わらべうた




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「私の顔に何かついていますか?」
屯所を出た斉藤は隣を歩く英そっくりの若い紀伊藩士…朝比奈朔郎(あさひなさくろう)に訊ねられ、
「いえ…」
と言葉を濁らせるしかなかった。
朝比奈は三浦の侍者だそうだが、風貌だけでなく年の頃や声の質なども英によく似ていた。それは斉藤だけでなく、英のことを知る近藤や土方、隊士たちも彼の顔を見て驚きを隠せなかったほどだ。
改めて朝比奈から三浦休太郎の警護依頼を受け、これから彼が潜伏している宿へ向かうということで斉藤は島田と数名の隊士を引き連れて出立したのだ。
(よく似ている…が…)
その物腰はさすが御三家の紀州藩士ということもあり洗練されていて、その美しい容貌もあって近寄り難ささえ感じる。英も似たようなところがあるが環境の違いなのか、朝比奈の方が上品さが抜きんでている。それは本人も自覚があるようで周囲に必要以上に距離を置かれるのだろう、
「山口先生、私の方が年下でしょうから朝比奈とお呼びください」
と親しげに声をかけてきた。しかし斉藤はまるで他人のふりをした英が隣にいるような気がして、居心地が悪い。リアクションの鈍い斉藤を見て朝比奈は「うーん」と首を傾げた。
「ところで気のせいでしょうか…近藤局長をはじめ隊士の皆さんのご様子が変でしたが」
「…そんなことは」
「いえ、実は都に来てから時折そのような視線を感じるのです。きっとこの目立つ顔が原因でしょうね」
「…」
朝比奈はそう言いながら頬に手を当てた。自分の整った顔立ちについては十分認識しているようで、その言葉に嫌味がない。斉藤は朝比奈の物言いや仕草まで似ている気がしてますます混乱してくる。
英が陰間の宗三郎として名を馳せていた頃は知る人ぞ知るという存在だったが、いまや南部診療所の新米医師としてあちこちに往診に出向いている。顔に火傷があるとはいえ目立つ風貌なので、英を知っている者からすればそっくりな朝比奈の顔をみて色々な反応があるはずだ。
「…ご兄弟は?」
「歳の離れた妹が一人おりますが?」
「そうですか…」
兄や弟でもいればそれが英であるかもしれないと思うが、朝比奈自身には身に覚えがないようだ。それに御三家の藩士と陰間では境遇もあまりに違う…他人の空似で片付けるにはあまりに似すぎているが、ひとまずいまは疑問を棚上げすべきだろうとそれ以上深く考えるのをやめた。
「三浦殿はいつからその宿に?」
「ええと…十日ほどです。宿の女将とはもともと懇意で、良くしていただいています」
「すぐに別の宿に移りましょう。素性を知る者がいる限り、いくら懇意でも安泰とは言えません」
潜伏するなら長く同じ場所に留まるべきではない。その女将も絶対的な味方とは言えず、悪意がなくともひょんなことから人の噂はすぐに流れてしまうものだ。
朝比奈もすぐに心得て「わかりました」と頷いた。そして
「山口先生は優秀な方なんですね」
と満面の笑みを向ける。英なら面と向かって絶対に言わないようなことを、朝比奈が口にする。
(妙なことに巻き込まれた)
斉藤はそう思った。


宿に到着し朝比奈の案内で面会を果たした三浦休太郎は、斉藤よりも十ほど年上の恰幅の良い人物だった。ぎょろりとした目にクマが深く刻まれているのが印象的で、滲み出る威厳が周囲を威圧している。
「新撰組か」
三浦のその一言で、斉藤は自分たちが邪険に扱われているのを察した。御三家の紀州藩士からすれば無頼の集まりである新撰組など視界に入れるのも躊躇われるような、汚らわしい存在なのだろう。しかしそうやって蔑まれるのは慣れている。
「…お初にお目にかかります、新撰組副長助勤山口二郎です。後ろに控えますのは、伍長を務めます島田と…」
「必要ない、どうせすぐに他人になる」
三浦の傲慢な物言いは癇に障ったが、斉藤はそれくらいの扱いは予想していた。相手は御三家の紀州藩士…いまは徳川家臣であっても元浪人の新撰組が警護を務めること自体が侮辱に感じるかもしれない。
けれど三浦の傍に控えていた朝比奈が
「三浦先生」
と少し嗜めるように制した。
尊大な態度を取る三浦と、麗しすぎる朝比奈ではまるで親子のような年の差がある。朝比奈は侍者ということなので主人を牽制するのは出過ぎた態度にも見えるが、三浦は不快な様子はなく朝比奈の非難を甘んじて受け入れているように見えた。
深いため息をつきながら三浦は腕を組む。
「…私は一時は尊王攘夷の志を持って勉学に励んでいた。当然同志である坂本龍馬殿の暗殺など指示しておらぬ。潔白であるからこそ、こそこそ身を隠すような真似は必要ない」
「しかし先生、これは藩命なのです。それに肥後守様から直々に新撰組の皆さんを派遣していただいたのですから、有り難くお受けいたしましょう」
「…」
三浦はまだ何か文句を言いたそうだったが、「わかった」と頷いた。その返答を聞いて朝比奈は微笑む。
(なるほど)
この短い会話で二人の関係が何となく察せられた。
どうやら主従の関係ではあるが、朝比奈のこの美貌を前に三浦は強く出られないらしい。傍から見れば三浦は気難しく扱いづらそうな人物だが、まるで朝比奈の掌に転がされているようにも見える。
それから朝比奈はさらに宿を移動する旨を三浦に告げた。三浦は居心地の良いこの宿を離れることに不満そうだったが、やはり朝比奈の言葉通りに受け入れた。
斉藤はその様子を何も言わずに見守っていたが、三浦は立ち上がりながら突然、斉藤を指さした。
「警護については了承するが、ぞろぞろと付いてくるのは好かん。お前がこの中で一番腕が立つのなら、警護はお前だけにしろ」
「…承知いたしました」
三浦は「ふん」と鼻を鳴らして荷物をまとめるために部屋を出ていく。
朝比奈はやれやれと肩を竦めながら、斉藤へ向かって「申し訳ありません」と主人の無礼を詫びて頭を下げた。
「このところ先生はお疲れなのです。あのように警護など必要ないとおっしゃいますが、身に覚えのない誹りを受けてご不安に思い、苛立っているのでしょう。ご容赦ください」
「…いえ。警護は一人でということでしたので、他の者には宿の周りに配置させます」
「是非お願いいたします」
斉藤は後ろに控えていた島田に合図を送り、外の警備に就かせた。すると必然的に朝比奈と二人になり、彼は穏やかに口を開いた。
「山口先生、私は紀州藩士のなかでも下級武士で三浦先生の小間使いですから、先生の方がお立場は上です。どうぞ敬語はおやめください」
「…とても小間使いには見えなかったが」
「とんでもない。先生は私に良くしてくださっているのです」
朝比奈は邪気のない笑みで答える。
しかし彼は自らの整った顔立ちに自覚があり、三浦がそんな自分を優遇していることにも気が付いているはずだ。
(…厄介だな)
朝比奈は無邪気な麗人としての仮面の裏に、何かを隠している気がした。しかしそこに踏み込むとさらに面倒なことになる…斉藤は内心、ため息をついた。
朝比奈は「先生のお手伝いに」と部屋を出ていくと、入れ替わりに外の配置を任せた島田が戻ってきた。
「完了しました」
「…ああ」
「あの…朝比奈殿は英先生のご親戚とか、そういうご関係ではないのでしょうか?」
島田はその大きな体格を丸くして、斉藤に耳打ちする。
何かと疎い島田でも朝比奈の容貌があまりにも英に似通っていることが気になっていたのだろう。けれど斉藤のなかには明確な答えがなく「さあな」と返答するしかできない。
白い肌や艶やかな髪、印象的な瞳と整った目鼻、微笑むとまるで傾国の美女のように相手を篭絡する…英のことは唯一無二の存在だと思っていたが、まさかこんな近場にもう一人現れるとは思わなかった。
けれどそこにどんな因縁や理由があるのかはわからないし、必ずしも良い方向とも限らないだろう。
「…島田、英のことは朝比奈には決して伝えるな。無駄口を叩かず、三浦の警護だけに専念するように皆にも伝えろ」
「わかりました」
島田は頷いて再び部屋を出て階段を下りて行った。








解説
なし

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