を顰めたが、口は挟まなかった。
「すると衛士たちは誘き寄せられているとわかっていても、忠誠心からその亡骸を引き取りに来るはずです。それを一網打尽にする」
「…それは…」
「気に入りませんか?非情だと思いますか?」
斉藤は挑発的な言い方をした。
卑怯だとか、姑息だとか…そんな目に見えない感情を優先しても結果は同じだ。残酷であっても確実に成功する道を選ぶべきだ。
「…伊東が先に仕掛けてきたことです。ツケを払わせなければいけない」
「ツケか。お前らしいな…」
「決して褒められない策ですが、褒められたいと思っていないので構いません」
斉藤は淡々としていたが、彼の言葉や視線の端々には憤りがあった。
「…まったく、お前だけは敵に回したくない」
「…」
「その案で進めよう」
「局長は藤堂を殺したくないのでは?」
斉藤が率直に尋ねると、土方は苦い顔をした。
「…あいつは甘い。藤堂が考えを変えて戻ってくれる…そんな夢を信じている。御陵衛士壊滅に同意はしたが、藤堂だけは助けたいようだ」
「言っておきますが、藤堂にその考えはありません。伊東に心酔しきっています」
「…ああ、そうだな。今朝の定期報告にも音沙汰無しだ」
土方は一瞬だけ苦しそうに息を詰めた。脱退したとはいえ試衛館食客であった藤堂に情がないわけがない。
しかし斉藤は敢えて厳しく続けた。
「…藤堂は山南総長が亡くなったからこそ、伊東に拘って、今度こそ同じ過ちは繰り返さまいと心に誓っているはずです。伊東の亡骸が放置されていると耳にすれば必ずやってきます」
「ああ…」
「覚悟を決めてください」
斉藤は土方を見据えた。近藤や他の食客たちに発破をかけるわりに、土方自身が覚悟を決めていないように見えたからだ。
土方はしばらく黙っていた。そして深い深いため息をついて
「……伊東をどうやって呼び出すのかが肝要だな」
と呟いた。


『禁裏御陵衛士』の看板を隅々まで拭き上げた藤堂は「よし」と自然と声を出していた。
雪がパラパラと降るせいで足元がぬかるみ、玄関はすぐに汚れてしまう。普段なら気にならないが、こういう時はせっせと掃除に勤しんでしまう。
(今朝は伊東先生の言う通り、定期連絡に行かなかった…)
橋渡し役としての役目を終える…それは新撰組との関係を断つということであり、敵対すると言う意思表示でもある。
藤堂は自分の行動に後悔はなかったのだが、なんだかそわそわと落ち着かなかった。
(大丈夫…伊東先生のおっしゃる通りにすれば…きっと…)
きっと上手くいくはずだ。それに巷でも新撰組が暗殺に関わったという話題で持ちきりなのだ。こちらから遠ざけても仕方ないだろう。
「ふう…」
冬の厚い雲が空を埋め尽くしてゆっくりと流れている。その合間から夕陽が差し込み妙な夕暮れだ。
(この空のせいかな…なんだか気持ちが落ち着かないのは…)
「はいっ!」
「え?」
藤堂がぼんやりしていると、いつの間にか目の前に乞食のような格好をした少年がいた。その手には小さく折り畳まれた手紙が握られていて、それを藤堂に差し出している。
「これ!」
「あ、ありがとう…」
少年は「じゃあね」とあっさりと去っていき、すぐに姿が見えなくなった。
一体誰からの手紙かと思えば、見覚えのある荒れた筆跡…差出人にも堂々と『原田左之助』とあり、藤堂はすぐに自分宛だと慌てて察して懐に隠した。キョロキョロとあたりを見渡すと幸いにも人目はなく、藤堂は屯所を離れ人気のないところに移動した。
(本当、あの人は!)
少年がたまたま藤堂に渡したから良いようなものの、他の衛士に渡れば破り捨てられてしまい藤堂にも疑いが及ぶ。それなのに大胆すぎる原田の行動には半分呆れ、もう半分苦笑してしまう。
(コソコソやりとりするなんて、原田さんらしくないもんな…)
手紙を開くと時間と待ち合わせの店の名前だけ書いてあった。









解説
なし


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