わらべうた




811


寒さの厳しい夜。雪がちらつくなか、油小路花屋町の旅籠・天満屋での宴は予定通り始まった。三浦は友人との再会を喜び、上機嫌で招き入れてもてなすが、その階下で斉藤は客人を案内した朝比奈と島田、野村に詰め寄った。
「話が違う」
斉藤は憤りを隠せず、朝比奈も「申し訳ありません」と平謝りだった。
朝比奈と護衛の島田、野村は紀州の屋敷へ向かったのだが、予定していた二名の他に客人と三浦の郎党が加わっていたのだ。もちろん斉藤は承諾しておらず、予定外に身元の知れない人数が増えたことになる。朝比奈は目を伏せながら事情を説明した。
「…私も三宅殿と関殿のお二人をお招きするつもりだったのです。しかし屋敷にはお二人の他にちょうど先生を訪ねて長倉殿と甲村殿が居合わせ、三浦先生にお会いしたいとおっしゃいました。…紀州として碍にはできません」
「ではなぜ奉公人まで…」
「俺たちが頼りないって言うんでついてきたんですよ!」
野村がいらだった様子で吐き捨てる。
「居場所をは教えられないって伝えたら、いるかどうかもわからぬ敵襲に怯えて身を隠しているのかって喧嘩売られちまって。じゃあついて来いよと、ついうっかり…」
「申し訳ありません、自分が付いていながら」
島田は野村に強引に頭を下げさせるが、野村自身はあまり納得していないようだ。しかし紀州と揉めるわけにいかず結局は加わってしまったらしい。
斉藤は呆れながら、朝比奈に目を向けた。
「…客人は何者だ?」
「飫肥藩士の長倉徳平殿と甲村休五殿です。飫肥藩の京都探索方を務められ、先生と長く親交があります。身元は確かです」
「飫肥(おび)か…」
飫肥藩は地理的には薩摩藩に近い場所にあるが、その考えは薩摩とは敵対しどちらかといえば佐幕寄りで土佐に近い。大袈裟に警戒すべき藩ではないが、この時勢に長く親交があるからといって油断できるわけではない。
斉藤はため息をつきながらも、警護体制を変更せざるを得なかった。
「…客人の数があまりに多い。宴には俺も出ることにする。島田、一番隊の隊士には外の警戒を、応援に来た隊士は一階に待機を指示しろ。外回りは監察方に任せ必要あらば屯所へさらに増員を頼め」
「はっ!」
「それから梅戸と船津を呼んで来い」
「わかりました!」
島田は大きく頷いて野村の首根っこを掴んで去っていく。
朝比奈は改めて斉藤に謝罪した。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「…紀州の立場なら仕方ないのだろう。今更追い返せない」
「はい…。ただ、やって来た郎党たちは信頼の置ける者たちです。先生のことを心から慕っています」
「お前は違うのか?」
斉藤がすかさず尋ねると、朝比奈は微笑んだ。
「…私もですよ」
「…」
互いを探るようなやり取りをしていると、名指しで呼ばれて喜びを隠せない梅戸とおどおどと挙動不審な様子の船津がやって来た。
「お呼びですか?」
「梅戸、お前は蟒蛇だと聞いたが」
「はい!酔いつぶれたのは国元にいた頃に女に振られた時の一度のみです!原田組長ともよくどちらが多く飲めるか勝負をしております!」
「じゃあ宴に加われ。警護任務の一環だ、客人に失礼が無いように酌をして回れ」
「承知しました!」
「船津、お前もだ」
梅戸の覇気のある返答に比べ、船津は(なぜ自分が呼ばれたのか)と意図が分からず戸惑っていた。しかし断ることなどできるわけがなく蚊の鳴くような声で「はい」と答えるだけだった。船津は朝比奈へちらちらと視線を向けたが、朝比奈はそれを無視して
「よろしくお願いいたします」
と微笑んだ。そのやり取りははた目には大して気になるものではないが、二人に何らかの関係があったと考えれば意味深にも見える。
もともと船津は相馬に見張らせるつもりだったが
(こうなったらいっそ目の届くところに置く方がいい)
斉藤はそう思いながら宴の席へと向かった。


宴が始まり乾杯を終えて早々、三浦は関、三宅と同じ紀州藩周旋方として近況を報告し合った。三浦は二人のことを友人だと言っていたが、当の本人たちは三浦に気を遣い、身を隠さざるをえないこの状況をどうにか慰めようとしていた。
斉藤は付き合い程度に酒を舐めながら気配を消し警護役に徹するが、話は耳に入ってくる。やはり紀州藩には以前ほど徳川宗家へ対する忠誠心は高くはなく藩内で今後の身の振り方について揺れているらしい。
「上様は義父上を亡くされてから気落ちされている。とても戦の先頭に立つなどありえぬ」
「海援隊への賠償金で我が藩も苦しいからな、戦と言われても困るのが本音」
「まったく、我らは海援隊には振り回されておるな」
三浦の状況に同情しながら関と三宅は苦笑しかない。しかし三浦は弱気なところは見せずに
「なに、すぐに元の職務に戻れる」
と意気揚々としている。
その会話を朝比奈は笑顔を絶やさずに聞いていた。時折、手招きされ酌をしながら愛想よく相槌を打つ姿はまるで宴に呼ばれた芸妓のようだ。他の郎党たちも三浦の傍を離れず、意外にも主従関係は良好らしい。
一方で船津は辛気臭い顔をして幽霊のように黙り込んでいる。ちらちらと朝比奈へ視線を向けるが、やはり朝比奈はその視線を意に介さない。
その隣で「旨い旨い」と梅戸は酒を飲み、飫肥の客人に肴を勧めながら斉藤の指示通りその身元の詳細を聞き出そうと酌をした。
飫肥藩探索方として都の様子を探り国元へ伝える役目を任じられている長倉と甲村は齢が近い同じ塾生だそうだ。長倉は塾で助教を務めているそうで穏やかで賢い人物に見えた。もう一人の甲村は他藩から飫肥藩に仕官しながら探索方を務めているという変わった経歴を持っていて硬派で無口だが、長倉によると
「甲村君は実直で真面目な人柄で、信頼を得ちょるのです」
とのことらしい。梅戸の礼を欠いた態度を諫めることなく、二人は宴を楽しんでいた。
(怪しい雰囲気はない)
斉藤はひとまず安堵した。
次第に宴の話題は客人である飫肥の二人が中心となった。
「政局をどんげかせんならんちゅう思いは我々にもあります。しかし田舎には疎くそんげ機運はなく、ただ身近な脅威に対抗することだけを考えちょるだけです」
「その通り。薩摩が蔓延るのは困ります。徳川様には我らんような小藩んためにも先頭に立っていただきたいと思っております。そんために紀州藩んお力が必要なのです」
二人は必死に訴えた。
飫肥藩は常に薩摩藩を脅威に感じていた。新政府軍として世を変え、中心に据えられれば必ず不利益を被る…それだけは避けなければならない。
三浦たちは
「お二人の熱意を上様にお伝えしよう」
と曖昧な返答をしたが、きっと彼らのところで話は止まってしまうだろう。
(大政奉還一つで様々な変化が起きるものだ)
御三家が怯み、田舎の小藩は隣国の侵攻を恐れる。皆が保身のために動くなか徳川や会津、新撰組の行く末は一体どうなっているのか。
(…俺が心配することではない)
居場所を決めたのだから、その道を全うするだけだ。
斉藤が二本目の徳利に手を付ける頃には、宴はすでに無礼講となり梅戸と三浦の郎党たちが歌い踊り、三浦と友人、飫肥の客人たちの酒は進んだ。朝比奈は手拍子を叩きながら、時々三浦に手招きされて腰や肩のあたりに手を回されていた。朝比奈と三浦の関係は公然のこととなっているようで、関や三宅は目のやり場に困っているようだった。そしてその光景を苦々しく船津が見ている―――。
(歪な宴だ)
早く終わればいい…そんなことを思っていた、亥ノ刻。
パンパンパーンッ!
旅籠の外から、まるで戦の始まりを告げるような爆発音が響いたのだった。








解説
なし

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