わらべうた




788


長い夜を越えて暁を迎え、油小路に陽の光が差し込んだ。
重たい眼を開け、ひんやりとした空気に身を縮めながら戸を開けた人々はそこに広がる光景を見た途端、「ひぇっ」という悲鳴とともに一気に目が覚める。
そこには薄く積もった雪の上に惨殺された遺体が四体、横たわっていたのだ―――。


土方はすべてを終えたあと、近藤の妾宅へ向かった。形式を踏んで玄関から上がるのも億劫で庭の縁側から客間に足を踏み入れる。
近藤は一睡もせず、伊東と別れた場所で土方の帰りを待っていたようだ。土方は何も言わずに近藤の前に膝を折ると、彼は静かに頷いた。
「…終わったか」
「ああ…」
近藤は暗く沈んだ土方の表情を見て、ゆっくりと悟ったようでぐっと唇を噛みながら目頭を押さえた。そして声を震わせて呟いた。
「…駄目だったか、平助は…」
「…」
ここにやってくるまでに考え続けていたのに、結局なんと答えたら良いのか…土方はわからなかった。
藤堂が死んだあと、その死を嘆く永倉と原田にぽつぽつと事情は聞いた。藤堂は最初は反発し逃走を拒み御陵衛士として戦おうとしたが、永倉たちの意を汲み最後には逃げ出すことを了承してくれたようだった。それなのに、事情を知らず功を焦った新入隊士の三浦が斬り付けてしまい、目的は叶わなかった。
そう話すと、近藤は険しい表情のまま首を横に振った。
「三浦君を責めてはならん。新撰組の隊士としての本分を全うしただけだ」
「ああ…。ただ怪我は重い。藤堂の最期の一振りがまともに当たっている」
「平助の意地だな…」
近藤は少しだけ笑って、魁先生の最期を称えた。けれど土方は一緒に笑うことはできず、硬い表情のまま続けた。
「…三浦だけじゃない、御陵衛士の反撃に遭って何人か負傷している。それに服部、毛内は仕留めたがその他は逃げ延び、薩摩藩邸に匿われているようだ。大石によるとどうやら伊東があらかじめ手配していたらしい」
「薩摩か…我々には手出しできないな」
「ああ。だが、伊東を含め殺した四名の遺体はまだ油小路に放置している。奴らがまた戻って来ないとも限らない…ほとんどの隊士には屯所へ戻らせたが、まだ監察には見張らせている」
その四人のなかには当然藤堂も含まれている。土方は敢えて言及しなかったが、近藤は苦い顔をした。
土方もすすんで藤堂の骸を置いているわけではない。けれど新撰組隊士たちの手前、仲間の藤堂だけを贔屓して埋葬することなどできなかったのだ。それにまだこの諍いが終わりを告げたわけではなく、逃げ延びた御陵衛士たちが躯を取り戻しに舞い戻る可能性もある。
二人は沈黙した。あらかた経緯を話し終え結果は予想していた通りだったとはいえ、藤堂が命を落としてしまったことを「仕方ない」と簡単に受け入れられるほど薄情ではない。
「…すまない」
沈黙を破り、謝ったのは土方だった。
「歳…作戦は無事に遂行した。平助は助けられなかったが…お前が謝ることじゃないだろう?」
「いや…藤堂を助ける機会はいままで何度もあったはずだ。手を差し伸べて言葉を尽くせば…素直なあいつは脱退することもなかっただろう。それなのに新撰組を見限るような状況を作った…結果、藤堂は死んだ。それは…」
「自分のせいだと言うのなら、それは違うぞ」
それまで落胆していた近藤が、はっきり否定した。
「確かに平助との行き違いはあっただろう。でも伊東とともに脱退することを決めたのは平助の意思だ。斉藤君がすべてを告げたのに油小路にやってきたのも平助自身…そして俺たちは勝負をした。…それだけだろう?」
「…」
「不運にも命は助けられなかったが…それが平助の運命だったんだ。平助が懸命に考えて選んだ結末を、自分のせいだと思うのは傲りだと思うぞ」
近藤の言葉は土方への慰めでもあり、平助への哀悼でもあり、そして自分自身への戒めだったのだろう。すっかり冷たくなった茶を一気に飲み干して、「ああ」と声を出して息を吐いた。
「…俺はもう少しここに残って、おみねさんとお勇を迎えに行く。…お前は早く屯所に戻れ、ちゃんと総司に説明しないといけないだろう?」
「ああ…そうだな」
今日は眩しい朝だ。
流石に総司も目が覚めて状況を把握しているだろう。言い訳をするつもりはないが、総司の言い分を受け止めなければならない。どれだけ怒るのかと思うと気が重いが、土方はとっくにその覚悟をしていた。
土方は立ち上がり、近藤の言う通り屯所に戻ろうとしたのだが、
「なあ…平助は何か言っていたか?」
と訊ねた。
土方が最期に聞いた藤堂の言葉…それは三浦に斬られ、意識が朦朧としながら原田の腕の中で逝く寸前の一言だけだった。
「『ありがとうございます』…それだけだ」
「……そうか」
土方は部屋を出て、やってきた庭先から妾宅を出る。近藤の啜り泣く声が聞こえたような気がしたが、振り向かずに去った。



今日は皮肉にも、昨日までの曇り空が嘘のように晴れ渡りつかの間の柔らかな朝日が顔を出す気持ちの良い朝だ。
隊士たちが不動堂村の屯所に戻ってきたのは早朝のことで、皆夜通しの任務に疲れ果て、何人かは戸板で運ばれてくる始末だった。数では新撰組が圧倒的に有利だったはずだが、御陵衛士たちの激しい抵抗にあったのか、被害が大きかったのだとすぐにわかった。医学方の山崎や山野は忙しそうに駆け回り、そこに英も加わって怪我人たちの処置は手早く行われ始める。
斉藤はその様子を横目で眺めながら、永倉の元へ向かった。彼は呆然とした表情のまま微動だにせず遠くを眺めるように縁側に腰を下ろしていたのだ。
「首尾は?」
「ああ…」
斉藤の問いかけに、永倉は目を伏せて気怠そうにしたが淡々と答えた。
「伊東の遺体を引き取りに来たのは御陵衛士のうち七名だ。命令通り、作戦を遂行したが想像以上の抵抗にあって、この有様だ。結局…篠原や加納、富山、鈴木は逃がしたが…服部、毛内…平助を討ち取った」
「…」
斉藤は永倉の返答を聞く前から何となく藤堂の生死については察していたが、それでもその現実を耳にすると徒労感は増した。斉藤が永倉の隣に腰を下ろすと彼も弱音を吐き出したかったのか、ゆっくりと語り始めた。
「…最初平助は…伊東を殺した新撰組を、俺たちを許せないと言った。だから逃げたくないと…でも俺はそれでも良いと言った。平助が生き延びてくれるなら…この先でその縁が交わる時がきっとくると信じたていたからだ。だから、あいつが駆けだした時は心底安心したのに…結局、左之助の腕の中で死んだんだ。どんなに無念だったか…」
「…なぜ死んだ?」
「新入隊士の三浦が斬った。…仕方ない、平助の顔を知らなかっただろうし、まさか敵を逃がそうとしているなんて思いもよらなかっただろう。だが、平助も一矢報いて三浦を斬り伏せた」
斉藤は怪我人たちのなかで一番の重傷を負っていたのが三浦だったことに思い至る。壮年の隊士は「痛ぇ痛ぇ」と唸り、英の手を焼かせていた。それが藤堂の最期の一振りだったのなら納得できる。
永倉は肩を落とし、深くため息をついた。
「…あの左之助が平助が死んだあと散々泣いて、その後無口になった。いまは部屋に閉じこもっている…馬鹿なことを考えないと良いんだが。…まあ、気持ちはわかる。三浦を責めることもできず、平助の骸を葬ってやることもできずいまも油小路で晒されていると思うと、気が狂いそうだ…」
「それは…」
「土方さんはまだ四人取り逃がしているからと言っていたが…伊東だけならまだしも平助の骸を囮に使うなんて…俺には理解できない」
永倉は落胆しつつも、残酷な指示をした土方に少し反感を持っているようだった。その場にいなくとも、斉藤には土方がどんなに冷たく振舞ったのか想像できる。庇うつもりはなかったが、これ以上の諍いを避けるため斉藤は口添えした。
「…仕方ないことだ。藤堂の遺体だけ特別扱いはできない。それに…新撰組に手厚く埋葬されたいなど、藤堂は思っていないはずだ」
「そう……かもな」
斉藤の言葉に永倉は悔しそうに唇を噛んだ。普段から冷静な永倉も本当はわかっていたはずだ、土方がそんな命令を憎しみから口にしたわけがなく、悲しみを押し殺してそうせざるをえなかったのだと。
永倉は何も言い返さずに「頭を冷やしてくる」と言って立ち上がり去っていくと、入れ替わるように山崎がやってきた。
「手当は終わったのか?」
「へえ、まあ。ハナさんがおってくれて助かりましたわ。死者はおらへんが、怪我人が多い。服部は手強かったなぁ…」
「逃走した四人は?」
「大石によると薩摩藩邸に逃げ込んだとか。月真院ももぬけの殻で、きっと内海や阿部もどこかへ匿われとるやろう」
「薩摩か…伊東が先んじて話をつけていたのだろう」
「そうやろうな、流石に周到や」
山崎は厳しい顔をしつつ、手に付いた血の汚れを懐紙で拭く。監察方と正反対の医学方のどちらの表情も持つ有能な隊士だが、さすがに疲れた表情を見せていたが、
「奴らの動向から目を離すわけにはいかへんな」
と鋭利な眼差しを覗かせた。
御陵衛士たちの伊東への忠誠心は、間近で見てきた斉藤が一番よく知っている。特に彼の右腕だった内海と実弟の鈴木、長年の友人である篠原や加納が生き残ったのだからこのまま何の報復もせず黙っているわけではないはずだ。
「…ところで、沖田せんせは?もう具合はええってハナさんはゆうてたけど」
「ああ…」
山崎の問いかけに、斉藤は視線を外した。
総司はあれからずっと土方の部屋でその帰りを待っていたのだ。












解説
油小路事件については何点か補足を書き足します。
まず斉藤はもともと間者として御陵衛士に潜入していたという説と、そうではなく御陵衛士での待遇や不満を理由に新撰組に帰参したという説があります。また斉藤が帰隊したときにもたらしたと言われる「伊東による近藤暗殺計画」は存在せず、伊東が提出した建白書の内容が近藤の意見にそぐわない内容であったことなどを理由に対立して油小路へつながっています。(実際近藤暗殺計画があったと証言しているのは永倉のみであり、他に資料にはそれはない)
事件当日、伊東は協力関係にある新撰組からの資金提供を餌に、近藤の妾宅に呼ばれ時勢について語らいその帰り道に暗殺されているので、青天の霹靂だったのかもしれません。
その後、伊東の死体を発見した役人が月真院へ引き取るように伝え、油小路事件へと繋がります。服部は危険を予期し重装備で臨みますが、それ以外は「いざという時に逃げ遅れる」という理由で軽装で現場に訪れ、結果として毛内、藤堂、服部(重装備である故に皆の盾になったとされる)が殺されました。
藤堂は原田、永倉の指示で逃走を図りますが、顔を知らなかった三浦に斬られて殺されています。



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