わらべうた




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油小路の惨劇を知り知人の薩摩藩士を頼った内海は、その後美濃から引き返してきた阿部とともに篠原たちが匿われている今出川の薩摩藩邸へ秘密裏に向かい、合流した。
「すまなかった…伊東だけでなく、三人も失うことになってしまった」
青ざめた篠原はその大きな体躯を小さく折り曲げて言葉少なく謝罪した。加納、富山、鈴木…皆一様に口を閉ざし、重い雰囲気だった。
「…謝らなくていい。すべて、大蔵君の望んだ結果だし、死んだ者も本望だっただろう」
内海は篠原たちを責めるつもりは毛頭なかった。内海には伊東の遺言さえなければいの一番に新撰組へ飛び込んでいたのは自分であっただろうという自覚があったので、むしろかわりに一矢報いてくれた篠原たちへは感謝しかない。
しかし加納は悔しそうに唇を噛む。
「伊東先生のご遺体はとても運べなかった。毛内や服部、藤堂も…いまは油小路に晒されていると聞く」
「人の心がないのです、奴らは…!」
怒りを滲ませる加納と富山の隣で、鈴木が感情を昂らせ俯いたまま涙を拭っていた。彼らは事件の後、すぐに藩邸に逃げ込んで時が止まっている。内海は「慰めにはならないかもしれないが」と前置きして口を開いた。
「この数日間は俺たちを誘き寄せるために放置されていたが…新撰組の手によってようやく葬られたと耳にした」
「なんだって?」
「どちらへ?!」
「おそらく光縁寺だ。…大蔵君には不本意だろう」
説明するまでもなく光縁寺は新撰組に所縁の深い場所だ。篠原は「くそ」と舌打ちし加納や富山はやりきれない表情を浮かべたが、鈴木は顔を上げ泣き腫らした目を内海へ向けて
「本当ですか…」
と少しだけ安堵の表情を浮かべた。御陵衛士の頭領として不本意な葬られ方であったとしても、家族としてはようやく静かな眠りについたことに安心したのだろう。内海には鈴木の気持ちが痛いほどわかった。
内海は阿部とともに月真院から持ち出した少ない荷物を運んでいた。着の身着のままで藩邸に逃げ込んだ彼らに、十分とは言えないが私物を渡すとようやく表情が落ち着いてきた。
内海は鈴木の前で膝を折った。
「鈴木君、これを」
「…これは…!」
「大蔵君から借りていたのだろう?『回天詩記』…俺もかつてこれを読めと散々、叱られたものだ」
鈴木は読み古された『回天詩記』を受け取ると胸に引き寄せて愛おしそうに抱きしめた。
「兄上に…これを暗記して、東湖先生の辛抱強さを学べと…」
「…大蔵君の言いそうなことだ。大蔵君は東湖先生を深く尊敬していたし、その子息である小四郎殿とは親しくしていた」
「はい…俺は、小四郎殿に似ている、だから早死にするに違いないと…でも弟なら自分よりも長生きするのが道理だと…」
「…そうか…」
鈴木の断片的な話でも内海には伊東が何を伝えたかったのか、手に取るようにわかった。藤田小四郎は若くして亡くなった友人だ。賢かったが無鉄砲なところを弟に重ね、どうか早死にしない様にとこの『回天詩記』を弟に読ませようとしたのだろう…随分遠回しではあるが、内海の知らないところで冷え切った兄弟の絆がようやく結ばれようとしていたのだと思うと、さらにやりきれなさが募る。
内海は堪えきれない涙を流す鈴木の肩に手を置いた。小刻みに揺れる身体から悲壮感と憤りが伝わってくる。
鈴木は少年のように必死に涙を拭いながら、縋るように内海を見据えた。
「内海さん、俺は許せません…兄上を闇討ちし、骸を晒した…これ以上なく兄上を辱めたのです!」
「…鈴木君」
「止めても無駄です。俺は許しません…!絶対に報いを受けさせます!」
新撰組に制圧され蹂躙され、御陵衛士は破滅した。目の前で何人もの同志が死んでいった光景は目に焼き付いていたが、おめおめと引き下がるわけにはいかない。
しかし鈴木の強い決心と覚悟を目の前にしながら、内海は「時を待とう」と淡々と告げた。感情の起伏のない返答に鈴木は(その気がないのか)とカッと眉を吊り上げたが
「俺がやる」
と内海が静かに口にした。鈴木はようやく気が付いた。内海は誰よりも昏い瞳を抱えていたのだ。
「…今は、大蔵君たちの冥福を祈ろう。そして時が来たら…必ず贖わせる」




総司は肩に羽織を掛け、道場の角に腰を下ろしていた。新撰組は油小路事件から数日経ち、骸を葬ったことでいつもの平穏を取り戻しつつあった。
今日の稽古当番は永倉だ。いつものことながら実直に指導する姿は凛々しくもあり頼もしい。古参の隊士たちは慣れた様子で稽古をこなすが、入隊したばかりの隊士たちはまだまだついていくのがやっとという有様で、特に少年たちは息が上がっていた。総司は口出しせず、その様子を穏やかに眺めていたところ、
「調子はどうだ?」
と斉藤がやってきた。
「私は悪くありませんけど…まさか、稽古に参加するつもりですか?」
斉藤は素知らぬ顔で道着に身を包み、竹刀を手にしている。総司に脇腹を撃たれて半月ほど経ち彼は痛みはないと言い張るが、屯所を訪れる英には毎回『安静にしていろ』と口酸っぱく言われているはずだ。
「軽く動くだけだ」
「はぁ、また英さんに叱られても知りませんよ」
「英に許可は取った」
「…きっと英さんは斉藤さんの『軽く』をご存じないのでしょう?」
剣術に縁のない英は、斉藤の軽い稽古を知らないはずで竹刀を数回振る程度だと思っているのだろう。斉藤は「さあな」ととぼけて受け流し、そのまま稽古に勤しむ隊士たちに混じっていってしまった。
総司の視線は自然と斉藤が竹刀を構える姿へと注がれた。確かに脇腹の痛みなど感じさせないほど軽快に腕を振り上げ、難なくまっすぐに振り落としている。表情も淡々としていて無駄のない洗練された動きは目立って周囲の注目を浴びているが、本人は興味がなさそうだ。一度脱退していながら、怪我を負っても元居た場所に戻る…きっと本人には葛藤もあるだろうがそれを悟らせない強い眼差しがどこか遠くを見つめている。
(斉藤さんはもう新撰組を離れないと言っていた…)
彼が彼の居場所をここだと定めたことが嬉しくもあったが、同時に信頼できる存在が近くにいるという安心感もあった。大政奉還から政権の所在はわからなくなり世の中は混乱しているけれど、悪路をともに行く友人は得難いものだ。
「…先生、沖田先生」
斉藤を眺めていたせいで、市村鉄之助が声をかけてきたことに気が付かなかった。いつの間にか稽古は休憩に入ったようだ。
「ああ…市村君」
「鉄之助で構いません。銀と一緒で兄がいますから。…先生、俺の構えを見てもらえませんか?」
鉄之助は泰助や銀之助と年は同じくらいだが、彼らよりも少し小柄だ。本人もその自覚があるようで稽古では誰よりも必死に食らいついているものの、やはり体格面で劣るため木刀が重たそうだ。総司は腰の位置や力の抜き方を指摘するが、実践しようとするとすぐにバランスを崩してしまう。
「まだ鍛え方が足りてないのかもしれないですね」
「…もっと、素振りをしたりですか?」
「いえ、よく食べて寝ることです。…焦って稽古を積んでも一朝一夕には上達しませんよ」
総司の指摘に鉄之助は複雑そうに顔を顰めた。彼が寝る間を削って自主的に稽古を積んでいることは泰助や銀之助から耳にしていた。
「でも…」
「君はまだ成長途中で、これからという時期です。なのに不相応な筋肉を身につけては枷になるだけですよ」
「…」
鉄之助は尚も不満そうだったが、総司は穏やかに語りかけた。
「…私も同じ齢の頃は稽古に打ち込みました。周りは大人ばかりで明らかな実力差があって、それが経験や年月の差だとわかっていても早く強くなりたかった…でもどうしても追いつけないところはあります」
「先生はそんな時どうしたんですか?」
「そうだな…目を鍛えました」
「目?」
総司は鉄之助を隣に座らせた。
「ここには優秀な剣士がたくさんいるでしょう?だから稽古は程々にして周りをよく観察したら良い。上手い人の上手いところを目に焼き付けて何度も頭の中で繰り返す。そして自分なりに真似をして再現する…幼少の私にとっては近藤先生だけだったから私には天然理心流しかありませんが、ここには一流の使い手が揃ってますよ」
「…確かに」
早速、鉄之助は目を凝らし、あちこちに視線を泳がせる。難しい年ごろでありながら素直な姿勢には感心するが。鉄之助からは必要以上の焦りを感じた。
「…強くなりたいですか?」
総司が尋ねると鉄之助は「はい」と即答した。
「この間、屯所で留守を任された時に思いました。こんなふうに置いていかれるのは真っ平御免だって。俺は早く一人前になって戦場に立ちたいんです」
「…」
総司は鉄之助の横顔を眺めた。まだまだあどけなさの残る顔つきだが、彼は未来への希望に溢れ己の可能性を疑いなく信じている。無謀だとか、未熟だとか経験がないだとか…そんなありきたりの言葉はいまの彼の心には届かないだろう。
(心が剥き出しのまま、そこに在るみたいな…)
思いのままに、自分の道へ駆けだしていくような。そんな眩しさを目の当たりにして、総司は自然と口元が綻んでいた。
「…先生?」
「いえ…私も君みたいな頃があったのかな…って」
「…?」
鉄之助は首を傾げた。少年期の無鉄砲さには自覚はなく、総司の言葉の意味はわからないだろう。
そうしていると休憩の終わりを告げる声が響いてきた。鉄之助は「ありがとうございました」と頭を下げて、先輩隊士たちの元へ戻っていった。
そうして再び見慣れた稽古の光景が始まったので総司は立ち上がり、道場を後にした。若々しい雄叫びがやがて聞こえなくなるまで廊下を歩き、ふいに足を止めた。
(僕も蚊帳の外は嫌だな…)
冷たい冬の風が通り抜けていく。肩から羽織った上着を握って暖を取り、また歩き出した。
そして近藤の部屋を訪ねた。近藤は火鉢の前で胡座をかき手をかざしながら温かな茶を飲んでいた。その穏やかな様子を見て総司は何だか安堵する。
「総司、どうした?具合は良いのか?」
「はい。…先生、お願いがあります」








解説
なし

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