わらべうた




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「中井庄五郎という男を知っていますか?」
斉藤は単刀直入に三浦に訊ねた。
「…誰だ?」
「陸奥陽之助とともに三浦殿の命を狙っている者です」
「…」
三浦は眉間に皺を寄せながら、隣にいた朝比奈に視線を向けた。朝比奈も首を横に振ったため改めて「知らぬ者だ」と答えた。
「十津川郷士の一人で腕が立ちます。新撰組では取り逃していますし、尊王攘夷の志士として何人かの裏切り者の暗殺に関わっていると耳にしたことがあります」
「お、脅しているのか?」
「いえ。ただ一層警備を強固にせねばなりません」
いつも尊大な態度の三浦だが、斉藤が淡々と事実を話すので顔は青ざめて明らかに怯えていた。その様子に気が付いた朝比奈は三浦の膝にそっと自分の手を置いて
「先生、ご安心ください。新撰組の皆さんがきっと守ってくださいます」
と微笑んで励ますとと幾分か落ち着いたようだが、それでも堪えきれずに
「…酒だ。酒を持ってきてくれ」
と言い出した。朝比奈は困惑して斉藤へ視線を向けたので、それくらいの我儘なら良いだろうと頷いた。
「島田」
「はい、女将に頼んできます」
斉藤の意図を察した島田が部屋を出て階段を下りていく。
三浦は「寒い」と言い出して脱いでいた厚手の羽織にそれを通しながら、斉藤をちらりと見た。
「……警備の人数を増やしても構わない。腕の立つ者を置いてくれ」
初対面の時は邪魔になるから斉藤一人で良いと言い切った三浦だが、リアルに命の危険を感じたのだろうが、もちろん斉藤としては渡りに船だった。
「一番隊は新撰組で最も優秀な隊士が集まっています。明日から数名、部屋の周りに配置させます」
「…頼む」
三浦はよほど居心地が悪かったのか「少し休む」と言って寝所にしている隣の部屋に移動したところで、朝比奈はほっと安堵した表情を見せた。
「どう説得しようかと思案していたのですが、先生が自らおっしゃっていただいて私も安心しました。どうぞよろしくお願いいたします」
「ああ」
深々と頭を下げた朝比奈は「私は肴を買ってきます」と立ち上がろうとしたところ、足がもたついてバランスを崩した。咄嗟に斉藤が手を伸ばし朝比奈を抱えるように支えると、彼は身を任せてきた。
「山口先生」
「…」
「…やはり、私にご興味がないのですね?」
「だったらなんだ?」
斉藤は朝比奈を押し返そうとしたが、彼は腕を強く握り離れようとはしなかった。三浦が戻ってきたら、まるで抱きしめるような恰好に見えてしまう二人を見て発狂するかもしれない。斉藤はそんなリスクを冒したくないと思ったが、一方で朝比奈が何を思ってこんなことをしているのか興味が沸いた。
すると朝比奈は小声で斉藤に耳打ちした。
「私が強い人が好きです」
「…」
「先ほどの三浦先生の怯えた様子には幻滅しました。なんと胆の小さい御方でしょう」
それが本音なのか演技なのかは図りかねたが、しかし朝比奈の物言いは急に冷たく吐き捨てられているように響く。
「世話になっている主人だろう?」
「…そうですね。でも今のご時世では強い人に惹かれるのは当然かと思います」
幕府がなくなった今、御三家に威光などなくおそらく斜陽となる存在だ。朝比奈の言い分は尤もだが、斉藤はその手を強引に引き剥がして距離を置いた。
「俺を試しているのか?」
「…」
「生憎だが、俺には何の権力も権限もない。三浦殿に付く方がマシだ」
偽らざる本音を吐き捨てると朝比奈は少し黙った後、斉藤を見た。
「…冗談です。ますます信頼できる御方だと実感しました…山口先生」
「…」
「肴を調達してきます」
朝比奈は改めて軽く頭を下げて、部屋を出て行った。彼は斉藤を嗾けておきながら望み通りの返事がなくとも表情を変えずに冗談だと話を切り上げてしまった。斉藤は彼の真意が掴みきれずに、自然とこめかみ辺りに指先を這わせていた。
(自分に靡かないことが朝比奈の誇りを傷つけたのだろうか)
誰もを手玉に取ってきたのし上がって来た朝比奈にとって、一度たりとも隙を見せない斉藤が珍しいのだろうか。
「斉藤先生」
考え込んでいると梅戸がやってきた。
「山口だ」
「そうでした。…あのう」
「ああ、行け」
「はい!」
返事だけいつも声の大きい梅戸には、朝比奈の監視を任せている。朝比奈が旅籠を出て行ったのを見て尾行に向かうのだ。
(そう簡単にボロを出さないだろう)
朝比奈を拒み遠ざけているはずなのに、いまだに彼の手のひらのなかで転がされている気がする。
年の暮れ、師走を迎えた夜は不自然なほど静かだった。


同じ夜、土方は小姓の泰助と共に別宅へ向かっていた。
提灯を持たせて前を歩かせるが
「あれ?…うーん、こっちか…?」
泰助の様子はぎこちない。まだ京の光景に慣れないようで別宅までの道順が怪しい。しばらくは様子を見ていたが、
「…こっちだ」
土方がため息混じりに教えてやると、泰助は「本当だ!」と子供のように嬉々とする。
「いい加減覚えろ」
「だってだいたい同じような家ばっかりだし…明るいうちならわかるんすけど、夜は全部同じ道に見えて…」
「いちいち言い訳をするな」
泰助には泰助の言い分があるようだが、流石にこれ以上は飲み込んで「すみません」と謝った。
土方にとって泰助は幼い頃から知っている門弟なので甥のような存在であり、また泰助にとって土方は鬼副長よりも試衛館の遊び人の印象が大きいようで生意気なままだ。近藤の小姓である田村銀之助は賢く礼儀正しい有望な少年だが、しかし土方にとって数少ない遠慮のない間柄である泰助と会話をしているのは気が楽だ。
「…新撰組はどうだ?」
「楽しいです。先輩方は可愛がってくれるし、鉄や銀と一緒に切磋琢磨してるし…でも沖田先生は相変わらず厳しいです」
泰助の正直な感想に土方は笑った。
「相変わらずか」
「最近素振りの回数を半分にしてくれたのは有難いんですけど、その分屯所を五周する走り込みが追加されたんです。沖田先生は『楽になったでしょ』って言ってたけど全然…もう毎日へとへとです」
「…あいつ…」
土方は小姓たちのあまりの疲弊ぶりを見かねて素振りの回数を減らせと総司に伝えたが、結局はさほど変化がないようだ。
土方は呆れたが、しかし泰助は「良いんです」と言った。
「俺たちが隊のために全然役に立ってないのは本当のことだし、沖田先生は俺たちに期待してくれてるんだってわかってるんで。それに先生は楽しそうだし」
「…そうか」
「まあでも、これ以上増えるのは勘弁してほしいです」
泰助は率直に口にする。提灯の淡い光が泰助の背中を照らすと、少し背丈が伸びたような気がした。
何とも言えない穏やかな気分で夜道をしばらく歩くと、ようやく別宅が見えてきた…のだが。
突然、脇道からタタタッと誰かが駆け込んできた。泰助は敵襲だと思い、すぐに提灯を投げ捨てて「何者だ!」と声を上げて抜刀して身構える。土方は泰助が落とした提灯を拾い、周囲の様子を窺うとちょうど泰助の刀が弾かれたところだった。
「わっ!」
泰助は驚きながらも刀は離さず握り、どうにか構えて敵の刃を受け止め続ける。実戦経験の乏しい泰助だが土壇場の肝は据わっているようで逃げ出しはしなかった。
キィンキィンと数回鳴り響いた後、泰助がついに避けきれずにバランスを崩し尻もちをついた時。
土方は
「いい加減にしろよ」
と止めた。泰助は「へ?」と情けない声で腰を抜かしたまま見上げた先には、一人の若い男がいた。土方はよく顔が見えるように泰助が持っていた提灯をかざすと、彼は刀を鞘に戻した。
「若い隊士を虐めるな」
「はは…すみません、つい。あまりに警戒心がないものだからちょっかいを出したくなっちゃって。歳さんがこんな少年を連れているなんて意外だったし」
「小姓だ」
「小姓!偉くなったものですねぇ」
「…えっと…」
土方と親し気に会話する男は泰助に手を差し出し、そのまま引き上げた。そこにいたのは提灯の明かりでもわかるほど整った顔立ちでありながら飄々と笑う麗しい男だった。
「お前も名前くらい聞いたことがあるだろう。心形刀流の伊庭八郎だ」











解説
なし

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