わらべうた




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「それで、なんて答えたんですか?」
あっけらかんと、むしろサプライズが成功したという満足げな表情の総司を見て、こちらの気も知らないでと斉藤は顔を顰めた。
「…保留にしている」
「えぇ?困ったなぁ。もう島田さんや山野君に言っちゃったのに…まさか断りませんよね?」
総司が楽しそうに訊ねるが、斉藤は無視して盃に手を伸ばした。
近藤と土方との話し合いを終え、部屋を出た斉藤はその足で総司の元を訪れて「夜開けておけ」と告げた。幸いにも体調の良い総司を相手に酒を飲みながら、自分を一番隊の組長に、という話の真相について聞き出そうとしたのだ。
「…まだ受けるとは決めてない」
「そんな。皆、優秀な隊士ですし手を焼くことはないと思いますけど。島田さんは頼りになるし、山野君は口煩いところはあるけどしっかりしているし、他の隊士だって…あ、相馬君と野村君はちょっと相性が悪いみたいですけどまあ大目に見て…」
「そういうことじゃない」
すっかり一番隊の組長の座を斉藤へ譲るつもりの総司は、機嫌良く笑いながら火鉢で干物を焼いている。
「じゃあどういうことですか?」
「…身に余る」
「大袈裟に考えなくても」
「背負うものが大きすぎる」
総司はふと、いつもより斉藤の酒の量が多いことに気が付いた。飲んでも顔色一つ変えない彼が、どこか自棄になりながら飲み干しているのを見て、総司が思っている以上に彼が思い悩んでいることに気が付いた。
「…背負わなくったって。確かに一番隊は新撰組の顔…とも言えますけど、隊士は精鋭が集まっているから頼りになるし、斉藤さんがいつも通りに任務を遂行してくれれば何の問題もありません」
「そうじゃない。やるべきことが変わらないのもわかっている…ただ…」
斉藤は言葉に詰まり、酒を煽った。
総司も斉藤がなぜ気兼ねしているのか、本当はわかっていた。総司が壬生浪士組の頃からずっと変わらずに率いてきた一番隊という看板にどれほどの思いがあるのか、よくわかっているからだ。
総司は盃にほんの少し残った酒を手慰みにくるくる回しながら、
「私は、自分が組長を辞すると決めた時に…任せられるのは斉藤さんしかいないって思ったんです」
「…」
「都に来て四年…お役目で何人か斬って、仲間にも手を掛けて…思い返せば私が剣士としてこの四年間で誇れることは何一つありません。それを後悔しているわけではなくて、近藤先生のために働けたことで心から満足しているんです」
「それは…」
「でも、剣を置くことになって役立たずの私にも残ったものがあったことに気が付きました。…それは、私を慕ってくれる部下たちです。こんな若造に誰一人裏切らず、誰一人文句も言わず…情けない姿になっても私を組長としてずっと従ってくれました。彼らは私にとってかけがえのない財産です」
「だったら…尚のこと、気が重い」
斉藤はますます顔色を悪くしたが、総司は彼にプレッシャーを与えたいわけではない。空になった斉藤の盃に酒を注ぎながら微笑んだ。
「…斉藤さん、新撰組に戻ってきたときに『もうどこへも行かない』って言ったじゃないですか。それはこれから先ずっと新撰組のために命を賭けてくれるっていうことでしょう?」
「そのつもりだが…」
「だったらこれほど信頼出来て、心強いことはありません。私の大切な財産である彼らを預けられるのは、私の大切な友人の斉藤さんしかいないって思うんです」
「…」
斉藤はしばらく何も言わず、注がれた盃を手元に置いた。そして総司を見つめた後
「わかった」
と短く答えた。
必要以上に飾り立てた決意や抱負は必要ない。彼がいつも端的な言葉しか口にしなくても、それを確実に実行することを総司は良く知っているからだ。
「良かった」
総司が乾杯のつもりで盃を差し出すと、斉藤も意図を察して同じようにしてキンッと小さく心地よい音が鳴る。ほとんど水のように薄まった酒が身体に流れ込んだ。
そろそろ師走を迎えようかという夜は凍てついていて、どこか厳かで静かだ。同じはずの時間がゆっくり過ぎていくような気がするのは、酒のおかげか、気の置けない友人のおかげか。
(きっとこれからこんな時間が増える)
少年たちの世話を焼く以外は療養に努めることになり、時間を持て余すだろう。
総司は火鉢に網を置き、干物を焼きながら「あっ」と思い出した。
「なんだ?」
「さっき土方さんから聞きました。名前、『斉藤』から『山口』に変わったんでしたよね?つい癖で斉藤さんって呼んじゃいましたけど…」
「そのままでいい」
「そうですか?でも…」
「あくまで表向きの話だ。…それに、あんたには『斉藤』と呼ばれたい」
「…そういうものですか?」
「そういうものだ」
斉藤が断言するので、総司は「わかりました」と頷いた。そして少し焦げた干物を斉藤に渡しながら
(確かに、そういうものかもしれないな)
と苦笑した。


土佐要人暗殺容疑は、巷に実しやかに流れる噂と伊東の証言により後押しされ一時は新撰組へと向けられていたが、ひと月経とうとする今頃は別の風向きへと変わりつつあった。
「紀伊が?」
会津藩邸帰りの近藤の言葉に土方は少し驚いた。徳川や西国諸藩の間では暗殺の黒幕が紀伊ではないかという話になっていると聞きつけたというのだ。
「実際に手を下したかどうかはわからぬ。ただ半年前に海援隊のいろは丸という船が沈没したことがあっただろう?」
「ああ…なんだかよくわからねぇ異国の決まりを持ち出して、紀伊に賠償金を払わせたっていう…」
「そうだ。結局、紀伊と海援隊のどちらに非があったのかはっきりしないままだがな。暗殺があったのは紀伊から土佐へ賠償金が全額支払われた矢先だったこともあって、海援隊や陸援隊は紀伊藩士が黒幕だと騒いでいるそうだ」
「…そうか」
新撰組としては疑いの矛先が別の方へ向いたのならそれで良い。土方は一安心しながら近藤が羽織を脱ぐのを手伝った。
「それで、会津公のご様子は?」
「うむ…胃を病まれていた」
「…ご心労か」
もともと病弱なところのある会津公だが、特に将軍が代替わりしてから塞ぎこまれることが多くなっていて近藤はたびたび藩邸に呼ばれては会津公の話し相手になっている。
「大樹公は…なんというか、聡すぎる御方のようだ。聡慧で在られるが、そのお考えをなかなか口にはされない。それ故にこの先の舵取りが不透明で、家臣たちも困り果てているそうだ」
「まあ…側用人が立て続けに殺されりゃ、周囲に不信を抱くのは仕方ないことだ」
「ああ。せめて誠実な会津公と信頼を結ばれれば良いのだが…」
なかなか将軍職に就かず、家臣の意向に耳を貸すこともなく政権返上を成し遂げてしまった慶喜公と、忠誠心の塊のような気概を持ち、まっすぐに物事を見定める会津公ではなかなか反りが合わないだろう。近藤から話を聞くだけの土方ですらそんなことを思ってしまう。
近藤は眉間に皺を寄せて考え込むが、土方は羽織を衣文掛けながら
「そうは言っても、いまこの国は徳川無しでは立ち行かないはずだ。大樹公は政権を返上し、あとは粛々と西国の動きに注視すればいいとお考えなのだろう」
「戦になるのではないか?」
「江戸の兵も続々と都へ向かっているはずだ。戦になったとしても簡単には負けやしねえよ」
「…歳と大樹公は話が合うのかもしれないな」
「恐れ多い」
土方は笑い飛ばして、「それより…」と話を変えた。












解説
このころの隊編成については手元に資料がないので創作になります。

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