わらべうた




762


冬の済んだ夜空に星が煌めく。火を灯した蝋燭を片手に縁側に腰掛けた藤堂は、ぼんやりとその姿を眺めた。側から見れば優雅に星を眺めているように見えるだろうが、彼の目には何も映っていない。
(斉藤さんが死んだ…?)
鈴木からの知らせを皮切りにあちこちから斉藤の死が伝わってきたが、どれも現実味がなくて藤堂は混乱する。
伊東によれば斉藤は特命を受けて御陵衛士を離れていたのに、何故かよりによって新撰組によって斬られたということだが…あの注意深く、賢く、冷静な彼が一体誰によって殺されたというのか。
(新撰組とまだ繋がってた…?それとも御陵衛士への牽制なのかな。いや、でもだったら原田さんたちの誘いは一体…?)
断片的な情報をつなぎ合わせるにはピースが足りず、ただわかるのは自分は蚊帳の外なのだと言うことだけ。
斉藤の死について衛士たちは驚きはしたものの、彼を重用していたはずの伊東自身の反応が薄いため、仇討ちをしようという話すら上らない。むしろ余所者がいなくなってせいせいしたという言葉すら耳にし、それが一度は仲間として脱退した者への態度なのかと、藤堂は無性に落胆してしまった。
(なんだ…悲しんでいるのは俺だけなのか…)
そう思うと途端に、山南が死んだと聞かされて帰京した時の気持ちが蘇る。あの時も皆は手を取り合って悲しみを乗り越えたようだが、藤堂一人がこだわって引きずったままだった。
(俺は…もう二度と同じことを繰り返したくないから逃げ出したいと思ったのにまた同じところにいるのかな…)
そう肩を落としていると、ギシィと床が軋む音が聞こえてそちらに目をやった。伊東の実弟の鈴木だった。
「…厠?」
「まあ…」
鈴木はなぜか言葉を濁しながら答えつつ、藤堂の隣に座った。
兄と和解しこの数日は晴れやかな様子だったはずだが、鈴木の横顔には憂いがあった。
「…何か、心配事でも?」
「兄上の様子が…気になってしまって」
「ああ…」
伊東の変調は藤堂ももちろん気が付いていた。衛士の前ではいつも穏やかに振る舞い彼らを鼓舞し続けていたが、この所は余裕がなくイライラしているように見えた。微笑まなくとも麗しいはずの伊東の表情は、時折感情に左右されて険しく歪んでいる。
「兄上はいつも整然とされているのに…こんな顔を見たことがない。なにか…悪い予感がする」
鈴木の言葉に藤堂も頷いた。こういう日の星空がやけに美しいのも、何かの前兆ではないかと疑ってしまう。
二人はしばらく黙り込んでいたが、鈴木が先に口を開いた。
「兄上は…以前、元新撰組の肩書きは『咎』だと言っていました。この罪を贖うことから始めるべきだったと…だからそのために今、動いているのだとすれば」
「そう、か…やっぱり、そうか…先生は新撰組を潰すおつもりなんだな」
藤堂は夜空を仰いだ。
藤堂も勘づいていなかったわけではない。伊東は西国からの信用を得るために必死であったが、どうしても『元新撰組の参謀』という肩書きと過去が枷となり、活動に支障が出ていた。新撰組の間諜ではないかと屈辱的な疑いさえかけられたなかで挽回するには、古巣を裏切り、新撰組を壊滅するという目に見えた証しかない。
鈴木の言葉によって確信を得ると、ずしんと肩が重くなる気がした。
「…やはり、躊躇いがありますか」
鈴木は藤堂を探るように尋ねてくる。いまだに新撰組の元組長であった藤堂のことを完全に信用したわけではないのだろう。
藤堂は苦笑した。
「そりゃ正直、前向きにはなれないけど…先生がそうお考えなら俺は従います」
「しかし近藤や土方とは揉めても、他の食客たちへ情があるのでは?」
「…あちらにとって俺は裏切り者で仲間なんかじゃないし、俺だってもう縁はないと思ってます」
昼間の手紙で心が動かされたのは事実だが、それでも伊東が決別し壊滅すると決めたのなら従うことができる。むしろそうすることで僅かに残った情を断ち切ることができるだろう。
藤堂の揺らがない言葉を耳にして、鈴木は何も言わずに口を噤んだ。賛同も否定もない態度だったので、藤堂は
「薄情者だと思ってます?」
と訊ねると、鈴木は首を振った。
「…いや…魁先生らしいと思って」
「そのあだ名いい加減やめてくださいよ」
「あなたは目の前のものを全部信じるんですね。俺が嘘を言ってあなたを試しているのかもしれないのに」
「あれ?嘘だったんですか?」
「…いや…」
鈴木はぎこちなく言葉を濁した。彼は嗾けるつもりも嫌味のつもりもなく、藤堂の素直さに純粋な驚きを感じたのだろう。逆にそれをそのまま伝えてしまうのも、鈴木の実直さなのだ。
藤堂は笑った。
「もう二度と背中を向けたくないだけです。伊東先生が新撰組と対立するなら従うし、斬れと言うなら剣を抜く。…だって俺たちにはもうその道しかない」
「…」
「おかげで先生のお考えを察することができました。これでぐっすり眠れそうです」
藤堂は礼を言いつつ縁側から立ち上がり、寝所へ戻ろうとする。けれど鈴木が「あの」と引き止めた。
「何か?」
「…勝てると思っているんですか?新撰組と真っ向から対立して…我々にその先の道があると、そう思うから眠れるんですか?」
晴々とした藤堂とは正反対に鈴木の表情は固い。不安だらけの鈴木の言葉はまるで藤堂に縋るように響いたが、彼の望む答えを持ち合わせておらず、
「まさか」
と苦笑するしかない。
「あんな立派な屯所に移って、銃の訓練に力を入れている新撰組に、十数名の俺たちが総出で戦っても勝てるわけないじゃないですか」
「だったら…!」
「でも俺は同じことを考えていたんです。西国の信頼を得て飛躍するためには新撰組と敵対するしかないって。だから先生と同じ考えだと知れて、安心できたというだけです。この先も先生のために邁進することだけが俺の望みですから」
「そんな…」
「馬鹿だって笑っても良いです。あ、こういうところがまた『魁先生』なんて呼ばれちゃう所以なのかなぁ」
ハハハ、と藤堂は笑いながら「おやすみ」と手を振って去っていった。


同じ頃。
総司が湯浴みを終えて自室に戻ろうとしたところ、斉藤と鉢合わせた。彼はまた縁側に腰を下ろして刀身を剥き出しにした刀を握っていたのだ。その横顔は真剣そのもので、月明かりで刃紋が煌めいて、まるで厳かな修行をする高僧のようだった。
「…私の言えた台詞じゃありませんけど、横になっていないと治るものも治りませんよ」
「刀を握らずに過ごすと気分が落ち着かない」
「気持ちはわかりますけど」
彼なりの鬱憤の晴らし方なのだろうけれど、少し子供っぽい。総司は斉藤の隣に腰を下ろした。
「湯を浴びてきたのか?」
「ええ、今日は久しぶりに入隊試験に参加したんです。有望な若者が数名入りますよ」
「よほど楽しかったんだな」
総司の顔が綻んでいたのを斉藤は見逃さなかった。
「はは…私も竹刀を握ると安心するから、斉藤さんと同じかな。でも明日から少年たちの指導を任されたんです、それが楽しみで」
「新撰組はいつから子守を始めたんだ?」
「英さんも同じことを言ってましたよ」
斉藤はバツが悪いような表情を浮かべたので、総司は笑った。
「まだ若くて頼りないけど、皆信念の強い良い顔をしているんです。彼らはきっと新撰組のために懸命に頑張ってくれるはずですから、微力ですけど成長の助けになれたら嬉しいな」
「…そうだな」
斉藤は笑ったりせず、淡々と肯定する。土方以外にこうして気持ちが吐露できるのは総司にとって有り難くもあった。
すると斉藤は刀を鞘に戻し、突然「触っても?」と訊ねてきた。一体何のことかと思っているうちに斉藤の指先は総司の腕から手へと辿り、重ねた。それは何かを確かめるような動きだった。
「…細くなった」
「はは、そうなんです。剣ダコもすっかり無くなって…もう試衛館のあの太い木刀を振れないかもしれませんね…」
総司は冗談めかして答えたが、虚しさは隠しきれなかった。土方は『また鍛えれば良い』と励ましてくれたけれど、日に日に身体が重く病に蝕まれているのを感じていると、希望ばかりではいられなくなっていく。
総司は呟いた。土方の前では決して言えないことだった。
「死ぬって、このまま消えて無くなっていくってことなんですかね…」
「…」
「自分が死ぬときはきっと近藤先生の盾になるときだと思っていたから、きっと一瞬のことだと覚悟していたんです。でも現実は違っていて、こうやって少しずつ衰えていく。…いまこうして盾の役割さえ果たせず伏せってばかりなのが…情けないんです」
そしていずれ皆のお荷物になってしまう。そんな自分を想像するだけで惨めに思えてくる。
俯いて目を伏せた総司の手を斉藤は強く握った。
「…それでも、生きているだろう?」
総司はその言葉にふっと顔を上げた。
「斉藤さん…」
「生きているだけで良いと…そう思っている者は沢山いる。彼らを悲しませていないなら、それで十分だ」
斉藤はどこか人が変わったかのように穏やかな表情をしていた。彼と離れたのは病を打ち明ける前だったせいもあるが、それでも彼がそんなことを口にするなんて思いもよらなかった。
励ましでもなく、同調でもない。今の総司を肯定するだけの一言は、もしかしたら自分が一番求めていたものかも知れないと思うくらいに心に沁みた。
「…そうだと、良いですね」
最初は冷たかった自分と斉藤の手が温かくなった気がした。
斉藤はゆっくりと手を離し少し黙った後、
「…俺にして欲しいことは?」
と訊ねてきた。
何もない、と答えようとして総司は
「藤堂君をどうか助けてあげてください」
と口にした。斉藤は難しい顔をしたが、構わずに続けた。
「私も御陵衛士が近藤先生の暗殺を計画していると耳にしたときは、もうこのまま関係を続けていくことはできないと理解しました。藤堂君がそれでも御陵衛士や伊東先生にこだわるのなら敵対しても仕方ないと。でも…やっぱり仲間が死ぬのを見たくありません」
歩く道は違っても、彼が淀みのない素直な青年だということを知っている。喀血して倒れた時、彼の背中はとても温かく優しさに満ちていた。
「私も彼が生きてくれれば良いと思うんです」














解説
なし


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