わらべうた




776 ー春隣5ー


俺は組頭である、永倉、原田、井上、山崎を近藤先生の部屋へ呼び最後の確認を行なった。念の為、計画には参加しないが斉藤も同席させた。
「口が堅く信用できる精鋭を大石に同行させ、妾宅の警備につかせる。手筈は既に大石に任せているから問題ない。俺は妾宅の近藤先生とは別室に控えて様子を伺い、臨機応変に指示を出すつもりだが基本的には計画を変えずに遂行する」
「伊東は護衛を連れてくるのか?」
永倉の質問に俺は「わからない」と答えた。鈴木、内海の不在は確認しているが御陵衛士には手練れが多い。
「伊東は無策のまま会談に臨むような質ではないだろう」
「だったら俺も醒ヶ井に行かせてくれよ」
原田が名乗り出た。しかし妾宅付近の警備とは『伊東を確実に殺す』ための陣営である。俺は当然首を横に振った。
「ダメだ、今更計画を変更するわけには…」
「俺ァ、芹沢の時も同行したぜ?」
その言葉に俺は息が止まった。近藤先生もごくりと息を呑んだ。
原田は挑発的に口にしたのは、もう遥か昔のことに思える八木邸での惨事だ。あの時は永倉と井上は同行しなかったが、当然事情は察知していたのだろう、複雑な表情を浮かべて視線を逸らした。
俺は「それとこれで話が違う」とさらに拒んだが
「いや、土方副長。左之助を加えてやってくれ」
とそれまで黙っていた近藤先生が申し出てきた。
「しかし…」
「どんな状況に陥るかわからぬのだ、屋内で有利な槍を良く遣える者がいると心強いだろう」
近藤先生の言うとおり、妾宅付近の警備にはもう少し人員を追加したいところだったのだが、気の短い原田に務まるのだろうか。
しかし原田は
「俺は伊東から暗殺犯だと名指しされてんだ。奴に一泡吹かせねぇと気がすまねぇよ」
と気色ばんでいるのでもう歯止めはきかないだろう。俺は渋々受け入れて、後方の支援には永倉と井上を配置した。
そして最後に念を押した。
「伊東を殺し、その遺体を引き取りにきた御陵衛士を殲滅する。…見知った顔はあるだろうが、手加減は無用だ。奴らは局長を暗殺し、新撰組を陥れようとする敵に違いない。御陵衛士はこのままにしておけば必ず新撰組の障となる」
藤堂だけに限った話ではなく、半年前まで寝食を共にした同志であったのだ。気が進まないだろうが、もう後戻りはできない。
俺は覚悟を持って、この茨の道をまた突き進むと決めたのだ。

「副長、宜しいですか」
場が解散となり、部屋に戻る途中で斉藤が声をかけてきた。彼の深刻な顔を見て(長い話になりそうだ)と予感した俺は、人気の少ない客間に誘って向かい合う。
「なんだ」
「今回の件、やはり俺も加えていただけませんか?」
「何故だ?」
先日怪我を負った斉藤には作戦の立案だけ任せて、実際には屯所に留まるように指示を出した。本人も納得しているようだったのだが。
「待っているのは性に合いません。沖田さんのことは英に任せられます」
「ダメだ。今回は万全の体制で臨むと言っただろう」
「しかし」
妙に食い下がる斉藤へ
「お前が責任をとらなくて良い。どんな結果になっても全ては俺と近藤局長の決めたことだ」
と俺は告げた。立案した斉藤にとって作戦を見届けないことが気掛かりで心苦しかったのだろう、斉藤の表情が変わった。
「責任感ではありませんが…」
「だったら言い渡していることを最後まで遂行しろ。何が起こるのかわからないのだから部外者の英に任せるな」
「…」
いつもなら「わかりました」と承服するはずの斉藤がまだ食い下がろうとしている。俺は、
「何かあったのか?」
と尋ねた。斉藤は道理がわからないはずがない。
すると斉藤は突然、居住まいを正して頭を下げた。腹を折る体勢になり傷口に障るはずだ。
「おい…」
「申し訳ありません。…昨日、藤堂に会いました」
「…平助に?」
俺は驚いた。
斉藤は死んだものとして敢えて新撰組から噂を流している。それは本人もわかっているはずで、姿を現したら作戦は水の泡となる。いつもならカッとなって「何を考えている!」と怒鳴りそうな身勝手な行動だが、賢い彼もそれを覚悟して頭を下げているのだと思うと、
「何故だ?」
とその理由の方が気になった。
「…藤堂を巻き込みたくないと思ったからです」
「永倉や左之助ならまだしも、お前が?」
「…沖田さんに頼まれました」
斉藤がようやく白状し、俺は納得する。斉藤と総司のある意味での忠誠心に近い深い関係があった上で、そのような頼まれごとをすると彼は動かざるを得ないのだ。きっと総司は自覚していないだろうが。
俺は深いため息をついて「頭を上げろ」と言って、改めて斉藤と向かい合う。
「…何を話した?」
「全てです。伊東が何をしたのかということも、俺が間者であったことも、これから起こるであろうことも…身を隠すべきだと告げました」
「…平助はなんて言ってた?」
「話は信じたようですが、そのつもりはないとあしらわれました」
「…」
平助の頑なさを考えれば当然の返答だが、伊東の悪どさを知れば彼が考えを変えるのではないか、と俺は少しだけ期待していた。けれど、平助が選ぶのはやはり伊東なのだ。
「…余程、嫌われたらしい」
俺は苦笑するしかない。
当然だ、平助は山南さんが死んだ時からずっと苦しんでいた。どうにか溺れないように心を押さえつけているだけで、それも限界がきた。そしてもがいてもがいて掴んだ手が、俺たちではなく伊東のものだったのだ。
(俺は引導を渡した)
伊東について行きたいなら好きにすれば良い、その代わり仲間ではないーーーそんな風に切り捨てることでしか見送れなかった。挙句に昏倒した総司を助けても尚、藤堂を突き放してしまった。
しかし、斉藤は淡々と
「そういう風には見えませんでした」
とはっきり否定した。
「月真院にいた時、確かに蟠りはあるようでしたがずっと仲間のことを気にしていました。新撰組を揶揄する衛士達の中にも決して加わらなかった。昨日も…局長に感謝し、皆には宜しくと言って笑って別れました」
「…」
「藤堂は作り笑いができるような男ではありません。あれは本心です」
斉藤が淀みなくそう言ったので、俺にも笑顔で手を振る藤堂が想像ができた。
確かに彼との間に乗り越えられない亀裂があった。互いに行き違いもあった。
けれど藤堂が変わったわけではない。試衛館の末っ子で皆に可愛がられ、冗談を口にして楽しませるような、誰からも好かれる男だった。
(殺して…良いのか?)
俺は、試衛館にいた俺に問いかける。
これ以上、あの楽しかった思い出を汚す必要があるのか?つまらない意地や見えもしない建前のために、仲間と過去を消し去るのか?
俺は無意識に頭を抱えていた。ずっと見て見ぬふりをしていた本心によって、今更心を蝕むような苦々しさを感じる。
そんな俺に斉藤は続けた。
「俺はこの作戦が失敗なく遂行されると思っています。新撰組の一員として御陵衛士が壊滅されることに責任は感じません。…ただ半年、共に過ごした者として、そして間接的にとは言え手を下す者として、彼らの死を見届けたいと思ったたけです」
斉藤はそう言い残すと俺の返答は聞かずに「失礼します」と去っていった。





大津を手前にした宿場町に辿り着き、茶屋の縁台に腰掛けて休んでいると、突然俺たちの前に一人の小男が現れた。乱れた身なりと土埃まみれの手足、深く被った頭巾で表情は伺えない。俺は物乞いかと思い「あっちに行け」と手で払ったが、内海さんは顔色を変え身を乗り出して
「どうした?!」
と声を上げた。
「知り合いですか?」
「月真院の近くに潜ませている小者だ。動きがあった時に知らせるように伝えていた」
内海さんは早口で答え、小者に「何があった?」と問い詰める。
「篠原殿と加納殿に伝言を頼まれました。急ぎお戻りください」
「伊東先生に何かあったのか?」
「新撰組からの招きで会談が。伊東殿は応じられました」
「何…?!」
「兄上自ら?!」
寝耳に水の話に内海さんは青ざめて、俺は湯呑みを落とす。
「いつだ?!」
「今宵、酉の刻です」
「…ッ、鈴木君、戻るぞ!」
「は、はい!」
内海さんがそのまま駆け出してしまったので、俺は金を置いて慌てて追いかける。小者は詳しい事情は知らず「とにかく早く戻るように」と託けられたらしく、俺たちの焦りは募る。
(兄上は会談のことを隠して俺たちを送り出したのか…!)
内海さんが感じていた兄への違和感の正体はこのことだったのだ。兄は信頼している内海さんを遠ざけて新撰組と対峙しようとしている…きっとそれは命懸けの行動だ。
『頼む』
そう口にした兄は一体どんな気持ちだったのか。最後の別れのつもりの一言だったのではないだろうかーーーそう考えるだけで目頭が熱くなる。
(でも俺は、もっと話したいです…!)
血のつながらない、出来損ないで、足を引っ張るだけだったかもしれないけれど。
ーーーまだ、兄上と呼びたい。
俺はその一心で元来た道を戻っていた。


















解説
なし


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