わらべうた




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(どうしよう…)
原田の乱雑な手紙を手に、藤堂は途方に暮れていた。
待ち合わせは明日の宵五つ、場所は永倉の馴染みである祇園の料亭だ。手紙の内容はたったそれだけで、挨拶すらなく早急な用事だということは伺えた。
藤堂は伊東に指示をされ、新撰組とは縁を断つつもりであったが、特に親しい原田や永倉からの呼びかけに心は揺らいだ。藤堂の脱退を引き止めつつも意思を尊重し『離れても仲間だ』と涙ながらに見送ってくれたことははっきりと覚えているのだ。
(きっと何かあったんだ…)
彼らの誘いに応じたい…けれど藤堂にはどうしても踏み出せなかった。
(…土方さんは冷たかった。もしかしたら皆も…)
もう仲間だなんて思っていないのかもしれない。彼らの言う通りにのこのこと出向いて、「なんだ来たのか」とあっさり裏切られるかもしれない。
そんなはずはないと思っていてももう半年、たった半年…人の心は変わる。藤堂自身の身にも覚えがある。
藤堂はその場で手紙を破り、そのあと読めなくなるまで小さく千切り捨てた。
(明日までまだ時間がある…)
ぐらぐらと気持ちが傾くのを感じながら屯所に戻ると、同じタイミングで鈴木が血相を変えて駆け込んできた。そしてそのまま伊東の部屋に走ったので藤堂は何事かとその後を追うと、鈴木は
「兄上、大変です!斉藤先生が新撰組に殺されました!」
障子を開きながら悲痛ない面持ちで叫んだ。
「えっ?!」
藤堂はまるで現実味のない知らせを聞いて声を上げて驚く。斉藤は伊東から難しい任務を任されて御陵衛士を離れているということだった。
(なんで新撰組に…!)
しかし伊東は涼しい顔のまま
「そうか」
と一言だけ口にした。
信じられるのは共に脱退した同志だけ…それは突然の雷雨のような知らせのはずなのに、伊東という湖面は静かなまま、不気味なほどに揺らがない。
(先生…)
藤堂は言いようのない違和感を覚えたのだった。


「それはダメだ…!」
同じ頃、近藤は青ざめて首を横に振った。土方が斉藤の策を伝えると案の定、近藤は拒否感を示したのだ。
「武士として、かつての同志として…そんな無惨なやり方は必ず禍根を残す!そんな手を使うなら正面から戦った方がマシだ!」
「…残酷で非情なやり方の方が割り切れる。それに今や巷じゃ新撰組が暗殺犯だ。新撰組を首謀者だと主張する御陵衛士に対して強い態度を取ることが、周囲への牽制にもなる」
「だが…!」
近藤は顔を顰めて不快感をあらわにする。誰よりも武士として生きたいと願っている近藤にとって不本意な策だろう。土方は彼が飲み込まないのはわかっていたので、
「この案を飲んでくれるなら、藤堂のことはどうにか手を回す」
と提案すると、近藤はハッと表情を変えた。
「何…?」
「出来るだけ迅速に、確実な方法を取りたい。御陵衛士が美濃から増援を呼べば手出しができなくなる。新撰組で揉めている場合じゃない」
「それでもお前が譲歩するのは珍しい」
「藤堂のことは…誰もが積極的に手を下したいわけじゃない」
「…」
近藤の視線が揺らぎ、腕を組む。土方が譲歩してもまだ頷きそうもなかったので、土方は続けた。
「…かっちゃん、自分の命が狙われたことを忘れてはならない。まだ狙われ続けていることもだ。…お前はもう徳川の家臣だ、御陵衛士や伊東の裏切りは徳川への冒涜に等しい」
「仰々しいな。俺など…」
近藤は苦笑したが、
「この前、浅羽に聞いた。…公方様の側用人の後任に、お前を推す者がいたそうだ」
「なに?」
初耳だったのか、驚いていた。
「結局、大政奉還になって頓挫したそうだが…そういう道もあったかもしれない。だからこそその『近藤勇』が身内のいざこざ程度のことで躓くわけにはいかない。新撰組は土佐の要人を暗殺していない、御陵衛士の主張は全くの嘘で俺たちが潔白であることは潔白であると広く示す、これは新撰組の威信の問題だ」
江戸の片田舎の貧乏道場で燻っていたなら情を重んじて動けば良い。けれどもう近藤は武士であり、新撰組を率いる長である。
そして一時とはいえ側用人として求められた…その経歴に傷を付けるわけにはいかない。
近藤はゆっくりと息を吐いた。土方の言葉を噛み締めて、飲み込み…ようやく頷いた。
「…わかった。平助のことは頼む」
「ああ…。それからこれからのことは」
「わかっている。総司には伏せておこう」
総司には心労をかけてはならない、という考えは一致していたようでその点土方は安堵する。そして近藤が「外の空気を吸ってくる」と部屋を出て行ったので土方はその場に残った。
(覚悟…か)
自分ではもう納得しているつもりだったが、斉藤に『覚悟を決めてください』と指摘された時は彼に何もかも見透かされているように感じた。心のどこかで藤堂が切り抜けられるように算段していた自分がいたのだ。
しかし斉藤の言う通り、藤堂諸共壊滅させる覚悟がなければ、伊東によって返り討ちにあうだろう。
(だからあれは譲歩ではなく…ただの嘘だ)
近藤のため、食客たちのため、そして自分を誤魔化すためについた、
「土方さん」
「…っ、総司か」
突然声をかけられ土方は驚いたが、総司は「そんなに驚かなくても」と目を丸くした。
「今日の入隊試験の結果について、近藤先生に報告へ来たんです。先生は?」
「ああ…少し出ているが、すぐに戻るだろう」
「そうですか…」
総司はまじまじと土方を見ている。こういう時は勘が良い総司には悟らせまいと
「それで、試験は?」
と土方は促した。総司は訝しむようにしていたが何も聞かなかった。
「数人合格にしましたよ。剣の腕は皆少し足りませんが、源さんに言わせると十分だとそうですから。でも一人…近藤先生と土方さんの了承を得たくて」
「了承?」
「本人は十五だとか名乗ってましたけど…たぶん、泰助や銀之助と同じくらいだと思うんですよねえ」
「…またガキか」
土方は盛大なため息をついた。田村は二人の兄の入隊に併せて許し、泰助は周斎の一言で受け入れたが、これ以上子守りをするつもりはなかったのだ。
「兄弟で入隊試験に来たんです。兄の方は利発そうな青年で槍をよく使います。手先も器用だそうで銃の扱いに適していると思います」
「じゃあ兄の方だけ合格にしたら良い」
「…でも数年前に両親を亡くしていて、兄だけが入隊すると弟は一人になるそうなんです」
「里子に出すか、寺に預けるか…俺たちが考えることじゃねえたろ」
「そう言われればそうなんですけど…」
総司は口ごもりながらも、何かまだ言いたいことがあるようだ。そして土方をじいっと見つめた。
「…何だよ、お前が推す理由があるのか?」
「目が…」
「目?」
「目がね、藤堂君によく似ているんです。形や大きさなんて話じゃなくて、眼差しっていうのかな…誰よりも強くて見逃せないような、そんな子なんです。でもやっぱり子どもですから、ここがどんな場所なのかちゃんとわかっているのか…厳しく尋ねたんですけど…」
『勿論理解しています。子どもだから間違っているに違いないと思われるのは心外です』
その少年は目を逸らすことなく、躊躇いもなく、物怖じせず、まっすぐと明瞭な声でそう返答した。周囲は唖然とし、彼の兄も(なんで口の利き方だ)と不安そうな顔をしていたが、総司はとても面白く感じた。
誰もが少年を『子どもだ』とある意味で格下として扱うなかで、彼は子どもであることを全く意に介さず誰よりも堂々としていたのだ。
総司は自然と口元が綻んだ。
「…最近、泰助や銀之助を見ているととても楽しいんです。若年の彼らは今はまだお荷物かもしれないけれど、いつかは新撰組を担う…財産に違いありません。だからあの少年もその一人になれるんじゃないかって…」
「…」
土方は久しぶりに憂いもない総司の笑みを見たような気がした。病に侵され身体が不自由になっていくなかで、少年たちの若さと希望が眩しくて羨ましくて…かつての自分と重なるのだろう。
「…わかった、そこまで言うのならお前が面倒見ろよ。銀之助や泰助の指導もな」
「良いんですか?」
「ああ。それで名前は?」
「確か…市村鉄之助君です」










解説
なし


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