わらべうた




767


山野は斉藤の寝床である客間の前で待ち構えていた。
「どこに行かれていたんですか!?先生はまだお怪我が癒えず、縫っているとはいえ塞がってません。何度も出歩くと傷に障り、化膿して腐ってしまうかもしれませんよ!」
熱弁する山野は斉藤の不在中にすっかり医学方の一人となったようで、遠慮なく叱りつけると斉藤を寝床に押し込んだ。
「僕が四六時中、見張りますからね!もう勝手にどこかへ行けるとは思わないでください!」
普段からしっかりしているが控えめで礼節を守る山野だが、言うことを聞かない患者は例外のようでいつもより強引だ。
鋭い剣幕の山野には斉藤も降参するしかない。
「悪かった。…もう用は済んだ、養生する」
「お願いします!」
「その代わりと言ってはなんだが…原田と永倉を呼んできてくれ、話がある」
「…用は終わったのでは?」
「これで終わりだ」
不服そうだったが山野は「少しだけですからね」と言いつけて去っていく。
斉藤はため息をついて天井を見上げた。
半年間、間者として御陵衛士に潜伏し帰還した…と言ってもその間に新撰組の屯所は西本願寺から不動堂村へ移り、分離した兵の穴を埋めるべく新入隊士も増えたので環境はがらりと変わっており、まだ戻ったという感覚は少ない。
(何処へ行っても根無草だな…)
そうは言ってもこれまでも一箇所に止まり続けるような人生を歩んできたわけではない。だからこそ
(せめてこれからはここに長く居たいものだ…)
斉藤がそんなことを考えていると二人分の足音が聞こえてきた。
「ハハハ、山野の奴、カンカンに怒っていたぜ」
原田が笑いながら部屋に入り、永倉が続いた。彼らを呼び出した斉藤は身体を起こそうとしたが、
「山野に安静にさせろと言われた、俺たちが叱られる」
と永倉に止められて仕方なく斉藤は横になったまま口を開いた。
「今夜、藤堂は来ない」
前置きのない言葉に、原田は「は?」と呆然とし永倉は顔を顰める。
「文を遣って今夜、藤堂を呼び出しただろう」
「な、何のことやら…なあ、ぱっつぁん?」
視線を逸らして惚ける原田とは対称的に、永倉は尋ねた。
「本人がそう言ったのか?」
「ああ、さっき会ってきた…ご丁寧に表書に名を記したそうだな。運良く藤堂の手に直接渡ったそうだが、そうでなければ大事だ」
「お、俺たちの間にコソコソ隠れたりする必要はないからな!」
開き直った原田は胸を張り自信たっぷりに腕を組む。彼の『俺たち』のなかには藤堂が含まれているのだと思うと、斉藤に虚しさが過った。
「…事情は全部話した。伊東が新撰組と手を切り、副長の別宅を襲わせたことも、暗殺の犯人が新撰組だと言い広めていることも、俺が間者として潜り込んでいたことも…それでも藤堂は御陵衛士に残るそうだ」
「それは…出て行った手前、今更俺たちに合わせる顔がないという意味か?」
永倉はどうにか光明を得たいようだったが、斉藤は首を横に振った。
「おそらく違う。藤堂は新撰組を離れた時から二度と敷居を跨がない決心だった。今度こそ自分の歩んだ道を信じ抜くのだと」
「…」
「二人には感謝を伝えてくれるようにと頼まれた」
あの時の藤堂は曇りのない晴れやかな表情だった。しかし同時にしっかりと根の張った花のように靡かない強さがあった。
永倉は視線を漂わせつつも「そうか」と呟いて少しは受け止めたようだった。彼は熱血漢なところもあるが、藤堂の気質をよくわかっているのだろう。原田も同様だが、諦めきれないようで涙目になりながら唇を強く噛む。
「俺ァ、待つ。平助が来てくれるまで待つからな!」
と言い放ち急に立ち上がると、ドカドカと足音を立てて部屋を去っていってしまう。永倉は困惑しつつも苦笑した。
「仕方ないな…俺も付き合うとしよう。明日の朝まで待っても来なかったら俺たちも諦めがつく。…悪いが土方さんには黙っていてくれ」
「…わかった」
永倉も原田を追うように去り、部屋はしんと静まった。
目を閉じてしばらくその静けさに浸ったが、今は原田のように騒がしくされる方が気が楽だった。

土方の別宅は数日前の騒ぎにより新しい建具や畳に入れ替わり、小綺麗になっていた。ただ替えのきかない柱のあちこちには刀傷が残っているので物々しくもあり、何やらチグハグな雰囲気だ。
近藤や助勤などには屯所から離れないように指示しているので、土方は密かにこの場所に足を運んだ。こういう時だからこそ内密の話をするにはここが都合が良いからだ。
「今日中には伊東から返答があるだろう、決行時刻はまた伝える。…大石、この件はお前に任せる。私情を挟まず腕が立つ、何より口の堅い精鋭を連れていけ」
監察方へ異動となってから、土方は大石を重用することが多くなっていた。淡々として無表情だが賢く、手段を選ばず仕事は必ずやり遂げる…数々の人脈を使いこなす山崎とは違うやり方だが、信用していたのだ。
しかし彼は少しだけ苦い表情を浮かべた。
「局長が伊東を呼び出し帰り道に強襲、その骸を大通りに放置…」
「…気が進まないか?」
「…」
大石は自分の感情を伏せるのが常だ。その彼が何も言わないのだから無言の肯定なのだろう。
土方自身も、斉藤からこの策を聞かされた時は非情で惨いと思ったが、いまは御陵衛士に温情をかけるわけにはいかない。新撰組は幕府という後ろ盾が無くなり、今はどちらに傾くかわからない天秤の上にいる。曖昧で立場が悪い。一方で御陵衛士は西国との繋がりを得て新撰組を悪者に仕立て上げ成り上がろうとしている。今だからこそ、彼らを助長させないようにより確実に彼らを崩壊させなければならない。
「卑怯だと罵られるかもしれないが、より確実に結果を得るためだ。おびき寄せた衛士たちを多く仕留める…残忍で、残酷であればあるほど奴らとの決別に繋がる。遠慮なくやれ」
「…残酷であることが、強さの証明になるのでしょうか?」
大石は土方に問いかけた。それは問い詰めるというわけではなく、単純なる質問としてだっただろう。
しかし土方の心に突き刺さった。だからこそ
「…それはやってみないとわからない」
という曖昧な答えしか口にできなかった。
大石は「わかりました」と答えたが、土方には彼の表情に欲しかった答えが得られなかったという不満が滲んでいるように見えてしまった。
話が途切れたので大石は立ち上がり、去ろうしたが、土方は「待て」と引き止めた。
「お前は一つ勘違いしている。監察として一番、見誤ってはならないことだ」
「…何でしょうか」
土方の言葉の強さに押され、大石はもう一度膝を折る。土方は明瞭に告げた。
「俺は武士道を歩いているわけではない」
「…」
「俺は卑怯であること、惨いやり方であること…それを恥だとは思わない。だから、監察であるお前は俺のやり方を『正しいか』『正しくないか』ではかるべきではない。…敵と、味方、どちらが生きるべきか、死ぬべきか…生き残った方が『強い』。ただそれだけのためにどうすべきか、だ」
自分が歩んでいる道は、誰かに誇るためにあるべきものではない。それは近藤の歩んでいる道とはまったく異なる未踏で行き先のない修羅の道である…昔と変わらない信条を土方は淀みなく断言することができた。
それが大石の満足する答えとなったかどうかはわからないが、彼はその言葉を受け止めて小さく頷いて再び立ち上がり部屋を去っていった。
大石の足音が聞こえなくなり、一人になった部屋で土方はすうっと息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
(大石を相手に…俺は何を言っているんだか…)
彼の問いかけに対して『残酷なことは強さだ』と、断言してしまえば自分はもっと悪道を進めたというのに、これではまるで弁解してしまったかのようだ。自分の立場を、孤独をわかってもらいたい、そんな言い訳のような愚痴に聞こえたのではないだろうか。
土方は立ち上がり、障子を開けた。雪がはらはらと舞い枯れ木に雪の花が咲いていた。








解説
なし


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