わらべうた




799


屯所でいつもの猫が総司の膝元で身体を寄せて微睡んでいた。冬の月を眺めながら指先で頭を撫でつつ、文机に向かう土方に
「それにしても驚きましたね」
と、隊内で話題の『朝比奈殿』について話を振った。
紀州藩士三浦の付き人としてやってきた朝比奈は英にそっくりすぎて皆が目を丸くした。客人を出迎えた近藤はあからさまに呆然として戸惑っていたので、代わりに土方が冷静に話を進めたほどだ。
顔貌だけでなく声まで瓜二つの朝比奈はいっそ本人なのではないかと誰もが一瞬は考えただろうが、当然そのはずはなく朝比奈には火傷の痕は無い。
土方は手を止めて筆を置き、気難しい顔をした。
「…他人の空似にしては出来すぎていたな」
「いっそご親戚とかでしょうか?土方さんは英さんの昔のこと、知らないんですか?」
「江戸にいた頃『親の顔は知らない』と聞いた気がするが…あいつから身の上の話はなにも聞いてない。本人に尋ねても良いが話したがらないだろうな…」
「それに、英さんにはあまり関わって欲しくないですよね」
総司の言葉に土方は頷いた。
ただでさえ朝比奈は紀州藩士で、医師であっても英とは身分の差が大きく疎ましく感じるかもしれない。それに元陰間だと耳にすればますます彼のことを厭う気持ちになるかもしれない。英もまた己の出自が知りたいわけでもないはずだ。
そうしていると「失礼します」と相馬がやってきた。相馬は朝比奈の案内で斉藤と数名の隊士と共に三浦の滞在する宿へ向かっていた。
「どうした?」
「三浦様が、警護は最低限の人数で目立たないようにということで、数名が待機という形で屯所に戻されました」
「…そうか。三浦殿はあまり気乗りしないのだろう」
土方は新撰組が拒まれることは予想していたようで苦笑するだけだった。
「はい。山口先生だけが部屋に残り、他の隊士は外の警備に」
「こんな寒空で…不運ですねえ」
総司は配下たちに同情してしまうが、たとえ華々しい一番隊であっても御三家の紀州藩からすれば下僕に等しいのだろう。しかし土方は手を抜くわけにはいかない。
「近くに宿を取らせて交代で勤めればいい。数日のことだと思って耐えるように皆に伝えろ」
「はっ!…それから、山口先生からご伝言がひとつあります」
「なんだ?」
「侍者の朝比奈殿について調べてほしいと」
「…」
総司は朝比奈と英の似ている容貌について、斉藤も気になっているのかと思ったが、きっと彼は表面的な事柄ではなく、別の意味で朝比奈のことが気がかりなのだろう。土方の受け止め方も同じで
「わかった。早急に調べると伝えろ」
とやや深刻な表情で相馬に命じて、彼は去る。
すると猫も背伸びをしてそのまま縁側から庭に降りていき、茂みの向こうに姿を消した。
「…あの猫、お前にしか懐かないそうだな」
猫は土方や山野だけでなく他の隊士を含めても近寄らず、懐かないらしい。
「動物に好かれるタチなんですかね?池月も今は安富さんの言うことを聞くそうですが、最初は手を焼いて大変そうでした」
「安富は今も大変だと言っていた。池月の機嫌が悪いと手がつけられないと」
「はは、近藤先生の命名は正しかったというわけですね」
「暴れ馬にあやかって名前をつけたせいで、こうなっているのかもな」
土方は笑いながら再び筆を手に取った。


宿を移動した。人目を避けるため安宿が立ち並ぶ場所のひとつを選んだために三浦の機嫌は悪くなったが、朝比奈が宥めてようやく落ち着いた。
三浦が気晴らしに朝比奈に酒を準備させて飲み始める。女を呼べるはずがなく朝比奈が酌を務めるが、妓女など必要がないほど様になっていて三浦も次第に上機嫌になる。
「山口先生、酒はいかがですか?」
「いや…結構」
「ちっ、付き合いが悪いな」
三浦の嫌味には慣れてきたが、彼は酒乱だそうなのでここで機嫌を損ねて騒がれては困る。朝比奈に目配せされ、斉藤は仕方なく「少しだけ」と盃を受け取った。
酒豪の斉藤が酒を飲んだところで任務に支障が出ることはないが、少しの粗相を酒のせいにされて三浦に説教されるのだけは御免だ。付き合い程度にちびちびと飲むことにする。
すると三浦は酒が回り始めたのか、顔を赤らめてふらふらと重心が揺れ始めたかと思うと次第に饒舌になった。
「家茂公がご存命であったら決して大政奉還など起こらんかった。これだから水戸は好かん、御三家と言えども我が紀州と尾張とは格が違う。幕府を潰してしまったのは水戸のせいじゃ」
「先生、お気持ちはわかりますがどこで誰が聞いておるやもしれませぬ」
「構わん。…万一そんなことがあれば咎を受けるのは此奴等だ」
三浦は顎で斉藤を指す。しかし尤もなことなので
「おっしゃる通りです」
と淡々と返すと三浦は満更でもない顔をして、「飲め」と酒を注いだ。
「私は茂承様が紀州藩主を継がれるために共に紀州入りしたのだ。支藩から御三家への出世と周りは持て囃したが、尊王攘夷の波に飲み込まれて苦労しかしておらぬ。戦では大樹公のご指示で前線に送られ、負け戦…挙げ句の果てには海援隊との折衝を任され、賠償金まで取り立てられた。厄介ごとばかり押し付けらえ、そのせいで海援隊に命を狙われているなど…!」
斉藤は三浦の愚痴を耳にして、確かにと素直に同情した。損な役回りばかりを押しつけられ、しかもそれが全て悪い方向へと向かってしまう。
「不運なことです」
「そうだ、不運なのだ。決して私のせいではない!」
「おっしゃる通りです」
斉藤の返答が気に入ったのか、三浦はころりと態度を変えて
「飲め飲め」
と酒を勧めてきた。斉藤はその後も三浦に付き合い、あれやこれやと文句を聞き流す。適当な相槌を打ちながら、(どうやら意見せず同意すれば満足らしい)と三浦の扱い方を学んだ。警護する立場から、三浦の人物を知っておくのは任務の一環だ。
朝比奈はハラハラと見守っていたが酒で酔い潰れるのは当然、三浦が先だった。
朝比奈は寝汚く眠る三浦の肩を抱きながら
「…山口先生、とんだご迷惑を…」
「大したことはない。…寝所にお連れしよう」
斉藤は朝比奈に手を貸して三浦を担ぎ、隣室の布団に寝かせた。外にいた島田を呼び出し部屋の前の警備に就かせて元の部屋に戻ると、朝比奈は深々と頭を下げてきた。
「お付き合いいただいてありがとうございました。おかげさまであのご様子なら山口先生のことをきっと気に入られたのだと思います」
「大したことは何もしていない」
仮面をかぶって伊東に付き合って飲み明かした時に比べれば何の苦労もない。朝比奈は「御謙遜を」と微笑みながら
「我々も休みましょう」
と一息ついた。三浦の長い愚痴に付き合ったせいですでに薄明を迎えようとしている。
斉藤は三浦が休む部屋と襖一枚隔てた場所に背中を預け、膝を楽にした。朝比奈は少し驚いたように
「山口先生、布団を敷きます。お休みください」
「いや、このままでいい。慣れている」
「しかしそれでは身体が持ちません」
「俺に構わず休んでくれ」
警護対象者の隣で律儀に布団など敷いて寝るわけにはいかないし、逆にすぐに敵襲に備えられるくらいの態勢でなければ休むことなどできない。朝比奈は「そうですか」と少し残念そうにして
「では私も」
と斉藤の隣に腰かけた。
「付き合わなくていい」
「いいえ。私も三浦先生の侍者ですから」
朝比奈はそう言って「おやすみなさい」と目を閉じた。彼は寝つきが良いのか、すぐにうとうとと眠り始めた。
外から障子越しに朝の白い光が差し込み始め、朝比奈の長い睫に影ができる。目を開けているときとは違う無防備な容貌…斉藤はこの顔を何度も見たことがあったが、
(似ているが…違う)
その確信とともに、この静かな朝には似つかわしくない悪い予感を感じていた。




















解説
なし

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