わらべうた




797


泰助とともに屯所に戻った土方は、早速客間に向かい浅羽と対面した。
「お休みのところを申し訳ありません」
「いえ…朝方、近藤とともに二条城へ足を運びましたが?」
近藤に伴って土方は今朝、会津公へ謁見していた。用件があるならその時でも良かったのではないかと不思議がる土方に、浅羽は苦笑した。
「ええ…秘密裏の依頼があってお伺いしました。…二条城では誰が聞き耳を立てているかわかりませんので」
「そうですか。…総司」
「はい」
浅羽の相手をしていた総司だが、席を外すことにした。
「とても楽しかったです。またお話ししましょう」
「是非」
互いに会釈して総司は去る。銀之助が茶を持ってやってきたが、すぐに人払いをさせて客間の周りはすっかり静かになった。
「それで、お話というのは…」
「例の坂本龍馬暗殺の件です」
「ああ…」
その件は近藤と話をしていた。事件直後、巷では日頃の行いのせいか新撰組の仕業だと騒がしかったが、いまは噂は様々な所へ分散し、尾びれ背びれをつけて独り歩きしているという。
しかし浅羽の表情は深刻だった。
「土佐の陸援隊と海援隊はいまだに犯人を探し出すために躍起になっていますが、この頃その標的が紀州に絞られつつあります。確かに紀州はいろは丸沈没の賠償金で揉めたこともあって決して手を下していないとは言い切れませんが、紀州は徳川御三家の一つ、先の長州征討でも采配を振るい今の徳川にとってなくてはならない藩です。些細で不確かな疑惑で土佐と揉めるのは避けるべき…というのが我が殿の意向です」
「…何をすれば良いのでしょうか?」
「海援隊の陸奥という者が、賠償金の窓口交渉をした紀州藩士三浦休太郎殿が黒幕であると強く主張しているそうです。この者は弁が立ち、かつては坂本と並ぶほどの才覚があると言われあちこちに人脈があります…騒動になると大事です、新撰組には三浦殿の警護をお願いしたいのです」
「…」
土方は腕を組みつつ考える。海援隊の陸奥という名前について聞き覚えがあった。
「…陸奥とは、陸奥陽之助のことでしょうか?」
「さすが、よくご存じで」
「確か紀州の出身ですよね?」
脱藩して尊王攘夷に身を捧げる志士は多いが、巡り巡って郷里の藩士の襲撃を目論んでいる。浅羽は「そのようです」と自身なら理解できないという表情を浮かべていた。
「父君は藩主に引き立てられて財政を立て直したそうですが、その後失脚し酷く困窮し尊王攘夷に傾倒したとか。坂本を殺されたこともありますが、もしかしたら個人的な怨恨で国を憎んでいるのかもしれませんね」
「…」
土方は直感的に厄介な相手だと思った。以前山崎から陸奥が外国商人との繋がりを持ち武器を仕入れていると聞いたことがあったので、襲撃の際に銃を多用されると三浦某の身だけではなく、隊士も無傷では済まされないだろう。当然何かあれば新撰組の失態になる。
しかし会津公直々の命令に背くという選択肢はない。近藤が不在でも答えは同じだ。
「…わかりました、お引き受けします」
「ありがとうございます」
浅羽は恭しく頭を下げたが、土方が断るわけがないとわかっていたはずだ。
(食えない人だ)
そう思っていると、浅羽は「早速ですが」と頭を上げた。
「事は急ぎます。今日の夕刻に三浦殿から迎えの者がここに寄越されますので、その者に従ってください」


「…というわけで、山口君。復帰早々重要な任務を任せることになるが」
近藤が帰営し、浅羽の話を聞くと当然「新撰組の名に懸けて努めるべきだ」と息巻き、新撰組で一番秀でた者たちが集まる一番隊を呼び出した。もちろん斉藤が彼らの前に膝を折っている。
「…つまり、紀州藩士の警護ですか」
「そうだ。おそらく君には常に三浦殿と行動を共にしてもらうことになるだろう。他の隊士は君を援護する」
「はっ!」
一番隊の隊士たちは緊張感をもって一斉に頭を下げるが、斉藤はちらりと土方を見た。
(屯所を離れるのは気が進まないと言ったはずだが…)
土方は斉藤の視線の意図は感じ取っていただろう、
「…浅羽殿の話によると、陸奥は海援隊の同志とともに数日中に襲撃を企んでいるとのことだ。監察にも奴らを探し出すように指示を出す」
ということなので、数日のことらしい。斉藤は内心は不承不承な気持ちだったが、近藤直々の命令であり、一番隊の隊士たちもやる気になっているのを今更無碍にできず、結局は引き受けるしかない。
「かしこまりました」
「頼む。そろそろ三浦殿の使いがやってくるはずだ。皆、準備を整えてくれ」
近藤の命令で解散となるなか、斉藤は土方の元へ足を向けた。
「三浦休太郎について何か情報はありませんか?」
「急な話で詳細はわからない。もともとは紀伊の支藩、伊予の西条藩士だったが、茂承様が紀伊藩を継ぐにあたってともに転籍したようだ。いろは丸沈没の時には海援隊を相手に折衝役を務めて、結果的には紀伊が賠償金を払うことになってしまった。だからその三浦が坂本暗殺の黒幕でもおかしくはないが…個人的には紀伊が手を引いているとは考えられない」
「…黒幕かどうかはこの際、関係ありません。つまり、この時勢に土佐と紀伊が揉めると戦の発端になりかねないということでしょうか」
「浅羽はそこまでは言わなかったけどな」
浅羽は『大事になる』と濁したがいまは些細な衝突が口火を切るきっかけになると言いたかったのだろう。
土方も面倒ごとを押し付けられたと思いながら腕を組んだ。
「…とにかく臨機応変に対応してくれ。新撰組が標的だったのが次々に変わっていくように、海援隊の奴らの気が晴れれば御役御免になるはずだ」
「わかりました。…支度します」
斉藤は土方に背中を向けながら(紀伊か)と思った。紀伊藩主だった慶福公が将軍に就き、家茂と名を変えたことにともなって、西条藩主の息子であった茂承が紀州徳川家の家督を継ぐことになったので三浦はその際にともに紀州藩士となったのだろう。紀伊との浅からぬ縁をつくづく感じながら部屋に戻り、身支度をしていると総司が顔を出した。
「貧乏くじ、引いちゃったみたいですね」
詳細までは把握していないだろうが、厄介な任務を押し付けられたことは察したのだろう。総司はからかうように笑っていたので、なんだか気が抜けた。
「…ああ。思った以上に厄介だ」
「へぇ、どう厄介なんですか?」
「ただの護衛で済めば良いが、相手は海援隊だからな。…刀で相手になるかどうか」
敵は最新鋭の武器を携えて襲撃してくるはずだ。いくら一番隊の手練れが警護を務めても銃相手では言葉通り太刀打ちできないだろう。
総司は「ふうん」と少し子供っぽい暢気な相槌を打った後に、
「じゃあ試すには良い機会ですね」
と言った。
「試す?」
「斉藤さんくらいの腕前で刀と銃、どちらが土壇場で役立つのか…私も気になっていました。結果が分かったら教えてください」
総司はそう言いながら斉藤へ、負けるはずがないだろうと嗾けているように見えた。そこには斉藤と財産と語った配下たちへの信頼があるのだろう。斉藤は覚悟を決めて任務に臨むつもりだったのだが、(どうやら死なない前提の話らしい)と内心苦笑するしかない。
「…ああ、わかった」
そうしていると、島田が急いでやってきた。
「山口先生、三浦殿の使いの者が来ました」
「早いな」
「はい、近藤先生が客間にお通ししています」
「すぐに行く」
斉藤は襟元を正し刀を帯びながら、島田とともに客間に向かう。談笑する声が聞こえ客間の前で膝を折って頭を下げ「山口です」と近藤が紹介するのを聞いてから顔を上げた時、
「は…」
と思わず声を漏らした。
近藤の目の前にいたのは若い男だった。身綺麗な衣服に身を包み、堂々と紀州藩の家紋が施された羽織に袖を通しいかにも御三家に相応しい佇まいだったが、その顔は知人の顔にそっくりだった。目鼻立ちがはっきりとした端正な顔立ちで、月代があるから男だとわかるが一見すれば男とも女とも思えるような際立って美しい顔立ち。いつも彼のその麗しさを形容するのは難しくて困る。
(英にそっくりだ…)






解説
三浦休太郎と斉藤の関係は天満屋事件前から始まっていて、斉藤が御陵衛士から新撰組へ帰還する際、三浦のもとに潜伏したと言われています。またその縁から三浦を警護することになるのですが、警護自体は油小路前から始まっており、油小路の際に一旦斉藤たちは引き揚げ、再度警護につきました。展開上、史実と異なりますのでご了承ください。


拍手・ご感想はこちらから


目次へ 次へ