わらべうた




773 ―春隣2―


私は内海と愚弟を見送った後、そのまま広間に衛士たちを集めた。
「私は今晩、一人で近藤局長と面会する」
そう告げると彼らの表情は一様に強張った。当然新撰組との間に流れる緊迫感を理解しているのだ。
「それはいけません!」
衛士の中で年長の篠原がまず声を上げた。
「こんな時に一人で面会に向かうなど…!新撰組は必ず待ち伏せしているはず!」
「そうです、先生!奴らは卑怯だ!」
「せめて我々も一緒に!」
付き合いの長い加納や服部、毛内だけでなく、新撰組から引き抜いた者を含めて皆が反対していた。藤堂君は何も口にはしなかったが、複雑な表情で口を結んでいる。
私は片手を挙げて「話を聞いてくれ」と穏やかに告げた。彼らが引き止めるのはわかっていた。
「危険な橋を渡ろうとしている自覚はある。けれどこの橋を渡らねば進めぬ道もあるだろう。…私たちは誤って新撰組に入隊し幾度となく口惜しい思いをしてきたが、今は世の中が変わり我々の本望が果たされようとしている。近藤はそれを感じ取り、接触をしてきたのかもしれない」
「まさか!」
「そんな殊勝な奴らではありません!」
私の希望的観測に対してほとんどの衛士の反応は鈍く、特に篠原と加納は到底納得できないようだった。
「そのような約束、反故にしてしまえば良いのです!」
「富山君、もし反故にしてしまったらどうなると思う?彼らの意に添わぬ返答をすれば、争いの火蓋が切られてしまうかもしれない。例えばいま、新撰組の襲撃を受けここにいる数名で耐えられるか?皆はどうだい?」
「それは…」
私の問いかけで先ほどまでの威勢は消え、彼らは顔を見合わせて困惑する。それでも篠原は
「だったら先んじて仕掛けるべきだ!策を練り周到に攻めれば新撰組など…!」
「篠原。言葉を尽くさず力に頼る…それでは新撰組と同じだ」
「!」
篠原は顔を顰めた。
新撰組に嫌気が差し分離し、自分たちは違うと叫び続けた我々にとって彼らと同類に成り下がるのは一番厭うべきことだ。熱くなった篠原もさすがに言葉が紡げず悔しそうに顔を顰めただけだった。
近藤局長から文が来た時点でもうこの戦は始まっている。
「…私は新撰組には愛想が尽きているが近藤局長はまだ話が通じる相手だと思っている。彼は礼を以て私を招いているのだから、それに応えないのは非礼になる。それに彼を恐れて行かないというのなら卑怯だろう。志が成就しつつあるいま、局長を説諭することができるかもしれない。そうすれば我々の状況も変わる」
私の言葉に同志たちは困惑したまま、答えが出せないようだった。いくら八方ふさがりの状況とは言え、私が勝負に出るということは彼らもそうしなければならないということだ。突然その覚悟を求められて沈黙するのは当然だ。
「…朝から急な話をして驚いているだろう。私は夕刻に出るつもりだ…話がある者はいつでも来てくれ」
私は話を切り上げて、自室に戻った。






伊東先生のお話を聞きながら、俺は
(先生はついにご決断なさったのか)
と呆然としていた。
先生が去った後、仲間の衛士たちはしばらくは絶句していたが、篠原さんや加納さんを中心として「やはり止めるべき」と殺気立つものと、「ついに戦か」と怖気づく者と…反応は様々だった。
俺は縁側に立ち尽くし、雪の降る美しい庭を眺めていた。
この数日でガラリと状況が変わった。伊東先生は土方さんの別宅を斉藤さんに襲撃させ、そのまま新撰組壊滅を狙った。それは失敗したが、次に土佐の要人暗殺を新撰組の仕業とし彼らとの関係に亀裂を生んだのだ。暗殺に新撰組が関わったかどうか、本当のところはわからないけれど新撰組の立場で土佐に喧嘩を売るのは短絡すぎる気がしていた。
(まあ、全部斉藤さんに聞いたことだけど…)
まず、死んだと聞かされた斉藤さんが生きていた時点で、伊東先生のお話は真実ではない。きっと何か思惑があるのだろうと思う。
けれどだからと言って伊東先生を疑うつもりなどない。それはたとえ新撰組は近日中に御陵衛士殲滅へ取り掛かるという知らせを耳にしても、俺の決意は変わらない。逃げずに真正面から対峙する覚悟はとっくに決まっていて、だから美濃行きを拒んだのだ。
(新撰組と御陵衛士がいつか対立するのはわかっていたことだ。だから何の迷いもない)
俺は白熱する仲間たちから離れて、伊東先生の元へ向かった。
「先生、藤堂です」
「ああ、入ってくれ」
先生の快い返事を聞き、俺は部屋に足を踏み入れる。先生は筆を置き
「やはり君が来ると思っていたよ」
と笑った。
「伺いたいことがあって…」
「うん」
「内海さんと鈴木さんにはこの件をお話になったのですか?」
俺は美濃へ向かった二人のことを考えていた。先生に近い立場である内海さんや、実弟である鈴木さんがこの話を了承しているのか訊ねたかったのだ。すると先生は少し驚いたような表情をした。
「…君は痛いところを突いてくる」
「ということは…」
「ああ、二人には話していない。愚弟はともかく…内海は必ず反対する。だから美濃へ行かせた」
「…それで宜しいのですか?」
篠原さんや加納さん、服部さんとも長い付き合いのようだが、内海さんは特に抜きんでて先生と親しい。それなのに何も話さず、こんな危険な賭けに出ても良いのだろうか。
すると先生は
「…全部話すことだけが、大切なことじゃない」
「そうでしょうか?」
「そういうものだよ」
先生は曖昧な言葉を口にして微笑むだけで、「私も君に聞きたいことがあったんだ」と話を変えた。
「君は私の話を信じたのかい?」
「…先ほどのお話ですか?」
「うん、まあ…そうだな。私が君に話したことすべてだよ」
俺は先生がいつの話をされているのか、曖昧にしかわからなかったが
「勿論、信じています」
と答えた。ほんの少しの嘘は混ざっていたけれど、偽りだと知っても俺が先生とともにこの先の道を歩みたいという気持ちには揺らぎはなかったのだから、『信じている』に等しい。
すると先生は「そうか」と苦い笑みを浮かべた。
「私は…君がそうやって心からの信頼を寄せてくれることが有難いし、申し訳なくも思う」
「えっ?ご迷惑でしたか?」
「…いや。本当は、君は心の奥底ではまだ新撰組を引きずっているだろう」
「…!」
俺は突然の指摘に言葉がうまく紡げなかった。
そんなはずない、俺は御陵衛士で先生の同志です…と言いたかったのに喉の奥が焼き付いてしまったかのように言葉にできなかったのだ。
そんな俺を先生は責めなかった。
「良いんだよ、悪いことじゃない。私は君を新撰組との橋渡し役だと騙して連れ出したのだし、こんなことになって本当は戸惑っているだろう」
「騙すなんて…ちゃんと俺は自分の意思で新撰組を出ました!」
「でも、私は山南総長の代わりにはなれない」
伊東先生の言葉が…胸に突き刺さる。俺は叫んだ。
「そんなつもりは!」
「ああ、うん、わかっている。山南総長の代わりなど烏滸がましい。彼は人徳もあり、賢く…何より優しい人だった。優しすぎて、追い詰められて…脱走した」
「先生…?」
「…君が私を信じてくれていることを感じるたびに山南総長のことを思い出すんだ。…ただあの件は局長や土方にとって不本意な結末で、私にとっても誤算で…君に許しを乞いたいわけではないのだけれど、私は手を差し伸べることができたのに、助けられなかった。君が全幅の信頼を寄せてくれるのなら、私の本性は打算的な人間だということを君に伝えておきたかったんだ」
俺は突然の懺悔のような告白に体が震えた。先生の言いたいことがわからなかった。
「どういう、ことですか?そんな言い方じゃまるで先生が山南さんを見捨てたみたいな…」
「見捨てた…か。本当のところは山南総長でないとわからない。彼がどうして死を選んだのか、それは彼が伏せた以上は他の者が憶測で物をいうべきではない…それが死者への礼儀だ。けれど私は無関係ではないと思う。だから君が思うほど私が良い人間ではないし、信じるに値しない」
「そんな…」
「失望しただろう?君はそれでも共に来てくれるだろうか?」
…先生の言い回しは曖昧で具体的なものではなく、結局は何も答えを口にしていない。
けれどあの時、江戸にいて山南さんの近くにいなかった俺が先生の何を断罪できるというのか。伊東先生だけじゃない、近藤先生や皆が何を思ったのか知らないのに、俺は悲しい悔しいと悲鳴を上げるだけの子供だったのかもしれない。だったらもう誰を責めても何の意味もない。
俺はいつの間にか涙を流していた。そして素直に白状した。
「…俺は確かに山南さんと先生を重ねていたかもしれません。…江戸から都に戻って、頭の中がグジャグジャで…新撰組に俺の居場所がないみたいだった」
「…」
「でもそんな時に先生が山南さんを想って詠まれた歌を聞きました。皆がまるで昔のことなんてなかったみたいに平然としているなかで、先生は山南さんを想って素晴らしい歌を詠んでくださった…そのことは例えどんな経緯があったにせよ、変わらない事実で、先生の本心であったはずです」
「藤堂君…」
「それに先ほどおっしゃったではありませんか。『全部話すことだけが大切じゃない』と。…だったら俺は都合よく受け取って、先生のことを信じます。それは俺の勝手で、先生のせいではありません」
そうだ、俺は。
誰かのせいにする人生ではなく、自分の信じた道を歩む人生を選んだんだ。
だからもう誰の言葉にも耳を貸さない。
自分が信じたものを信じ続ける。
「先生、俺は確かに新撰組へまだ情があって、仲間と敵対したいと思ったわけじゃありません。…けれど先生に救われたんです。先生とともに在ると…なんて言うか、前向きな気持ちになる。だからどんな困難な選択でも先生を支持しますし、最後まで決めたことを貫きたいと思っています」
正しいとか、間違っているとか、そんなことはどうでも良い。先生とともに行くと決めた以上、この道を進むことだけが俺の望みなのだから。
「そうか…わかった、ありがとう」
先生は穏やかに微笑み礼を述べた。












解説
なし


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