わらべうた




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相馬からの伝言を聞き斉藤が上司からの許可が出たことを伝えると、朝比奈は「良かったです!」と手を叩いて喜んだ。
「明後日ですね。では私は良い酒と肴を準備します。関殿は食通ですからお料理の仕出しは…」
「いや、それはこちらが用意する。信頼できる筋に頼むつもりだ」
斉藤は朝比奈の申し出を断った。外部に宴の開催を悟られると面倒なことになるし、毒を混入されたら打つ手がなく関り人物は少ない方が良い。朝比奈は残念そうな表情を浮かべたが、「では酒だけでも」と頷いた。そしてそのまま三浦に報告するために隣室へ向かった。
斉藤は部屋の外に出て島田に一瞥をくれて持ち場を離れ、階段を下りた。そして一階で待機する梅戸を手招きし、人目のない場所に移動した。梅戸は斉藤を前にすると目を輝かせて、
「はいっ!何でしょう!」
とまるで忠犬のように返事をする。
「声が大きい。…朝比奈が普段から足を運んでいる酒屋は『桂木屋』だけか?」
「自分が知る限りはそうっす。なんでも紀州の川上酒を扱っているそうで、朝比奈殿は店主と親し気に話していました」
「そうか…」
『桂木屋』についてはすでに調べがついており、紀州藩との間柄が深いそうでいわゆる上等な店だ。討幕派や海援隊らと繋がっているような疚しい点は何もない。
以前、梅戸から『朝比奈を疑っているのか』と訊ねられ明確な返答を避けたのは決定的な証拠がなかったからだ。しかしどう考えても四軒も宿を変える羽目になったのは三浦の居場所が漏洩したせいであり、情報源としては本人以外では朝比奈しか考えられない。彼には三浦への忠誠はなく、疑う理由はいくらでもあるのだ。
斉藤が考え込んでいると、梅戸が「あのう…」と少し躊躇いながら口を開いた。
「実は…一つ気になることが」
「なんだ?」
「見間違いかもしれねぇっすが…一度、この天満屋の外で朝比奈殿が隊士の誰かと話し込んでいるのを見ました」
「誰だ?」
「それが…後姿で判然とせず。俺の気配に気が付いてサッと隠れて宿に戻っちまったんです。顔を確かめるべきだったのかもしれねぇと今なら思うっすけど、その時は隊士の一人だろうから話し込んでもおかしくはないし、朝比奈殿を見失ってはならないと思いそちらを優先しちまって…」
梅戸は「申し訳ないです!」と大声で謝って頭を下げる。梅戸がそのように判断したのは当然だろうと、斉藤は責めるつもりはなく、むしろ彼が話す光景に違和感を覚えた。
朝比奈は人当たりが良く物腰柔らかで誰に対しても丁寧だが、斉藤の他に踏み込んで話をする相手はいない。そもそも平隊士には用件すらないはずだ。
「謝らなくていい。その後姿に見覚えはないのか?」
「うーん…自分は一番隊に異動して日が浅いので何とも。天満屋に宿を変えてからは他の隊からの応援の者も出入りしているんで、一番隊の誰かとも断言はできねぇっす」
「そうだな…」
梅戸の言うことは尤もで、斉藤も忠実な一番隊のなかに勝手な行動で朝比奈と接触するような者がいるとは考えられなかった。
「わかった。これからも朝比奈を見張れ。ただし次は怪しい人物がいたらそちらを優先しろ」
「はい!」
梅戸のやたら大きな声を聞き流して下がらせ、斉藤はその場に留まった。
(隊士か…)
新撰組の隊士なら宿を出入りしても不自然ではない。先日梅戸に半ば冗談で口にしたことが現実を帯びてきてしまうが、もしあの端正な顔で迫られたらひとたまりの無いのかもしれない。
(俺はそうは思わないが…)
「山口先生、こちらにいらっしゃいますか?」
不意に部屋の外から声をかけられた。中性的な声はここにいる誰とも違い、斉藤は困惑しながら「ここだ」と答えると、声の主は屯所にいるはずの山野だった。一番隊の隊士だが、医学方見習いを兼務する彼は今回の作戦には加わっていない。
「どうした?」
「沖田先生のお使いで参りました。こちらを」
「…短銃?」
もちろん見覚えがあった。伊東に命令され総司を襲撃した際、彼が最後の最後に引き金を引いたものだ。後日、近藤と土方から護身用として渡されていたものだと聞かされ随分複雑な気持ちになった。新撰組では銃の訓練が刀と同等に取り入れられ、斉藤も従いながらもいまだに刀に固執しているところがある。
「…沖田は何と言っていた?」
「いえ、特には何もおっしゃっていませんでした」
「そうか…」
敵襲に備えるために短銃が無ければ危険だと伝えたいのならいらぬお節介だと突き返すが、この短銃は最後に互いの命を守ったものでもある。きっと総司は実用的な意味ではなく御守のような気持で寄越したのだろう、と斉藤は察した。
「…受け取った、と伝えてくれ」
「はい、承知いたしました」
山野は穏やかに微笑んで去っていく。斉藤は手元に残った短銃を懐にしまうと、無機質なはずなのに仄かな温もりを感じたのだった。


三浦は友人の関と三宅から招きに応じる返答が届いてから、随分と上機嫌になり扱いやすくなった。依然として酒は手放せないもののようやく眠れるようになったようで朝比奈も安堵した。
夜深く、蝋燭を手に隣室から出てきた朝比奈は「お休みになられました」と斉藤に報告する。
「わかった。…朝まで見張る、休んでくれ」
「山口先生もお休みになってはいかがですか?今宵は静かな夜です」
「いや…疲れていない」
「そうですか」
朝比奈は斉藤の淡々とした返答に慣れたようで食い下がることはなかった。そして手にしていた蝋燭を部屋の灯りに移しつつ、小さく息を吐いた。その端麗な横顔は愁いを帯びていた。
「…どうした?」
「一体、このような日々がいつまで続くのでしょうか?明日の宴でいったんお気持ちは持ち直されましたが、それで先生の不自由さが解決するわけでもありません」
「…仕方ない。襲撃者を探し当てるのが先か、世の中が変わるのが先か…」
「西国の世の中になると、いくら御三家と言えども紀州は危ういのでしょうか?」
「だとしたら、どうする?」
「…」
斉藤の問いかけに朝比奈は黙り込む。そしてもう一度ゆっくり息を吐いて
「困りますね」
と愛想よく微笑み返された。言葉ほど「困った」という雰囲気ではなかったがそれ以上は話しが続かず、朝比奈は無言で評判の茶を斉藤に差し出しつつ、自分のものに口をつけた。
「…一つ、聞いていいか?」
「なんでしょう?」
「以前、妹がいると言っていたが」
「ああ…」
出会って間もない頃の会話だ。朝比奈にしては珍しく表情を歪めて話しにくそうにした。不本意に漏らしてしまったのかもしれない。
「…もう生きているのか、死んでいるのかわかりません。自分自身でさえ生きるのに手一杯で、捨てられてから道端で身体を売り、三浦先生に拾われるまでは記憶が曖昧です。ただ…そういう生き方をせざるを得なかったのは紛れもなくこの顔のせいだということは覚えています」
「顔?」
「父上にも、母上にも似ていない。…そういう理由で十を前に妹とともに捨てられました」
「…厳格な家だったのか?」
父上、母上という言葉の響きに育ちの良さを感じ斉藤が訊ねると、朝比奈はまだ追及するのかと言わんばかりの苦笑を浮かべた。
「ええ…まあ。もう一人長兄がいるのですが、父上によく似ていました。同じ子どものくせに傲慢で狡賢くて勝手で…きっと血が繋がっていようといまいと関係なく、邪魔だったのだと今ならわかります」
朝比奈は吐き捨てるように話したが、斉藤はずっと疑問だったことの答えを得た気がした。朝比奈の丁寧な物腰と賢さは決して下賤の生まれではない雰囲気を醸していた。
朝比奈はそれ以上は生まれについて語らず、
「でも妹には可哀そうなことをしました。まだ幼子で、言葉もわからぬ年頃で愛らしかった…しかし彷徨い歩いているところで人攫いに遭い、私は逃げ出せましたが妹は……それ以来、どうしたのかもわかりません」
「…そうか」
散々、問い詰めておきながら斉藤には淡白な返答しかない。朝比奈は少し呆れたように
「山口先生は本当に…感情の読めない方ですね」
と言いながらにじり寄った。突き放すことはできたが、斉藤は敢えてその場を動かなかった。
「私もお尋ねしたいです。私を見て本当に食指が動きませんか?」
「…動かない、と言ったら不快か?」
「そうですね…少し、悔しいです」
朝比奈はさらに身体を寄せてそのしなやかな指先で肩を辿りつつ、首筋に顔を寄せ、
「今度は山口先生のことを教えてください」
と妖艶に訊ねた。それはまるで唇から蜜が放たれているような甘い響きだ。その甘い囁きに唆されて群がる男たちに、彼の美しさは与えられてきたのだろう。
(哀れだな…)
彼にとって美しさを求められることが、自分を肯定することに繋がるのだと感じているのだとすれば、それは無意味で虚しい連鎖だろう。その鎖の一つに当てはめられるのは御免だと思い、斉藤は朝比奈の手を取りこれ以上の接触を拒むように彼の胸を押した。おそらく斉藤の拒否は彼にとって初めての反応だったのだろう、朝比奈は唖然としていた。
「山口先生…」
「教えることなど何もない」
「何故です?」
まったく意味が分からないという眼差しを向ける朝比奈に、斉藤もまた至極あたりまえのことだと言わんばかりに告げた。
「お前よりも美しい者を知っている。お前よりも惹かれる者がいる。ただそれだけのことだ」
「…」
朝比奈は毅然と言い放つ斉藤を見つめた。そして
「その者が羨ましいです…斉藤先生」
「…俺は山口だ」
「嘘がお上手ですね」
朝比奈は崩れかけていた襟元を正しながら距離を取る。すると「おい!」と隣室から三浦の寝ぼけた声が聞こえ、朝比奈は
「行って参ります」
と去って行ってしまったのだった。








解説
なし

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