わらべうた




770


夜。
約束の料亭で、約束の時間になっても、藤堂は現れなかった。
「もう少し」
「あとちょっとだけ」
「そろそろくるはずだ!」
「道に迷ってるんだぜ、きっと!」
原田が頼むので永倉はそれに付き合うが、時間が経つにつれ原田は表情を曇らせ、酒の量が増えていき…最後は案の定酩酊した。
「あの馬鹿!頑固にも程がある!」
顔を真っ赤にした原田は、憤りと悔しさを滲ませて拳を握りしめた。斉藤からの伝言通り、藤堂はやって来なかったのだ。
「意固地になって死んじまったら意味がねぇだろ!それこそ、山南さんと一緒じゃねぇか!」
「…平助はそれを望んでいるのかもな」
「お前も冷てえ奴だな!」
原田の罵倒を永倉は聞き流す。彼のように怒鳴って解決するならそうするが、冷静に受け止めなければならないと自分に言い聞かせていた。
藤堂が覚悟を持って新撰組を出て行った時から、互いの道は分かれてしまった。藤堂が今更自分たちの話に耳を傾けることができるのなら、そもそも出て行くこともなかったはずだ。
しかし、原田は諦めきれないようだった。
「俺は許さねえ!あいつが嫌がっても俺は絶対に助ける!」
駄々を捏ねるように叫ぶ原田を見かねて、永倉は「そろそろ出よう」とその腕を引いて無理やり立ち上がらせた。店じまいの時間が迫り、少し前から女中がチラチラと視線向けて居心地が悪かったのだ。もちろん感情の起伏が激しい原田が大声で騒いだせいなのだが。
二人は店を出た。永倉は酩酊状態でまともに歩けない原田に肩を貸しつつ、屯所に向かって帰り始める。足元は霙と泥が混じり合って踏みしめるたびにぐちょぐちょと音がして段々と重たくなっていった。
屯所に戻るのが億劫に感じながら、永倉は口を開く。
「左之助」
「あんだよ、俺は嫌だからな。誰の命令であっても平助には手を掛けない」
「俺も嫌だ。山南さんを見殺しにした、あの時の後悔をまた味わいたくない」
大津から戻ってきた山南は永倉と原田が逃げ道へ誘っても、切腹すると譲らなかった。そして二人は山南が見事に腹を切った光景を実感がないまま見届けるしかなかった。
「ぱっつぁん…」
「平助が伊東と命運を共にしたいと言うのなら仕方ない。だが、昔からの仲間として命までは取りたくない。たとえもう会えなくても、元通りにならなくても、どこかで生きていれば良い…そうだよな?」
「…ああ。今更、新撰組に戻って来いなんて、烏滸がましいことを言うつもりはねぇよ」
「だったら最後まで諦めるな。必ず何か方法がある」
「…ああ!」
酔い潰れて寄りかかっていた原田が、生気を漲らせ永倉と肩を組む。
「まったく、あいつは大馬鹿野郎だぜ」
ふん、と鼻を鳴らした原田が「あっ」と声を上げた。永倉が視線を向けるとそこには提灯を持ってこちらにやってくる近藤がいたのだ。
「ああ、見つけた」
手をあげて気軽に声をかけてきた近藤は、屯所を抜け出した二人を叱りつけるわけではなく、むしろ探していたようで微笑んだまま近づいてきた。供も連れず夜の散歩に出掛けているような雰囲気だ。
「…局長、こんな夜更けに出歩いては危ないです」
「ハハ。君たちこそ助勤は屯所に留まるようにと歳に言いつけられていただろう?」
「ちょ、ちょっと飲みたかっただけだ、な?」
原田はしどろもどろになりながら目を逸らす。近藤は「そうかそうか」と気がついているのかそうではないのかわからないが、とにかく咎めるわけではないらしい。
「俺たちに何か用ですか?」
「ああ、…うん、歳の耳に入るとまた揉めそうでな。外でも監察の目があるが…まあ気負わずに聞いて欲しい」
近藤は声の調子を落とした。
「…明日、歳から任務の説明があると思うが、我々は伊東先生を惨殺しその遺体を放置する…そこにやってくるであろう御陵衛士を一網打尽にして殲滅する計画だ」
「なっ」
「マジかよ…」
想像以上に非情で悲惨なやり方に二人は息を呑む。近藤は首を横に振った。
「確実に遂行するために俺も同意したことだ、歳を責めてはならん。…彼らは徳川を陥れ新撰組を脅かす存在になってしまったのだから仕方ない。ただ…皆は甘いと言うだろうが、俺は平助だけは助けたいんだ」
「…局長…!」
「歳は一応は約束してくれたが、現場に出るのは君たちだ。卑怯だと罵られるかもしれないが、もし平助がやって来たらどうにか逃してやってくれ」
近藤は頭を下げた。永倉は驚き、原田は一気に酔いが覚めた。同じ考えだったことに二人の胸は高鳴ったのだ。
「言い訳が必要なら局長命令だと言えば良い。決して君たちのせいにはしない、責任は俺が取る」
「おいおいおい!」
「局長、頭を上げてください!」
「君たちにしか頼めないんだ」
永倉は慌てて頭を上げさせて、原田は近藤の腕を取った。
「頭を下げなくったって俺たちだって同じ思いだ!近藤先生がそう言ってくれるならなんでも力になる!なあ、ぱっつぁん!」
「ああ!…それに、局長お一人の責任にするつもりもありません」
「俺たちにも格好つけさせろよな!」
「永倉君…左之助…」
近藤は手にしていた提灯と落とし、両手で二人の手を握った。
「頼む…!」
強く強く握ったその手から近藤の苦悩が伝わってくるようで、二人はますます藤堂を助けなければならないと固く決意したのだった。


同じ頃、屯所には伊東からの返事の文が届いた。近藤宛であったが土方は遠慮なく開き、その内容に目を通す。
(来る…!)
伊東からは短い返答で『お話をお受けする』とある。近藤の熱意が届いたのか、伊東に何か策があるのか、それはわからないがとにかく罠にかかった。
明日の夜、伊東は醒ヶ井の近藤の妾宅を訪ねてくるーーーそれを討ち取る。
土方は全身の血流が一気に巡るような感覚を覚えた。
思えば伊東が入隊してからずっと、彼のことを疎ましく思っていた。山南が居なくなり存在感が増し、考え方の違いか明るみになってからはいつかこんな日が来ると予感していた。御陵衛士として分離してからは、まるでカウントダウンが始まったかのようにこの日を待っていた。
「どうかしました?」
突然、総司の声が聞こえて土方はハッとした。
「…何の用だ?」
「厠の帰り道に灯りがついていたから声をかけただけです。どうしたんですか、そんな恐ろしい顔をして…」
「…何でもない」
土方は文を畳み、懐に仕舞う。総司には急いで隠したように見えたのだろう、訝しげな顔をして部屋に足を踏み入れた。
「…御陵衛士の件、何か動きが?」
「いや…いまは山崎たちに様子を探らせているところだ。…お前こそ、身体の具合は良いのか?」
「寝過ぎてこんな夜更けに起きちゃいました。寝込むと昼夜逆転してしまって困ります」
総司はハハ、と笑う。明日のことなど微塵も知らないという様子を見て、土方は安堵すると共に隠し事をしているという罪悪感も覚える。
しかし少年たちの稽古だけで疲れて寝込んでしまう総司にこれ以上負担をかけるわけにはいかない。土方は己の葛藤を飲み込むことにする。
土方は総司の頰に手を伸ばした。すると指先が触れた途端総司は身を竦ませた。
「わっ、冷たいなぁ」
「…眠くなくても横になっていろ」
「英さんにも同じことを言われました。また熱が出ると山野君に叱られるから退散しますよ」
総司は「おやすみなさい」と微笑んで立ちあがろうとしたので、土方は思わずその手を引き寄せた。すると思わぬことにバランスを崩した総司はそのまま背中から土方の元に飛び込むように倒れ込む。
「びっ…くりした、歳三さん?」
「…もう少しここにいろ」
「だったらそう言ってくれれば良いのに」
総司は少し口を窄めたが、土方にとってはほぼ無意識の行動だったのだ。そのまま後ろから強く抱きしめると冷たかった指先にも熱が籠る。
「…今夜はとても寒いから明日は雪が積もりそうですね」
「そうかもな…」
総司の言った通り、夜に降った雪は朝になっても溶けないまま静かにそこに在った。
十一月十八日の朝がやってきたのだ。



















解説
なし


目次へ 次へ